016 ハーレム論
PCのモニター越しに雨宮先生がいる。
ひょっとこの面をつけて。
「よろしくお願いします。今日はひょっとこなんですね?」
俺はつとめて平静を装って挨拶をすませた。つっこんでいい間柄でもないし、ボケかどうかもわからない。
「よ、jopk;p)(I&('$5……」
「すみません、やっぱり少し聞き取りづらいです」
先生は前回のようにお面をくいっと少し上にあげて口元をあらわにする。
気のせいか先生の口もひょっとこ口になっているように見えた。しかし、それがボケなのかはわからないし、そういうことを指摘する間柄ではない。
「2回目なのでお聞きしますが、なぜお面を?」
「すみません、人の顔を直視できないのです」
「でも、吉祥寺でお会いした時は平気でしたよね?」
「実際の対面だと意外と視線がばっちり合うことは少ないんです。でもオンラインはしっかり見ちゃうんです」
ほう、そういわれてみればそうかもしれない。なんでだろ。
「カメラの位置が目線の先になっているからです」
「なるほど、ならカメラの角度を変えたらいかがですか? 下とか上とか」
「そうすると、私が一方的に担当さんから見つめられることになります」
自分の顔を隠してそっちから一方的に見るのはいいのか。
「はあ、それでしたらビデオをオフにしていただいてもかまいませんよ」
「……それは、失礼では?」
お面は失礼ではない範囲なのか。よし、わかった。
「このままいきましょう!」
「はい」
「今日は私のほうからご連絡差し上げました。で、先生の研究成果もうかがいたいところなのですが、こちらからもいくつかボールを投げたいと思っています」
「はい」
「恋愛関連の本のタイトルを調べると、男性向けにはたいてい〈モテ〉、女性向けには〈愛され〉というワードが入っている傾向にあるようですが、このふたつの違いとはなんでしょうか」
「前者は不特定の相手、後者は特定の相手に対しての要求のように思います」
回答が早い。ちょっとした会話のフックのつもりだったのだが。
「男性は不特定から好かれたくて、女性は特定の人に好かれたいと」
「そうなのでしょう」
何かあまり関心のなさそうな答え。
「なぜ、だと思われますか?」
無茶振りすぎるけど、いちおう聞いてみるか。
「生殖的な理由や社会構造的な理由があるのかもしれませんが、それは専門家にお任せすべきです。私から言えるのは、両者は相容れないということです」
「はい」
「お互い違うものを要求しているのです。もし世の中の男女が個性ではなく、性別によってこのような傾向を生まれながらもっている、あるいはもたされているとしたら……」
「したら?」
「恋愛は超非効率ですね」
なんて乾いた意見。これが洞察力か。でも先生の著作ではもっとやわらかく、本質を理解した上でのやさしいアドバイスが特徴だったはずだ。
「そういう状況で、それぞれどうしていくかが本書のスタートラインになるわけですね」
もう、そっちが言い出したことにしよう。
「そ、う、ですね……」
「本書は女性向けですから、まず女性の視点ではどうでしょう?」
「好きになったら最後、な気がします」
ひょっとこのお面がそんなことを言った。
「たいへん不利な状況ですね。勝つか負けるかしかありません。うーん……」
ひょっとこが長考している。
「私、ハーレムというのは間違っていない気がします」
唐突にそんなことを言った。
「は?」
「こちらをご覧ください」
先生はモニター越しに本の表紙を向ける。
最近、アニメになったというコミック『500人の花嫁』だ。この作者は前作『10人の許嫁』がスマッシュヒットし、満を持しての新刊でヒロインを50倍にし、売り上げも50倍になったという。先生がラブコメの話をしだすようになってから、俺もいちおう有名どころはチェックしている。作家と付き合う編集者のマナーとして。wikiで調べただけで読んではいないが。
「ハーレムものはラブコメの定番です」
「知ってます。主に少年誌などですね」
「まずヒロインありきですが、つぎつぎと魅力的な女性が現れては片っ端から主人公を好きになります。なぜでしょう?」
「それは、読者の主に男子の願望を叶えるためでしょう。男は〈モテ〉たいんですよね」
「メタ視点はだめです」
「めた……」
「女の子たちが主人公を好きになるのにはちゃんと理由があります。ナンパ男から守ってくれたとか、いっしょに失せ物を探してくれたとか、幼い頃に結婚の約束をした、ちょっとしたハプニングで上から覆い被された時に胸がドキドキした、自分が好きなものを否定しないでくれた、その時にいちばん嬉しい言葉を言ってくれた、などです。そして、いちばん多い理由は消しゴムを拾ってくれたです」
「俺の人生にはひとつもないです」
「ということは担当さんは女子から好意をもたれたことが……ないと……?」
「それ以外に好きになる理由ってないんですか」
「まあ、担当さんの恋愛遍歴に興味はありません。ただ、共通しているのは自分に対して優しくされた、大切にされた記憶です。ゾンビと一緒に戦ったというのはレアケースです。つり橋効果です」
「まあ、ゾンビは置いておきましょう……」
「ですから、どれだけ主人公がハーレム状態だとしても、女の子はきちんと好きになっています。読者の都合ではないのです。それがきちんと描けていないと、エロ本になります。……たぶん」
ひょっとこの面が横にプイっと向いて、もじもじしはじめた。
耳が赤い。また勢いで言ってしまったのか。
「ともかく、女の子たちは一途に好きを表現して、愛されたいと思っています。一方で、主人公はモテ状態になります。ほら、パーフェクトワールドです。人類、平和」
「いやいや、女の子たちが不憫です」
「いいんです。主人公は鈍感属性が付与されていますので、自分に向けられた好意に気づきません。したがって長いこと誰も選ばれません。あるいは、誰が好きかを表明しません。連載は続きます」
「また連載論になっていますよ」
「さらにいうと主人公は無自覚に女の子に惚れられる行動をします。〈無自覚〉。これも鈍感属性と同じく大事。主人公がガツガツいくと男性読者はついてきません」
「なんでですか」
「読者がガツガツしていないからです。ガツガツしている人に共感もしません。むしろ嫌い。あれ? 僕知らない間に惚れられてた―なら自分にもありえるかも、がちょうどいいんです。それが、リアルがちょっとだけミックスファンタジーです」
「唐突に現実に戻ってきますね」
「楽しめるなら現実でも非現実でもどちらでもよくありませんか?」
あ、ちょっとツンツンしはじめている。まずかったか。
「私は、いま幸せです」
打って変わって弾んだ声。
「は?」
「主人公を好きになる新キャラがどんどん出てくると、次の段階で女の子たち同士の関係が生まれてきます。はじめは、いがみあったりわかりあえなかったりしますが、最終的に友情が芽生えます」
「パターン……なんですか?」
「そこに痺れます。憧れます」
「もう恋愛ものではなくなっていますよね」
「いいんです。人がわかりあえて、いちゃいちゃしはじめるのが見たいんです。みんな。それを500人ぶんもやり抜いた『500人の花嫁』は傑作なんです」
「結局どこの誰が最終的に花嫁なんですか……」
俺は思わず乾いたを笑いを漏らした。
雨宮先生が突如としてラブコメ関連作品を読み始め、知らなかった世界にハマりだしたのはよくわかった。
独特の視点を持っているのもなんとなく感じられる。しかしこのままじゃフィクションから抜け出せない。どうしたらいいのだろう。
その前に、先生は女としてハーレムの一員でいいのですか、と聞きたかったけど、もちろん無理だった。思考実験だとしてもどうなのかは、この流れでは知りたい。しかし、それはもう踏み入ってはいけない領域だ。
まあ、どっちにしろ、そんなに無自覚で都合よくハーレム状態になっている男なんて現実には存在しない。
存在してたまるか。
話題を変えよう。
「あ、そうだ。じつは先日、先生の元担当の三田園さんに偶然会ったんです」
「偶然……?」
「はい。いま住んでいるアパートの大家さんで。偶然」
「そう、なんですか。偶然ですね。ひとつ屋根の下ですね」
「え? ああ、そうとも言えますかね。いや、なにも始まりませんが」
「そうでしょうか。担当さんはユウ……三田園さんと日常的に接触するということですよ」
「しませんよ。そりゃたまに出くわすこともあるかもですが」
「いや、あります! もう何かしらはじまったようなものです!」
「ど、どうしたんです急に」
「失礼しました。あるんだなー、そういこと、へーすごいなーと思って興奮してしまいました」
「先生のほうが現実でも当たり前みたいな言いようでしたが」
「彼女、その、なにか言ってましたか?」
何かを警戒するような声色になった。
はじめて会った時と違って、こうして長い時間話していると、先生はとてもわかりやすい人なのだと思い始めている。そうすると、こちらも気持ちに余裕ができてくる。
「えーと、前著を書いた経緯を聞きました」
「え? いつですか?」
「いつ? 先週の金曜日です」
「先週の金曜日!? なぜですか!? はじまってるじゃないですか!」
「なぜと言われても。あと、なにがはじまったんですか?」
なぜ先週の金曜日に食いつくんだ。なにかあったっけ?
「失礼しました。なんでもありません」
先生は胸の前で手をクロスしている。
なんだろう。心を鎮めるヨガのポーズか?
「ところで、先生。もしよろしければ、このオンラインミーティング、定期的にやりませんか?」
「えっ……?」
「月イチでも。私はいまちょうど繁忙期ではないので、先生の企画に集中できるんです。先生さえよければ」
嘘がだいぶ混じっている。繁忙期はだいぶ前からない。それにいまのままじゃほとんど進展がない。
「いままで二度お打ち合わせしました。ブレストとはいえなにか企画の役に立ちましたでしょうか?」
心を読まれたかのようだ。
そして自覚しているんですか。
そうです、ラブコメを通した特殊恋愛観しか聞いていないですよ。
「もちろんですよ……」
思いながらも口からは真反対の台詞。あわてて口をつぐむ。
「……」
沈黙させてしまった。先生は洞察力もあるが、勘もいいようだ。
顔色をうかがうのはやめよう。
ふう、とひと呼吸してみる。
今日のことを思い返してみる。
「いえ、まだ構成案がつくれたり、そういう段階ではないですね。でも、お仕事にかこつけてで申し訳なのですが……先生のお話はもっと聞きたいです」
「……」
「楽しかったです。またお話うかがわせてください」
「むぅずぃかく!」
ひょっとこ面がへんな悲鳴をあげた。




