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人生が輝くたったひとつの方法  作者: 無銘、影虎
1 君が愛を語れ
15/31

015 引越し祝い

 毎週火曜日の午後は企画会議がある。

 編集部内の会議だ。編集長以下、数人の編集部員が参加する。

 そこでよい感触のものはブラッシュアップして営業部と部長が同席する会議で再度プレゼンされる。

 そこを通過すれば社長決済を経て正式に承認される。


 とても憂鬱ゆううつだった。


 入社間もない頃は楽しかった。自分のアイディアはどんどん出てくるし、作りたいもの、読みたいものはたくさんあった。拙い企画書だったが、先輩たちは改善点を示してくれた。しかし、いまは違う。何冊か作ってみて、そこそこの評判のものもあったが、重版がかかったのはたった2点。それもいまでは重版品切未定。つまり在庫はないけど重版しないということ。書籍の重版は最低3000部くらいつくらないと利益が薄くなるので、つくろうという判断にならない。ところが最近では1500〜2000部でも重版する。薄利だろうが、ほかに売るものがなければ仕方がない。10年、20年前だったらもはや絶版扱いの本だとしても。

 それでも俺の本は重版がかからない。少部数でも、長い目で見ても「仕上がらない」ということだ。


 そうした現状を知るにあたって、市場の研究、読者の嗜好、売れている著者へのアプローチ、さまざまなことが欠けていることに気付かされた。いまにして思えばはじめの1、2年に出していた企画は自分でも幼稚で欠点だらけのようだった。なぜ、あの企画が通ったのか謎だとすら思える。

 そして、いまはほとんど企画が通らない。


 まったくの異業種から転職して4年め。29歳、あとがない気がしている。


「長谷川くん、いつも言っているけど、狙いすぎじゃない?」

 先輩編集者が俺の企画の指摘する。

「類書との差別化はいいんだけど、違っているだけで、それが読者にとって有益なものにはなってないよな」

 別の先輩の言葉。企画書に目を落としたまま、こちらを向きもしない。


「そうですね。私も同意見です。自分で無理やりネタをつくり出さなくてもいいのよ。探してくるほうが確実。もっと視野を広げてみて」

 楠木さんが締める。

 最近、毎回同じことを言われているような気がする。目を合わせられずに頷く。


 俺の最初の企画を推してくれたのは楠木さんだった。一次面接をしたのも楠木さんだ。

 念願の出版社で働けるようになったのも、編集のいろはを教えてくれたのも楠木さんだ。

 部長いわく、出版社には著しく人を育てる仕組みや風土がないらしい。

 昔風にいうと、見て覚えろ、やって覚えろだ。

 まるでフリーランスがただ同じ会社で机を並べているような感じさえある。

 隣の編集者が何をやっているかはほとんど見えない。

 進捗報告はほとんど結果のようなもので、日々、何をしているかはわからない。


 そんななかで楠木さんは俺に丁寧に本づくりを教えてくれた。

 明るく、不機嫌になるのを見たことがない。小さなことは気にせず、それでいて誰も気づかないようなところを見ている。品がありながらも快活。非の打ちどころがない、は言い過ぎか。いや、俺がそう思うのは勝手だ。


 俺はそんな楠木さんの期待に応えられないお荷物だ。


「あ、長谷川さーん」

 トボトボと歩いていると、その楠木さんに呼び止められる。


「雨宮先生、それからどう?」

「いや、とくになにも……」

「だめよ。連絡は定期的にとらないと」

「いまとくに、先生が研究中のはずで」

「その途中経過でも聞けばいいじゃない。待ってたってむこうから来ないわよ。とくに先生は独特のペースのようだし。習慣づけておかないと、いざというときに話しかけるハードルが上がるわよ」

「なるほど、たしかに」

 それに、いま俺には雨宮先生しかいないもんな。

「考えるより行動! そのほうがいいって!」

 背中をポンと叩かれた。

「先生は考えてばっかりの人のようなんですけどね」

 照れ隠しで、どうでもいいことを言ってしまう。

「それこそコミュニケーションが必要でしょう?」

「そうですね。あの、この企画ってどれくらい期待されているんですかね、営業部から」

「あんまりされていないと思うわ。刊行できたらラッキーぐらいじゃない?」

「そうすか……」

「なにぃ? モチベーションさがっちゃった?」

 楠木さんがけっこうな大声で笑う。

「自分のためにやんなさいよ。編集の仕事は何がどう繋がるかわからないし、どこのどういう道を歩いてもいいのよ。迷っているくらいなら行動して経験しようよ」


 この言葉、前にも楠木さんから聞いたことがある。


 それから、こうも言っていた。

 〈失敗だけが経験よ〉

 じゃあ、ずっと失敗し続ければいいのかというと、

 〈同じ失敗をしないためにあるのが経験でしょ〉

 じゃあ失敗さえしなければいいのかというと、

 〈たくさん失敗したら、間違いなく成長しているでしょうしね〉

 成功は経験にはならないんですね? 意味がないんですか?

 〈成功は自信になるわ。よりチャレンジができるようになる〉

 でも、出版業界だけじゃなく市場の変化は早いから成功体験はなぞらないほうがいいわね、とも付け加えた。

 楠木さんの言葉でもっとも響いた言葉だ。


 いまの俺には成功がないから自信がない。

 自信がなくて失敗を恐れているのだろう。

 よくわかる。

 でも、言葉が心を越えない。


「失敗のうちにはいらないものにまで気を取られないでね」

 楠木さんが見透かしたように言う。

 ヒラヒラと小さく手を振って離れていった。


 ※  ※  ※


 三鷹の新しい自宅に戻ると段ボール箱がまだふたつしか開けられていない。

 どうせ開けたところで本ばかりだ。引越し代のほとんどがここにかかっているのではないかと思う。

 大物はハンガーラックとベッドだけ。

 テレビはタブレットのワンセグチューナーで見ているから持っていない。

 自炊もしないので、調理器具は温めるための電子レンジだけ。

 これだけならミニマリストでもいけそうだが、大量の段ボール箱。

 いますぐ開ける必要もなく、へたしたら数年必要がないかもしれない。それが本というものだ。

 実家に送るにしても送料はうんとかかるだろうと思って、結局連れてきてしまった。


 アパートは築30年だが、古いぶん他の物件にない特徴がある。縦長の2DKなので、食卓と居間と寝室の3部屋がある。いちばん奥の寝室だけ窓があり、入り口にあるダイニングは板の間で物をいくつか置いたら、すぐに狭くなる中途半端な広さだ。水回りだけリフォームされていて畳と板の間しかない空間にマッチしていない。でもそれが気に入った。以前住んでいた西荻窪は無機質なワンルームだった。


 それにしても、〈大家さん〉が元同僚だったとは。

 26歳でアパート経営者、IT企業に勤めていて、収入はかなりあるんじゃないだろうか。

 ……勝ち組というやつか。


 やれやれ。何もする気が起こらん。

 ため息をついてベッドに身を投げ出した。


 その時、呼び鈴が鳴る。

 まだ、知り合いの誰にもこの住所を教えていない。

 誰だろう。

「三田園でーす」

 覗き穴を確認するまでもなく、相手は名乗った。

 鍵はかけていない。そのままドアを開ける。


「ちょっと歓迎会しない?」

 三田園さんはビールの入ったコンビニ袋を手に持っていた。

 そのまま自分の部屋から出てきたのかというパーカーにホットパンツというきわめてラフな格好。

 明日は土曜日で休みだし、断る理由もなかったが、男の部屋にいきなりひとりで押しかけてくる女性がはじめてだったので、慌ててしまったというのが事実に近い。


「それじゃ、引越しおめでとう! カンパーイ!」

 三田園さんは座ってすぐにビール缶を勢いよくあけると、勝手に祝杯をあげた。

 とても押しの強い人だ。

 仕方なく自分も差し出されたビールをかかげる。

「どうしたんですか? 急に」

「いや、だからお祝いだって」

「不動産屋が大家さんは気難しい人だからって言ってた気がするけど」

「そういうことにしといてもらってるのよ。だって面倒でしょ? 長谷川くんは別だからね」

 ビールをグビグビと飲みながら言う。ピッチが早い。

 そして、いつの間にか「くん」呼びになっている。こっちが年上だからというのではなく、距離を縮めすぎるのが早すぎることに驚きを覚えてしまう。成功する人間はやはり陽キャじゃなきゃいけないんだろうか。別に俺も陰キャではないと思っているが。たぶん。


「雨宮先生のことさ、聞きたいかなとも思って」

「それはありがたいです」

「敬語じゃなくていいよ。長谷川くんのほうが年上でしょ」

 知ってたのか。そりゃ知っているか。

「いや、じつのところいろいろ知りたいですよ。ちょっとやりにくいんで」

「ははは、やっぱりそうか」

「やっぱりなんだ」

「そうよ、あの子、超人見知りよ。というか人嫌い?」

「あの子呼ばわりしているんですか?」

「まあ、著者っていっても私が無理やり書かせたし、同い年だしね」

 年齢を気にしてるんだか、していないんだか。してないな。

「どうやって説得したんですか」

「あの子、ひきこもりなのよね」

「やっぱりそうなんですか」

「あ、やっぱりそう思った?」

 三田園さんは満足そうに笑った。

 雨宮先生の話題はなぜか幸せになるな。

 こちらもおのずと思わず笑ってしまう。

「そうそう。それなのにネットでいろんな人生訓みたいなの書いてて、彼女なりに世の中を知ろうとしていたんだと思う。ほとんどひとりごとみたいだったけど、発信するってことは〈答え合わせ〉がしたかったんじゃないかな」

「答え合わせ?」

「自分が見ている社会とか人間だとかについて」

 そうか。やはり経験がないから、自分でも納得していないのかもしれない。

 裏打ちされたものがないから、確信がない。だから反応を見たかったということか。

「でも、彼女の考察は多くの人に刺さったし、共感もされた。だから本にしようと言ったの。もっと目に見えるようなかたちで確かめてみたらって」

「なるほど。実際、売れたし、先生も喜んだでしょう」

「出版した時は喜んでた。でも売れ出してから、もう二度と書かないって」

「なぜ?」

「レビューで批判がけっこうあったからよ」

 たしかに、プロフィールを明かさずに偉そうなことを書くなとか、平凡でつまらないとか、文字が少なくて値段分の価値がないとか、いろいろあったな。

「でも、それって批判するつもりでわざわざ読んでない? 実際、そういうレビューがつきだしたのは売れてからなの。それに7割くらいは高評価よ。きっと悪いレビューを書くのは、売れているから読んでみようってやつらよ。要するに〈そんなに言うなら俺が見定めてやるぜ〉くらいの上から目線よ。ばかばかしい。読書なんて時間がかかるのに。読みたいものから読めっつーの」

 おっと、けっこう絡み酒っぽいぞ。大丈夫か。

 あと、ホットパンツ姿であぐらをかく姿勢で、いやでも無防備な白い太ももが目に入る。


「そういうレビューを目の当たりにして、次はもう書かないと」

「ま、そんなとこでしょ。私気にするなって言ったんだけどね」

「俺も聞いたことある。10個ぐらいレビューで平均星4とか5だとまだ関係者や熱狂的なファンだけだから、売れていない本だと。売れ出すと必ず低評価をつけるのがいるので、むしろ売れはじめた証拠だと」

「私もそう思うわ。でもメンタル弱いからね」

 三田園さんは言いながらプリッツの封を開けて、俺に差し出す。

「だからよく書く気になったなって」

「なんか、俺を叩き潰すためらしい」

「は? なにそれ?」

 三田園さんは一瞬間を置いてから、驚きとともに目を輝かせはじめた。

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