早朝の怪異
初ホラーです。あまり怖くないかもしれませんがご容赦下さいませ。
2:22。あと1時間だ。
真っ暗な部屋のベッドの上で額から頬を伝って流れる汗を拭う。
早朝の怪異
誰が言い出したか分からない、出所不明の噂話の類だ。
午前3:33、4:44、5:55のいずれか3つの時刻に真っ暗な部屋のカーテンを開けて窓に映った人影が自分ではなく別の誰かが映っていたらそいつと自分が入れ替わってしまうという。これには1つ条件があって、窓の外に電灯や太陽光といった明かりが外にない事らしい。
俺、里美理がこの噂を知ったのは恥ずかしながらつい最近の事だ。俺はクラスカーストの最下級の位置にいてこういう流行に興味も無ければこの手の情報を得る機会も無かった。ただ最近の俺のお気に入りの怪奇マンガ『ユーゲン』にこの噂話を基にした話が載っていたのを読んでそれで知ったというわけ。
マンガの中では主人公が窓から現れたその怪異に窓から墜落死させられそうになるが危うく一命をとりとめてこの怪異を窓の中の世界に再封印するというものだったが、あれは嘘だ。断言できる。何故なら俺が生き証人だからだ。『ユーゲン』の話が本当なら千夏の死体が出て来ないのはなぜか?
荒川千夏。容姿端麗で明るく優しいクラスの中心人物にして俺の幼馴染だった。その千夏が2週間前の11月10日の朝、2階の自室から突然いなくなった。おばさんの話では昨日の夜お休みを言って2階へ上がったのが最後の千夏の姿だったという。
彼女が早朝の怪異の犠牲になったと信じられるもう一つの理由が、その千夏が居なくなったその日、まるで入れ替わる様に転校生がクラスにやってきたからだった。その転校生、文身響子は利き腕も聞き足も左ならば性格も千夏と正反対のクールビューティーというべきものだった。
そういう経緯もあって消えたクラスメイトの席に居座った謎の転校生は転校初日からクラスで孤立していたが、文身自身は遠巻きにヒソヒソと噂されている事に何の関心も無い様だった。
幾日か経ってクラスの女子が興味本位で窓の中から来たのかと尋ねると彼女は意味ありげな笑みを浮かべてさあどうかしら、と答えただけだった。その時俺もクラスにいて外を眺めていたのだが、窓に映った文身の顔は青ざめた死神が笑っているような残酷な笑みに彩られていたのを覚えている。
3:33。
暗闇におぼろに浮かび上がるカーテンを左手で掴む。だがそこから先が動かない。
起き上がり、カーテンを開けるだけ。ただそれだけのことが出来ない。どんな事をしても力が入らなくなった左手を恨めしく思いながらスマホの3:35の表示を見て力を取り戻した左手がガッとカーテンを開ける。そこにはよく見知った、汗だくの太ったマヌケ顔があるだけだ。
「何を怖がる必要がある?」
俺は暗闇の中で呟く。
怖い。
映っているのがもし千夏だったら俺はどうすればいいのか?
アイツの代わりになるのか?そうだ。俺の様な底辺よりあいつが世の中にいた方がずっとマシ。そう思って始めた事じゃないか。
弱気な俺の心は別の奴に怒りを向ける。牧と長瀬。あいつらは千夏に気がある風な事を言いながら、千夏が消えた途端に文身にその好意を向けていた。だがああいう連中こそこういう事をしたがらないのは自分でもよく分かっていた。千夏の事が無ければこんな事を俺だってしようとは思わない。
4:44。
ベッドの上に起き上がり、怒りの感情のままに乱暴に左右のカーテンを開いた。暗闇に窓のシルエットが浮かぶ。その中心に向かって何やらもやのような白い物が集まりだした。そのもやの集合体は俺の目の前で人の顔を形作る。その顔はあの文身響子そのものだった。
「お前がっ!お前が千夏をっ!」
さあ、どうかしら?声は聞こえない。だがその青白い顔に不釣り合いな血の染まったような紅い唇は確かにその言葉の通りに動いた。
その言葉と同時に窓の中から見えない力に俺は引き寄せられる。窓枠に両手を食い込ませながら体をのけ反らせて抗う。その引力に窓の中の文身はあの死神の本性を現し、その長髪がヘビの様にとぐろを巻いて俺を引きずり込もうとしているみたいだった。
俺は咄嗟にカーテンを閉める事を思いついて右手でカーテンの端を掴み、引き寄せる。引力は途端に弱くなり、俺は駄目押しとばかりに左のカーテンを引く。窓からの引力は無くなった。だが左右のカーテンに文身の嘲るような顔が大きく浮かび上がり、俺は悲鳴を上げてベッドに倒れた。
5:45。
俺が目を覚ましたのは今日最後の機会となる、10分前だった。この場合どうなるのだろうか?あの女はまだ待ち構えているのだろうか?それとも噂を信じてこんな事をしている奴は日本中にたくさんいるだろうからそいつの所に行ってしまったのだろうか?
俺はわずかな希望にかけて再びカーテンをゆっくりと押し広げた。外の光景は俺が良く知っていたものだった。薄く埃の積もった教科書が乗った台と、後ろにあるPCとゲーミングチェア。その反対側にあるベッド。
俺の部屋だ。そこに千夏がいた。俺達はお互いに同じ表情をしていた。次の瞬間あの窓の重力が始まった。
「カーテンを閉めろ。俺はお前を助けるために、お前と入れ替わる為に窓の中の世界に来たんだ。でも元の世界に帰ってこれたんならもうこんな所に来る必要はないんだ。カーテンを閉めろ」
俺は千夏には聞こえなくともわかるように大きく口を動かしてそう伝えた。
私も同じ気持ちだから。
だが千夏の口ははっきりそう動いた。その気持ちに驚くやら嬉しいやらでつい手を窓枠から放してしまった。窓ガラスにぶつかったと思ったらその衝撃や痛みは無く、俺は元の世界の俺の部屋のベッドに腰かけていた。
「千夏・・・!今度こそ一緒に!」
俺は窓の中の千夏に向かって呼びかける。差し込む朝日と共にぼんやりと消えていく千夏の顔。
だがその顔が完全に消える瞬間、文身響子の死神のモノに変わりニヤリと微笑むと真顔でこちらを見つめている。
あっと叫んで窓に突進したがもう遅かった。
そこには文身の、骸骨に皮膚がへばりついたあの死神の顔が浮かんでいる。俺はいよいよ最期の時を覚悟したが窓からの引力も無ければ窓の中の顔も表情を一つも変えない。
突然恐ろしい思いつきが閃いて俺は顔に手をやった。窓の中の顔も左右逆転、同じことをする。
俺は、PCのモニターに向かって叫んだ。
俺は誰だ!?ここは本当はどこなんだ!?