表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

SF 地球への償い

作者: ますだ・たつよし

 解体途中のブッロク塀の近くに4人の人間がいた。宅地を更地にし、売った不動産屋の鈴木和行、ブロック塀に隣接するその宅地を買った地方公務員の吉田晃、ブロック塀を所有する松本剛と、ブロック建造業者で塀を解体している後藤信二。

 作業がはじまって30分が過ぎたころ、巨大な揺れとともに人間たちは地中へすーっと沈んだ。テレポーション(瞬間移動)の瞬間だった。そこには緑の草も木もない砂漠のような景色が広がっていた。見上げる空には濃いスモッグが太陽光線を塞ぎ、どんよりと曇っていた。なんとも薄気味悪い世界だった。地上では鈴木の禿げた頭頂部のみがランドマークのごとく鈍く光っていた。

「な、な、なにが起きたんだ。こ、こ、ここはどこだ!」

 うろたえたのは鈴木だけじゃない。後藤も吉田も松本も頭の整理が追いつかなかった。

「夕暮れどきのサハラ砂漠?」

 吉田は想像力をたくましくしてみた。

「なんだあ。この臭いは? 血か?」

 鈴木は顔をゆがめ鼻をクンクンさせた。

「確かに、臭う」

 松本はすでに異臭に気づいていて、鼻に手を当てていた。

 その横に立つ後藤がなにかを見つけた。

「あそこに板のような物が見える」

「どこですか?」

 松本は視線を遠くにやった。

「2つ砂が盛り上がった先の窪地の手前。ほれ、あそこ」

 後藤は人差し指でさし示した。

「あぁ、あれ?」

 松本のその声とともに、人間たちはそれを目指して歩きはじめた。深い砂に足を取られ、思うようには進まなかったが。

 手で砂を掘り下げ、半分以上、埋まって朽ち果てた板切れを抜き出し、しげしげと見てから松本は言った。

「これは自治会の住宅配置図の一部ですね。なになに、えーっ! えっ? これはこの町内会のものだ。きっと13丁目の角に立ててあったものですよ」

「なぜ、分かるの?」

 鈴木は訝る声で訊いた。

「ここに微かに東町2番地、銀座商店街、理髪店なにがしとペンキの剥げた跡があるでしょ。でも、各家の苗字は消えて読めない。壊れて相当な時間が過ぎたようだ」

「相当な時間? どういうこと?」

 と吉田が口を挟んだとき、突然、空から声が降ってきた。

「教えてやろうか?」

 その瞬間、すべての動きが止まった。人間たちは互いに顔を見合わせ、次にきょろきょろと動かした。自分たちの他には誰もいないことを確認すると、吉田は、

「だ、だ、誰だ!」

 空に向かって叫んだ。

「……」

「誰かいるのか!」

 鈴木も叫んだ。

 一拍の間をおいて、

「地球だよ」

 冷ややかな声が返ってきた。

「ちきゅう?」

 吉田に続いて、後藤も声をもらした。

「地球だってぇ?」

「そう、地球。お前たち人類の家主で地主だった地球だ。ボロボロに使い尽くされ雑巾にされちまった地球だよ」

 空からの声は語気強くそう答えた。

 人間たちはその姿を捕えようと空を見上げたまま、視線を泳がせた。が、眼球に映るものはどんよりとした曇り空と、その奥にあるぼんやりとした輪郭の太陽のみだった。

「な、な、なんてこったぁ、分からん。ち、ち、地球がしゃべるなんて?」

 鈴木はこの会話を頭の中でうまく処理できず、押し寄せてくる恐怖のあまり空を見上げたまま震える声を絞り出した。

「ふん。分からんかぁ。しょうがない人間どもだな。いいか、俺は生き物だったんだぞ。寿命もあった。  

その寿命を縮めやがって。しゃべりたくもなるってもんだ。ふん」

 地球は大きく鼻を鳴らした。

 これはただ事ではないと、松本は他の人間たちに耳打ちした。

「ここは落ち着いて、しっかり理解しましょう。とんでもないことが起こったようです」

 そう諭されて他の人間たちは首をコクンと下げて応えた。この状況に独り身をおいていれば、こうも冷静には対応できなかったであろう。不幸中の幸い、仲間は3人いた。

 松本は顔を空へ向けて、怒鳴るように叫んだ。

「あんたが地球であれ、どこの誰であれ、問題じゃない! 分かるなら、この状況を説明してくれ! ここはどこなんだ! なにが起こった!」

「無理もない……分からんだろ。ふっふっふっ」

 降ってきた声は明らかに鼻で笑っていた。

 松本は続けた。

「我われは古家を壊し、庭木を抜いて更地にし、境界にあるブロック塀を解体する作業をしている途中だった。ユンボが塀を半分ほど除去したとき、大きな揺れとともに、周りの景色がこう一変したんだ。なにが起こったのか、さっぱり分らん」

「だろうな。お前たちは1000年後の地球にいるのさ。ふん」

 地球はいたずらっぽい声でまた大きく鼻を鳴らした。

「1000年後だと? ……じゃ、今は西暦3024年だな?」

 ようやく気持ちの落ち着いた鈴木が口を挟んだ。

「小学生でもできる計算だ」

 と小バカにされ、鈴木はムッとしたが、そんなことよりも、と訊いた。

「ここはどこなんだ」

 数秒おいて、

「お前たちが作業をしていた場所だ」

 あっさりとした答えが返ってきた。

「えっ? あの更地?」

 鈴木は、信じられないという声で、また訊いた。

「そう、あの更地だ」

 地球の声はどこか怒気を帯びていた。

 それに怯むことなく、吉田が訊いた。

「ブロック塀を解体していた、あの更地?」

 地球は、イラついてなん度も言わせな、更地のあった未来の姿だ、と繰り返したいところを我慢し、答えた。

「まあ、驚くべき単なる偶然かもしれないが……少々、難しいが訊きたいか」

 空を見上げている人間たちは全員顔をコクンと下げた。

「よし、説明してやろう。それは時空連続体にほころびが生じたためさ。そのため2024年と未来をつなぐ四次元通路ができて、未来に来てしまったんだ。時間の川に架けられた橋を渡ってしまったってことさ。要は、その橋が解体していたブロック塀の辺りにあったということだな。偶然の一致だ」

 ここまで話すと地球は黙った。人間たちに考えさせる時間を与えるために。

「こういうことか」松本は言葉を改めて訊いた。「ブロック塀の近くに時空の裂け目があり、ユンボのショックで裂け目に落ち、我われは未来の世界へ来てしまった、と」

「そのとおりだ」

 地球は感心したという声音で答えた。

「この世界と2024年との間には空間があって、そこに裂け目ができてつながっている、ということか」

 後藤は自分の理解を確かめようと松本に問うた。

「そうみたいですね」

 松本は答えると、今日が2024年4月8日であることを後藤に確認してから、

「この未来の世界は今日、西暦何年何月何日なのか、教えてくれ!」

 と声を張り上げた。

「3024年4月8日だ」

 地球が強い口調で答えた。

「じゃあ、過去との時間差はちょうど1000年あるんだな」

「そう教えたぞ。でも、だんだん時間が過ぎて明日の3024年4月9日から1日過ぎるたびに、二等辺 三角形の底辺がゆっくりすぼまるように、時間の川は流れていく。早くしないと橋は消えてしまう」

 地球は含みをもたせ最後の言葉を強調した。

「橋が消えてしまえば、永久にこの世界から出られないってことか」

 この会話をなんとか理解できた鈴木は空に向かって訊いた。

 地球からの答えはなかった。それはイエスを意味していた。

「でも、なぜ時空連続体にほころびが生じたのだ」

 松本は冷静沈着に建設的な質問を投げた。

「いい質問だ。それは……おそらく……たぶん……きっと……太陽フレアの影響かもしれない。フレアが活発化する周期と一致して……」

 地球の声はどこか自信なげであった。

「たいようフレア?」

 すぐに後藤が訊いた。どの人間にも初耳の言葉であった。

「太陽フレアとは、太陽の表面が大規模な爆発フレアを起こすこと。爆発すると地球に高温の電気を帯びた「太陽風」や高エネルギーの粒子、X線などが飛んでくる」

「どんな影響があるんだ?」

 たまらず吉田が口を挟んだ。

「事例を挙げよう。1989年にはカナダで9時間にわたる大規模な停電が発生した。2000年には、日本の天文衛星『あすか』が観測活動不能になってしまった。もちろん、携帯電話や防災無線は不通になり、車のカーナビ、自動運転も危険を起しうる」ここで地球は言葉を切り、「ただし、今回は時間エネルギーに影響が及んだのかもしれない」と続けた。

「時間エネルギー?」

 今度は後藤が訊いた。

「そう、時間のひずみを利用してエネルギーとするものだ。説明はとてもとても難しい」

 ここまで話すと地球はまた黙った。人間たちに次の質問を促そうと。

 松本は話題を変えてみた。

「未来がこの状態なら、人類は滅んでしまったのか?」

 発展的な質問であった。

 地球は再び、口を開いた。

「これもいい質問だ。そう、滅んでしまったんだ。なぜだか分かるか」

 人間たちは誰も答えない。地球にも寿命があり、それを縮めさせ、いずれは人類も滅びること、それを速めさせたのは自分たちであることを十分に理解していたから。

「それは地球に対する誰かのあやまちが貴い経験として子孫たちに伝わらなかったからだ。新たに生まれた人類が同じあやまちをまた繰り返したからだ」

 こう聞かされて人間たちは黙りとおすしかなかった。

「血なまぐさい異臭がするだろ」と訊かれ、人間たちは鼻をクンクンと動かしてみた。確かに、先ほどの異臭が鼻孔を刺激してきた。

「その異臭の素は原始人たちに殺されたマンモスや恐竜、現代人が殺したクジラやイルカ、多くの釣り人が戯れに釣った魚、タンパク源として殺された牛、ブタ、ヒツジの血が……焼かれた草や木、その下で死んだ虫や爬虫類たちのはらわた……さまざまな犠牲の基に人類は生きてこられたのだ」

 地球はまた黙った。人間たちに自らを戒めさせる時間を与えたくて。その効果はすぐに出た。

「誰がこんな未来にしてしまったんだ!」

 正義感をみなぎらせ吉田は顔をゆがめて啖呵を切る勢いで怒鳴ったが、これこそが愚問であった。

「いまさらわめくな! 答えるまでもない。こんな未来にしてしまったのは、我われ人類だ。自分勝手に化石燃料を使い、CO2を撒き散らし、温暖化を加速させた。その悪影響は地上だけでなく海洋にまで及んでいた。海水の酸性化だ。魚類、貝類、藻類をすべて死滅させてしまった」

 松本がこう結論めいたことを口にした。

「未来のことなんて、これっぽっちも考えていなかったんだ」

 後藤の口調は自嘲しているかのようだった。

「なにが低コスト、脱炭素の原子力だ。頻繁に事故を起こし、放射性廃棄物は土壌を汚染させるばかりで、どれもこれも未来の世代にとっては『負の遺産』だった」

 鈴木の言葉も昂ぶっていた。

「『負の遺産』といえば、核兵器や生物化学兵器を使って戦争をはじめた大国もあった。地上に勝手に線を引いて、自国の領土が狭いという理不尽な理屈を立てて、その結果、世界中を敵に回して戦い、多くの小国を消滅させてしまった」

 吉田の声は怒り心頭に達していた。

「そんな悪行はすべて地球の自然環境を急速に悪化させ、気候難民たちがさまようわ、食糧問題は深刻化するわ、数え切れないくらいの生物種を死滅させてしまった」

 後藤は憤りを抑えぎみに話した。

「そう、人類の活動はすべて地球上の生き物をないがしろにしてきたから」

 松本が強く付け加えた。

「自然との共生なんて美辞麗句で、自然からすりゃあ、さぞかしありがた迷惑なことだったろうよ」

 そう感傷めいた言葉を口にすると、鈴木はいかにもやり場のなさそうに足元の砂を蹴った。その脚になにかが飛び付いた。

 こうして一通り問題の根源を確認すると、人間たちは疲れたように首を垂れた。

 その沈黙を破るよう地球は、

「さて、これからこの世界でどう生きていくか、よく話し合えばいいだろ」

 そう助言をして、また黙った。

 この一言で、人間たちはいっそう重い沈黙の空気に包まれた。が、いつまでもこの空気に馴染んではいられない。おかれた境遇も刻一刻と変化している。前方のあちこちで砂が盛り上がり、体長5センチほどのエビのような生き物がうじゃうじゃと湧き出てきていた。それはサソリの大群であった。

 最初に見つけた鈴木が大声を上げた。

「あーあー! サソリだ! 逃げろ!」

 その声にサソリの存在を確認することなく、人間たちは回れ右をして駆け出した。が、砂に足を取られ思うようには進むことができない。

 空から声が降ってきた。

「逃げることはない。おとなしくて毒性の弱いマダラサソリとヤエヤマサソリだ」

 その声は嘲笑をおびていた。

 人間たちはピッタと足を止めた。

「こんな世界に生き物がいたのか?」

 その声は後藤だった。

「いるんだ。いや、俺が健康体であったときからいたサソリたちだ」

 地球はすぐに答えた。

「ここは日本だろ。サハラ砂漠じゃない。いるわけないだろ?」

 吉田が己の無知をさらした。

「これは意外だな。知らなかったのか。石垣島や西表島などからなる八重山諸島にはいたことを」地球は呆れたという声音で「この環境で生きていけるのはサソリと……」と意図して言葉を止めた。

 それに気づいた松本は「サソリと、他になんだ!」と叫んだ。

「そのうち分かるさ。教えるよりも体験したほうが身に付く。気をつけろよ。ふっふっふっ」

 地球は含み笑いをした。

 幸い、サソリの隊列は人間のいる場所とは違う方向を目指して進んでいった。

 それを見て人間たちは「はあー」「ふうー」と安堵のため息を吐いた。

「さて振り出しに戻って、これからこの世界でどう生きていくか、よく話し合えばいいだろ」

 地球は先ほどと同じ助言をして黙った。

 こうした不測の事態に遭遇すると、人間はその原因を他人になすりつけがちである。そう、幾度かは口論をしないと心の平静が保てないのである。肝心の善後策を考えることは、その後になりがちである。ごたぶんにもれず、ここにいる人間たちもそんな口論をはじめた。

 松本は首を垂れた鈴木の禿げた頭頂部をめがけて口火を切った。

「だから、下見に来たとき、言ったでしょ。庭木を抜かないで残したまま買ってくれるお客さんを探すべきだと。ヒメリンゴ、桃、ブドウの木もきっと50年は生きてきたはずです。私が住む前からあったようですから。長く生きてきた木々を根こそぎ抜くのは人間のエゴだ、傲慢だって、そうアドバイスしましたよ」

 この説教を鈴木はただ首を垂れて聞くしかなかった。事実、松本からはそうした販売戦略を提案していただいていたので。

 松本はさらに続けた。

「ブロック塀は、わずか1ミリほど隣に出ているだけで、それを理由に解体するのもいかがなものかと。壊れずに、生きているものをわざわざ解体して、また新設することないでしょ。リノベーションが叫ばれる時代に逆行してますよ。お宅の会社、そんな意識ありますか?とも訊きましたよね」

 鈴木はようやく顔を上げ、

「更地にしないと買い手がつかないし、ブロック塀も境界線にうるさい時代ですから」

 いかにも自分の責任じゃないと言い訳を口にした。

「だから~、そうじゃなくてぇ、それらを受け入れてくれる買い手を探すのも不動産屋の仕事でしょって、なん度もアドバイスしましたよ」

 松本は語気強く反論した。

 責められっ放しの鈴木は買い手である吉田に視線を投げた。

 それを受け、吉田は答えた。

「更地にしてくれたほうが新築しやすいですし、それに木であれば敷地内じゃなく公園や山、別の所にあればいいわけだし、敷地内には不要です。枝を伐ったり、落ち葉の処理をするのも煩わしいですから」

 先ほど切った啖呵をすべて打ち消しかねないことを口にした。まるで人生をボウフラのようにしか生きていない浅薄な言い草であった。

 カチンときた松本は声を荒げた。

「あなた、職業はなんですか」

「あぁ、仕事ですか。役所に勤めてます」

「役所」という言葉に松本の交感神経はビリビリと反応した。

「役所の人間が率先して緑を大切にしないから、地球の温暖化を抑止できないのですよ。あなた車を2台所有していて、庭にコールタールを塗る予定だそうですね」

「はい、自分用と妻のものですが……庭は雑草を取る手間を省きたくてぇ……」

 言い終わらないうちに松本は激怒した。

「車を2台使っていれば、どれほど二酸化炭素を出しているか、ご存知ですか。地球を破壊しまくってますよ」

「……」

「コールタールを塗れば、地中にいる虫たちの行動範囲は狭まり、死んでしまうかもしれません。夏場の輻射熱は猛暑の原因にもなっています」

「……」

「言葉は悪いですが、そういう脳足リンな人間が行政に関わるから、地球も地域も良くならないのですよ」

 そう言い切ると、松本はそっぽを向いた。

 が、なにも答えない吉田にイラつきその目を見て松本は提案した。

「緑を増やす政策として、植樹減税を導入してはどうですか。役所で検討してみてくださいよ」

 聞きなれない言葉に吉田は、間抜け顔で訊き返した。

「しょくじゅげんぜい? なんですか?」

「この町内を歩いてごらんなさい。お宅の貧相な発想と同じで新築の庭には木が一本もない家が増えています。コンクリートやコールタールを塗ってぇ、もちろん新築される前の庭には老木がたくさん植わってましたがね。すべて抜いて更地にして……、これでは地球の温暖化を抑止できません。ですから、葉っぱのつく木ならなんでもいい。光合成をしてくれます。一本、植えるたびに住民税を減税するんです。そうすりゃ、嫌がうえにも木を植えますよね。いまや人間は経済的な見返りがないと、地球や環境のことを考えようともしませんから、さもしい限りです」

 松本は、こう持論を開陳した。

 鈴木も後藤もなんのこっちゃ、という顔で聞いていた。

 黙って聞いている地球は松本に拍手を送っていた。こんな人間が多くいれば、自分の寿命ももっと延びていたかもしれない、と悔しがった。

 続いて、松本はブロック塀の扱いについて再び鈴木に向かって不満を爆発させた。

「解体費用と再建する費用はそちらが払うと言われても、そんな問題じゃない。わずかな侵害であれば、吉田さんと話し合って解決することだってできたかもしれません。まだ、吉田さんが買う前だったので、そんな提案をしましたよね。ブロック業者を儲けさせるだけじゃないですか。どこも壊れてないのに……資源の無駄使いもはなはだしい。たとえ、物であっても生きている物をじゃけんにするから、こんなトンチンカンな災難に遭うんです」

 鈴木も吉田も一言も反論することなく聞き流していた。後藤だけは苦虫を噛み潰す表情で聞いていた。

「せめて解体せずに、ブロック塀だけでも生かしてやっていれば、こんなことにはならずに済んだのかもしれない……クソー」

 松本はやり場のない残念無念だという胸の内を吐露した。

 それをおもんぱかったのか、鈴木はなにか善いことを思いついたという顔を作って言った。

「自分たちだけがこんな災難に遭うのは変だ、不公平だ」

 すぐに吉田と後藤が加勢した。

「そうだ。不公平だ」

「仕事としてやってきただけだ」

 黙って聞いていた地球はたまらず、

「あなたたちは人類を代表して、罰せられているのです」

 と、あえて優しい声で諭すよう言った。

「えっ? 罰? そりゃあないよ。地球を汚した者、木を伐った者、使える物を破壊したのは自分たちだけじゃない」

 こう反論する後藤に吉田が言葉を付け加えた。

「そうだ。原発事故、山をくり貫き新幹線を……、元凶は政府じゃないか。金儲けのためだけに動いてきた不動産屋、住宅メーカーの罪のほうが個人よりもはるかに大きく、重いはずだ」

 この発言に鈴木は顔と禿げた頭を真っ赤にして罵声を吐いた。

「とんでもないことを言ってくれたな。不動産屋は、売り手と買い手を仲介しているだけだ。更地を欲しがるのは買い手だ。自分たちが悪いわけじゃない。事実、おたくも更地にしろ、と言ったじゃないか。ふん」

 また、口論が再燃しそうな空気を松本が止めた。

「責任のなすりつけあいをしても、もう手遅れですよ。これが未来の地球なのだから。それよりも一刻も早く過去に戻って、自然環境を改善することに力を注ぐべきじゃないですか」

 確かに、正しい考え、選択、意見であった。

 松本の発言で、またすべての動きが止まった。

 その静寂を破るかのように、どこからかヘリコプターの出すプロペラの音が近づいてきた。もしや、誰かがこの異常事態に気づき助けに来てくれたのかも、と人間たちは一縷の望みを抱き空を見上げた。そこには小型のプードル犬ほどの飛翔体が8体飛び去るのが見えた。

「なんだあ、あれは。ドローンか? いやありえない」

 後藤の目にはある生き物が映っていた。

「コオロギ?」

「そうだ。コオロギだ」

 地球が明るい声で答えた。

「デカイ、デカすぎる」

 吉田の声だった。

 その声が終わると、また後藤が叫んだ。

「あ、あ、あれは~」

 飛んでいるのはコオロギだけではなかった。コオロギを追っかけるように、カマキリが5匹飛び去った。小型のチワワほどの体長であった。どちらも、先ほどのサソリの群れを探しているのだった。

「空飛ぶコオロギ、カマキリ? マジか? こりゃあ、SFの世界だ」

 鈴木がこわばった声で続けた。

 地球は説明した。

「世界的な食糧危機に備えて、牛や豚、羊に替えて、タンパク源を確保しようと昆虫食が奨励されていただろ。ブームにもなっただろ」と人間たちに─知らんのか?─思い出すよう促してから「効率良くタンパク源を確保するために遺伝子操作され、巨大化されたんだ。共食いをして、なんとか生き残っている。少ない餌を追い求めているうちに、世代を超えて飛べるように進化したってことさ」

「なるほどぉ、昆虫食や遺伝子操作なら聞いたことはある」

 そう言う松本だけがコクンと首を下げた。

「人間を襲うことはないのか?」

 鈴木の不安は別のところにあった。

「心配するな。喰わない。あんたを喰っても不味いだろ。ふん」

 地球は鼻を大きく鳴らした。そして、皮肉たっぷりな口調で続けた。

「生き物にとって、耐え難い屈辱は人間の金の種にされることだ」

 こう聞かされても人間たちにはその真意を理解するだけの余裕はなかった。ただ、首を垂れるしかなかった。

 ふと、上空を見上げるとスモッグがまだらに切れ、どす黒い太陽光線が地上に射してきた。前方よりその光の動きに誘われるようにひも状の物体がくねくねと近づいてきていた。

 また、目ざとく鈴木が見つけ、大声を上げた。

「へ、へ、ヘビだ!」

「どこに?」

 松本は鈴木と同じ視線で、ヘビを探した。

 目を凝らすと、ヘビは前だけでなく、右からも左からも迫ってきていた。

「わおー! ヘビに囲まれそうだ」

 ヘビと聞いて、空から慌てたふうな声が降ってきた。

「そいつは獰猛なサキシマハブだ。咬まれると、命はないぞ」

「ハブだあ? た、た、助けてくれ!」

 人間たちはいっせいに絶叫した。

「誰かが餌を持っているからだ」

 地球はその餌を遠くへ投げ捨てろ、と言いたかったのだ。

 だが、誰もハブの餌になるものなど持っているはずがなかった。

「よく、体を点検しろ」

 語気強く、地球は助言した。

 人間たちは恐怖で「ふぁー、ふぁー」と声も手も震わせながら、服のポケットの中身を点検した。終わると、すぐに互いの服を点検しはじめた。その間もヘビの大群は目をサーチライトのように光らせ舌をペロペロと出し入れしながら近づいてきていた。数はしだいに増えた。それをちらちらと見つつ、頭から靴の先まで入念に点検した。脇の下には粘ついた大汗が滲み出ていた。それが発するヘドロのような悪臭に誘われたのか。いや餌はいた。鈴木の右足脹脛(ふくらはぎ)に体長15センチほどのオオムカデが悠然と1匹へばり付いていた。太陽光線がその姿をしっかりとあぶり出していた。刺されれば、完璧に命はない。

 松本がそのムカデを見つけた。

「鈴木さん。動いちゃだめですよ、じっとしてて」

 と言うや、さっと右足の靴を脱いだ。

「ヒィ、ヒィ、ヒェーーーー!」

 鈴木はこの世の者とは思えない長い悲鳴を発した。その瞬間、禿げ頭から湧き出した汗は額から頬をつたい顎の先から雨粒のようにポタポタと垂れた。

 松本は、靴で叩き落とそうと力を込めて打った。

 ムカデは殺気を感じたのか、うまく身をかわし尻へ駆け上がった。後には、「パーン!」という靴が脹脛を打つ快音だけが残った。

「痛い!」

 鈴木は短い悲鳴を上げ、2歩、3歩とけんけん歩きをした。それでも死への恐怖心から「はっ、はっ、早く取ってくれ!」とあらん限りの声を張り上げた。その全身からはぬるま湯をかけられたように冷や汗が噴き出していた。

 先頭のヘビは5メートル近くまで来ていた。すくっと伸ばした鎌首を上下左右に揺らせ獲物の居所を探っているかのような動きをしてみせた。

「松本さん、早く!」

「早くしろ!」

 怖くてぞっとするあまり吉田と後藤は松本を怒鳴りつけた。

 ムカデはさらに腰から背中、首へと這い上がった。松本は、今度こそはと狙いを定め、靴を持つ手を大きく振りかぶり渾身の力をもって強く連打した。

「パーン! パーン! パーン!」

 だが、見事に的を外した。

「痛い! 痛いー! 痛いーー!」

 鈴木は前のめりになってなんとか耐えた。

 松本は握り直そうと靴を下げた。その隙にムカデは禿げた頭の麓から山頂へ移動し、動きを止めた。その瞬間、全体重をかけ力を込めた5発目の靴パンチが山頂で炸裂した。

「痛いーーー!」

 そう、残念ながら、またまた的を外してしまった。

 耐えきれず、鈴木はさっと体を捻り鬼の形相を松本に向けて「どこを狙ってんだ!!」と睨み付けた。その弾みでムカデはぽとりと足元に落ちた。それをすばやく後藤が足蹴りした。ムカデはきれいな放物線を描いて6メートルほど先まで飛んだ。すると、足元近くまで来ていた先頭のヘビはくるっと反転し、それを目指して進軍方向を変えた。他のヘビたちもそれに従った。

「あーあー、助かったー」

 鈴木は真っ赤に色づいた頭頂部に左手を乗せたまま言葉をもらした。

「1匹の獲物にあの大群かぁ」

 松本がホッとして、そう口にすると、人間たちは、その場にへたり込んだ。

 ムカデは身を守ろうと砂の中へ潜り込んだようだ。それを追ってヘビも砂の中へ消えていった。まさに砂漠に水が吸い込まれるような光景だった。

 それを確認すると、松本は「生き物は絶滅したんじゃないのかぁ」と感嘆の声をもらした。

「この環境に適応できたものが数種類だけいるんだ。もちろん、弱肉強食、凶暴なものだけが生き残ったようだ」

 地球による説明に人間たちは納得せざるを得なかった。

「のん気にぶらつくこともできんのか。は~」

 吉田は諦めにも似たため息を吐いた。

「度胸さえあれば、なんとかなる。でも、人間たちの口に合う食べ物はない。あえてあげれば、さっきのサソリ、コオロギ、カマキリ、ヘビやムカデかな」

 そう話す地球の声は笑いがもれるのをぐっと堪えているようだった。

 黙って聞いている人間たちの脳ミソには恐怖の映像しか浮かんでいなかった。

 その映像をかき消し、この状況から一刻も早く逃れたい一心で吉田は堰を切ったように、

「どうすれば、過去の世界へ戻れるのか、教えてください」

 と、やけにバカ丁寧にかつ哀願した。

「……」

「お願いします」

 吉田は空に向かって手を合わせていた。

「……簡単なことだ……」

 地球は言葉を切った。

 すぐに鈴木が催促した。

「教えてください。帰りたい、帰らなければならんのです」

 その声は半泣きしていた。

 しょうがないという声音で、

「この荒廃した大地に草を生やし、木を植えればいいんだ。そうすれば生き物たちも復活できる」

 そう答えると地球は意味ありげにふっふっふっと含み笑いをした。

「そんな種や苗木はどこにもないじゃないか。砂があるのみだぞ」

 後藤の声に他の人間たちも首を下げて応えた。

「ふっふっふっ。探せば、ある。あるんだ。なければ、作ればいいだろ。人類は万物の霊長じゃないのか。好きなように、断りもなく自然をコントロールしてきたんじゃないのか。傲慢にも。ふん。種を蒔き、木を植えて原始の森を復元してくれさえすれば、期限内に過去の世界へ戻れるヒントを教えてやろう」

 地球の声はまるでクイズを楽しんでいるかのようだった。

 ここが未来であるならば、種も苗木も改良されて、その成長は過去のものよりも早いかもしれない。そんなことを頭において人間たちは順繰りに、問いかけた。

「じゃあ、かりに種があったとして、作れたとして、その作業にはどれくらいの時間がかかるんだ?」

「……」

「どうした? 答えてくれ」

「……」

「頼む。早くここから過去へ戻りたいんだ」

「……」

「時間は、どれくらいかかるんだ」

 人間たちの問いかけに無言をとおしていた地球は「仕方ない。知りたいか。そこまで言うなら」と言葉を選び、「人類が俺を痛めつけてきたのと同じ年数だ。償ってもらうにはそれでも足りない」

 その声はトドメを刺したかのようだった。

「……な、な、なに!」

 鈴木は泣きながら絶叫した。

「それってぇ、永遠に戻れないってことか!?」

 気丈に聞こえる松本の声も涙をおびていた。

「ど、ど、どうなんだ!」

 吉田の頬には二筋の涙が流れていた。

「時間がかかろうとも、やってやれないことはない。こんな姿にされた俺の身にもなってみろ」

 地球は一片の情もなくシラッと投げ捨てるように言い放った。

「そんなー。むちゃなことを~!」

 そう叫ぶと後藤は首を深く垂れた。

 それから人間たちは、静かに膝から崩れ落ちた。

「いいか。嘆く前に少しは理解する努力をしろ。地球は、人類のために存在していたわけじゃない。その命をまっとうするために存在していたんだ。その命を奪った『罪』と『罰』を受けて当然だろ」

 言い終わると、地球は「あはっはっはっ」と、愉しげに高笑いを繰り返した。

 それでも人間たちの最後のあがき、生き続けたいという欲求は強く、時空の裂け目を探そうと懸命に目を凝らして、空と地上を見渡し続けた。が、無為な時間だけが過ぎていった。


 人類が地球に対して犯してきた『罪』─悪行─は、金や物、時間を持ってしても、とうてい償えるようなものではない。今を生きる人類は地球の声に耳を傾ける最後のチャンスに直面している。地球の温暖化─いや沸騰化─は、私やあなたに「自分の事」として課された『罰』です。受ける『罰』がこれ以上厳しくなる前に償いをしましょう。(了)



参考文献。

『朝日新聞』(2022)「宇宙天気予報 日常生活を守れ」8月12日。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ