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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 天下遼遠にして
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第二十二話 凌統対李典

「凌統に甘寧、か。ここまで勝ちが確定している様な状況なのに、随分と厳しい手を打ってくるな。少しは油断してくれても良い様なものを」


 李典は苦笑いして言う。


 何しろ合肥の防衛軍の総力は孫権軍の十分の一以下であり、三手に分けている孫権軍の一軍がすでに合肥軍の総力を上回っているのである。


 更に言うなら、李典は張遼や楽進ほどに名が通っている訳でもない。


 であれば、経験を積ませる為に若手やこれまで武勲に恵まれなかった者達にその機会を与える踏み台に、と考えてもさほど不思議は無い。


 しかし、孫権軍が差し向けてきたのは凌統と甘寧と言う、孫権軍屈指の猛将だった。


 赤壁でも小数の兵による奇襲で本陣を落とした実績もあり、甘寧は皖城さえも落城させている。


 まともにかち合えば、何をどうやっても勝目は無いな。


 苦笑いしているのも、もはや笑うしか無い様な状況だったからなのだ。


 が、李典はこれまでに無い感覚を得ていた。


 脳内に無数の戦術が浮かび、敵軍の動きが詳細に想像出来るのだ。


 以前、天才的な戦術家であり一流の軍略家であった上に、桁外れな博徒でもあった郭嘉と話す機会があった。


 敵軍の動きが読める様になるのは、それなり以上の軍師であれば出来る様になる。だが、それが出来るのは一流になる為の最低条件であり、さらに上に『敵が見える様になる』と言う感覚があり、それが出来なければそれ以上を望むべくもない、と。


 李典は話ながらも、脳内で何十、何百と言う模擬戦を繰り返していた。


 その都度微調整を繰り返し、それでも脳内の模擬戦では惨敗を繰り返しながら、徐々に、それでも確実に戦果を上げ脳内の模擬戦では戦える様になっていっていた。


「李典将軍?」


 李典の補佐を務める武将が、苦笑いの表情を浮かべたまま目を閉じて動かない李典に不安を覚えて声を掛ける。


「李典将軍?」


「将軍、か。私は文官のつもりなのだがな」


 自分でもいつから武将と呼ばれる様になったのか、いつからそれを嫌い文官と呼ばれる事を望む様になったのか、自分の始まりはどこだったのは李典には思い出す事が出来なかったが、それでも実感はあった。


 自分の歩いてきた道は、今日、この時、この戦の為であったと。


「さて、それでは始めようか。全軍の部隊長に命じる。かなり緻密かつ特殊な指示を出す事になるが、私を信じて全て指示に従う事。それによってこの戦を勝利に導く事を約束しよう」


 李典は武将や兵士にそう宣言すると、陣を敷いて凌統と甘寧に対して迎撃の構えを取った。




 凌統も自分の役割の重要さを理解していた。


 一見すれば合肥の三軍の中でも格落ちの李典を任されたと言うのは、他に武勲を譲れと言う配慮にも見えるのだが実際には三軍のどの部隊も主力を担う危険な存在であり、中でも生粋の武将ではない李典は参謀として戦場全体に及ぼす影響力を持つ。


 呂蒙が敢えて凌統と甘寧と言う攻撃力の高い武将をこちらに当てたのは、合肥の対応力を奪う事と敗北感を与える事。


 合肥の三軍は均等に兵力を分けて布陣するのではなく、指揮官の武勇に応じて率いる兵の数が違い、もっとも武勇に劣る李典には最大の兵を与えられている。


 この一軍を殲滅させる事が出来れば、合肥軍に立て直し不能な致命的大打撃を与える事が出来る。


「先陣は俺が切る。騎兵を率いて突撃して敵を混乱させる。そこから歩兵を率いて合流して敵軍を殲滅する。正攻法に過ぎるかも知れないが、それが敵にとってもっとも嫌な手のはずだ」


「全てご指示に従います」


 素面の甘寧は控えめに凌統に言う。


 凶暴な面ばかりが目立つ甘寧ではあるが、その戦術眼の鋭さは凌統も知っている。


 もし凌統の戦術が間違っているのであれば口を挟んできただろうが、それに従うと言う事は悪い手ではないと甘寧も判断したのだろう。


 この時、凌統の率いた騎兵は三千。


 その数だけで言うのならば李典軍の総数より少ないが、李典の軍は騎兵、歩兵合わせても五千もいない事から必ずしも凌統が不利と言う訳ではない。


 凌統が突撃を開始したのに合わせて、李典の軍は僅かに後退し始める。


 ここへ来て後退だと? 逃げ場など無いだろうに。


 しかも後退と言っても歩兵を含む軍が騎兵の突撃を上回る速さで後退する事など出来ず、ほぼ無意味な時間稼ぎでしかない。


 しかも李典は前に出した騎兵を左右に分け、両翼を伸ばす様に騎馬隊を突撃させてきた。


 が、その騎馬隊は凌統の軍に突撃すると言うより、その両端を掠める様に走らせてくる。


 凌統はその意図を掴む事が出来なかったが、それが分かった時に凌統は罠にかかった事に気付いた。


 曹操軍の騎兵は通常の騎馬隊の他、北方の異民族である烏桓の騎馬隊が存在する。


 まず間違いなく南方では見る事の出来ない烏桓なので、その騎馬隊と戦った経験の無い凌統は当然通常の騎馬隊であると思ってしまったが、烏桓の得意とする戦い方は通常の騎馬隊の戦い方とは違った。


 両翼の騎馬隊は剣も槍も届かない距離で凌統の部隊とすれ違う様に駆けていたのだが、突然側面から矢を射掛けてきたのである。


 かつて北方の雄であった公孫瓚が率いた白馬義従と言う精鋭部隊も烏桓による騎射部隊であったのだが、世代も主戦場も違った凌統は知らなかった事だった。


 とは言え、両翼の騎射隊に対して今から旋回して攻撃しようにも、向こうはそれに合わせて騎馬隊を逃がして、もう一方の騎馬隊で後方から追撃してくる。


 それであれば、両翼を抜けた騎馬隊は後方の甘寧の歩兵隊に任せ、多少の兵数と勢いを失ったといえどこの騎馬隊で李典の歩兵本隊に突撃する方が良いのではないか。


 猛将である凌統は、そう考えた。


 李典軍の本隊は、そこで後退を止めて全面に盾を押し出し、その後方から弓矢を射掛けてくる。


 騎射には驚かされたが、通常の弓矢であれば特別驚く事も恐れる事も無い。


 凌統は正面から来る矢は弾き、全速力で駆け抜ける様に指示を出す。


 数の利はこの時点のみで言うのであれば無くなったものの、勢いは凌統にあり、また騎馬と歩兵では明らかに騎馬の方が戦力に勝る事もあって、凌統は攻勢を維持した。


 が、それこそ李典の思うツボだった。


 李典軍は壁として備えたはずの全面の部隊を両翼とばかりに広げて凹形の陣に変化させると、凌統の先陣をまるごと飲み込もうとする。


 さすがにそれに対しても力技で突破を試みようとするほど、凌統は自分の実力を過信していなかったし、ここまで来たら罠にかかった事を自覚して、これ以上相手の思う様にさせてはならないと言う警戒と対処の方に意識が傾いた。


 このまま中央突破に拘る事は全滅の危機も招く事を読み取った凌統は、凹形陣の片翼、向かって右側の端を狙って攻撃する様に見せてその隙間を抜けようと考えた。


 その凌統の動きに合わせて、李典の凹形の陣も変化する。


 狙われた片翼が少しずつ下がりながら広がって凌統の行動範囲を狭めていくと共に、中央の部隊は合流しつつ壁に厚みを持たせ、残った片翼が前進しつつ凌統の騎馬隊の側面を突く。


 気が付くと凌統の騎馬隊は甘寧率いる歩兵隊から切り離されて孤立した上に、相手は歩兵隊であるにも関わらず半方位されていると言う状況に陥っていた。


「何だ、コレは! 一体何が起きているんだ?」


 凌統が手を打てば打つほどに、李典の罠に深くはまりこんで行く。


 まるで空の上からこちらの状況を見ながら兵を動かしているかの様な、薄気味悪い用兵術。


 しかし目の前で起きている事実は何も変えられない。


 李典と言う武将はこれほどの武将だったのか? 曹仁の副将であり、特に主張の強い武将では無かったはずだが、まるで先代大都督と戦っているかの様な、自在過ぎる用兵術じゃないか。


 凌統はここで前進を断念し、反転させて撤退しようとした。


 そこに待ち受けていたのは、先に両翼を掠める様に走っていた騎射部隊の一隊であり、退路を断つ様に布陣した騎馬隊が容赦無く凌統軍に矢を射掛けてくる。


 頼みの綱は甘寧の歩兵隊なのだが、凌統にも甘寧の歩兵隊が遅れている理由は分かった。


 一つには騎馬と歩兵では足の速さがそもそも違うと言う事もあるが、騎馬隊と歩兵隊との間に出来た隙間に、騎射隊の残った一隊が割り込んで歩兵隊を翻弄しているのだろう。


「怯むな! 敵の矢など恐るるに足りん! 包囲されている様に見せてはいるが、その兵は薄い! 突破するぞ!」


 凌統は兵に檄を飛ばすと、狙いを退路遮断に布陣しているように見せている騎射隊に定める。


 戦闘能力で言うなら歩兵より騎兵の方が高いのだが、それだけに李典軍も数を減らしたくないと思うのが一つ。


 騎馬であれば敵の勢いも避けやすく、歩兵より動き出しも早いので隙間が出来る可能性が高いのが一つ。


 何より退路にいるのだから、ここを突破すれば甘寧の歩兵隊との合流を果たせると言う理由から、凌統が敵軍の騎馬を狙うと判断したのだった。


 そんな凌統の判断を嘲笑うかの様に、騎射隊の中央に高々と李典の軍旗が掲げられる。


 何だと? 歩兵本隊を指揮していたのでは無かったのか?


 旗が挙げられたのを合図に、反転した凌統の軍の側面と後方から李典軍の歩兵が突撃してくる。


「そこに敵将がいるのなら、話は早い! 突き破って突破するのみ!」


 凌統は自ら槍を振るって応戦するが、騎馬隊の優位は自由に動き回ることが出来てこそのものであり、ここまで深く策に嵌った状態では士気の低下も抑えられず、しかも歩兵の突撃を許している今となっては騎馬の優位はほとんど無い。


 それでも凌統は個人の武勇でその場を凌ぎ、退路を作るべく李典自らが率いる騎馬隊に肉薄するところまで来る。


 ここまで近付けばあとは騎馬の突破力に賭けて乱戦を力尽くで突破する事も出来るかも知れない。


 その僅かな希望を、李典の放った一矢が凌統の右肩もろとも貫いたのである。


 その一矢で槍を落とした凌統だったが、すぐに左手で剣を抜く。


「射て。ここで仕留めよ」


 李典は逸る事なく、冷酷な命令を下す。


 李典の右手が振られると共に、凌統を狙って無数の矢が射掛けられる。


 左手に持った剣だけでその全てを防ぐ事は出来ず、複数の矢が凌統に突き刺さる。


 完全に動きを止めた凌統に止めを刺そうとした李典軍だったが、完全包囲の優位を維持し続ける事ができなくなった。


 甘寧が僅か数騎とは言え、騎馬を率いて李典の騎射隊を突破して凌統の元に駆けつけたのだった。


「そうか、思っていたより早いな。止むを得ん、無理をする事は無い」


 李典は無理に包囲を維持する事はせず、甘寧が凌統を救う事を妨害しようとしなかった代わりに、包囲を解いた部隊に凌統軍の残兵を討たせ、また騎射部隊や他の歩兵隊には甘寧の率いる後方の歩兵隊への圧力を強めて被害を拡大させる事に注力した。


 その結果、甘寧は見事に凌統を救い出す事には成功したのだが、重傷を負った凌統と甘寧の軍は多大な被害を出し結果としては完敗と言えた。


 それでもまだ総数は李典の軍より凌統達の軍の方が多いのだが、勢いを奪われた凌統軍は一気に李典軍を切り崩すと言う戦略は打ち砕かれたのだった。

完全創作設定が続きます。


ここまで李典覚醒な展開は演義にもありません。

あくまでも本作のみの創作設定です。

今後もこんな展開が続きます。


実際に凌統が烏桓と戦った事があるのか無いのかは分かりませんが、世代的にもたぶん無いはずですし、まして公孫瓚の白馬義従なんかは聞いた事も無かったのでは無いでしょうか。

とはいえ、騎射をまったく知らなかったと言う事も無いと思いますが、まったく想像していなかった設定になってます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 一文官が意外な軍事的才能を開花させ、大功を立てるのは容易なことではない。 かなりの数いる。 三国志時代なら陸遜、鄧艾など挙げられる。 李典、楽進も一応文官でしたが、周り…
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