第二十話 皖城の戦い
大軍を率いる孫権軍が、少数の守備兵しかいない合肥にそのまま問答無用で攻め込むと言う事は無く、まずは攻略拠点として皖城を攻略する事にした。
支城の一つである皖城も、当然空城ではなく朱光と言う守将が守っていた。
「この支城一つにいつまでも時間を掛ける訳にはいかんだろうな。あの孟徳がいつまでも悠長に事を構えると言う事など有り得ないだろう」
孫権は渡河を終えると、全軍の武将に伝える。
「此度の軍略は俺の発案によるところ。まずは俺にお任せ下さい」
呂蒙が名乗り出ると、孫権は頷く。
「では、誰を共とする?」
「赤壁の際に敵陣営に一番乗りを果たした甘寧殿を」
呂蒙は数いる孫権軍の豪傑の中から、甘寧を指名する。
水上戦であれば申し分ない人選だろうが、今回は攻城戦である。
本来の適正や実績から考えるのであれば、甘寧より太史慈などの方が適任ではないかと思えたのだろう。
「おそらく曹操軍の連中は、赤壁において水上だった故に遅れを取ったと思っている事でしょう。地に足を着けての戦いであれば、遅れを取る事など無いと。その幻想をぶち壊してやりましょう」
皖城の規模はそこまで小城と言う訳でもなく、守将の朱光にしても無能と言う訳ではない事は呂蒙も知っている。
だからこそ、見せしめとしての効果が期待出来る。
正式に先鋒となった呂蒙と甘寧は、急ぎ皖城を目指した。
極論になるが、呂蒙自身はこの戦が少々長期化したところで戦局に大きな影響は無いと考えていた。
何しろ、影響を及ぼす勢力が近場にいない。
曹操は遠く長安にあり、劉備軍が介入しようとすれば魯粛が動く。
そして、今すぐ合肥の兵力を増強すると言う事も現実的に不可能である事から、長くすれば半年近く今の状況から動く事は無いだろうと言うのが呂蒙の予測である。
とは言え、長引かせる事に長所は無いのだから、皖城は手早く陥落させるに越した事は無い。
呂蒙と甘寧はあえて兵を伏せる様な事はせず、正面から堂々と兵を率いて来たのだが皖城は降伏する様子を見せず、それどころか徹底抗戦の構えだった。
「……勝てるとでも思っているのでしょうか?」
甘寧が不思議そうに呂蒙に尋ねる。
「現状だけを見るなら、まず間違いなく我々が敗れる事は無い。合肥からの援軍も期待出来る状況ではない」
「それでも敢えて徹底抗戦する意味がある、と?」
「おそらくは時間稼ぎでは無いかと思う。この状況であっても、合肥の主力であれば何とかしてくれるはずだと言う、信頼があるのではないかと」
「では、やはり時間を掛けるのは得策とは言えませんな」
甘寧は頷きながら言う。
お世辞にも扱いやすい武将とは言えないが、呂蒙は甘寧と言う武将を高く評価していた。
確かにどうしようもなく酒癖が悪く、組織を率いる立場からすれば頭痛の種にしかならない様な人物ではあるが、酔っている時の剛勇無双振りは常人のそれを遥かに上回り、素面の時には広い視野を持つ戦略家の一面は相談役としても機能するほどである。
ここでの戦術は呂蒙も甘寧も短期決戦と同じ判断に至ったので、皖城に対して降伏を呼びかける事も無くすぐに城攻めを行う事にした。
この時、先鋒の部隊にはまともな攻城兵器などあるはずもなく、城壁に梯子をかけてよじ登ると言う古典的かつ基本的な正攻法に頼る事になった。
皖城は最低限の兵力は維持していたらしく、第一波で皖城の城壁の守備を切り崩す事は出来なかった。
「なるほど、兵力は十分とは言えないまでも確保はされていると言う事ですか。防衛用の特殊な兵器が無いにしても、朱光と言う武将は指揮も悪く無い。第二波には俺も参加しよう」
甘寧は自ら攻城部隊に参加すると、自身が最前線に立つ。
「寡兵など恐るるに足りん! この様な小城、この錦帆族の名を挙げる為の足がかりにしてくれようぞ!」
甘寧はそう言って兵を鼓舞すると、自らが先頭に立って梯子を登り始める。
梯子の先頭と言うのは、完全に狙い撃ちされる場所であり、勢いがあればあるほど狙われやすくなる。
まして甘寧は派手な雉飾りと動く度になる鈴の音があるのだから、城壁を守る守備兵からすれば圧倒的に狙いやすく、また狙うべき武将である事からもあからさまに甘寧の梯子を狙う矢は大幅に増えていた。
甘寧の狙いはまさにそれであり、当然他の梯子を狙う兵の数は減っていき兵士達が登っていく高さが迫っていく。
そうなっては守備兵も甘寧ばかりを狙ってはいられず、また甘寧は器用に流星錘を振り回して矢を防ぎ続けている事から、甘寧の後続の兵士達はさほど減っていない。
その圧力から朱光も守備兵を分散せざるを得なくなってきたところを、甘寧は見逃す事は無かった。
甘寧は流星錘を梯子に当てない様に振り回しながら敵兵の矢を防いでいたが、守備兵の勢いが衰えた事を見抜き、流星錘を投げ上げて守備兵を散らすと、その一瞬で甘寧は一気に城壁に駆け上がる。
「甘寧、一番乗り! さぁ、死にたいヤツから前に出ろ!」
甘寧はそう言って剣を抜くと、手当たり次第に城壁の守備兵を切り倒していく。
「慌てるな! 上がってきた兵は極小数! そこで封じ込めてしまえば手詰まりだ!」
城楼から指揮していた朱光が声を張り上げ、守備兵の崩壊を防ぐ。
「口だけではなく、自分で剣を持って戦場に立ってはどうだ! 曹魏の兵士達よ! 我ら孫呉の武将は口だけではなく、共に血を流してでも勝利を掴む覚悟と実力がある! 口だけで兵を死地に送る様な真似はしない! 共に戦うと言うのであれば、今すぐ武器を捨て、城門を開け! 無駄に命を捨てる事は無い!」
「ほざくな、川族風情が! この朱光が相手をしてやる! そこを動くな!」
朱光が城楼から降りて城壁に来るまでに、甘寧は城壁の一部を確保しただけでなく他の梯子からも続々と孫権軍の兵士が登ってくるのを補佐していた。
「曹魏の兵よ、今後は地上であっても鈴の音を聞いたら、武器を捨てて何も考えずに逃げ出す事だ! この甘寧、逃げ惑う者の背中を討つつもりは無い。だが、ここで降るを良しとせず、別の戦場で会う事になれば一切の容赦はしないぞ!」
「与太話はそこまでだ、川族! 漢の丞相たる曹操様に反抗する地方官の一武将気取りめ! 甘言を弄する程度の知恵で揺らぐ様な貴様らと一緒にするな!」
皖城の守備兵の士気を低下させようと画策した甘寧だったが、予想より早く朱光が現れ、槍で甘寧に突きかかってくる。
「随分と慌てているな。よほど痛いところを突かれていたと見える」
甘寧はニヤリと笑う。
酒に酔った甘寧は手に負えない酔っ払いなのだが、戦場で敵兵を切り捨てていくと近い状態になる事が多く、今はだいぶその状態に近い。
言うまでもなく敵将の朱光はその事を知りようがなかった。
甘寧は剣で朱光の槍を弾くと、返す刃で朱光に斬りかかる。
勢いに任せた武将であればこの一撃で勝負が着いたかも知れないが、朱光はすかさず半歩引いて甘寧の剣を避けると槍の間合いに捉えようとする。
予想外に冷静な朱光に甘寧は驚いたが、ここで朱光に勢い付かせる訳にはいかない。
甘寧は朱光の槍を躱すと、すかさず斬りかかる。
この状況において槍の間合いに収めようとする朱光の冷静さは、逆に甘寧から冷静さを奪いかねない危険性はあったが、地力に勝る甘寧は徐々に朱光を追い詰めていく。
が、勝負を分けたのは視野の広さと発想の柔軟さだっただろう。
強烈極まる甘寧の攻撃に対して朱光は後退しながら槍の間合いに捉える様に動くが、それを追う甘寧が突然手にした剣を朱光に投げつけてきたのである。
朱光は慌てて槍で甘寧の投げた剣を防いだが、その僅かな隙こそが甘寧の求めたものだった。
この瞬間だけは朱光は甘寧から視線を外した上に、動きを止める。
その時、甘寧は足元に倒れる敵兵の槍を奪い取って、朱光の右肩を貫いた。
「よく戦ったじゃないか、朱光。だが、ここまでだ」
朱光はまだ戦意を失ってはいなかったが、肩を貫かれていては右腕を動かす事も出来ず、また反攻しようとしてもそれを察した甘寧が槍をひねるだけで朱光は身動きを取る事も出来なくなっていた。
無理にでも抵抗しようとすれば、まだ皖城は戦う事は出来たかも知れないが、朱光が敗れたところを見せられた参軍が降伏する事を決めた。
その後、呂蒙も入城し城内の検分を済ませてから、孫権の本隊を呼び込み合肥での決戦に向けた拠点を得る事となった。
実はこの時、呂蒙の予想と違って張遼が援軍に向かっていたのだが、その張遼を呂蒙が補足する前に皖城が陥落した事もあって張遼は合肥に引き下がっていったらしい。
「そんな事が……。俺の予断のせいで、無駄に苦戦する事になりかねませんでした」
孫権からその報告を受けて、呂蒙は孫権に頭を下げて言う。
「甘寧将軍のお陰で皖城を短期間に攻略出来た事により、余計な戦に及ばなくて済みました」
「張遼の率いた兵は騎馬で二千程度だったらしい。合肥の兵力は、やはり補強されてはいないようだ。それが分かっただけでも、この皖城を落とした事にお土産が付いたと言う訳だ」
孫権は笑って言う。
もしここに五千を超える騎馬を投入出来る兵力があれば、合肥は相当な兵力を持っている事になり、孫権も軍略を見直す必要が出てくるところだったが、こちらの予想を超える様な兵力で無い事が分かったのだから軍略に修正の必要も無い。
「だが、援軍を出してきたと言う事は、向こうは最初から籠城するのではなく野戦に挑んでくる事は十二分に考えられる事でしょう」
実戦経験も豊富な太史慈が注意を促す。
曹操軍は官渡の戦いで、大軍と戦い勝利した経験がある。
この皖城を抑えた事によって、物資供給拠点として機能する事が出来る様になった一方、この皖城が烏巣になりかねない危険を孕む事になる。
「ただ、もし本当に官渡の再現を目指すのであれば、それを匂わせるべきでは無かったでしょう。敢えてこちらにそれを意識させたのは、守備兵に少しでも多く投入させようとしての事。それによって一万以上の兵を前線から外させる事が出来るのですから」
「確かにそうだろう。そうと分かったとしても、守りには力を入れる必要が出てきた訳だな」
こうして孫権は谷利に兵一万と皖城を預ける事としたが、それでもまだ孫権軍は圧倒的大軍であり、優位は動かなかったと言えただろう。
さらっと書かれた甘寧のスゴ技
甘寧が城壁を登るシーンなのですが、コレは私の完全創作と言う訳ではありません。
と言うより、もし私の完全創作であれば、このシーンは生まれてません。
だって、梯子を登りながら流星錘で矢を防ぐんですよ?
たぶん、絵は浮かぶと思いますが、実際にやろうとすると非常識極まりないスキルが必要になります。
まず、流星錘を梯子で振り回す事から至難です。
普通落ちるよ、めちゃくちゃ危ねーよ。
それで矢を防ぐって、梯子に当たるだろーよ。
しかも片手で鉄球振り回しながら梯子登るって、どうやってんのよ?
と、私なら考えてしまいますが、そんな事も出来るくらい甘寧が凄いんです。
ぶっちゃけどこの誰かも分からない様な朱光では相手にならないワケです。