第十九話 合肥
「合肥を攻める」
孫権がそう提案したのは、周喩の葬儀からそれほど経っていない。
合肥を攻める計画自体は周喩生前の頃からあったのだが、荊州の問題が解決の目処も立たない内から手を広げる事を嫌って先送りにしていた。
今でも荊州の問題は片付いてはいないのだが、孫権が合肥攻めに踏み切ったのにはそれなりの理由があってのことである。
一つには曹操軍が本格的に防衛強化を始めた事。
現状の淮南は酷い荒野ではあるが、それでも曹操軍は守らない訳にはいかない。
その為に砦や城を築いているところであり、それが完成してしまった場合北への攻め口は極端に狭まる事になってしまう。
それともう一つ。
曹操と馬騰の問題に大きな動きがあったのだ。
西涼の勢力は長らく漢への忠誠を拒み、反乱を企てる事も多かった。
馬騰自身は漢を思う忠義の士であり、西涼の反乱分子である韓遂や羌族なども纏め上げる度量の持ち主でもあるのだが、その事が問題を非常に大きくしていた。
曹操の事を『漢を私物化する奸物』と忌み嫌う馬騰だったが、その馬騰が曹操に殺されたのである。
様々な策略が絡み合った結果なのだが、それによって馬騰の息子である馬超と西涼勢力の大規模な反乱を招いた為にその対処に追われる事になった。
それはつまり、淮南の兵力は未だ増員されていない上に防衛拠点も建設途中と言う状況で、しかもあの戦の天才である曹操がこちらに来る事は無いと言う保証付きである。
これ以上の攻め時は二度と来ないと言う様な、好機の中の好機だった。
これは孫権の判断ではあったが、魯粛も反対はしていないし、おそらく周喩が生きていてもこの好機を見逃す事は無かったのではないかと思う。
巨大な荒野と化した淮南は、雨期が来るたびに酷い洪水に見舞われるほどに治水状態も悪く生産拠点としての価値は低い。
が、戦略拠点として考える場合、無人の荒野とは思えないほどに価値が有る。
かつて袁術が治めていた地であり、新国家を樹立させようとするほどの地盤でもあった。
その袁術を倒すために、許昌にいた曹操、徐州を治めていた呂布と劉備、さらに江東で力を付けていた孫策が共闘した。
それはつまり、淮南を抑える事が出来れば荊州だけでなく徐州や洛陽への地続きの道が開けるのである。
曹操にとっては得られるモノの極端に少ないながらも失う訳にはいかず、孫権軍にとっては今後のためには手に入れておかねばならない土地だった。
「さて、では戦略じゃが」
「今回、お前の出番は無いぞ」
魯粛が言いかけたところで、孫権が遮ってくる。
「何じゃと? 大都督のワシがいらんと?」
「お前は劉備を睨んでろ。荊州が本命だ。あの連中は子敬が動いたと知ったら喜んでよからぬ事に走るだろう」
「確かにのう」
孫権軍が合肥に軍を出したと知ったからと言って、劉備が江東に攻め込んで来ると言う事は無い。
おそらく、劉備軍が動くとすると益州。
魯粛が見ているとわかれば、劉備軍も動きづらいだろう。
「合肥攻めは俺自らが行う。軍師はお前だ、呂蒙」
孫権は呂蒙を直接指名する。
他の者達と違って、魯粛には特別驚きは無かった。
そもそも合肥攻めを計画したのは呂蒙であり、好機が到来したのである。
曹操軍の守る守備兵は一万にも満たないと言う事だったが、孫権は十万の大軍によって合肥を攻め落とす事を宣言した。
参加する武将も孫権軍の主力を集め、甘寧や凌統などの川族出身の武将達の他、太史慈や董襲などの降将達だけでなく孫権の身辺警護である周泰や谷利までも投入するとした。
まさに孫権軍の総力をあげて、と言ったところである。
「何じゃ? 洛陽まで落とすつもりなのか?」
あまりの大規模ぶりに、魯粛が不思議そうに尋ねる。
「そこまで無謀じゃないさ。合肥を抑えた後の狙いは寿春だ」
「ほう、無人の淮南を欲するか」
孫権の狙いは淮南を占拠した後に復興させるつもりなのだ、と魯粛は理解した。
淮南を無人の荒野にした原因の一つに、孫策の時代に袁術を弱体化させる事を狙って行った策がある。
今度はそれを逆の手順で行うと言う訳だ。
この時、この出征に反対する者はいなかった。
少なくともこの時点では、誰もが勝利を確信していたのである。
一方の合肥でも、孫権軍動くの報告を受けて大変な事になっていた。
それでなくても、合肥では大きな問題を抱えていた。
合肥の守将は張遼であり、その補佐として楽進、副将として李典がいるのだが、この三人の仲が絶望的に悪く、とにかく城の中の雰囲気が悪くて仕方無いのである。
守将である張遼は非常に生真面目な猛将であり、人付き合いも得意な方ではないので自身もそうだが他者からも好き嫌いは激しい。
実は李典や楽進にも同じ事が言え、李典は自身を文官であると自称して内務を好むもののかつては夏侯惇や曹仁と言った武将の副将も勤め、武将としての手腕を本人の意思とは無関係に買われている。
楽進は元々書記官の一人だったのだが、その豪胆な性格を評価されて体格には恵まれないものの武将としての実績を積み上げている。
それぞれにクセの強い人物なのだが、張遼が楽進と李典を嫌っているのは人間性が合わないだけではない。
楽進と李典は、張遼のかつての主君であった呂布の最期の戦場となった下邳で直接戦った面子に含まれている事も問題だった。
当時張遼は城の外で戦っていた為、呂布を援護する事が出来なかった事が今でも心残りとなっている。
頭では張遼も分かっているのだ。
李典も楽進も参加しただけであり、この二人が呂布を討った訳ではなく討てるはずもない。
この二人に向けている敵意は、即ち不甲斐ない自分へのモノである事くらい。
頭で分かっていても、気持ちが追いつかず今でも解決できずに燻っていた。
「孫権軍動くの報を丞相に」
「もう送っている」
張遼の言葉に、李典が鼻で笑う様に言う。
「そうか、仕事が早いな」
その張遼の言葉に、言われた李典だけでなく口にした張遼自身が驚いていた。
自分でも不思議な感覚だと、張遼は戸惑っていた。
間違い無く、これから行われる戦闘は過酷なモノになる。おそらく死地とも言うべき戦場になると言う予感があった。
それと同時に、感覚が勝利に向けて研ぎ澄まされていくのを感じる。
孫権軍は十万の兵だと言っていたが、合肥を守る兵はわずか七千程度。
普通であればまともに戦える数では無いし、張遼も通常であれば戦おうとは思わない数量差である。
が、何故か負ける気がしない。
過酷な戦いになると言う予感があるのに、感覚は研ぎ澄まされ必勝の予感すら感じている。
こんな感覚は初めてで、張遼自身が戸惑いを感じていたがそれで彼の戦術眼が曇る様な事も、怖気付く様な事も無い。
ほどなくして曹操からの返書が届いた。
『孫権が動いたのであれば、張遼と李典が出撃し、楽進は城を守って戦わない様に』
その返書にはそう記されていたが、出撃を命じて戦うなと言う支離滅裂な指示に誰もが首を傾げた。
「丞相は先頃馬超との決戦の為に長安へ向かった。もし丞相が援軍として駆けつけたとしても、その頃には俺たちは敗れ、孫権軍にこの地を奪われている事だろう。丞相の返書にもある。まず、俺と李典が出撃と言うのは、武勇と知略を持って、孫権軍を撃退しろと言う意だ。そして楽進が城を守ると言うのも、戦が終わった後に楽進の如く泰然自若として城を安堵せよ、と言う事だろう」
張遼の言葉に、誰もが驚いて耳を傾けている。
「丞相は信じている。俺達であれば、この難局を乗り切る事が出来ると。それに対して、皆は何を躊躇うというのだ?」
張遼の問に、李典はふっと鼻で笑う。
だが、そこには今までの様な嘲笑する様な気配は無く、むしろ肩の力が抜けた李典本来の笑みが出ていた。
「国家の大事にあって、顧みるは計略のみ。個人の好みなどで道義を忘れる様な事は無い」
李典が応えると、楽進の方を見る。
「やってやるか」
常に険悪な合肥では考えられないほどに、三人の意気が投合していた。
この物語では
合肥の戦いですが、かなりの脚色が加わる予定です。
そもそも合肥の戦いと言うのは幾度か繰り返されていて、張遼達が守っていたのは第二次に当たるみたいです。
第一次は赤壁と同時期であったみたいですが、演義ではこの戦も全部赤壁と混ざっているみたいです。
ちなみにこの物語では合肥と濡須口の戦いが混ざっています。
また、馬超との戦いも時期がズレていますが、あまり細かく気にしないで下さい。
魯粛伝に馬超は登場しませんので。




