第十八話 奇行の理由
それなりに近しく接していると思っている魯粛だが、そこから見ると諸葛亮は性格の悪い変人にしか見えないとは言え、荊州ではそれなり以上の人望がある。
しかも名文家とも言われているので、どの様な弔辞を読むのか気になっていた。
これほど敵意剥き出しの敵地で、どんな弔辞を読むつもりじゃ、孔明よ。
魯粛だけでなく、ほぼ全員が諸葛亮の動向に注目していた。
その諸葛亮だが、周瑜の柩の前に立ち弔辞を書いていると思われる書を手にしたまま動こうとしない。
「うわああああああああああああ! 公瑾殿おおおおおおおおおお!」
諸葛亮は突然絶叫すると、周喩の柩に縋り付く。
「こおおおおおおおおきんどのぉおおおおおおおお! うをおおおおおおおおお!」
おかしくなったのかと思うほど、諸葛亮は号泣し始めた。
……何じゃ?
あまりにも唐突で予想外な事だったので、魯粛も反応に困った。
諸葛亮の事だから、こちら側も納得せざるを得ない様な言葉を並べて、力尽くの同盟修復を狙ってくると思っていたのだが、これほどの奇行を予測しろと言う方が無理である。
魯粛は戸惑う孫権軍ではどうする事も出来ないので、劉備軍の方に目を向けるのだが趙雲すら戸惑っているほどで、諸葛亮の奇行は計算された事では無かった様だ。
誰もがどうしていいか分からない状況の中で、ただただ号泣する諸葛亮の声だけが響く。
……そろそと止めんといかんかのう。
「何故! 何故ですか、公瑾殿!」
魯粛が止めに行こうかとした時、諸葛亮は叫び始める。
「公瑾殿さえ、わずかで良い! ほんのわずかで構わなかったのです! ほんのわずかでも譲ってくれていれば! 私の手を取ってくれていれば……!」
そうか。これは本当に本心なのか……。
誰の目にも諸葛亮がおかしくなったとしか思えない奇行であったが、その叫びを聞いて魯粛は理解出来た。
周喩の死。
それは諸葛亮にとっても、想像を絶するほどに大きな事柄だったのだ。
周喩と諸葛亮。
もし手を取り合う事が出来れば、本当に理想的だったかもしれない。
おそらく誰もが夢想した事であり、誰よりも諸葛亮がそう思っていたのだ。
そして、それが有り得ない事も。
それでも諸葛亮は払われる事を自覚しながら、手を伸ばしていた。
問題は、それが必ずしも周喩にとって友好的では無かった事だろう。
あくまでも諸葛亮の理想に追従すると言う条件の元で願ったその手を、周喩は取る事が出来なかった。
諸葛亮の手を取ると言う事は、孫策と共に夢見た天下二分を捨てると言う事である。
もし、を重ねる事になるが、今のこの状況を孫策が見ていた場合にはおそらく笑って諸葛亮の手を取ると言ってくるだろう。
敵の優先順位を明確にする孫策であれば、まず対処すべきは曹操であり、その為に利用出来るのであればなんでも利用してやれ、と周喩に言っていたかも知れない。
そして、死後の孫策は今の状況を見たら周喩に笑いながら言ったはずだ。
「お前はもっと器用だったんじゃないか?」
孫策が去った時、この軍略は破綻したのだから別の軍略に乗せるべきだったのだ。
「何故、何故私と共に天下を目指して下さらなかったのですか! 公瑾殿!」
感極まった諸葛亮は号泣しながら、周喩の柩に額を打ち付ける。
「うをぉおおおおおお! 公瑾殿おおおおお!」
額から流血しながら周喩の柩に頭を打ち付ける諸葛亮だったが、さすがに劉備軍の使者を血まみれにしたままにしておく事は出来ない。
「諸葛亮殿、その辺りで」
魯粛は諸葛亮を羽交い締めにして、奇行を抑える。
「うわーあああああああああー! 公瑾殿おおおおおおおおおおおおおおお!」
まるで子供の様に泣きじゃくる諸葛亮を、魯粛は祭壇から引き摺り下ろすと、趙雲に押し付ける。
「……よくもぬけぬけと」
呂蒙は戻って来た魯粛に向かって囁く。
「そうは言っても、敵意は薄れておるじゃろう?」
魯粛は苦笑しながら呂蒙に言う。
誰もが予想しなかった剥き出しの感情を見せた諸葛亮だったが、それまでの得体の知れない一流の軍略家であり憎むべき敵と言う印象は薄れ、面倒臭いと言うところは残るものの諸葛亮もまた人間であると思い知らされた。
「それにぬけぬけとと言うが、アレは孔明の本心じゃったろうな」
「大都督と手を取り合えれば、と言うのがですか? あれほど汚い手を使い、聞くに耐えない罵倒を繰り返していながら、虫が良すぎるでしょう」
「そうでもせんと、公瑾は譲らんかったじゃろう? ああ見えて頑固なところはあったからのう」
「……それは、まあ、確かに」
物腰柔らかく誰に対しても謙虚で一歩引いたところを好む周喩だが、魯粛の言う様にコレと決めた事は絶対に譲ろうとしないところはあった。
「孔明は、本当に本気で公瑾と共に歩みたかったのじゃろう。そして、公瑾は拒んだ。それでも公瑾と共に歩むには、根元からへし折って今の軍略が間違っていると思い知らせねばならない。赤壁の時に孔明は言っていた。公瑾は自分の選ばなかった未来の理想である、と。故に何があっても負けられんと」
諸葛亮にしても周喩にしても、周囲の誰もが認める天才とも言うべき才能の塊のわりには妙に不器用でお互いに譲れなかったからこそ招いた結果ではあったが、確かに手を取り合えればと思いたくもなる。
敵意剥き出しだった呂蒙ですら、その敵意が薄まるほどだからよほどと言うべきだろう。
「周喩がいかほどだったと言うのか! 確たる実績も無し、狭量にして国の大事を誤る。悼む事以上など必要あるまい!」
諸葛亮らとすれ違う様に入ってきた男が、酒壺を片手に高らかに言い放つ。
「またぞろ、面倒なヤツが現れたものよの。誰か、そこの酔っ払いを捕えよ。ただし、大都督の葬儀の場で血を流す事は許さぬ」
諸葛亮の行動で薄れたとは言え、劉備軍がやって来た時の敵意を考えれば、この場で周喩を愚弄する様な酔っ払いは切り捨てられてもおかしくない事から、魯粛は前もってそう言う指示を出す。
その酔っ払いは特別な剛勇の持ち主と言う訳でもないので、すぐに捕縛される事となった。
「士元よ、余計な事をするでないわ」
魯粛はその酔っ払い、龐統に向かって呆れて言う。
「ふん、事実は事実。本当の事を言って何が悪い!」
「悪い酔い方じゃのう。牢で大人しくしておれ」
本来であればその場で斬首されてもおかしくない狼藉なのだが、龐統の様な異才の持ち主を失う事を嫌った魯粛は牢に入れる事で龐統を守る事にした。
十分過ぎる問題を対処しながら、魯粛は初仕事である周喩の葬儀を終え、改めて大都督に任じられる事となった上で孫権に龐統を推挙しようとした。
が、孫権は龐統に会おうとしないだけでなく、魯粛に龐統を切り捨てる様に命じてきた。
「待て、仲謀よ。龐統は鬼才。何があっても我が軍に加えるべきじゃぞ?」
「子敬。お前の人を見る目を疑うつもりは無いが、我が義兄を、しかもその葬儀の場で愚弄する様な者をどう重用せよと言うのか。母上も喬公もご立腹で、師父が俺やお前の時以上に頭を抱えていたぞ」
「公瑾と言う人物を失ったのじゃ。その事実を受け入れられない者は泥酔して、現実を受け入れない為にも逆にかの人物は立派ではなかったと思い込みたくもなろう。一先ずはそれで説得出来んものか?」
「無理だな。せいぜい斬首だけは許してやると言うのが精一杯の温情だ」
「止むを得ん、か」
魯粛もそれで妥協する事にした。
「だが、子敬よ。龐統は俺も知っている。かの『鳳雛』の事だろう? その者を斬首から救うのは良いとしても、追放は免れない。そうするとその鬼才は孟徳なり玄徳なりの元へ走る事だろう。それなら斬首の方が良いのではないか?」
孫権は不思議そうに魯粛に尋ねる。
「ふむ、仲謀も道理を弁えてきたのう。じゃが、案ずるな。士元があの場であの様な事を喚いた理由はおおよその検討は付いておる。その上で、孟徳の元へ行こうと玄徳の元へ行こうと、ワシらにとっては何ら脅威にはなりはせんと断言しようぞ」
「そこまで言うからには根拠はあるみたいだな。聞かせろよ」
孫権は興味深そうに尋ねてくる。
「言うても牢にぶち込んだ士元本人から聞いたのじゃがの。結局これから先、士元がどの様に武功を挙げ武勲を重ねても、死した公瑾と比べられては勝ち様がないそうじゃ。公瑾が一流の軍略家であった事に疑いはなく、それを悼むのはごく自然な事じゃが、いつまでもそれを引き摺っていては後の家臣に対する忠誠に応える事にはならんそうじゃぞ」
「言っている事は分かるが、腹立つ言い方だな。子敬、やはり首を持って来い」
「待たんか。士元の物言いが気に食わんのはワシとて同じ。じゃが言っている事に一理あるのは分かるじゃろ?」
「とりあえず、今のところは孟徳や玄徳の元に走られても問題無いと言うお前の言い分は分からんがな」
「言いようで分かりそうなものじゃが、士元は野心家じゃ。それも並の野心家ではなく、自身の才覚で国を動かせると信じられるほどの野心を持っておる。そして、事実としてその才覚もある」
「それくらいでないと、義兄を愚弄する事は出来ないだろうな」
「その上で孟徳のところを見ろ。かの陣営には人材は数多おる。その中で新参者の士元が加わったところで上り詰めるのは困難じゃろう。赤壁での『連環』の功績を誇ろうものなら、かつて官渡の功を誇って切られた許攸の二の舞となるわい」
「人材不足の玄徳のところはどうだ?」
「そこには『伏龍』がおるからのう。自ら尊敬していると公言していた公瑾にすら譲れなかった諸葛亮じゃぞ? いかに才覚が備わっておると言っても、士元に席を譲って自ら二番手に甘んじるつもりは無いじゃろう。もし士元が玄徳の元に行こうものなら、士元か孔明か、どちからの訃報が遠からず届いてくるじゃろうの」
「……良いだろう。龐統の一件は子敬の良い様にするがいい。だが、俺の本心では龐統の首をここに持ってこさせたいと思っているのだがな」
「分かった分かった、士元には二度とこの地に近づくなと伝えておくわい」
こうして、孫権軍とは繋がりがあったにも関わらず、天下の鬼才であり『鳳雛』の異名を持つ龐統は孫権軍に加わる事無く、巣立っていく事となった。
だが、魯粛が予言した通り、鳳凰が大空を飛翔する期間はさほど長いものにはならなかったのである。
手を取り合える?
演義でのワンシーンですが、周喩の柩に孔明先生が頭をぶち当てて額が割れて血塗れになって号泣する姿を見て、「周喩はキレ過ぎだったからなぁ」と魯粛が悔恨するところです。
が、本作ではアレンジしまくってます。
実際に周喩と孔明が手を取り合う事は、残念ながらあり得なかった訳です。
この二人、私のイメージでは銀英伝で例えるとキルヒアイスとヤン・ウェンリーに近いです。
どっちがどっちと言う訳ではありませんが、この二人が手を取り合えばどれはもう凄い事になるのは、誰でも想像出来るでしょう。
しかも、個人であれば気が合うのも分かると思います。
では手を取り合えるかと言うと、残念ながらそれは無い訳です。
キルヒアイスがヤンの手を取るにはラインハルトを見捨てる事になるし、逆にキルヒアイスの手をヤンが取るには民主主義を捨てると言う事になる訳です。
この物語の周喩と孔明はそんななので、孔明は奇行に走るくらいショックだったと言う事になってます。