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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 天下遼遠にして
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第十三話 趙雲の帰還?

「さて、荊州が一段落したらいよいよ益州じゃのう」


「……いつまでいるつもりですか?」


 さすがの諸葛亮も、今尚自分の目の前にいる魯粛に対して呆れ気味に言う。


「なーに、どうせお前さんのことじゃ。こちらが何をどう言ったところで荊州を返すつもりなど無いのじゃろう? とはいえワシもガキの使いではないからのう。先の見通しも何も立たないままじゃったら、言い訳も出来んからの。せめて何ぞ言い訳のネタなり手土産でも仕入れん事には、帰るに帰れんと言うものじゃ」


「それならもう、いっその事ウチの子になっちゃえば良いじゃないですか。それで周喩殿の顔色を伺わなくても済みますから」


「公瑾よりお主の顔色を伺う方が辛いのう。せっかくの申し出じゃが辞めておくわい。それより益州じゃ。さっさと奪い取って荊州をワシらに返した方が良いと思うがのう」


「先ほどは私が返すつもりがないと言っていませんでしたか?」


「うむ、間違いなく言うた。実際に返すつもりは無いのじゃろう?」


 その言葉には、諸葛亮は答えない。


「じゃがの、孔明よ。お主の気持ちは分からんでは無いが、軍略の上で言うのであれば荊州は最優先で孫権軍に返還して手放すべきじゃぞ。荊州を手中に置いておる限り、天下三分はそちらにとって都合の悪い事になるのじゃからのう」


 卓越した軍師である諸葛亮なので、わざわざ魯粛が言うまでもない事だろう。


 劉備軍が己の大義として掲げているのが漢王朝の再興であり、現皇帝である献帝を有する曹操の排除は劉備軍の存在意義に関わってくる。


 一方の孫権軍は、独立独歩の勢力である為に曹操と敵対しているが、劉備軍の様に曹操滅すべしと言うほどではなく、条件次第では十分に譲歩する事も出来る。


 最悪の場合を考えた時、劉備は孫権との関係が切れるのは致命的になるのだが、孫権にとって劉備との関係が切れるのは都合が悪いとはいえ即致命傷となるわけではない。


 劉備にとって最悪なのは、曹操と孫権が手を組む事であり、それだけは避けたいと考えているだろう。


 その為に孫権の妹を妻に迎えたのだろうが、勢力で考えた場合には劉備にとって同盟を優位に保つ為にも益州だけでなく荊州を手中に収めておきたいと思うのは当然である。


 が、それは孫権軍との関係悪化を内包しているという問題もあった。


 諸葛亮としても正念場なのだという事は、魯粛にも分かる。


 だからこそ、そこを突く。


「諸葛先生、よろしいですか」


「おう、幼常ようじょうか。馬氏の五常の末っ子じゃな。兄も劉備軍に加わったそうじゃから、お主はワシのところに来んか?」


 諸葛亮が応えるより先に、魯粛が声をかける。


 やって来たのは馬謖ばしょくと言う若い官吏であり、字を幼常。荊州でも評判の馬氏の優秀な五人兄弟の末弟である。


 その兄である白い眉が特徴の馬良がもっとも優秀と言われているが、この馬謖も非常に優れた才覚の持ち主であり、諸葛亮から師事を受けている。


「魯粛殿、なんでまだいるんですか?」


「何事じゃ?」


「いや、何で魯粛殿に教えないといけないんですか?」


「幼常、何事ですか? そこの人はとりあえずそのままほっといて良いので、報告を」


 諸葛亮は魯粛の事は無視して、馬謖を促す。


「趙雲将軍がお戻りになられました」


「あん? 子龍一人でか?」


 魯粛が先に尋ねるが、諸葛亮も同じ疑問を浮かべていた。


「ご主君は一緒では?」


「いえ、将軍お一人です。しかも大怪我されていまして」


「怪我?」


 戦などある訳が無く、また孫権軍の武将にやられたのであればこの程度の報告で済むはずがない。


「詳しい事は趙雲本人に確認しましょう」


「ワシも同行しようかの」


「それは遠慮して欲しいんですが、言っても聞きませんよね?」


 諸葛亮は馬謖を伴って移動し、魯粛はそれに勝手について行く。


 趙雲が一人戻ってきたと言っても、当然単身単騎でという訳ではなく従者を伴っての帰還である。


 その従者達も兵士出身の者達なので、報告の義務がある官吏より馴染みの深い武官の方への報告が早かったらしく、趙雲は関羽と張飛に肩を借りて移動しようとしているところだった。


「お待ち下さい、将軍。軍師殿に報告を」


「あぁん? 幼常、見てわからんのか? 子龍は怪我してんだろうが!」


 張飛は脅す様に怒鳴るが、馬謖は内心でどう思っているかは分からないにしても、それで怯む事は無かった。


「幼常、見ての通り子龍は怪我をしている。軍師殿への報告は治療の後で良いだろう」


「……いえ、軍師殿には一刻も早く報告を」


 趙雲は喘ぐ様に言う。


「幼常、医者をここに。一刻も早くと言う事でしたら、報告と同時に治療していただきましょう」


 諸葛亮の提案に関羽は一瞬反論するかの素振そぶりを見せたが、劉備の事が心配なのが勝ったらしく言葉を飲み込む。


 趙雲も本来であればこの場にいるはずのない魯粛がいた事は奇妙に思った様だが、諸葛亮や関羽が受け入れている様子だったのを見て、あえて言及しなかった。


 趙雲の怪我は、劉備によるモノであると言う言葉には報告する趙雲以外の全員が驚かされた事実だった。


 色々と不安要素の多かった孫権の妹である孫尚香との婚儀だが、いざ顔を合わせてみると劉備と孫尚香はすっかり意気投合したらしく、婚儀も滞りなく行われる事になった。


 が、問題はすぐに起きた。


 あまりにも意気投合し過ぎた事が原因なのか、劉備夫妻の自堕落な贅沢生活が目に余り始めた。


 趙雲がその事を強く諌めたのだが、その事が劉備の不興を買ったらしく棒叩きの刑を受けた上で荊州に戻される事になったと言う。


「むちゃくちゃじゃな」


 報告を聞いていた魯粛が眉を寄せる。


 おそらく周喩か孫権の策なのだろうが、孫権軍も無尽蔵の財源がある訳ではなく、その様な計画性の無い出費は国庫を圧迫する事にも繋がる。


「軍師殿、これは今すぐにでも兄上には戻ってきてもらう必要がある」


 関羽がそう主張するが、諸葛亮は考え込んで即答しなかった。


 諸葛亮の悩みも分かる。


 関羽が言った通りにすぐに呼び戻すべきなのだろうが、理由が無いのである。


 何しろ劉備はただ歓待を受けているだけであり、夫婦間に問題が生じているのであればともかく、夫婦仲良く暮らしているところを特に理由も無くなんとなく策の気配がして気に入らないと言う理由で荊州に戻れと言うのは、信頼関係にヒビを入れる事になる。


「何とかする様に考えます」


「そんな悠長な事を言っている場合では無いのでは? 今であれば幸いにも孫権軍の副都督がいるのですから、場合によっては副都督を捕らえて兄者と交換する事も出来ましょう」


「ワシが玄徳と等価であるはずが無かろうに。大方ワシが見捨てられるだけじゃよ。その上で劉備軍の不義を責められる事になるじゃろう。今すぐに行動するのは良くないぞ?」


 関羽の物騒な提案に対し、当人である魯粛は冷静に言う。


「とはいえ、玄徳の身に何かあってはワシにも都合が悪い。長居されて贅沢を続けられるのも良くない話じゃからのう。ワシも戻って玄徳を荊州に追い返す様に手を回す様にしよう」


「なればこの関羽も同行しよう」


「いやいや、それこそ事を大きくする事になる。他の兵士ならともかく、劉備軍の柱である雲長が早々に動くべきではない。まずはワシを信じよ。その上で軍師の意見に耳を傾けた方が良い。お主は自分が思っておる以上に重い存在なのじゃ」


 魯粛はそう言って関羽を宥める。


 口にした通り、劉備軍にとって関羽と言うのは特別な存在なのだと言う事を、魯粛は自身の目で見て実感していた。


 諸葛亮の劉備に対する護衛に趙雲を指名したのも、関羽を目の届くところに置いておきたかったと言う事なのかもしれない。


「……お待ちを、私も戻ります」


 治療を受けながらも、趙雲が言う。


「何を言っている。お前怪我してんだろうが、ここは俺が!」


「お前ではダメだ」


 張飛が名乗り出るが、関羽が即否定する。


 もちろん関羽の答えは、この場の総意であった。


 関羽であっても大問題に発展しかねないと言うのに、張飛であれば余計な揉め事を起こす事は約束されているようなものである。


「とにかく、じゃ。いずれ誰かが玄徳の護衛に戻る事になるじゃろうが、ひとまずはワシに預けよ。ワシにとっても玄徳の無事は一大事じゃからの。少なくとも贅沢出来ていると言うくらいじゃから、逼迫した身の危険と言う事も無いはずじゃ。妹君もおられる事じゃしの」


「……不本意ではあるが、ここは魯粛殿の言い分に理がある様だ」


 厳密に言えばこの場の決定権は諸葛亮にあるはずなのだが、関羽がそう言って頷く。


 これも本来であれば咎めるべき越権であるのだが、この時には関羽と諸葛亮の意見は一致していた事もあって、諸葛亮の方からそれを遮るような事はしなかった。




 しかし、と魯粛は帰りの船の上で改めて思案する。


 個の能力と言う事で考えるのであれば、劉備軍は常軌を逸していると言えるほどに優れた集団である。


 異形の主である劉備だけでも特殊極まる存在なのだが、異能とも言うべき天才軍師諸葛亮、ただそこにいるだけで威圧しまくる軍神関羽、万夫不当の武を誇る張飛や趙雲、そこに荊州の人材も流れ込んできているのだからその潜在能力は極めて高い。


 が、あまりにも歪な能力の持ち主達である為に、僅かな意識のズレが破滅的な結果を招きかねない危うさもある。


 それぞれの人物に明確な弱点がある訳ではなく、それどころか個人での才覚の勝負など絶対に避けるべきと思える優秀さの劉備軍だが、組織としては補いようのない欠点でもあった。


 極端に言えば武の関羽と智の諸葛亮を、劉備と言う存在が拮抗させているのが劉備軍の全容でもある。


 なるほど、公瑾はすでにその事に勘付いていたからこそ劉備を軟禁しているのか。だが、良策とは言えんのう。


 おそらくこれで荊州が手に入れば安いモノと考えているのかもしれないが、これは劉備軍との関係を確実に悪化させる策である。


 それほど裕福とは言えない生活を送っている江南の民にとって、贅沢三昧を見せつける劉備に悪感情を持つのは止められない。


 荊州奪取と言う一点のみで考えるのであれば、それは悪く無い。


 だが、劉備との武力衝突で喜ぶのは曹操である。


 仮に劉備から荊州を奪い取る事が出来たとしても、その直後に曹操から攻められては守りようがない。


 公瑾ではないな。仲謀か子明辺りか?


 それはそれで疑問が残るところでもある。


 確かに周喩の軍略は天下二分の計であり、劉備が邪魔なのは分かるのだがそれは今すぐではない事くらい分かりそうなものだが、周喩はそれを止めようとしていない。


 らしくないのう、何かあるのか?


 この時は漠然とした疑問だったのだが、事態は魯粛の予想より遥かに深刻であった事が分かるのは手遅れになってからの事であった。

演義で言うところの錦の袋


二つ目の場面です。

当然この時に魯粛が劉備陣営に顔を出している事など有り得ないので、本作のみの創作設定となってます。


ちなみに今回さらっと初登場を果たした馬謖ですが、正直なところちょっとネタにされ過ぎて可哀想だと思ってます。

いや、まぁ、自業自得ですよ?

それは分かっているのですが、十分に同情の余地はあると思うんですよ。

でも馬謖伝じゃ無いので、詳しくはやりません。

ただの孔明先生の愛弟子と思って下さい。

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