第八話 弁舌によって河を渡った後に
「坊ちゃん、人使いが荒いのは相変わらずで」
「久しぶりじゃな、親父殿。孫堅の元には行かなかったのか?」
「上手いきっかけが無くて、機を逸したんだよ」
魯粛から援軍を頼まれてやって来たのは、凌操だった。
急ぎと言う事もあって、凌操が率いてきたのは騎馬が二百程度であり、実は李豊の軍はこの時点でも魯粛の歩兵と凌操の騎兵を相手にしても十分戦えるだけの兵力を有していた。
魯粛達も本気で狙うのであれば李豊の騎馬隊を全滅させる事も出来るだけの地の利があった。
が、魯粛の狙いはあくまでも李豊を撃退する事であり、李豊を討ち取ってしまっては本当に袁術からの攻勢を呼び込む事は考えられる。
また、被害が大きくなり過ぎても袁術の余計な恨みを買う事もある。
ここでの狙いは、あくまでも李豊を追い払う事であり、武功を稼ぐと言う訳ではないので魯粛はさっさと撤退したのだった。
凌操にしても自身の率いる兵の少なさは自覚していたので、李豊の軍を突き破ってすぐに魯粛と合流するとそのまま撤退していた。
無理に戦いを引き伸ばさなかったのは、李豊に撤退する機会を与えると言う狙いもあった。
少なくとも先手を取られた李豊は、これ以上の犠牲を出してでも魯粛を捉えるなり討ち取るなりしようとは思わないはずだと言うのが、魯粛の読みだった。
兵を下げて立て直そうとしたところに、さらに伏兵と言う様な凌操に攻められてさらに兵を下げる事になったのは、まさに撤退の好機。
もし李豊が武勇一辺倒の武将であれば、ここで撤退などせずに頭に血を昇らせて突撃してきただろうが、細かいうるさ型の李豊は撤退の好機を逃すはずもない。
十中八九、と言うより九分九厘間違いなく李豊ならそうするのだが、万が一には備える必要もある。
「と、言う訳で周家の坊ちゃんの出番じゃよ」
「……イマイチ話が見えてこないのですが」
「まあまあ、ワシに任せておけ。親父殿、見栄えの良い者のみ身なりを整えて騎馬にて同行してくれ。長江さえ渡ればこっちのモノじゃ」
魯粛は楽しそうに手配する。
その表情は一流の戦略家と言うより、何か気の利いた悪戯を思いついた子供のソレだった事もあって周瑜も凌操も苦笑いするしか無かった。
凌操の一団はここで一度解散となって十騎だけ残して残りはアジトへ戻らせ、十騎の騎兵は先ほど奪った袁術軍の鎧を身に付け、同じく馬上の人となっている周瑜の護衛と言う配置についてそのまま長江の渡しへ向かった。
「袁術軍の特使の魯粛である!」
港について手頃な舟を見つけると、魯粛は大音声で名乗る。
「この度、丹陽太守である周尚殿の族子である周公瑾殿を太守の元へ届ける任を受けている! 今すぐ舟を出していただきたい!」
あまりにも唐突な宣言に、船頭達も度肝を抜かれていた。
「何をしている! 早く準備しないか!」
「お、お待ち下さい! 我々は何も聞かされておりません! 袁術様からの特使と言われても」
「一刻を争うのだ!」
魯粛は戸惑う船頭を一喝する。
「後方で李豊将軍が賊と交戦されている! 我々は周家に連なる者達を必ず太守の元へ届ける任があり、李豊将軍から直接送り出されたのだ! もし李豊将軍が我々が長江を渡る事無くここで指を咥えて見ているのを確認されれば、さぞかし驚かれる事だろうな。万に一つの可能性であると言えど賊がこちらに流れて来た場合に、周家の御子息に手傷を負わされたとあっては、李豊将軍からもどの様な褒美を得られる事になるやら」
魯粛の言葉に、船頭達はすぐに動き始める。
「事は急を要する。急いで長江を渡るのだ! もし李豊将軍が来られたら、責任を持って対岸にお渡しした事を伝えるが良い」
魯粛はそう言うと、周瑜を先に舟に乗せ、それから凌操とその部下が扮する李豊軍の兵士、その後に魯粛とその他の面々と順で舟にのり、数隻の舟で長江を渡る事に成功した。
過剰なほどに李豊を褒め称える様な言葉を船頭達に伝え、すぐに対岸へ帰らせる。
これで完全に李豊の追撃を振り切った事になり、一行は歓声を上げた。
「相変わらず、坊ちゃんは大胆な事をやるなぁ」
凌操は楽し気に笑うが、魯粛は軽く肩を竦めた。
「李豊相手では物足りんなぁ。どうせ引っかけるなら、袁術本人なり、董卓みたいな大物の方が良かったわい」
「はっはっは! 相変わらずの大言壮語だ。周家の坊ちゃんだったね、コイツはその内手の付けようのない悪党になるぞ。すぐ討てる様に手元に置いておく事がお勧めだよ」
「確かにそうですね。まぁ、そこの危険人物もそうですが、貴将はどうされますか? 今であれば我が主、孫策様に推薦いたしますよ」
周瑜の言葉に、凌操はニヤリと笑う。
「それは良いが、孫策と言うのも袁術の元にいるんだろう? 俺も袁術軍に入れって事かい?」
「いやいや、我が主も、もちろん私も袁術の元を離れる事を考えています。そう遠くない内に袁術から離れて独立しますので、その時にでも会える機会を作りますよ」
「そりゃ有難い。どうだい、そこの危険人物も」
「うむ、何故ワシが危険人物なのかはともかく、周家に仕えるのであれば悪くない。じゃが、孫策の様な一介の武将ではワシと釣り合わんじゃろうに。今は少し機を伺うとする。ま、いずれにしても周家のお力にはすがらんといかんからのう。よろしく頼む」
魯粛はそう言って凌操と別れ、一行を引き連れて周瑜を頼る事にした。
四世三公と名高い袁家には及ばずとも、周瑜の家系は二世に渡って三公を輩出した名門中の名門である。
袁術ほど露骨に勢力を拡大している訳ではないものの、周家の存在は袁術にしても気に入らないからと言う理由だけで兵を差し向けて踏みつぶせる様な弱小勢力ではない。
まして丹陽太守である周尚は、現在は袁術とは協力関係にあり、李豊が自身の評価を著しく下げてでも魯粛の危険性を袁術に説いて説得出来ない限りは安全と言える。
魯粛の目には李豊は将軍としての能力は一級とは言えないまでも、袁術に対する忠誠心はそこまで薄い訳ではないし、出世欲も袁術軍の中では低い方ではないと見ていた。
そんな人物が自身の出世を犠牲にしてまで、名門の周家に対する攻撃を主張する事は無いだろう。
それから魯粛はしばらく周瑜の元で袁術の動きを監視していたが、大きな動きが無い事を確認すると祖母の住む曲阿で商人としての活動を再開していた。
元々才覚のあった魯粛は瞬く間に財産を築き上げていったが、そんな魯粛にもまったく予想もしていなかった大事が立て続けに起きた。
董卓が暗殺されたのである。
「董卓がのぅ。これでさらに天下は乱れる事になるじゃろうのう」
魯粛は商売仲間に向かって言う。
もちろん董卓が暗殺されたと言う情報だけが長江を越えてやって来た訳ではない。
董卓が殺害された後、王允が事態を収めようとしたのだがそれに失敗。
天下無双の猛将呂布をもってしても都を守る事は出来ずに、呂布は敗れて都を追われ、王允はその場で自決したらしい。
その後、都に入ったのは董卓四天王と呼ばれる者達だったそうだが、魯粛の見立てではそれでまとまるはずが無いと言うものだった。
「相当乱れるじゃろうが、これこそ商売の好機かもしれんぞ? 誰に売るか、誰と商いするかがこれからは大きく関係して来るじゃろうの」
「子敬さんは、やっぱり袁紹かい? それとも、旧知の袁術?」
「うーん、本命は袁紹と言いたいところじゃが、袁家にはイマイチ金の匂いがせんのじゃ。ワシの見立てでは、確かに袁紹は強い。袁術も大した勢力じゃとは思うが、二袁による天下が来る様には見えんのでのう。誰か別の英傑を探すとするわい」
魯粛の言葉に、他の商人達は笑う。
圧倒的武力と勢力を誇った董卓が消えた今、袁術と袁紹はまさに天下を二分すると言っても過言ではない勢力と言えた。
しかも袁紹と袁術の仲が悪い事もあって、互いに勢力を伸ばしそれは激化しつつある。
今のところ、名声では袁紹の方が優位に立っていると言えるのだが、勢力に関して言うなら袁術の方が伸ばしている。
また、戦力にしても袁紹の元には顔良、文醜と言う豪傑二枚看板に対して袁術も紀霊の様な武芸者だけでなく、雷薄や陳蘭と言った武将と言うより野盗の頭目とも言うべき者達も取り入れて勢力を伸ばしている。
なので商人達は、魯粛の予測を笑い二袁朝時代が来ると言うのがおおよその見解であった。
もっとも、『魯家の狂児』に反発したいと言う事も含まれている。
だが、魯粛個人にとってより大きな衝撃だったのが、育ててくれた祖母の死だった。
これによって魯粛を江東に縛るモノは無くなり、故郷である徐州に戻る事も考えた。
また、無官となった事を知った劉曄から曹操の元への仕官を薦める書状も届いていたので、それも悪くないとも思っていた。
が、魯粛が徐州へ移動する前に事態は急変する。
かつての反董卓連合の敗戦にてすでに力を失ったと判断したのか、黄巾党の残党の活動が激化し、その討伐に当たっていた劉岱が討たれると言う事件があった。
その後任として当てられたのが曹操だったのだが、曹操は見事にその暴動を鎮圧。
劉岱の後任としての地位だけでなく、黄巾党に苦戦続きだった鮑信も迎え入れ、さらに親友の張邈や袁紹の協力もあって自身の勢力を得るに至った。
それによって曹操は家族を自分の地盤に呼ぶ事を決定したのだが、それが大事件へと発展した。
曹操の父やその一族が徐州を通る際に道中の安全確保を買って出た陶謙だったが、護衛につけた部下が裏切って曹操の父達を殺害し、その家財などを奪って逃げたのである。
その事を知った曹操は激怒して徐州へ攻め込み、徐州の民を虐殺したと言うのだ。
「幸いな事に、とは言えないだろうけど、私はそれを聞いた時にはすぐに動ける状態だったから徐州からの難民を受け入れていたんです。その中に君の母やその家人達も含まれていましたから、私のところで保護しています」
状況を確認しようと周瑜の元を訪れた時、そう説明されて魯粛は大きく安堵の息をついた。
「すまんのう、公瑾。返す事の出来ぬ恩を受けた。礼を言わせてくれ」
魯粛は周瑜の手を取って、何度も頭を下げる。
「いえ、とんでもない。ですが、その恩を着せると言う訳ではありませんが、難民の受け入れによって資金や食料の備蓄に不安があるのです」
「はっ、そんな事なら何も心配いらん。ワシのところに二つの倉があるが、その片方を公瑾に援助しようではないか。むしろ、そんな程度の事で恩を着せるなどと言わんでくれ」
魯粛はそう答えると、本当に二つの倉の片方を全て周瑜の元へ送った。
これによって魯粛は劉曄を頼って曹操に仕官する事無く、周瑜との親交を深めて江東の地に留まったのである。
色々前後して混ざってます。
魯粛と言えば有名な、「蔵の片方そっくりそのままプレゼント」の話がありますが、
時期の話で言えばもっと前になるみたいです。
これをきっかけに周瑜との親交を得たみたいで、袁術軍に仕官する前の話の様です。
一方、劉曄からの仕官の手紙についてはもう少し後の話みたいですが、周瑜が上手い事魯粛の家族を保護していた事から、魯粛は曹操への仕官は思いとどまったらしいです。
一説には、徐州での虐殺もあって曹操へ仕官しなかったともされています。
いずれにしても、魯粛が曹操の元に仕官していた場合、曹仁級の武将を手に入れていた事になり、赤壁の結果は変わっていたかもしれません。
とは言え、正史で見る魯粛も扱いやすい武将と言う訳では無さそうですが。