第七話 合間に
「武術大会ィ? なんじゃ、それは?」
「大都督の怪我が治るまで軍事行動は控えると言う事でしたので、主君が建業で大々的に武術大会を行うと」
「ほう、そう言う事か。確かに建業と命名したものの、それを喧伝する機会は無かったからのう。仲謀もやるではないか。子布はキレておったろう?」
「それはもう、存分に」
「で、じゃ。こういう事はいつもなら子明が伝えてくるところじゃろ? 何故凌統将軍がこんな小間使いをしておるのじゃ? お主にもそれなりの立場があるじゃろうに」
魯粛は珍しく訪ねてきた凌統に尋ねる。
本来であれば『荊州奪取記念』とかで祝いたかったのだろうがそれは不可能となり、次の軍事行動を起こそうにも軍の要である周喩が療養中と言う事もあってそれも出来ず、と言う不満の溜まりそうな現状を祭りの雰囲気でごまかそうと言う事らしい。
だが、案としては悪く無い。
少なくとも気は紛れるし、何かと実力を誇示して格付けをしたがる武官を操る上でも優勝者と言う発言力の強化される者を知っておく事は、むしろありがたい事でもある。
「それが一つ困った事がありまして、是非ともお知恵を拝借したく」
「ワシにか? 公瑾の方が良かろうに」
「さすがに療養中の大都督のところには伺いにくい事と、実は大都督では少々障りがある事でして」
「む? ちょいと興味が沸いてきたぞ。公瑾では障りがある問題とな?」
「いや、本当に些細と言えば些細な問題なのですが、その武術大会に妹君も参加すると言い出して」
「……ああ、なるほどのう」
凌統の一言で、魯粛はほぼ全てを理解した。
妹君と言うのは現当主孫権の妹の事であり、父の孫堅や亡き兄孫策と同類の非常に好戦的な性格はよく知られている。
自身の武芸もさる事ながら、侍女達にさえ武芸を仕込み武装させている事から『弓腰姫』の異名さえ持っている女傑である。
兄である孫策はその気質に相当早い段階で気がついていたらしく、弟の孫権には武闘派の張昭を、妹には温厚な張紘を教育係としていたのだが、張紘が長らく曹操の元から戻らなかった事もあって今に至っているらしい。
戻ってきた今でも張紘を慕っている事は間違い無いのだが、肝心の張紘が病とあっては今の彼女を止める事は出来ていない。
「公瑾にとっても、義理の妹になるから可愛いじゃろうしのう」
単純に勝敗を決めると言う事だけで言えば、いかに孫堅の娘であり、孫策や孫権の妹であったとしても並みの男達ならいざ知らず、川族で鳴らした凌統や甘寧らからすると勝利する事は難しくない。
問題は勝利して良いのかどうか、と言うところである。
また、困った事に気質も孫堅や孫策に似て、単純な勝敗よりその過程を楽しみたいと言うところが強く、下手に手加減しようものなら烈火の如く怒り狂う事があると言う。
「難儀じゃのう」
「かと言って怪我をさせる訳にもいかず、参謀殿であれば何か良い知恵をお持ちではないかと」
「何故ワシに?」
「そういうの、得意でしょ?」
いかにも当然でしょうと言わんばかりの凌統だが、幼い頃に散々からかわれた事を覚えているのだろう。
「早めに妹君が敗れる事を祈るんじゃな」
「それがどうも、最初の対戦相手が俺になりそうなんですよ。だから困ってます」
武術大会は盛り上がりを第一に考え、一対一の勝ち上がり方式で行われると言う事だったので魯粛はそんな提案をしたのだが、確かに最初に当たるのであれば早く敗れるも何もない。
「甘寧と一緒に酒盛りでもすればどうじゃ?」
「武術大会どころじゃないくらいに大問題になりますよ。大都督も療養とか言ってる場合じゃなくなります」
「じゃな。今のは無しで」
「あんた、一切真面目に考える気無いよな?」
「ワシ、無関係じゃからのう。そんな祭りの事は一言も聞いておらんかったし」
聞いていたとしても、おそらく止めていなかっただろうし、自分に関係が無いのであれば妹君の参加も喜んで許可した事だろうと魯粛は思っていた。
「今から主君にお願いして、あんたも引っ張り出す事にしよう」
「それは勘弁じゃ。ワシはワシで色々と忙しいのでな」
面白そうだとは思うのだが、今は劉備から荊州を奪い返す事と益州攻略の為の試算も進めなければならない。
「いや、ホントもう困ってんだよ。そりゃ最後の決勝戦とかならわざと負けても面目も立つってもんだが、初戦じゃ言い訳も出来ないから困ってんだって」
今まで遠慮した口調だった凌統だが、本当に余裕が無くなってきたのか砕けた口調になっていく。
「武術大会に出ると言うくらいじゃから、いっその事公衆の面前でけちょんけちょんのぎったんぎったんにしてやればどうじゃ? 少しは女らしくなるかもしれんぞ?」
「だからそれが許されるなら悩んでねーっての。良いんだな? 参謀長殿の許可は得ていると言っても良いんだな?」
「それで主君の妹君をぼっこぼこにした罪が許されると思うのであれば、別に言う分には構わんぞ?」
「たーのーむーよー、困ってんだよー、何とかしてくれよー」
凌統は卓の上に突っ伏して訴える。
「阿蒙に言えば良かろうに」
「アイツが逃げたんだよ、そう言う事は子敬が専門家だって」
「何の専門じゃいな」
「そう言うの得意じゃん。何て言うか、人をあしらうとか良い具合に嫌がらせするとか」
「そうか、ワシはそう思われとるんじゃな。そう言う事なら、ワシも本気を出して徹底的に……」
「やり過ぎるつもりだな? その手はくわないぞ?」
凌統は魯粛を睨みながら言う。
「ほどほどで良いんだよ、ほどほどで」
「ほどほどのう、そう言うのは得意では無いのでやるなら徹底的に……」
「よし、この話は一旦保留にしよう。実は俺は俺なりに考えがあるにはあるんだ。その練習に付き合ってもらいたい」
「それこそ気心しれた者同士、阿蒙の方が良かろう」
「それも考えたんだけど、子敬が得意だったアレが良いと思ったんだ」
「あん? 何じゃいな?」
「ほら、あの、武器をこう、すぽーんって奪うヤツ」
「ああ、巻き上げと言う技じゃ。ふむ、確かに悪く無い手かもしれんのう」
「で、教わるなら得意なヤツに教わった方が良いだろうと言う事で」
確かに魯粛はその技を得意としている。
何しろあの戦いの天才、孫策からさえも一本取ったくらいである。
「ワシは妹君とはほとんど関わっとらんからよう知らんが、妹君が伯符に似とると言う事なら、それをやったら余計に熱くなるかも知れんが、それでも良いかのう?」
「今のところ、そこにしか活路が見い出せてないんだ」
凌統に泣きつかれて、魯粛は凌統の相手をする事になった。
と言っても、別に本気でやり合う訳でもなく、また魯粛は先に言ったように多忙と言う事もあってほとんど片手間の様なものであり、凌統は技を盗むと言う目的もあっての事ではあるのだが、それでも凌統は魯粛に良い様にやられてしまった。
「……やっぱりあんたは出るべきじゃないのか?」
凌統が呆れながら言う。
「そんな暇は無いわい。それに参謀のワシがしゃしゃる様な事でも無かろうに」
魯粛は持った剣をくるくると器用に回しながら言う。
「ところで、ソレに甘寧は出るのか?」
「もちろん出るさ。シラフで」
「なら問題無いか」
酔った状態の甘寧は尋常ではない武勇を発揮するものの、気性の激しさも手が付けられなくなるほどに荒れるので、それこそ相手が主君の親族の一員だろうが妹だろうが命を奪いかねない危険性がある。
とはいえ、酔ってなければある程度の常識は身につけている武人なので、シラフでさえあれば問題無い。
後日、魯粛は武術大会に参加していないと言う事で呂蒙の元を訪ねた。
最初は冷やかしのつもりだったのだが、予想外に呂蒙は真面目に何やら軍略を練っているところだった。
「……子明よ、何じゃコレは?」
「ああ、これは参謀殿。じゃなかった、副都督。せっかく時間が出来たので、大都督が復帰された時に軍略の参考になればと色々と考えてました」
「お主も確か天下二分の計じゃったのう。では、劉備が荊州にいる事には反対か?」
「反対です。大反対です。むしろ論外です」
意外なほどに強い嫌悪感を示してくるのは驚きだったが、魯粛と違って呂蒙は南郡攻略戦に参加していた事もあって劉備軍の非道を実際に目で見て体験している。
そう考えれば、これくらいの嫌悪感を抱くのもやむを得ないのかもしれない。
「今更言ったところで、劉備軍が申し訳ありませんでしたと頭を下げて荊州を返す事は有り得ないので、俺なりに今後の軍略を練っているところでした」
本人も参考になればと言っていたので細部まで詰めたものではないにしても、中々に面白い案がいくつも無造作に広げられていた。
周喩も天下二分に固執している様なところはあるが、それでも柔軟な人物であり、劉備との同盟も完全に切り離していない事は十分に考えられる事である。
副将の呂蒙はその事を理解している様で、天下二分推進派ではあるものの、その軍略は劉備を倒して荊州を奪取すると言う事にこだわっていないのが見て取れる。
中には劉備と共闘して曹操を打倒すると言う一案もあったくらいだった。
「ふむ、面白い事を考えておるのう。ワシは同盟しておる劉備を盾として利用する事を考えておるので次の標的は益州と見ておったのじゃが……」
魯粛は卓の上に広げられている地図の一点を指し示す。
「合肥、か」
「袁術の暴政が響いて土地は荒れ放題になっていますが、淮南は非常に豊かな土地。このまま遊ばせるのは余りにも惜しいですからね」
「その楔としての合肥。しかも今であれば先の赤壁、南郡の被害もあって軍備も万全とは言えん。悪く無いのう」
「と言っても、まだ一案。もし主君や大都督に提案するのであれば、もう少し詰めないといけませんけどね」
呂蒙は笑いながら言う。
「呉下の阿蒙にあらずとは思っておったが、お主は会う度に成長するのう」
「確か前にそう言われたのは、まさに天下二分の計の草案を作った三日後でしたね。三日会わざれば刮目して見よってな感じですか?」
「上手い事返すようにもなったしのう」
この時はまだ戦略の話であり、戦術の話として合肥を守る武将の実力のほどまでは話を進める段階ではなかった。
後日、武術大会に優勝した凌統はこう語ったと言う。
「魯粛が出場していれば、結果は同じでは無かったかもしれない」
具体的な事は分かりませんが
呉で武術大会が行われ、その時に優勝した凌統が「魯粛が出てたらどうなってたか」と言ったらしいのですが、それが何時の事なのかは分かりません。
また、この頃の武術大会はトーナメント方式のバトルとかではなく、騎射とか演舞とかだったと思われます。
もちろん妹君は参加してません。
妹君と合肥については今後の事もあるので、ここで触れて見ました。
どの時期かははっきりしませんが、合肥攻めは呂蒙や周瑜ではなく孫権が推し進めたみたいです。