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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 天下遼遠にして
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第六話 荊州の主は

「敢えて隙を残して交渉を打ち切ったと言う訳ですか。まだ劉備との同盟が生きていると言う判断なのでしょうが、その判断は間違っていますよ」


 周喩は戻ってきた魯粛から報告を受けて、横になったまま確認する様に苦言を呈する。


「のう、公瑾。ワシはお主の天下二分の計は実際には困難じゃと思っておる」


「だから貴方の天下三分の計を推し進めると?」


「ちと違うのう。ワシなりにお主の天下二分の計への道筋を考えての行動じゃったのじゃが」


「と言うと?」


 周喩は不思議そうに尋ねる。


「劉備のつもりで考えてみよ。奴らは南郡を得て、その時の曹仁の割符も使って襄陽を奪い取っておる。公瑾なら次はどうする?」


「荊州南部ですか?」


「うむ、それによって荊州の完全併呑を狙うじゃろう。戦略としては当然じゃ。ワシでもそうするし、おそらく孔明もそう考えておる」


「それでは我々は行動の頭を抑えられませんか?」


「そこをせっつくのがワシの狙いじゃよ」


 魯粛の言葉に、周喩は考える。


「……益州、ですか?」


「さすがじゃの」


 劉備軍は荊州を奪ったとはいえ、まだ半分程度である。


 地盤の無い劉備にとって荊州はようやく手に入れた地盤であり、この足元を固める事が最優先となる。


 だからこそ、こちらはその荊州を飛び越えてさらに西の益州へ向かう。


 劉備軍は既に信義を問われる非道を行っているのだが、それをこちらが譲歩してお咎めなしにしているのだ。


 こちらから益州を攻める為の道を譲れと言われれば、それを断る正当な理由はさほど多くない。


 通したくないと主張するには、またしても信義を損なう行動を取る事は考えられるし、その場合には劉備討伐の大義名分も出来る。


 そうなったら本当に曹操と共闘して劉備を討つ事も出来るし、それによって孫権軍は荊州を奪取。


 曹操が西涼に目を向けている間に益州を奪えば、それで天下二分の完成となる。


「……つまり、劉備はこちらに奪われる前に益州を奪う必要があり、それで益州を取る協力をする代わりに荊州を寄越せ、と言う訳ですか」


「ざっくり言えばそう言う事じゃ。上手くすれば天下二分、悪くしても三分じゃよ」


「……面白い策ではありますが、あの諸葛亮がこちらの注文通りに踊ってくれると思いますか?」


「ふむ、良くて半々。いや、おそらくこの通りに行くのは三分あるかどうかと言ったところかのう」


「私も贔屓目無しに考えるのであれば、そんなところだと思いました」


 そう言った後に、横になっていた周喩はゆっくりと上体を起こす。


「おいおい、まだ安静にしてないといかんじゃろう」


「そうも言ってられない様な状況を作っておいて、何を今更」


 笑いながら言うと、周喩は起き上がり身だしなみを整える。


「それが上手く行く様に、私も劉備に圧力を掛けてみましょうか。戻ってきたばかりで申し訳ありませんが、もう一度劉備のところに行ってもらいます。私と一緒に」


「何を理由にするつもりじゃ? 取って返して、しかも大都督自らの訪問じゃぞ? 何かしら理由が無ければ策以前の不自然さじゃ」


「それは簡単ですよ。土地を貸している期間が立脚の地を得るまでと言う話でしたが、具体的にいつまでかを明確にすると言えば、劉備くらい理不尽であればともかく諸葛亮は拒む事は出来ませんからね」


 形だけでも劉備軍にとっては孫権軍との同盟は必須であり、今孫権軍を敵に回すと曹操と孫権を同時に相手取る事になってしまう。


 それを避ける為にも、周喩の訪問を拒む事は出来ない。


 さて、言い訳上手な孔明はどんな事を言い出すかのう。




 魯粛や周喩が予想した通り、劉備は周喩の訪問を歓迎した。


 前回の訪問と違うところがあったとすれば、張飛が蛇矛を持っていない事と関羽ではなく趙雲がいる事くらいであるが、それはそれで大きな違いとも言える。


「先日の訪問に続き、本日は大都督自らが訪問とは。何か不備不具合がありましたか?」


「ごく簡単な事ですよ。立脚の地を得るまで荊州を借りておくと言う話だったみたいですが、それは具体的にいつまでの話なのかを詰めていなかったみたいでしたので」


 諸葛亮の先制攻撃に、周喩は笑顔で応える。


 この二人の弁舌は、下手な剣戟などより恐ろしいのう。


 和やかな表情と穏やかな口調には似つかわしくない、張り詰めた空気に魯粛はそう思う。


「それについてなのですが、確かに我ら劉備軍は荊州を借り受けている身ですが、それを返すのは本来の持ち主であるべきだと考えているのですが」


「本来の持ち主?」


 周喩は首を傾げるが、諸葛亮の言い分には魯粛も不思議に思う。


「荊州は元はと言えば劉表殿の治めていた土地。それであれば、その後継である劉琦殿にお返しするのが筋であると思うのですよ」


 諸葛亮がぬけぬけと言い放つ。


「あ? 貴様、何をたわけた事を」


 諸葛亮の提案は、さすがに魯粛は怒りをこらえられなくなるが、それは周喩に止められる。


「諸葛亮殿は異な事をおっしゃる。劉表殿の跡を継いだのは劉琮殿であったはず。その論法を用いるのであれば、漢の認めた太守や刺史から城や領地を奪った逆賊ではありませんか?」


「仁道の話です。劉表殿が亡くなられ、劉琮殿も曹操に降った後に消息不明となられているとあれば長男である劉琦殿が荊州を継ぐ事は道理の上でも、また亡き父の跡を継ぐと言う孝の道から考えても当然ではありませんか?」


「なるほど、確かにごもっとも。ですが、当人抜きで話す事ではありますまい。細かい話は劉琦殿を交えて行うべきではありませんか?」


 周喩はごく自然に、それでも劉備達にとっての急所になるところを指摘する。


 魯粛からすると、劉琦は後継者争いに破れた者であり今更荊州の主面するのは有り得ないと思っている。


 諸葛亮も口ぶりから荊州の主として劉琮を認めていないと言うのであれば、その権利は血筋で劉琦に帰すると言うより奪った者勝ちになるのがむしろ道理ではないのか、とさえ思う。


 もっともそれを主張したからと言って、諸葛亮が考え方を改めると言う事は有り得ないし、むしろ赤壁前の舌戦の時の様に反論されるのが目に見えていた。


 であれば、拠り所である劉琦を切り崩す方が良いと言う周喩の判断も分かる。


 しかし、公瑾は本気で孫劉同盟を維持するつもりは無いらしいのう。劉備らが信用出来んのはよう分かるが、曹操に対する盾とするなら都合良いんじゃが。


「大都督、劉琦殿は……」


「孔明、大都督の意見する事はもっともなところ。幸いな事に劉琦はここにおられる事ですし、ご同席をお願いしてみるのは、悪い事では無いでしょう」


 意外な事に、劉備がこちらに協力的な提案をしてくる。


「ですが、我が君。劉琦殿の事を考えると……」


「この事を隠している事の方が劉琦殿に対して不実。ましてそれが荊州の未来に関わる事であるならば、こちらは気を使ったつもりでも蔑ろにされたと感じられるのでは?」


「……確かに、おっしゃる通り。私が間違っておりました。では張飛殿、趙雲殿。劉琦殿にお声をかけていただけますか?」


「御意」


 劉備の提案だけでも意外だったのに、張飛が驚く程すんなりと諸葛亮の言葉に従った事も魯粛には奇妙に見えた。


 何かあるな。ワシが知らんだけで劉琦には舌戦の才能でもあるのか?


 魯粛は警戒を強めたが、まったく予想外のところから諸葛亮の狙いが分かった。


「……お見苦しい姿を晒して、申し訳ない」


 張飛と趙雲に支えられてやってきた劉琦は、まったく予想もしていなかったほどの衰弱した重病人だった。


 本来であればこの場でもっとも若い人物であるはずなのだが、そのやつれ衰えた姿はまるで老人の様で、とても二十代の若者には見えない。


 声にも張りが無く、かつて黄祖との戦いの時、突如として黄祖の後釜として現れて江夏城を守り通した人物とは結びつかない姿だった。


「周喩大都督、荊州奪還は我が悲願。厚かましいお願いである事は重々承知しておりますが、何卒ご助力を賜りたく……」


 劉琦は息も絶え絶えに、それでも縋る様に周喩に向かって言う。


「分かりました、劉琦殿。まずは病を治す事に専念して下さい。所領については、また後日詳しくお話する事に致しましょう」


「誠に、誠に申し訳ない」


 劉琦は何度も頭を下げながら、張飛と趙雲に連れられて部屋を去っていく。


 魯粛は商人であった頃から弱者を演じて人を騙す輩を見てきたが、その魯粛から見ても今の劉琦が騙す為の演技をしていた様には見えなかった。


 と言うより、余命幾許よめいいくばくも無いのは明らかである。


 持って半年。早ければ三ヶ月もその命を永らえる事は出来ないだろう、と言うのが魯粛の見立てであった。


「大都督、我々は決して大都督をケムに巻く為にこの様な事を言っている訳ではなく、先ほどご本人も仰せられた様に劉琦殿の悲願の為にも荊州を掌中に収めようとしているのです」


「その事は十分に理解しました。ですが、我々に対する返済と言うところでは、まだ何も解決の糸口は見えていません。またその貸し借りの話に関して言うのであれば劉琦殿とは無縁の話。むしろ劉琦殿の安静の為にも解決を急ぐべきなのでは?」


 周喩は容赦なく諸葛亮に尋ねる。


「もし劉琦殿が回復されるのであれば、当然そうします。あるいは、その余命が五年あれば我々とて悩みませんでした。ですが、医師の話では劉琦殿の病状は既に手に負える状態に無く、明日をも知れぬと言う事。せめて劉琦殿ご存命の間だけでも、この様な問題はお耳に入れない様にしたいのですが」


「……分かりました。それではこちらが譲歩致しましょう」


 周喩の方が折れて、この話は終了となった。




 これは折れるしかないと魯粛も思うのだが、それより魯粛が強く感じたのは劉備と諸葛亮の恐ろしさだった。


 いかにも劉琦の為、と言う素振りは見せているが実際のところは劉琦の為などとは毛ほども考えていないだろう。


 それどことか、余命幾許も無い重病人の命を盾にこちらに譲歩を迫ってきたのは、非人道的な行いであったとさえ言える。


 そのはずなのだが、劉備と諸葛亮からはそう言う印象を受けない。


 まったく本心からの言葉に見えるし、思えたのだ。


 あやつら、もしかするともっとも仁義や信頼、忠道などとは縁遠い輩なのかもしれん。


 孫権軍の中では劉備に近しいと自負する魯粛であったが、その魯粛であっても劉備に近づいたのは失策だったのではないかと不安に感じてしまう。


 敵視している周喩であれば尚の事だろう、と心配になるのだが、少なくとも周喩はこの時にはその事を口にする事無く、諸葛亮の提案を受け入れたのであった。

劉琦と言う人


コーエー三国志で言うなら、わざわざ切るまでもないのでいつの間にか自軍に加わり、任地もどこか分からない様なところで兵糧運んでくる人みたいな扱いで、正直なところいてもいなくても分からないレベルの人です。

演義でもそれに近い扱いなのですが、登場初期は泣き言ばかり言っていたのに最期の見せ場となる今回の件では命懸けで劉備の為に働いてます。


演義では劉備が主人公として書かれているので今回の事は劉琦の男気の表れとして扱われてますが、見方を変えると劉備と孔明のエグいくらいに自分の都合しか考えていない策に利用されただけにも見えます。


弟の劉琮と仲が悪かった訳では無かったみたいなので、袁紹のところや二宮事件と違って劉表がズバッと後継を劉琦に決めていれば案外荊州はもう少しもつれていたのかもしれません。


たらればの話ですけどね。

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