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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第三章 天下遼遠にして
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第四話 劉備をどうする?

「公瑾! 大丈夫か!」


「大丈夫、とは言えませんが、生きていますよ」


 建業に帰ってきた周喩を、魯粛が迎えたがそれは凱旋を祝う様な雰囲気ではなかった。


 曹操軍に勝利したのは事実なのだが、南郡の城は劉備軍に奪い取られていた。


 だが、その事より深刻なのは周喩の負傷である。


 かすり傷程度であれば何ら問題ではないのだが、流れ矢とも言うべき一矢は命に関わる様な傷を負わせ、その後の落馬でも腕と肩を痛めている事を隠して前線で指揮を取っていた事もあって、そちらも悪化しているらしい。


 しかし当の周喩は周りの慌てふためく様子を静かに、笑みすら浮かべて眺めている。


 まるでこちらが周喩からからかわれているのかと思うほど、本人は落ち着き払っていた。


 魯粛は今回の戦に参加こそしていなかったが、報告を受けているので結果は知っている。


 それだけに医師団を集めて待機していたのだが、報告の方が間違っていたのかもと思わされてしまう。


 もし報告が程普からでなく呂蒙からであれば、逆に叱りつけていたかもしれない。


 それでも周喩自身は泰然自若としていたとしても、ただでさえ色白な顔色からは血の気が失せ、並大抵の事では動じる事の無い胆力を持っている呂蒙が常に周喩を気遣っているのは、やはり報告の通りか、あるいは報告で受けた以上に状態が悪いと言う事も考えられる。


「とにかく、じゃ。ワシが医師団は準備しておるから、公瑾は今すぐそちらに向かわせる」


「いえ、先に主君に報告を」


「たわけ! 報告はワシと程普、呂蒙で行うわい! お主は黙って医者に面倒を診てもらえ! これ以上ワガママを言うのであれば、奥方を呼ぶぞ? 息子と娘も枕元に呼びつけるぞ?」


「……分かりました。安静にしていますよ」


 周喩は苦笑いしながら、魯粛の提案を受け入れる。


 あの血の気の多い奥方と、幼子である息子、生まれて間もない娘がすぐそばにいては休まるものも休まらないと言う事は周喩も理解しているようだ。


 周喩は家庭でも良き父親である事は間違い無いのだが、今はそれ以上に重傷者である事を自覚してもらわなければならない。


「主君とお主には代わりになる者はおらんのじゃ。自分の身を少しは大切にしてもらわんと困るぞ」


「……それは困りますね」


 周喩はそう呟いた後、ポンと魯粛の肩を叩く。


「では、今、この時より貴方が大都督代理として劉備軍に真意を問いただしてきて下さい。全責任は私が負いますので、頼みましたよ」


「……何?」


「ああ、それから。私が復帰した後には、貴方には副都督として私を補佐していただきますので、頼みましたよ」


「お、おい、ちょっと待て、公瑾」


「では、医者の世話になってきましょうか」


 静止する魯粛をよそに、周喩は馬に乗ったまま待機させていた医師団の方へ向かう。


「お、おい、待たんか、公瑾!」


 追おうとして魯粛だったが、程普に遮られる。


「程普殿、貴殿が副都督であろうに」


「今では貴殿が副都督で、大都督代理である、魯粛殿」


 程普の言葉に、魯粛は眉を寄せる。


「良いのか? 貴殿の役職であろうに」


「大都督の意向である。無論、そこには多大な責任も生じるが、その権限が無ければ劉備や諸葛亮とは渡り合う事は出来ないだろう。それはそなたも分かっているのではないか?」


 程普に言われ、魯粛は言葉を飲み込む。


 戦とは必ずしも兵や軍をぶつけ合うものではなく、剣戟を必要としない戦も存在する。


 戦場では周喩が、戦場の外では魯粛が劉備軍と戦うと言う役割を担うと言う事になる。


「……ワシにも戦場に出ろと言っておるわけじゃな」


「大都督から期待されているのだよ。その役割は年長者であり先代の臣であった私ではなく、当代の臣である貴殿や大都督にこそ相応しいだろう」


 程普からもそう言われ、魯粛も覚悟を決める事になった。




 それらの事を孫権に報告すると、いつも気楽な態度である孫権の表情も険しくなった。


「ここまで露骨にやって来るとはな。劉備とは仁君では無かったのか?」


「人の評判とはそんなモンじゃ。劉備の実態はともかく、変革者である曹操への反動もあっての事。さらに言うなら、この乱世。劉備の非人道的とも言うべき背反行為も、おそらく江夏の民は諸葛亮の神的知略の賜物と見るじゃろうな」


 魯粛の言葉に、孫権はさらに不機嫌そうになる。


「いずれにしても、劉備と言う輩はエセ君子であるらしい。この様な輩にはいつまでも関わっていられますまい。いかがなさいますか?」


 張昭の問いに、孫権は考え込む。


「出来る事なら劉備のヤツを叩きのめしてやりたいところだが……」


「む? 何を考えておる? 劉備とは同盟を組んでおるのじゃし、今後もこの同盟は活かすべきじゃぞ?」


 魯粛は当然の様に答えるが、さすがにその言葉には文官武官を問わず全員が反対する。


「何を言っている! 裏切っているのは劉備ではないか! これで同盟だと? 我らがそこまで卑屈になる必要など無い!」


 呂範が強く反対する。


「小さい城の一つや二つ、意に介する必要などなかろうに」


「南郡の城が小さい城だと?」


「小さい、小さい。南郡の城など話にもならん。むしろこちらからヤツらに南郡の城を与えてやっても良かろうて」


「魯粛殿、さすがにそれは我らも納得出来かねますが」


 呂蒙も魯粛に向かって言う。


「南郡の城は我らが労して曹仁を打ち破ったからこそ、我らの手中に収めるべき城でしょう。盗人を認める必要などありますまい」


「皆、城に目が向きすぎておるのう」


 呂蒙や呂範の反論にあいながらも、魯粛はまったく気にした様子も見せない。


「考えてみよ。今、ワシらが南郡の城を劉備からもぎ取ったとしよう。無論、戦えば勝てる。じゃが、あの関羽、張飛、趙雲と野戦で戦って被害が軽微で済むと思うか? 曹仁が弱いなどとは思わぬが、攻撃力だけで言うならば曹仁より上じゃぞ?」


 そう言われては、呂蒙も引き下がる。


 戦術だけの話をするのであれば、確かに最終的に劉備軍に勝利する事は出来るだろうが、劉備軍と孫権軍が満身創痍になったところで、満を持して曹操軍が、そしておそらく曹仁が大軍を率いて襄陽から改めて南下してくる事だろう。


 では戦略面ではどうかと言うと、これもまた劉備軍から南郡の城を奪い取ると言うのは良策とは言えない。


 曹仁軍を破ったのは孫権軍である事は事実であり、南郡の城を改めて孫権軍が奪い取った場合には曹操軍からの報復を呼び込む事になる。


 そうなった時に孫権軍は劉備軍の援軍は期待出来ず、単軍にて曹操軍との戦いを強いられる事になる。


 仮に曹操軍を撃退したとしてもその後、余力がなくなったところを見計らって、改めて劉備軍が南郡の城を奪い取りに来るだろう。


 その時には劉備軍の被害はほぼ皆無であり、孫権軍は曹操、劉備との連戦で疲弊する事になる。


 劉備はその弱った状態の孫権軍に対して、優位な条件でのうのうと同盟を持ちかけてくる。


 その時には孫権軍には余力が無いのだから、いかに屈辱的な内容であってもその同盟を受ける必要があるのだ。


 諸葛亮は、ここまで見越して一見して暴挙に見える行動を取ってきたと言うのか。恐ろしいヤツじゃな。


 周りに説明しながらも、魯粛は改めて諸葛亮の恐ろしさを感じていた。


「もう一つ大きな問題なのじゃが、戦う相手が劉備であれ曹操であれ、公瑾抜きで戦う事になるぞ?」


 その一言は、周囲を黙らせるには十分だった。


 周喩は軍略においては言うに及ばずの、孫権軍随一の名将であり自身の武勇も並みの武将では相手にならないほどである。


 それ以上に、孫権軍の精神的支柱としての周喩の存在はあまりに大きく、その周喩無しで劉備や曹操と言った難敵と戦う事になる不安は現時点において解消させる方法が無い。


「で? 俺はこのまま尻尾を丸めていれば良いのか?」


 孫権は苛立ちを隠そうともせず、魯粛を睨みながら尋ねる。


「そんなワケが無かろうが。ワシとて腸が煮えくり返る思いは同じじゃ。じゃがの、感情に任せて動いてどうする? そう言うのは、劉備軍の張飛辺りに任せておけ。どうしても感情を発散させたいと言うのであれば、軍を動かすのではなく師父と殴り合いでもすれば良かろう。今は公瑾の回復と起きてしまった状況を利用する事を考えるべきじゃろう?」


「……儂を巻き込むな」


 張昭はまったく違う理由から、苦々しい表情で呟く。


「大都督より直々に新たに大都督代理で副都督に任じられた以上、ワシとて期待に応える為に尽力しようではないか」


「……あん? お前が副都督だと? 俺は聞いてないが?」


「うむ、言っておらんかったからのう。と言うより、ついさっき大都督から直接伝えられたばかりじゃからのう」


「俺が任じた副都督はそれで良いのか?」


 孫権は程普に尋ねる。


「戦略の話であれば、私も大都督の案に賛成です。私個人の意見であれば、上位の者には例え僅かな差であったとしても優秀な者が就くべきであると考えております。私と魯子敬では、比べるまでも無い事でしょう」


 黄蓋であれば例え相手が甘寧や凌統であっても自らが劣るなどと認める事は無いだろうが、程普はすんなりと引き下がった。


「ああ、分かった。では魯粛を副都督として、劉備への使者の任を与える。その補佐は諸葛瑾が行うが良い。そなたの弟が原因の一つなのだからな」


 孫権の機嫌は治らなかったが、それでも感情だけで戦略を滞らせる様な事はしなかった。


「お互い、難儀な事になったのう」


「微力を尽くします」


 魯粛に言われ、諸葛瑾は困りきった表情ではあったものの、それでもその重責から逃げようとはしなかった。

劉備の処遇


この辺から、孫権軍に急激に嫌劉備の空気が広がってきます。

演義では嫌われる原因を作っているので言うに及ばずですが、正史でも南郡の城に劉備をとどまらせると主張したのは魯粛くらいで、周喩や呂範からは反対されています。

結果論で言うのであれば、魯粛の失策だったとも言えますし、孫権もずっと

「アレは魯粛のやらかしだった」

と語っているくらいです。


ただ、魯粛が病に倒れなかった場合には劉備や孔明先生と孫権軍との関係は違ったモノになっていたはずなので、ひょっとすると何かしらの狙いがあったのだろうと思います。


まぁ、魯粛がどういう大略を持っていたとしても、エセ君子である劉備や歪んだ天才である孔明先生が自分のワガママを押し通したであろう事は予想出来ますけど。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です 孫権や周瑜、魯粛らが全く失念していた荊州太守の正統性を劉備や諸葛亮が保持していた。 病弱だが、劉琦という存在。 これを利用して劉備は地盤を得た。 まず手始めに、馬良を登用し…
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