第二章最終話 両雄、並び立たず
「急を要するのは山越じゃな。甘寧らを向かわせるか?」
魯粛はそう提案したが、周喩は首を振る。
「敵を徹底的に倒して屈服させると言うのであればそれも良いでしょうが、山越全てを敵に回すのは得策とは言えません。なので、敵と味方を選別し、戦う相手を減らす事にしましょう」
周喩はそう言うと、腕を組んで考え込む。
「子布に殴ってもらうのが一番じゃないか?」
「それも面白そうなのですが、最適な人材とは言えませんね。それに張昭殿には内側に目を光らせていただく必要がありますので」
「確かに、子布が睨みを効かせているから組織としての芯が通るってのはあるのう」
「なので、陸遜を派遣しようと思ってます」
「はぁ?」
周喩の人選に、魯粛は思わず声を上げる。
「資質は認めるが、いくらなんでも若すぎるじゃろう?」
「だからこそですよ」
周喩は当然の様に言う。
「先入観の無い方が良いでしょうし、敵対する者はこちらを侮るでしょうが、敵対したくないと思う者はこちらから理不尽な態度を取らない限り、手を差し伸べてくるものです」
「とはいえ、体面と言うモノもあるじゃろう」
「もちろん陸遜は派遣しますが、総大将とする訳ではなく、参謀の一人として経験を積ませると言う意味合いもあります。武将は賀斉がいれば事足りるでしょう」
「賀斉、か」
賀斉は孫策から見出された人物の一人で、山越に限らず反乱分子の鎮圧を引き受けていた武将である。
が、非常にクセの強い人物で、勇猛で有能な人物である事は間違い無いのだがとにかく派手好きで、呂範と並べると目が痛むほど煌びやかになる。
また部隊にも華美な装飾を施している事もあって、どこにいても賀斉の部隊は見つける事が出来るほどであった。
「まぁ、山越との戦いに慣れていると言う点を見ても、その人選じゃろうな」
通常であれば辺境任務に就いている賀斉だったが、今回は総力戦で本拠点が手薄になる事から急遽留守部隊として呼ばれていた事もあり、すぐに出頭に応じられた。
「賀斉です。大都督直々にお呼び出しとは、いかな要件でしょうか」
言葉使いはしっかりしているものの、その見た目は少々どころではなく問題がありそうな姿で現れた。
戦場でならば甘寧の雉飾りも大概目立つし、私生活の呂範も少々正気を疑うところはあるのだが、賀斉は公務で大都督の前に呼ばれたと言うのに異様とも言うべき服装で現れた。
紫こそ使っていないところには最低限の配慮はされている様だが、色とり取りの布を使いさらにそれを染め直している事から形容し難い色彩になっている。
それだけではなく、もう一つ、と言うよりもう一人妙に気になる目を引く人物が着いて来ていた。
並外れた体格を持つ若い男で、見るからに武将と言うのは分かる。
のだが、何故か賀斉の後ろに隠れる様に身を縮めている。
賀斉も決して小さいとは言えないのだが、若いとはいえそれなりに体格の良い男性を隠せるほどの大男と言う訳ではない。
この男を隠そうとすると、張昭くらいでなければならないだろう。
「まずワシから良いか? 誰じゃソイツは」
魯粛が賀斉の後ろに隠れようとしている大男を差して尋ねる。
「見込みがあったので、大都督に紹介しておこうと思いまして」
「……見込み?」
体格は悪く無いのだが、身内にここまで怯えていては戦場に出る事など出来そうに無い。
それでは見込みも何も無さそうである。
「今はこんな感じですが、訓練の場では周泰、谷利にも打ち勝ち、あの太史慈殿からも一本取ったほどの腕前」
「ほう、それは大したものですね」
周喩も頷くのだが、何に怯えているのか大男は前に出てこようとしない。
「じゃが、太史慈ならともかく公瑾に怯えておる様では戦に出せんじゃろう。戦場では太史慈の様な敵はおっても公瑾の様な男前はまずおらんからのう。で、何者じゃ?」
「留賛、自分で名乗れ」
賀斉から背中を押されるが、大男の方は首を振って隠れ続けている。
と言うより、今、賀斉が名前呼んだよな? 留賛と言うのか。
「潜在能力は間違いなくあるのですが、この通りなので戦場に引っ張って行こうと思いまして。俺を呼ばれたと言う事は、戦場に行くと言う事ですよね?」
「察しがよくて助かります」
周喩が山越との戦いに賀斉を派遣する事を伝えると、賀斉は戦況も聞かずに二つ返事で引き受けた。
「が、コヤツじゃな。今のまま戦場に連れて行くのはまったく役に立たんじゃろう。潜在能力があると言うのであれば、尚の事ここで失うのは惜しいからのう」
「確かに。太史慈から一本取れる武将は貴重ですからね」
魯粛と周喩に目を向けられ、留賛は大きな体をさらに縮こませる。
「……歌でも歌ったらどうじゃ?」
「歌?」
魯粛の突拍子も無い提案に、賀斉は首を傾げる。
「うむ。朗々と歌えば気も大きくなるじゃろ? 何なら率いる部隊全員で歌ってみるのも面白いじゃろ? 少なくとも気は紛れるからのう」
魯粛はこの時面白半分で提案したのだが、この後留賛は『歌う武将』としてこれより五十年の間戦場にて数多くの武勲を立てる事になるのだが、それはまた別の物語である。
山越対策への手配を済ませ、周喩と魯粛は劉備の元へ向かう事にした。
本来であれば劉備は江夏にいるはずなのだが、この時には劉備軍はすでに油江へ移動していると言う事だった。
「油江、ですか」
周喩は眉を寄せる。
「劉備か諸葛亮かは分かりませんが、どうやら荊州を奪うつもりらしいですね」
「……南郡、か?」
魯粛の質問に、周喩は頷く。
もし劉備が本当に曹操に対してのみ戦うつもりであるのならば、その軍は北に向かって備えるはずなのだが、油江は明らかに曹操軍の備えではない。
「じゃが、一応南郡にも曹操軍は駐屯しとるじゃろう?」
「本隊に備えず、分隊を警戒していると? 南郡を守る曹仁は確かに名将ではありますが、率いる軍は南郡の城を守る為の兵であり、江夏を攻めるほどの大軍が駐屯しているはずもありません。であれば油江に兵を置く理由など多くはありません」
「……確かにのう」
周喩の読みはさすがと言うほかないが、魯粛は不穏さを感じずにはいられなかった。
赤壁での戦いでもそうだったが、周喩はすでに劉備軍を『敵』として認識している。
天下二分の計、か。その軍略は伯符の異常な時勢を読む目と戦の才能有りきの軍略。仲謀の才覚はソレとは別と言う事くらい、公瑾には分かっていように。
そうは思うのだが、この時に魯粛は周喩に口出しする様な事はしなかった。
何より魯粛は周喩の才能を知っているし、信じている。
孫策とは違うが、孫権もまた孫策に引けを取らない異才の主である。
それに撃退したとはいえ、曹操の勢力は未だ健在であり強大で、劉備などと争っている場合ではないと言う事も周喩であれば分かるはずだ、と。
じゃが、同じく諸葛亮もこちらを『敵』と認識している恐れもある。
聞けば諸葛亮も天下三分を掲げているらしいので、諸葛亮が孫権軍を『敵』と見なしているとは考えたくないのだが、楽観出来る様な状況ではない。
こちらを『敵』と認識していなかったとしても、諸葛亮は主導権を握る為にもこちらと敵対する事も辞さないだろう。
こちらを窮地に陥れ、優位に立ってから改めて同盟を結ぶつもりと言うのは十分過ぎるほどに考えられる。
いや、間違いなくそのつもりじゃろうな。
諸葛亮は最初に来た時からそうだった。
これはすんなり行くとは思えんのう。
不安を抱えながら周喩と魯粛は油江の城に向かう。
こちらの来訪は伝えていたので、案内役として孫乾が城門の前で待っていた。
「本日はこちらからの申し出を聞き入れていただき、ありがとうございます。祝勝の品も持参しましたので、是非劉備殿への土産の品々です」
「わざわざ御足労いただいただけでなく、その様な品々まで。こちらから訪ねるべきところに足を運んでいただいただけでも恐縮ですのに。どうぞ、私が案内させていただきます」
孫乾の案内に従って城を進むと、劉備と諸葛亮と趙雲が出迎えた。
関羽と張飛がいないと言う事は、少なくとも話し合いに応じるつもりはある、と言う事じゃろうな。
当初は和やかに祝勝会が始められたと思ったのだが、
「曹操を取り逃したそうですね」
と、周喩がいきなり切り出したので、空気が張り詰める事になった。
「まんまと逃げられました。そこはさすが曹操と言う感じですね」
劉備はニコニコと笑いながら言う。
「逃げられた? 逃がしたの間違いでは?」
「どちらでも同じ事ですよ。今、曹操が生きていると言う事に違いはありませんからね」
とんでもない事を劉備はさらりと言ってのける。
「逃がした、と言う点でならばそちらも同じ事なのでは?」
「まんまと逃げられました。さすが曹操と言ったところですね」
諸葛亮は反撃してきたが、周喩はさらりと受け流す。
「そちらが意図的に曹操を逃がし、我々に討たせるつもりだったのでしょう?」
「まさか、そこまで器用ではありません。が、もしそうだったとして、何か問題が?」
周喩は首を傾げると、諸葛亮は苦笑いして頷くもののそれ以上の追求はしなかった。
ほう、一本取ったか。さすがは公瑾じゃな。
劉備の言葉尻に乗った事も、諸葛亮の反撃を封じる手助けになっているのも、見ている魯粛にとっては面白いところだった。
「この油江に兵を置いていると言う事は、劉備殿の狙いは南郡と言う事でしょうか?」
「私と言うより、そちらの狙いが南郡ではないかと思いまして。その手助けが出来ればと思って、兵をいつでも動員出来る様に準備しているに過ぎません」
劉備はにこやかに答える。
妙に劉備らしくない、柔和で誠実な対応に魯粛は眉を寄せる。
これは何か仕込んでおるな。
「曹操軍を荊州から追い払う、と言っても北部の曹操軍はともかく南部からは南郡の城さえ落としてしまえば分断出来ます。もし孫権軍が興味が無いと言うのであれば、我ら劉備軍こそが天敵曹操を打ち倒そうと思っておりました」
「あまり無理をなさりませんよう。劉備軍の規模では南郡を守る曹仁将軍を打ち破るのは手に余るでしょう。ここは孫権軍に任せ、劉備軍には江夏にて自軍強化と防衛に勤めていただきたい」
諸葛亮の申し出を、周喩は笑って拒否する。
「では、もし孫権軍の手に負えないと言う場合には、我ら劉備軍も参戦させていただきます」
「ほう、我らでは曹仁に勝てぬと?」
諸葛亮が得意の挑発で来ると、周喩は眉を寄せる。
「先の戦いを思い返してみて下さい。私達は全身全霊で挑んだにも関わらず、曹操は私達の一手先を行っていました。南郡を守る曹仁は確かに曹操よりは劣るところもありますが、それすら曹操の企みである可能性は否定出来ません。ゆめゆめ油断なさいません様に」
おそらく諸葛亮は本心から心配しての言葉なのだろうが、今の状況では挑発している様にしか聞こえない。
「心配ご無用。もし我らの手に負えないと言う状況には、随時参戦して下さい」
この時の言葉は、本来であれば買い言葉にすらならない、ただはぐらかす為の言葉であった。
だが、この一言が両雄にとって引き返す事の出来ない事態を招いた言葉となった。
歌う武将、留賛
スペシャルゲストですので、今後登場する事は(おそらく)無いです。
活躍は鄧艾伝の方でありますので、面白爺さんに興味があったら是非そちらを覗いていただければと思います。
ちなみに留賛の件は完全に創作設定で、若い頃から剛毅な性格で足を怪我してもリハビリを頑張って歩けるようになったと言う話を聞いて、凌統に見出されたみたいです。
ただ剛直に過ぎる性格だったみたいで、孫権からはあまり好まれてなかったとか。
何故歌う様になったのかは不明ですが、普通に考えて歌いながら戦う部隊とか怖すぎる一団が出来上がったのは正史にも残っています。
賀斉は演義には登場しない派手好きな武将で、赤壁にも合肥にも参加する事無く辺境で戦いまくっていた人物みたいです。
しかも案外文武両道だったみたいで、この方が辺境警備にいたから劉備や曹操と戦えたとも言えるくらいに大きな存在だったのかも。
若かりし頃の陸遜とも一緒に戦っていますが、やはり主戦場が辺境だったので演義には登場させてもらえなかったのでしょう。
ちなみに呂範と同じ派手好きな浪費家だったみたいで、質素堅実を元とする孫権軍の中では鼻つまみ者だったようです。
演義では脇役扱いの孫呉ですが、面白武将の質は曹操軍や劉備軍と比べても遜色ない人材が揃ってます。