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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く

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第三十話 動く戦局

「いよいよじゃの、公瑾」


 その日の朝は、ここ数日で一番強い北風が吹き荒れていた。


「万が一にも負ける事など許されない決戦なのですが、天はご機嫌斜めの様子。幸先の良い朝とは言えなさそうですね」


 周喩は穏やかな口調で苦笑いする。


 諸葛亮は今夜には南風を呼ぶと大言壮語していたが、その神頼みに縋るのはさすがに無謀であると思わざるを得ない。


「さて、軍議といきましょうか」


「うむ、間者連中も楽にしてやらんとのう」


 そんな話をしながら、軍議の場に向かう。


 そこにはすでに孫権軍の精鋭たちが揃っていた。


「軍議を始める前に、皆に謝罪せねばならない」


 周喩は堂々と切り出す。


「大江とはいえ、川を挟んで敵の大軍を前に手をこまねく事数ヶ月。我が方有利と主に言っておきながら、対岸の敵を眺めるばかり。自らの無能非才を嘆いても始まらないとはいえ、皆には余計な苦労をかけた」


 周喩は深々と頭を下げる。


「中でも苦労をかけた者、蔡和、蔡仲、前へ。並びに黄蓋と甘寧も続くが良い」


 周喩に呼び出され、蔡和と蔡仲は黄蓋と甘寧から引き出される様な形で、前に引っ張られてくる。


 呼ばれた当人達は、何故自分達が名指しで呼び出されたのか分かっていない様に狼狽えていた。


「二人共、これまでの間者働きご苦労であった。曹操がそなたらにどれだけの期待をしていたかは知る由も無く、またそなたらの報告が曹操の軍略にどれだけの影響を与えたのかも分からないとはいえ、そなたらはこれまで我が軍の詳細を曹操に伝えてくれていた事だろう。その苦労も、今日この時まで」


「だ、大都督、一体何の事で?」


 蔡和は慌てて身振り手振りを交えて言葉を出そうとするのだが、慌てた雰囲気だけは伝わってくるものの肝心の言葉が出てこない。


「分かっています。これ以上の問答は不要でしょう。ご苦労様でした、と伝えておきます」


 周喩はそう言って手を振ると、甘寧と黄蓋は瞬時に剣を抜き放ち、蔡和と蔡仲を切り捨てた。


「黄蓋将軍、これまでの数々の非礼、心の底から謝罪致します」


「言葉での謝罪など不要。大都督たる者であれば、言葉ではなく戦の勝利こそ望まれている事を自覚されよ」


「心しております。この主の宝剣にかけて」


 黄蓋の言葉に、周喩は剣を抜いて掲げる。


「今夜、決戦となります。同盟軍の軍師は今夜から風向きが変わると言っていましたが、この周喩、神頼みの軍略などに命運を賭けるつもりはない。黄蓋将軍、先日の苦肉の策によって曹操は貴将の投降を待っている事でしょう。故に将軍を先鋒とし、この戦の口火を切っていただく。異論は?」


「元よりそのつもり」


「将軍が臆する様な事があれば、この軍だけではなく主君すら窮地に立たされるのもお分かりですか?」


「それについて一つ、大都督に具申したい事があります」


「なんなりと」


「この黄蓋、戦場で命を惜しむ事など有り得ないが、もしこの老骨と共に散るを良しとする酔狂がいるならば、その者らの残された家族については……」


「心配ご無用。参謀に魯粛をつけているのはその為なのですから」


 周喩の言葉に、魯粛は頷く。


 こういう話は、何も孫権軍に限った話では無い。


 幸いな事に魯粛の家柄は元々商売に成功した富豪であり魯粛自身にも商才があって裕福、周喩は二代に渡って三公を出した超名門だが、誰しもが例外なくそんな家柄に生まれると言う訳ではない。


 例えば才覚は十分過ぎるほどだが、周泰や闞沢などはその日暮しすら苦しいほどの貧家の生まれであった。


 そんな彼らにも幸運なところはあった。


 人並み外れた才覚を持って生まれた事と、それを活かす場を与えてくれる人物と出会った事である。


 それらの幸運を持たずに生まれた者達は、家庭の事情で「口減らし」の対象にもなる。


 甘寧の拠点でも同じ様な事があった。


 酔った甘寧に切られ、その恩賞を目当てとした者達の存在。


 黄蓋に同行する兵士達は、まず生きて帰れない死兵である。


 最初から死ぬ事を前提としているのだから、誰もが嫌がって動かないのかと言えば、実はその恩賞目当てで参加を希望する兵士は案外少なくない。


 その恩賞を用意し手配するのが、魯粛の役割の一つでもあった。


「連環の計は正面からのぶつかり合いに強く、その戦い方では万に一つも勝目は無いだろう。だが、それほどの超巨大船ともなれば小回りが利かなくなると言う致命的な弱点もある。故に凌統、甘寧を右翼、蒋欽、陳武を左翼として両翼を伸ばし、連環によって繋がれた船の後方に回って火を点ける。これによって風向きなど関係なく、曹操の水軍は長江に沈む事になるだろう!」


 周喩が堂々と宣言する事によって士気は高まるが、実は全滅するかさせるかと言うイチかバチかの賭けでもある事を魯粛は気付いたが口にはしなかった。


 問題点や危険となる箇所をあげつらう事、それ自体は誰もが認める天才軍略家である周喩の策であったとしてもさほど難しい事では無い。


 では、その代わりにどうすれば良いかと言う代案を出すとなると至難である。


 むしろこの戦力差を覆す可能性のある策を、周喩の出した案以外に何か出せる者がいるだろうかとすら思える。


 そんな代案も出さずにこの策はここが危険だ、もし失敗したらどう責任を取るつもりだ、などと言って無駄な時間を使い士気を挫く事を嫌ったのである。


「出陣は日暮れ! 夜の長江だが曹操水軍を焼く炎で昼にも劣らぬ様に煌々と照らそうぞ!」


 周喩自身もこの策の成功率が決して高くない事を自覚しているからこそ、らしくもなく強い言葉で味方を焚きつけようとしている。


 せめて風向きさえ違っていれば。


 吹きすさぶ北風を感じながら、ついそんな事を考えてしまう。


 魯粛がそんな事を考えているのだから周喩が考えないはずは無いのだが、周喩はそんなところはまったく表に出さず、これまでの狭量短気な素振りさえも完全に打ち消していつもの冷静優美な振る舞いである。


 周喩は細かく武将達に配置や役割を説明していく。


 その中で魯粛は後方支援となった。


 ほぼ全ての兵力を動員するのだから、後方支援もほぼ名目だけであり支援するべき物資もほとんど残らない事になる。


 つまり勝った時の祝勝会と兵の恩賞の準備と手配、負けた場合の橋渡しを考えろと言う事じゃな。案外人使いの荒いヤツじゃな。


「……呂蒙はどうした?」


 周喩の副将であり、間者を間引いたのだから隠す必要も無くなったはずの呂蒙の姿が見えない事に、魯粛はふと疑問を持った。


「呂蒙にはすでに別動してもらっています。ある意味ではこの戦の決定打にもなりかねない大事な働きですので、秘密裏に動かしました」


「ほう、アヤツもそこまでの人物になったか、大したものじゃ」


 魯粛は周喩の策に全幅の信頼を置いている事もあって、詳しく聞こうとはしなかった。




 その呂蒙は手勢を連れて、諸葛亮が儀式を行っているはずの祭壇を目指していた。


 当然の事ではあるのだが、兵士達は呂蒙の本当の任務を知らない。


「呂蒙将軍、諸葛亮は龍神の力を得ていると言うのは本当でしょうか?」


 兵の一人が呂蒙に尋ねてくる。


「龍神? 初耳だが、どこでそんな話を?」


「劉備軍の兵士達がそんな事を言っていましたので」


 尋ねてきた兵士だけではなく、小隊の数名は同じ様な表情をしている。


「龍神か。俺は見た事は無いが、誰か龍を見た事がある者はいるか?」


 呂蒙が尋ねると、全員が首を振る。


「これは大都督のお言葉なのだが、もしその様な力を持っていたとすれば、この同盟は必要だっただろうか? 龍を呼び、空から雷を降らせる事が出来るのであればそもそも戦の必要も無いし、真っ先に曹操を狙いそうなものだと思うのだが?」


 実は呂蒙自身その噂を聞いた事が有り、その時には不安を感じたのは事実だが周喩が一笑に付した事もあって、今では信じていない。


 また、兵に説明する事で諸葛亮の小細工とも言うべき詐術も知る事が出来た。


 そんな大それた力があるのであれば、長坂の惨劇は未然に防げたはず。


 それどころかより理不尽な惨状を曹操軍に引き起こせたはずであり、劉備は江夏どころか洛陽にて漢王朝を復興させているはずなのだ。


 それが出来ないのは、最初からそんな力など存在しないと考えるのがもっとも自然な事である。


「諸葛亮殿に直接尋ねてみるのも面白そうじゃないか」


 呂蒙は笑いながら言って、兵士達の緊張をほぐす。


 今回の任務は、あくまでも諸葛亮を迎えに来たと言う事になっているのだから、変に緊張させる必要もない。


 しかし、兵士達がすでに諸葛亮に対して少なからず恐怖を抱いている事に、呂蒙は驚いていた。


 この様子では、今後劉備軍と敵対した場合にまともに戦う事が出来るのだろうか。それ以前に、この任務が諸葛亮の暗殺と知った場合に、恐れをなして逃げ出したりしないだろうか。


 そんな不安を抱きながら呂蒙は祭壇付近に到着したのだが、そこにはすでに諸葛亮の姿は無く、数人の工夫が祭壇の解体を行っているところだった。


「諸葛亮軍師はどうされたのだ? まだ儀式の途中では無いのか?」


 呂蒙が工夫の一人に尋ねる。


「へえ、それが予定より早く終わったらしく、つい今しがた山を下りると言って行ってしまわれまして」


「今しがた、だと? どれくらい前だ?」


「どれくらいも何も、ほんのついさっきですよ。半時も経っていないのでは? 将軍、すれ違ったりはしなかったですか?」


 工夫は不思議そうに首を傾げている。


「すぐに追うぞ! どこへ向かって行った?」


「あちらですが……」


 呂蒙の剣幕は予想外だったらしく、工夫は慌てて諸葛亮が去っていった方向を指差している。


「皆の者、ついて来い!」


 呂蒙が走り出したので、兵士達は慌てて呂蒙について行く。


 逃げたと言う事は、周喩が危惧していた通り諸葛亮の儀式はこちらに不安を植え付けるだけの詐術であり、先主が命をかけて否定した呪術の存在を、孫権軍に植え付ける事が目的の敵対行動である。


 兵士の反応を見る限りでは、その効果はすでに現れ始めている。


 これ以上野放しには出来ないと、呂蒙は判断したのだ。


 呂蒙が率いる騎馬隊は全力疾走したのだが、それでも諸葛亮を見つけた時には船の上で川を渡り江夏に向かおうとしているところであり、もはや矢も届かないところにいた。


「諸葛亮殿! 一度陣にお戻り下さい! 一緒に戦勝を祝いましょうと大都督もおっしゃっております!」


 呂蒙は大声で諸葛亮に呼びかける。


 船には諸葛亮の他、その警護の為であろう趙雲の姿も見えた。


 仮に矢を射たとしても趙雲に守られていては、諸葛亮を射抜く事など不可能だろう。


「呂蒙殿! 戦勝の祝いは戦の後がよろしいでしょう! 大都督には私に構わず、目の前の事に集中する様にお伝え下さい!」


 諸葛亮は羽扇を振りながらそう応えた。


 まるで周喩を馬鹿にしているかの様な物言いに呂蒙は腹を立てたが、騎馬で追うにも追いつく事も出来ず、すぐに船を調達したとしてもその時には諸葛亮の小舟は視界に収める事も出来なくなっているだろう。


 大魚を取り逃したか……。


 呂蒙は離れていく諸葛亮を見送る事しか出来なかった。

蔡和と蔡仲について


演義の架空武将のサガと言うべきか、登場から退場までまったく良いところの無かった可哀想過ぎる二人です。

仕方ないと言えば仕方ないんです。

正史では蔡瑁死んでないし。

最初からそんな役割で生み出された二人なのですが、もし関羽と絡むイベントがあればもう少し良い扱いを受けられたかもしれません。


けど、多分最終的には甘寧に切られるんだろうな、とも思います。

こんな露骨な使い捨てキャラ、案外嫌いじゃないんですけど、やっぱりここでも良いとこナシで退場となりました。

蔡和&蔡仲、ごめんね。

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