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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く
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第二十七話 命懸けの推挙

「曹仁将軍、怪しい者を捕らえたので連れてまいりました」


「え? 怪しいのに連れてきちゃうんですか?」


 一般兵に扮している曹操が、曹仁に尋ねる。


「どこかの誰かが死んだふりして、消息不明になっていた事があってな。もしかしたらそうやって生き延びている者もいるかも知れないから、確認する事にしている」


「総大将は大変ですね」


 何故か曹操は他人事の様に笑っている。


「まあ良い。兵卒は隅っこで大人しくしていろ」


 曹仁は曹操を追い払うと、兵士に捕らえた者を連れてこさせた。


 見たところ年若い漁師の様な格好をしているが、日に焼けた様子も無くむしろ色白で外仕事の者には見えなかった。


「漁師を装ってはいるが、とてもそうは見えんな。貴様、何者だ?」


「孫権軍の書生で、闞沢と申します」


 この天幕には曹仁の他に現在は大都督であり相談役も担う于禁や、総攻撃に備える張遼ちょうりょう、軍師の程昱や兵卒の振りをしている曹操とその護衛である許褚などが集まっていた。


 中でも曹仁、于禁、張遼、許褚の武将組の武威は中々の圧力であるはずだが、闞沢と言う若い書生にはまったく怯んだ様子は見られない。


 人材豊富な曹操軍の文官の中でも、これほどの胆力を持つ者はさほど多くはない。


「曹仁将軍は、総大将代理と言う事でしたが、全ての権限は総大将と同じと考えて良いのでしょうか?」


 闞沢の質問に、曹仁は眉を寄せる。


「どう言う意味かな? 総大将が不在であれば代理に全権が委ねられるのは道理であろう?」


「では、総大将健在の場合、代理にはどれほどの権限が与えられているモノなのでしょうか。一つの案件に対しそれを総大将にお伺いを立てて、総大将の答えを持ち帰って伝えてもらえる訳ですね。つまり代理である以上、全権を持っていると言う肩書きを持つ伝書鳩であると考えて間違い無いと」


「口が過ぎるな。こちらを怒らせて総攻撃を早めさせるのが狙いか? それとも孫権軍では使者としての礼儀を教わらないのか?」


「こちらにとっても死活問題の案件を抱えていますので、一切の妥協は許されないのです。非礼は十分にお詫びいたしますが、こちらの事情も汲んで頂けると有難いです」


「死活問題? 降伏でもするつもりか?」


「さすが曹操軍の軍師殿。すでにご存知でしたか」


 皮肉で言ったつもりだった程昱だが、闞沢の返しに驚かされる。


「解せぬな。孫権からの降伏の申し出であるのならば、貴様如き一介の書生ではなく周喩が出向いてくるべき案件であろう。でまかせにしても大き過ぎて真実味を失っているぞ」


「曹操軍に人有りとは聞き及んでいますが、皆が先を見据える事に長けている為に思いのほか手近なところが見えていないご様子。私の抱えている案件はその手前、この戦の勝敗にございます」


 曹仁に凄まれようとも、闞沢は一切の恐れを見せず淀む事無く言い放つ。


「使者殿のご口上、突飛過ぎて学の無い俺には理解出来ないでいるのだが。具体的に使者殿はどの様な要件を持ってこられたのだ?」


 そう尋ねたのは張遼だったが、それは脅そうとも凄もうともせず、本当にただ不思議そうに尋ねている。


「本来であればそれを真っ先にお伝えすべきところなのは存じておりますが、これは秘中の秘。他の誰かに漏れ伝わる事だけは避けねばなりませんので、出来る事なら総大将である曹操殿に直接お伝えしたいと思い、この様な非礼を重ねる事になりました。それについては全面的にこちらに問題がありましたので、謝罪致します」


 そう言って頭を下げる闞沢だが、それでもまだ本題を口にする事はしない。


「この場にいる者達は、曹操軍内においても最上位の幹部のみ。そこを信用出来ないと言うのであれば、これ以上話す事も無い」


「その言葉に嘘偽りはございませんか? 曹操殿?」


 闞沢は真っ直ぐに兵卒姿の曹操の方を向いて尋ねる。


「丞相はそちらの卑怯極まりない不意打ちに合い、現在も長江を捜索しているところである。何を思ってその兵卒を丞相であるとのたまうのだ」


「先ほど将軍ご自身が言われたではありませんか。この場には曹操軍内において最上位の者しかいない、と。それに許褚将軍がこの場にいるのに、総大将代理である曹仁将軍ではなくあの兵卒姿のお方の前に立って護衛されている。一切の面識無くとも、その条件を満たされるお方は一人しかいない事くらい予測は立てられましょう」


「お見事。これ以上の死んだふりは無用な様ですね」


 曹操が頷いて言う。


「闞沢殿は確か、張紘先生の代筆で書状を書かれたお方でしたね。私が間違いなく、正真正銘の曹操です。人払いには応じられませんが、話を伺いましょう」


「先ほども申し上げた通り、この戦の勝敗に関わる案件です。今の孫権軍の最前線の様子たるや、大都督周喩の横暴によってまるで人無きが如し振る舞い。ついに横暴に耐えかねた黄蓋将軍が声を上げたのですが、それに対して周喩は棒打ちの刑に処し、それを諌めた甘寧や程普、呂蒙らの声も届かず辱めに合っています」


「なるほど、それでこちらに入り込み、本陣に火をかけようと言う事ですか。見事な苦肉の策ですね。黄蓋将軍には養生してくださいと伝えて下さい」


 曹操が策を看破して見せた為か、闞沢は笑い始める。


「おや、策が看破されたのがそれほど可笑しかったですか?」


「いや、失礼。曹操殿には全ての事象が策謀に見えるらしいと言う噂が、ここまで本当の事だったとは思わず、つい笑ってしまいました。お許しを」


「随分な非礼ですね。その首を晒して孫権に、いや、周喩に送る事にしましょうか」


「好きにすれば良いでしょう。私が笑ったのは我が父と尊敬する黄蓋将軍の人を見る目の無さを笑ったのです。将軍はあの董卓との戦いの時に貴方を見て、人の才を扱うに長けた人物でありその能力を正しく評価出来る者であると言われていましたが、黄蓋将軍の目が曇っていたのか、時の流れがそうさせたのか。いずれにしても事は発覚し、私の首はこの場で晒され、黄蓋将軍やそれに加担して下さった甘寧将軍や呂蒙将軍は周喩に切られ、怒り狂った周喩の水軍と長江で雌雄を決するがよろしいでしょう」


 闞沢は楽しげに笑いながら、自らの末路を口にする。


「つくづく大した胆力です。その懐には黄蓋将軍からの書状、おそらくはそれだけでなく蔡和と蔡仲からの書状もあるのでしょう? それらを一切使う事無く、自身の才覚のみで切り抜ける。そんな君が一介の書生とは、孫権は人の使い方を知らないのかな?」


「いえ、私程度では一介の書生しか務まらないほどに孫権軍の人材の密度が濃いのです。この戦の終結後には、必ずや丞相のお役に立てる者達も多く、私など取るに足らないと言う事も分かるはず」


 闞沢はそう言った後、曹操に書状を見せる。


 そこには周喩の横暴に辟易しているのは黄蓋だけではなく、程普や韓当と言った孫堅時代からの旧臣、先代孫策に心酔して参加したものの周喩には賛同していない者、川賊の一部などは武官としての経験と実績から大都督の周喩より黄蓋の側につく者も多い。


 だが、黄蓋は自身や程普、韓当などの年配組より、川賊など実力はあっても出自のせいで蔑まれている者や若く将来有望な者をこそ優遇して欲しい、と。


 そして何より、現主君である孫権を厚遇する事が前提条件である事が記されていた。


 もう一方の書状は蔡和と蔡仲からの敵状報告であり、そこには前線の状態の悪さが記され、黄蓋の書状と見比べてもおかしなところはなく、むしろ黄蓋や闞沢の言葉の裏付けにさえなっている。


「なるほど、この書状を見る限りでは私の見方が穿ち過ぎであると思い知らされますね。その上で一つ確認したいのですが、降伏の日時が記されていないのは?」


「その日時に合わせて行動していた場合、あの周喩や諸葛亮の目を誤魔化せると思いますか?」


「なるほど、それは確かにその通り。ですがこちらにも予定がありますので、降伏の日はこちらで決めさせていただきましょう」


 曹操が提案したのは、曹操が総攻撃を予定している日だった。


 もちろん闞沢はその事を知らず、蔡和と蔡仲も知らないのだからそこから漏れる事も無い。


「黄蓋将軍は打擲によって重傷を負われています。今しばらくの猶予はなりませんか?」


「戦に参加しろとは言いません。先程も申した様に、こちらにはこちらの事情と都合があるのです。降ると言うのであれば、こちらに従うのが筋ではありませんか?」


 口調は穏やかに聞こえるものの、そこには有無を言わせない迫力があった。


「分かりました。丞相の御意志に従いましょう。こちらから一つ伺ってもよろしいでしょうか?」


「なんなりと」


「丞相の元には綺羅星が如く人材が集まっているとお聞き致します。今この場におられる方々を見るに、それは紛れもない事実なのでしょう。その上でのお尋ねなのですが、あの様な間者を用いているのはどの様な意図からなのですか?」


「何事も決めつけはよくありませんから、一度は試してみるのも悪く無いと思ったのです。が、その様子では私の見込み違いだった様ですね」


「丞相のお許しあらば、こちらで処分しても構いませんが」


「あまり目立つ行いは避けるべきでは?」


「むしろこちらの意図から目を逸らさせる為にも、取り除いておいた方が良いと考えますが、いかがでしょうか」


「分かりました。それに関しては全てそちらに一任致しましょう」


 曹操は闞沢を江東に帰らせると、天幕内の面々に意見を求める。


「程昱、どう思いました?」


「策の気配はありますが、それはあくまでも気配。あの闞沢と言う者の能力と胆力であれば策の気配は消せるのでは無いかと思えます」


「はっはっは! 程昱にそこまで言わせるのは大したモノですね」


 曹操が楽しそうに笑うのを、程昱は苦々しく見る。


「正直に言いますと、まるで郭嘉と戦っている様な感覚です。一流の軍略家と戦っていると言うより、狂気に身を委ねた博徒と向かい合っているかの様です」


 もし策であった場合、ここまで大胆な手を打ってくると言う事は風向きの不利を悟っての事だろうと曹操は読んだ。


 また、策で無かったとしても風向きの不利があるからこそ、この戦を捨てて主の立場を少しでも良くしようと画策したと言うのも分からない話では無い。


 元々文官連中は降伏の意思を持っていた事もあって、武官側にそんな考えが広まれば勢力は一気にそちらに傾く事も決して不自然とは言えなかった。


「……いずれにしても、私はこれ以上死んだふりをしていても意味が無さそうなので、総大将に復帰します。曹仁には、南郡の城に行ってもらいます」


「南郡? ここへ来て前線を外れろと?」


「はい。曹仁には次の戦に備えてもらいます」


「理由を聞かせていただきたい」


 これから総攻撃と言う時に前線を外されると言うのは、武将として戦力外と通告されていると感じたらしく、曹仁は少し強めに抗議する。


「次の前線が南郡になるからです。我々が水軍を率いて長江を渡り、孫権のいる曲阿を攻める事になりますが、その際に江夏の劉備が必ず荊州を攻めてくるでしょう。襄陽はさすがに無理でも、南郡ならば多数の兵をおいていないはずと言う狙い。そこで賈詡にはすでに南郡に入ってもらっていますし、荀攸にも荀彧に報告の為に先に許都へ戻ってもらっています。この任、決して軽くはありませんよ」


「御意」


 曹操の真意を知って、曹仁はその任を快諾する。


 しかし、曹操にも油断があったのかもしれない。


 狂気の域に達した博徒は、理外の理とも言うべき異常異質な勝ち筋を見出す事がある。


 にも関わらず、曹操の目はこの戦は終わっていないのに、すでに目を別の場所へ向けていたのであった。

某大戦シリーズでお馴染みの


今回のタイトルが、大戦シリーズの闞沢の計略です。

が、ゲーム内では黄蓋や陸遜を推挙する事は無く、基本的には呂布や呂蒙を推挙すると言う相当に意味不明な事になってます。


演義ならではのスーパー闞沢タイムなのですが、策を看破した曹操をさらにハメると言うのだから、その能力は賈詡や陳宮に匹敵する超一流の軍師と言えるでしょう。

正史には無いシーンなので、ここでのみ発揮された能力になっていますが。


ただ、こんな目立つシーンをもらっている闞沢なので、呉の文官の中では丞相を務めた顧雍より知名度は高いかもしれません。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 これから一介の書生、官吏と甘く見て、油断して大敗北するのは、伝統になっている。 春秋戦国からなのに、何故学ばないのか。
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