第六話 空中分解
魯粛はこれで連合軍は解散かと思っていたのだが、どうやら落としどころを失ってしまったらしく、連合では今こそ攻勢であると主張する主戦派と、急戦は避けて策を用いるべしとする保守派に分かれていた。
策を用いる事には魯粛も賛成だが、それでは連合と言う無意味な兵力による消耗を避けるべきだと思うのだが、それでも連合解散と言う話は出ていないらしい。
諸侯達と同じく、参謀の中でも戦うべきか様子を見るべきかは意見が分かれていた。
諸侯の中では曹操が攻勢に出るべきと主張していたらしいが、その根拠は虎牢関の罠だと言う。
この時点で董卓が出てきて連合の攻勢を止めたのは衝撃的な行動だったが、それも焦りから来た奇策であると言うのが曹操の主張らしい。
そう言う見方をすれば、確かにそうだと魯粛は思う。
呂布にしても董卓にしても、これ以上ないところで打ってきた大駒とも言えるのだが、向こうの軍略がただ連合に対する戦術的な勝利と考えた場合には大駒を出すのが早過ぎるとも思える。
奇策と言うのは『ここでコレが来るはずがない』と言う心理の隙を突く事で効果を発揮するが、呂布や董卓を投入するのはまさにそう言う事だった。
が、ここで投入するには討ち取られると言う取り返しのない危険性も含まれる。
連合に対する勝利を確実と見て投入と言うだけでも十分過ぎる戦果を挙げたが、その上に何かしらの策があるとするのなら、少なくとも袁紹などの手に負えるモノではない。
連合の戦力はすでに半分近くまで減っているが、それでもまだ董卓軍より多い事は多い。
かなり薄くなるが、まだ多方面による総攻撃と言う戦術は可能である。
また、減った戦力の割合で考えた時、主力である袁紹と袁術の袁家の兵力は健在であり多方面ではなく二手による攻撃なら十分に戦う事が出来るはずだ。
曹操の発言力がどれほどかは分からないが、おそらくはその事も頭には入っているだろうと魯粛は思う。
と言うより、そうでなければ戦えないし連合を維持している意味もない。
そう考えると、保守の筆頭は袁術か。まったく、これだけお膳立てしてもまだ自ら武勲を挙げようとは考えないのか。
今、この時こそ袁術が袁紹の上に立つ好機だった。
攻勢に失敗した袁紹を後方拠点に残し、今度は袁術が攻勢の指揮を取る。
陽動として正面からの攻撃に袁紹の兵を与えた曹操を始めとした主戦派で被害の大きかった諸侯の軍を、本命として別方向から袁術を中心とした軍による攻撃をすれば、いかに戦上手の董卓軍とキレ者軍師でもそう簡単には対処出来なくなる。
もし陽動に呂布を、本命に董卓を当てて防いでこようものなら、しめたもの。皇甫嵩や朱儁と言った漢の武将達が中から立ち上がって皇帝を押さえれば一発逆転が転がり込んでくるのだ。
張勲らがこの手を思い付いていれば、天下は袁家の、いや袁術の手に収まると言うものを。
本来であればここで決断するのは、盟主である袁紹の役割である。
攻勢をかけると言うのであれば、どこをどの武将がどの規模で攻めるのかを決め、攻勢を断念すると言うのであればこれ以上の浪費を避ける為に速やかに連合を解散させるべきところだが、その決断すらなくだらだらと日数だけを費やしている。
そんな無為な状況を董卓軍が見逃すはずもなく、先に、しかも強烈極まりない手を打ってきたのは董卓軍の方だった。
連合の誰も、キレ者を自負する魯粛すら予想もしていなかった、とんでもない一手。
皇帝の居城でもある都、洛陽を焼き捨てたのだ。
「洛陽を焼いた?」
その報告が入った時には逢紀に限らず、各勢力の参謀達は詰所から飛び出して都の方を見る。
その反応は参謀達だけでなく、各諸侯や武将、兵達に至るまで同じように都の方を見ていた。
「……洛陽を、焼く? いったいどう言うつもりだ?」
劉曄も意図をつかめずに、燃える都を見て呟く。
「都を焼くなど、それは遷都以外に考えられんじゃろう。まったく、とてつもない事を」
「では、すぐに消火の指示が出そうですね」
「消火? 今こそ絶好の好機じゃ。すぐに董卓を追い、一気に制圧するべき! 主無き都に意味など無い。それこそ消耗した諸侯に消火を任せ、戦える兵力は全て投入してでも董卓を追うべきじゃ!」
魯粛はそう言った後に、大きくため息をつく。
「と、ここで言ったところで意味は無いからのう。十中八九、消火活動の指示が飛んでくるわい。ま、戦う事は武将に任せると考えると、妥当かもしれんがのう」
しかし、参謀の詰所に届いた指示は待機だった。
「消火もせんのか?」
「今孫堅がそれに当たっている」
魯粛は不思議そうに思ったのだが、それに応えたのは張炯だった。
劉曄には曹操からの指示が来て、すでにこの詰所を離れている。
「孫堅の一軍だけで消火? これはまた効率の悪い事を」
「それだけではない。曹操が各勢力からの兵を率いて董卓を追っているのだ。その結果待ちの為の待機だ」
馬鹿げた事を、と声に出さずに魯粛は思う。
ここを攻勢の好機と見た曹操の慧眼は、その評判通りのものだと魯粛も思う。その上功績を独り占めすると言う事も配慮して各勢力からの兵も借り受けている。自身が兵を率いる立場で無いにも関わらず。
だが、一軍では無理だ。
董卓軍のキレ者軍師、李儒と言う者らしいのだが、少なくともこの連合との戦いでその凄まじい能力は見せつけられてきた。
そんなキレ者が無警戒に遷都を行うはずもなく、何らかの備えはしているはず。だが、急ぎであった事が都を焼くと言う奇行からも察する事が出来る。
李儒軍師の好む手は、大きく目立つモノで気を引いて別の本命の行動を行う事で、これまでの呂布や董卓の使い方でも分かる。
洛陽を焼いた事で連合の大半がその消火、復興に当たる様に仕向けた事から備えはあってもそれほど大掛かりなものではないはず、と言うのが魯粛の予想だった。
しかし、そんなキレ者軍師でも予想出来ない事があった。
連合が彼の予想より遥かに無能で、消火復興にすら当たっていない。
つまり、追撃の兵を出せると言う状況なのである。
にも関わらず、連合、と言うより袁紹と袁術はまともに動こうともせずに酒盛り三昧。
「婆様、元気にしてるかのぅ」
魯粛はあえて張炯に聞こえる様に独り言を言う。
「何? どうした、小僧。里心がついたか?」
「燃える都を見てから、不安になったんじゃ。婆様は自分では元気だと言っているが、やはり歳には勝てん。ワシがいなくても大丈夫じゃろうかと心配でのう」
これ以上袁術に関わると碌な事にならないと判断した魯粛は、さっそく行動に出た。
出来るだけ早く袁術との関わりを絶っておかないと、それこそ魯家の評判にも関わる。
ここで多少なりとも評判を落とす事など問題ではないくらいだ。
「ふっはっは! 何だ何だ、普段はあれだけ傍若無人でありながら、婆様が心配? まだ大人になりきれてなかったか? 魯家の坊ちゃん?」
「やはり、怖いモノじゃよ。目の前で都が焼かれているのを見ると、皇帝の住む都でも安全ではないと思い知らされた。田舎に住む婆様が無事かどうか。董卓はいないが、野盗などは都とは比べ物にならないからのう」
「まったく情けない限り。戦場に出ておきながら家族の、しかも祖母の心配とは。魯家の名折れだな」
「なんと言われようと、今は婆様の事が心配で頭が働かぬ。袁術様にも、魯粛は使い物にならなくなったと伝えてもらって構わない。ワシは婆様のいる曲阿に帰らせてもらう」
「待て、勝手なことを許さん」
張炯だけなら簡単に話は済んだところだったが、口を挟んでくる者がいた。
本来であれば参謀の詰所などにいるはずのない武将、橋蕤である。
「先行して消火活動を行っていた孫堅から、これ以上の延焼は無いとの報告があった。これより我々袁術軍も洛陽に入る。参謀の役割はこれからだ」
「これから? もう火も消えたと言うのに? 後は解散してそれぞれの所領に戻るだけじゃろうよ。それなら今、ここを離れる事も大した違いはなかろうに」
「それを決めるのはお前ではないと言っているのだ」
ちっ、まったく厄介なヤツめ。張炯なら簡単に済んだものを。
まともに議論するつもりがないのは魯粛も同じだが、確かに橋蕤の言う様にここでの仕事は無いと思うからと言う理由で勝手に連合から離れるなど許されるはずもない。
これは付き合うしか無い、か。
離脱の機会を逸した魯粛は、渋々ではあっても焼け落ちた洛陽へ向かう事になった。
それは袁術だけでなく袁紹や、他の諸侯達も同様に拠点から洛陽へと物資も込みで移動になった。
完全に焼け野原となった都には宮殿なども名残しか無く、それでも袁紹はそこを連合拠点にすると言って物資を運ばせた。
それでせめて難民化した都の住人と共に洛陽の復興に努めればまだマシだったのだが、そこでも相変わらずの宴会三昧では話にならない。
また、この時にはすでに連合を離れた諸侯達もいたほどだった。
「こんなところで宴会とは、盟主は私には理解出来ない思考をお持ちのようだ」
そう言って入ってきたのは、汚れも目立つ格好の上に足を引きずり配下の者の肩を借りてないとまともに立っていられない様な状態の人物であった。
「おお、孟徳か。首尾は如何だ?」
「首尾? 見ての通りです。惨敗ですよ、これ以上は無いほどに敗れました。もし追撃を出してもらっていれば勝利は確実、私達の犠牲も無駄にならなかったはずなのに、まさかこんなところで宴会の最中であったとは。開戦の時、一族を惨殺された時の気炎はどこへやら」
曹操は淡々と話しているが、その言葉の端から怒りと憎しみが溢れている。
「孟徳、まずは怪我を治すが良い。君の智謀は今後も必要になる」
「残念ですが、私は今後孺子と共に謀る事はありません。貴方の器に期待した私の見る目が曇っていました。ただ、昔のよしみもありますので、怪我を治すと言う事には賛同しておきましょう」
曹操はそうやって袁紹と決別すると、連合を去っていった。
その曹操とすれ違う様にして、逢紀が慌てて駆け込んできて袁紹の元に何か報告していた。
魯粛は離れたところにいるので話の内容は聞こえないが、袁紹と袁術の表情からかなりの大事であると分かる。
今更何か大事? 董卓が死んだのか?
逢紀が駆け込んで来た後に、復興に当たっていた孫堅がやって来た。
「……外の様子は見てないのかな?」
孫堅は不思議そうに尋ねる。
「焼けた都にはまだ多少なりとも住人が残っている。その者達は住むところを無くし、着る服も食う物にも困っていると言うのに、それを開放するべく集まった連合の盟主と副盟主が酒盛りか?」
「これは孫堅殿、消火活動ご苦労様だった。ささ、こちらで一杯」
「いらぬ。連合とはどう言う集まりだったのだ?」
孫堅を労おうとした袁紹だったが、孫堅から拒絶されただけでなく殺気さえ含む目を向けられる。
「先ほど曹操が、その前には張邈、劉備も韓馥も、今後は公孫瓚も馬騰も陶謙も去る。何をするでもなく集まって酒盛りするだけが連合の仕事だったのか? 悪いが俺もそんな愚行に付き合うつもりはない。ここで連合を離れさせてもらう」
「それは良いが、まさか孫堅将軍ともあろう武将が火事場泥棒を働くつもりはあるまいな」
袁術が孫堅を挑発する。
「火事場泥棒? 兵糧もまともに管理出来ない副盟主にそんな事を言われる筋合いは無いが、どう言う事だ?」
孫堅は袁術に対しては薄ら笑いすら浮かべている。
「貴将が早くここを離れたいのは、懐に隠し持っている玉璽が原因であろう」
「……頭は大丈夫か?」
孫堅にはまったく焦った様子も無く、本当に袁術に対して何を言っているのかと言う態度である。
「とぼけるな! お前が井戸から玉璽を見つけたのを見たと言う者がいた! 玉璽を盗み取るつもりであろう!」
「それがどうしたんだ? 俺が玉璽を持っていて何か不都合があるのか?」
「玉璽は国の宝。朝廷にお返しするのが筋であろう」
「どうやって返すんだ? お前の懐に入れるつもりか? それともそれで董卓に媚びを売るか?」
「よさないか、二人共」
孫堅と袁術の間に入る様に、袁紹が言う。
「孫堅将軍、玉璽を持っているのであればここに出されよ。それは国宝であり、一個人が自由にして良いものではない」
「持っていないモノは出せない。そもそも何を根拠に俺が玉璽を手に入れたと? 井戸から手に入れたと言うのを見たと言う事だったが、誰かが俺を陥れようとしているのではないか? 汜水関で殺し損なったとでも思われたのかな?」
孫堅は袁術を睨みつけた後、袁紹の方を見る。
「いずれにしても、俺はこの連合を去らせてもらう。これ以上難癖をつけるのであれば、俺とて武力で答えさせてもらおうか」
孫堅はそう言うと、そのまま連合を去っていく。
そして、孫堅の言葉通り、残った諸侯も次々と連合から離れていき、結局何も成さないままに連合は空中分解する事になった。
孫堅と玉璽
演義準拠ですので、この時に孫堅は玉璽を入手しています。
漢に対する忠臣である孫堅らしからぬ行動ではありますが、あくまでも演義や創作物での話。
では何故孫堅は玉璽をネコババしたのかと言うと、突然権力欲に取り憑かれたと言うより、袁術をピンポイントで狙ったと見るべきでしょう。
この時の袁術と孫堅は主従に近い関係ですが、当然と孫堅は袁術に良い感情を持っていません。
また、袁紹と袁術の関係もよくない事を知っています。
孫堅は出来る事なら自分の手で玉璽を朝廷に返したかったでしょうが、最大勢力であった袁紹&袁術を破滅させる為、最初から手放すつもりで玉璽を入手したと思われます。
残念ながら、その意思は息子に継がれる事になってしまいますが。