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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く
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第二十四話 風

 軍略に明るいとは言えない蒋幹ですら、龐統の口にした策は船酔いには効果があったとしても余りに危険が大きい事が分かったくらいである。


 軍略に明るい武将や一級の軍師が揃っているのだから、


「机上の空論だな。蒋幹、お前はまた利用されているぞ」


 曹仁から呆れた様に言われる事も分かっていた。


「いえ、私も利用されているのは分かっているのです。ですが、丞相であれば上策であると認められるともうされまして」


「私、一応死んでいる事になっているのですが、もうバレバレなんですね」


 曹操は苦笑いしながら報告を聞いていた。


「で? その策を授けたのは誰ですか? 恐らく私に売り込む様に言われたでしょう?」


「江東の知人で、龐統と言う者です」


「龐統? あの鳳雛か?」


 程昱が驚いて尋ねると、蒋幹は頷く。


「はっはっは! なるほど、それであれば周瑜も扱いやすいコマだった事だろう」


 曹操は楽しげに笑う。


「蒋幹、つくつくお前は利用されやすい性格だな」


「まぁまぁ、この策、意外と悪く無いですから」


 程昱が曹仁に続いて呆れた様に蒋幹に言うが、曹操は笑いながら首を振る。


「蒋幹が利用されている事は間違い無いんですが、龐統、とんだ食わせ者ですよ」


 相変わらず曹操は笑っているが、そこには明確な変化があった。


 普段の曹操は目の前にいても気付かないほどに存在感が薄く、その特徴の無さから人相を覚える事すら難しいと言うのに、彼が本気になった時には誰であっても無視出来ないほどの圧倒的な存在感を示す。


「十中八九、と言うよりまず間違いなく龐統は孫権軍の協力者です。その策も周瑜が『火』を使う為の策なのでしょう。船の扱いに苦しむ我々であれば、喜んで飛びつくと考えたのでしょうね。ところが、策を扇動した周瑜ですらその策の危険性に気付いていない。一方の龐統はその事に気付いていながら、周瑜には隠している。これで、仮に策が成功して孫権軍が勝つも良し、秘めた危険を突いて我々が勝つも良し。どちらにしても殊勲に値する働きと言う訳ですからね」


「危険? 明らかにこちらばかりが危険な策だと思われますが」


 程昱が尋ねるが、曹操は首を振る。


「賈詡であれば、もう気付いているでしょう? 実はこの龐統の策が、本当に我々に必勝を与える策である事を」


「丞相、火の危険は消えていません。必勝とは言えないでしょう」


 賈詡は慎重さを失わずに言う。


「もちろん分かっています。ですが、現状ではもっとも勝算の高い策です。于禁、水軍の状態はどうです?」


「申し訳ございません。丞相のご期待ほどには進んでおりません。言い訳になりますが、我が軍内に疫病も蔓延しつつあり、医師団の手も足りていない状況」


「確かに。こうなればいよいよ、訓練の内容をその策に合わせて行くしかありません」


「龐統の策にですか?」


「のんびりしていれば、冬が来ますよ? さすがにそうなると撤退となりますし、勝機を失います。まもなく我々にとって絶好の勝機が訪れます。その事は、恐らくまもなく周瑜も気付く事でしょう。出来る事なら、七日後には全軍出撃を目指します。于禁、それまでに船の連結の工夫と、切り離しの訓練を。もし間に合わないとあれば、大都督としての地位は軽くない事を知らしめる事になると頭に入れておく事ですね」


「御意」


「……丞相、必勝の勝機と言うのは?」


 まったく話について行けない蒋幹は、恐る恐るだが曹操に尋ねる。


「まもなくわかりますよ。川の向こうでもそろそろ気付く頃でしょう。龐統は気付いていたみたいですが、実は周瑜達が本当に戦わなくてはならないのは、私たちでは無いと言う事です。慌てふためく姿を見る事が出来ないのは残念ですね」




 その頃、孫権軍は混乱の極みにあった。


 全て順調であると龐統から報せを受け、秘策であった『鉄鎖連環の計』を蒋幹に授けて曹操軍に持ち帰らせた事を魯粛も確認した。


 あとは曹操軍の準備が整い次第、一纏めになった曹操の船団を火で包むだけとなった時だった。


「……そうか、しまった!」


 いつもの様に諸葛亮と魯粛を交えて密談の様な軍議を行い、天幕から出た周瑜は一点を見つめて小さく呟いた。


「何がじゃ?」


 魯粛はその小さな呟きを聞き逃さず、周瑜に尋ねながらその視線の先を追う。


 その日は風が強く、周瑜の視線の先には軍旗がはためいていた。


「……あ!」


 諸葛亮も驚きの声を上げる。


「何じゃ?」


「こんな初歩的な事を見落としていたとは! 曹操軍の大軍に目と意識を奪われていたのですね」


 諸葛亮も苦々しく言う。


「……風向きか!」


 魯粛も遅れながらその事に気付いた。


 これからの時期、風向きは北から南に吹いてくる。


 もしこれで曹操の船団に火を放ってもその火はせいぜい一列目の船団を焼くに留まり、その後に火は孫権軍に向かって広がっていく事になるのだ。


「曹操の後手は、これを待っての事だったのか……。我々が最初に気にするべきは、曹操の兵などではなく天候だった」


 周瑜はそう呟くと、突然その場に昏倒したのである。


 大都督が意識を失って倒れたと言う事は瞬く間に孫権軍に広まり、同じように不安も広がって行く。


 これまで秘密主義で行動していた事も周瑜が倒れた事によって先の見通しが立たなくなった為、裏目となった事も混乱に拍車を掛けていた。


「魯粛! これからどうするつもりなのだ!」


 黄蓋が詰め寄ってくるが、それも当然と言える。


 明確な指示を出さず、とにかく良いから今は言う通りにしろ、と言って来たのは周瑜である。


 それには理由もあるのだが、その理由を話していない以上、古参の猛将黄蓋としては不満は溜まる一方であった。


 ここへ来て、大都督が倒れて意識不明だから自分にも分かりませんと言うのが魯粛の意見ではあるのだが、そこまで無責任な発言が通用するはずもない。


「今、医者が大都督を診ている。本当にこの戦を勝つつもりがあるのであれば、これ以上大都督に心労をかけない為にも急かす事など無用無益。将軍にも理性的な行動を示していただきたい」


 それでも魯粛は敢えて挑発的な態度で、黄蓋に言う。


「あぁ? 参謀風情が随分な口を叩くではないか」


 まるで敵を見る様な目じゃな。


 魯粛は本気で怒りを見せている黄蓋を見ながら、そう思う。


「気に入らないのであれば、軍を去られるがよかろう。歳を召されているとは言え、将軍は実績十分。川を渡って北上すればさぞや重用される事でしょうな」


「貴様、言うに事欠いて何たる無礼か!」


 黄蓋が本気で剣を抜こうとしたので、周りにいた程普や呂蒙が黄蓋を抑える。


「魯粛、いかに大都督の参謀であっても口が過ぎよう。我ら首脳陣が軍の分断を生んでどうする」


 程普が冷静に魯粛を諭す。


 この場に周瑜や諸葛亮がいない以上、魯粛が軍略を進めていくしかない。


 これからの季節、風向きは北から南へと吹き続ける。


 それは操船技術が無くとも、ただ風に乗っているだけで曹操軍は孫権軍に向かって進んでくるのだ。


 そうすると多少の水軍の技術の差ではどうする事も出来ない物量によって、なす術無く孫権軍は踏み潰されていく。


 周瑜と諸葛亮がそれだけは避けようとして来た曹操軍の戦術だったが、全てがこちらの思う通りに進んでおきながら、結果として最悪の戦術を呼び込んでしまったのである。


 周瑜でなくても目の前が暗くなり、この事実が知れた場合には間違いなく兵は離散して軍は瓦解する。


 が、魯粛には絶望している暇は無かった。


 曹操軍の大軍を打ち破るには火を用いるしか無く、風向きが逆だと言うのであれば曹操軍の最深部から火を放てば全軍に広まる。


 誰かが火付け役となれば、その者は帰って来る事は出来ないが曹操軍を焼き払う事も出来るのだ。


 魯粛はそんな策を思い付いていたし、それにもっとも適任なのが黄蓋ではないかと考えていた。


 火付け役として使い捨てる事になるが、曹操から重用される人物でなければ最深部まで到達する事も出来ず、火が広まるまでは個人の武勇で火を守らなければならない。


 その条件を満たしているのは、魯粛の見立てでは黄蓋と甘寧くらいなのだが、孫権に対する絶対の忠誠がなければ本当に曹操に寝返りかねない。


 そう考えた時に、その役割は黄蓋で無ければ万に一つも成功などしないだろう。


 とは言え、それをこの場で伝える手段がない。


 あからさまに秘密の軍議をしているのを見せてきたのは、間者である蔡和と蔡仲の目をこちらに引き付けておく為であり、もう一つの頭脳とも言うべき副都督の程普と副将の呂蒙に目を向けさせない為であった。


 当然二人にもこちらの真意を伝える手段はないのだが、程普と呂蒙であれば僅かな手掛かりからこちらの意図を読み取ってくれると信じての行動である。


 祈る様な気持ち、と言うより本当に祈りながらも魯粛はそれを表に出さず、自らの役割を演じて見せる。


「とにかく、大都督に必要なのは安静であり、将軍達には自制を求めたい」


「敵にも自制を求めたらどうだ? 何なら降った者達を北に送ってこいねがってはどうだ? こちらの都合が悪いので、攻めてくるのは待ってもらえませんかとな!」


 黄蓋は吐き捨てる様に言うと、魯粛に背を向けて去って行く。


 それと入れ替わる様に、諸葛亮が周瑜の天幕を訪ねてきた。


「……今しがためちゃくちゃブチギレ状態の黄蓋将軍から睨まれたんですが、私、また何かやらかしちゃいました?」


「案ずるな。お主は存在そのものが不快じゃから、何もなくとも睨まれるわい」


「ああ、それなら良かった」


 何故か諸葛亮は本気で安堵している。


 この胆の太さは大したものだ、と魯粛も感心してしまう。


「それで、大都督はお目覚めですか?」


「うむ、意識は戻っておる。じゃが、医師が言うには絶対安静、怒るなどもってのほかじゃそうじゃ」


「なるほど。では、さっそく怒らせに行きますか」


「人の話を聞いておらんのか、貴様は」


「怒られる事になりますが、その価値がある話です。少なくとも、ここで時間を無駄にしていては曹操軍の侵攻を止められませんので」


 諸葛亮の言葉はどこまでも信用出来ないものなのだが、それでもこれまで結果を出している事は事実で無視する訳にもいかないのは魯粛も分かっていた。


「すまんが、少し外してもらえぬか?」


 魯粛は周瑜を診ていた医師に言う。


「……くれぐれも安静に。大都督は心労が重なっておいでですので」


 医師はそう言って去るものの、それが無理と言う事は分かっている様だった。


 何しろ原因はこの陣内の雰囲気の悪さではなく対岸の大軍であり、それが居座り続ける限り解消される事は無いのだ。


「大都督の心労、和らげる為の秘薬をお持ちしました。ただ、お気に召さないとは思いますが」


 諸葛亮は、横になったまま険しい表情の周瑜に言う。


「医師の薬より効く秘薬とは。孔明先生はどこまでも博識だ」


「万事みな備えども、ただ東南の風を欠く」


 諸葛亮の言葉に、周瑜は起き上がる。


「その通り。妙薬と言うのはまさにその事」


「実は私、かつて龍神と出会い、天候を操る術を身につけているのです。伏龍と言う号もその縁あっての事。それ故にただ一日だけですが、風向きを変える仙術も身につけています」


「世迷言を」


 さすがに荒唐無稽過ぎて、周瑜は一言で済ませる。


「そう言われると思っていました。ですが、私が十万本の矢を集めた事は覚えておられるでしょう?」


 あの時は濃霧の中で船を出して、曹操軍から矢を集めた。


 三日で十万本の矢と言う非常識な条件と、都合の良い濃霧。


 確かに仙術の存在を疑わせる事ではある。


「これより四日をかけて祭壇を築き、私が三日の祈祷を行いましょう。祈祷の最終日、今から七日目に風向きが変わり、夜には東南の風が吹きます。それこそ最大の勝機。どうかこの諸葛亮に騙されてはもらえませんか?」


「……失敗した場合、私と貴方の首では済みませんよ?」


「十分承知。もし認めていただけるのであれば、こちらから目を逸らさねばなりません。大都督にもすぐに動いて頂く事になります」


「……博打は好きでは無いのですが、やむを得ませんね」


 絶体絶命に追い込まれながら、それでも逆転を信じて大博打に出る為に周瑜は動き出したのである。

創作です


言うまでもないと思いますが、演義の龐統は百パー善意で孫劉連合に協力して連環の計を伝えています。

どっちが勝っても俺の手柄とか思ってません。

けど、結果ありきの演義なので仕方が無いのですが作中でも書いた通り、タイミングが合わなければ曹操軍完勝に導くとんでもない一手でもあったと思います。

何しろ孫権軍の十倍の船団が一塊になって南下してくる訳ですので、ひとたまりもありません。

もし上手くいっていれば、龐統は司馬懿のポジションになっていた事でしょう。


また、孔明先生が龍神にあって伏龍を名乗ったと言う話も今作だけの完全創作です。

でも『天地を喰らう』では龍神に会ってると言えば会ってるし会うだけでは済まない事をヤッっちゃってるので、ここだけ設定でも無いかも。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 まあ、あれは創作でしょう。 気候風土の違いで疫病が蔓延していたのは確か。 もし、ここで、曹操が勝っていれば、魏の天下統一は成されていた。
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