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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く
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第二十話 可哀想なヤツ

 諸葛亮が奇想天外な方法で十万本を超える矢を集めた事の報告を受けた周瑜は、その事に対して笑えばいいのか呆れればいいのか、それとも驚き怒ればいいのか分からない、複雑な表情を浮かべていた。


「私には思いつかない方法ですし、当然実行する事も出来なかったでしょう。鬼才である事はもはや疑いないところです」


 そう言う周瑜の表情は、曇ったままである。


「気に入らんか? 公瑾よ」


「霧が出たのを予想したと言うのなら問題無いのですが、霧を呼んだなどと思われるのは良くない傾向ですので」


「……確かに、それはあるのう」


 江東は中原と比べると、非常に迷信深いところがある。


 これは中原に広まる儒教の教えが広まっていない事もあって、妙に信心深い気質なせいか地方宗教が広まっている背景にもなっていた。


 先主孫策はそんな江東人の気質を案じたからこそ、死の間際にその迷信を打ち払って主家に忠誠を誓わせようとしたのである。


「何なら孔明にヤツに余計な事をするなと言うておくか?」


「それを言ったら、確実に余計な事をするでしょうね」


 ここで周瑜はようやく表情を緩めて、苦笑いを浮かべる。


「確かにのう。孔明にしても玄徳にしても、そう言うところはあるわい」


「劉備軍陣営は今のままで構いません。それより、魯粛殿には宴会の支度をしていただきたいのです」


「あん? 祝杯を上げるには早過ぎぬか?」


「いやいや、さすがにそう言う事ではありません」


 周瑜は笑いながら首を振る。


「どうも、北方に行った旧友がこちらに向かっているらしいのです」


「それはまた、分かりやすい手を打ってきたのう」


「間者としてはあからさまですが、逆にあからさまでも間者を送り込む何かを曹操陣営が掴んだ一手でもあると思うのです。油断は出来ませんよ」


「ふむ、そう言う捉え方をあるか。戦況を考えるのであれば、我らは常に先手を取っていなければならんからのう」


「ええ、一本取ってやったからといって、まだまだ向こうの方が圧倒的に優位である事に違いはありませんから。間者に弱味を掴ませるわけにはいかないので、盛大に迎えてやらないと」


「まぁ、酒と肴は玄徳と翼徳対策に用意はしておるから、多少の宴席であればすぐにでも準備出来るわい」


「それは有難いです。何の準備も無く盛大な宴は、それはそれで疑われますからね」


「余計な事をやりたがるが、孔明は相当なキレ者じゃ。宴も好きそうじゃから、呼んでおこう」




 周瑜が掴んだ情報通りに、周瑜の旧友である蒋幹が訪ねてきた。


「あ、私、先にお酒頂いてて良いですか?」


 周瑜らが出迎えているところ、諸葛亮と魯粛は先に宴席で待っていたのだが、待ちくたびれたのか諸葛亮が魯粛にそんな事を提案する。


「あ? 待っとれんのか」


「まぁ退屈ではあるのですが、それより少し酔っていた方が多分大都督のお役に立てると思いますよ?」


「……悪い顔をしておるのう」


「いえいえ、貴方ほどではありませんよ。うっふっふ」


 そう言って、諸葛亮はさっそく手酌で酒を飲み始める。


 ただ飲みたいだけじゃないのか?


 美味しそうに酒を飲んでいる諸葛亮を見て、魯粛は不安になる。


 劉備軍での酒飲みと言えば張飛の印象なのだが、酒癖のせいでそう思われているだけで劉備や諸葛亮も元は遊び人だった事もあるので、楽しい酒は望むところである。


 やがて周瑜や孫権軍の武将達が集まってくる頃には、諸葛亮はほろ酔い加減になっていた。


 そんな諸葛亮を見て、周瑜は眉を顰める。


 普段そんな表情を見せない周瑜なので、これは蒋幹に見せる為に作った表情なのだろうと魯粛は察する。


 しかし、この二人は凄いな。ワシでは何をしようとしているのかさっぱり分からんが、公瑾はすでに孔明の狙いを察している様じゃのう。


 この二人の天才のやる事に興味が湧いた魯粛は、このまま流れに任せる事にした。


「今日は戦の最中ではあるが、私の旧友である蒋幹がわざわざ陣中見舞いに来てくれた。蒋幹は高潔な人物で、この周瑜だけでなく先主とも面識のある文人である。皆、失礼のない様に」


「ふひひ、高潔な旧友。ふひひひひひ」


 周瑜が蒋幹を紹介しているところに、諸葛亮が笑い出す。


「この時期に、戦の陣中見舞いですかぁー? それはいくらなんでも、都合が良すぎませんかぁー? うっひっひっひっひ」


「お、おい、よさんか孔明」


 いい具合に酔っている諸葛亮が周瑜に絡み始めたので、魯粛が慌てて止めようとするが諸葛亮は魯粛の手を払いのける。


「どーせ曹操の間者とかなんでしょー? こんな時期に旧友が来るなんて、おかしーじゃないですかー」


「孔明! いい加減にせんか!」


「だってそうでしょう! そうじゃないと、劉備様に仕えて住所もはっきりして、以前ほど出歩かなくなったのに、私を訪ねてくる友達いなくなったんですよ! 私が可哀想だと思わないんですか!」


 え? そんな理由で?


 本気でキレ始めた諸葛亮に魯粛は言葉を失ったが、それは魯粛だけではなく全体に広がっていた。


「今、戦の最中ですよ? そんな中に訪ねてくる友人とか、羨ましいじゃないですか! せめて間者であってくれないと、本当の友情とかズルいですよ!」


「子敬! 客人は酔っておられる!」


 周瑜が卓を叩いて怒鳴る。


「これ以上私の客人を愚弄する事は、客人とて許せぬ! しかし、酔っているのであれば仕方が無い。今日、今回だけは無礼講としておく。子敬、客人をつまみ出せ!」


「御意」


「間者ですー、その人、間者ですよー」


「まだ言うか! 子敬、その者、今すぐつまみ出せ! さもなくば切る!」


 周瑜が剣に手をかけた事もあって、魯粛は慌てて諸葛亮の首根っこを掴んで天幕を出る。


「我が友、蒋幹は高潔な男。間者などと愚弄される事など、耐えられない屈辱であろう。故に、この場でこれ以上戦の話をする事も、曹操の名を出す事も許さん! 太史慈、主から預かった宝剣を預ける。この場で今後曹操の名を出す様な者がいれば、構わんから切って捨てよ!」


 まったく周瑜らしくない怒鳴り声が天幕の外まで聞こえてきたが、二人の天才による即興芝居の求めた事がようやく魯粛にも分かった。


 蒋幹は間違いなく曹操陣営が放ってきた間者だろう事は、魯粛にも予想が付いていた。


 諸葛亮も僅かな情報から、その答えに行き着いたのだろう。


 先手を取って蒋幹に間者働きがしづらい空気を作ったのだ。


「しかし、何もあそこまでウザ絡みせずともよかろうに」


「だって、私が本当に可哀想でしょう?」


「うむ、お主が気の毒かつ哀れで残念、幅広い意味で可哀想なヤツだとは思っておるわい」


 魯粛は諸葛亮を天幕まで運ぶと、改めて飲み直す事にした。


「とは言え、それだけでウザ絡みしたわけではなかろう?」


 真意があると思って魯粛は尋ねるが、諸葛亮はきょとんとして首を傾げている。


「……マジか」


「あ、いえいえ、ちゃんと意味はありますよ。ありますとも」


「今考えとるじゃろ?」


「違いますって。大体曹操軍の方が圧倒的に有利なこの戦で、わざわざ間者まで送り込んで調べようとする事なんて、そんな多くないでしょう? まして、つい先日矢をごっそり頂いてきた直後ですから、間者が調べたい事はこちらの軍備の状況か、妙な小細工をしないといけないほど内情が良くないかくらいです。だったら、向こうが望む情報を与えてやった方が良いでしょう?」


 酒を持って帰ろうとした魯粛を引き止める為、諸葛亮はそう説明する。


「大方曹操陣営はこちらが上手く行っていないからこそ、妙な小細工を仕掛けてきたと疑ったんでしょう。だったら、その疑いは間違いないですよーと分かりやすく見せてやった方が良いじゃないですか。大都督も察してくれて、ノリノリだったでしょ?」


「ノリノリではあったな」


 周瑜があそこまで露骨に感情を表に出す事が、まず有り得ない。


 諸葛亮の異常行動の真意を読み取ったのか、周瑜は見た事も無い様な不快感の示し方をしてみせた。


 旧友とは言え、蒋幹は長らく周瑜とは会っていなかったはずで、少なくとも魯粛が行動を共にする様になってから見かけた事は無い事から、十数年会っていないはずだ。


 久し振りに会った旧友は、さぞかし傲慢になった様に見えた事だろう。


 あの僅かなやり取りで、こちらから曹操陣営に与えたい情報を間者である蒋幹に提供したと言うわけだ。


「お主ら、本当に凄いのう」


「こう言うとなんですが、周瑜殿には負けたくないし、負けて欲しくないんですよね」


 諸葛亮はちびりと酒を飲みながら呟く。


「ほう、その羽扇の礼か?」


「いえ、違います。あの方は、私が捨てた理想像の体現なのです」


「お主が捨てた理想?」


 そう言えば、兄である諸葛瑾は弟が変わってしまったと嘆いていた。


「幼き日々、私は徐州に住み暮らしていました。あの頃は、大義忠道こそが正道であり、それに勝るものなどないと本気で信じていたんです。そんな時、古今の名将とも言われていた徐州太守と、乱世の奸雄との戦が起こりました」


 呂布と曹操の戦いか。


 あの戦は風聞でしか知らないが、諸葛瑾の話では呂布に徐州統治に関して大きな落ち度は無かったが、曹操が言い掛かりをつけて徐州に攻め込んできたと言う。


 もし大義があるとすれば、それは守る呂布の側にあった。


 その武勇は破格であり、あの孫策ですら手も足も出なかった当代随一の猛将呂布と、それを支える天下有数の智将陳宮の守る徐州に、本来であれば負ける要素は無かったはずだった。


 が、結果は大義ではなく私欲で戦を仕掛けた曹操が勝利したのである。


「あの時、私の中で大事な何かが変質したのを感じました。大義名分のある最強の武将が守る城を、私利私欲で始めた戦で、しかもどこか楽しんでさえいる様にも見えた軍が勝利したんですから」


「そこで『いい加減』に目覚めたか」


「義務感に限界を感じたんですよ。大義や忠道に対する義務感だけで、私欲を楽しむ者達に挑む事に自信がなくなったんです。だから私も『楽しみ』を取り入れる事にしたんですよ」


 今では楽しみの方を優先し過ぎているのではないか、と魯粛はちょっと心配する。


「ですが、周瑜殿は違います。あの方は今でもその義務感と責任感のみで戦っています。もし私があの時、あの抱えていた理想を捨てなければこうなっていたのではないか、と言う理想像なのです」


 確かに周瑜は、鋼の様な意志で全ての責任を背負って戦っている。


 まったく顔に出す事も無く、またそんな雰囲気すら見せない周瑜ではあるが、常人ではとても背負えない様な責任を、その意志のみで背負っている。


「だから、私の理想像であった周瑜殿が敗れて挫折する様なところは見たくないのですが、それだと私の選んだ道は間違っていたと言う事になってしまうのです。だから、周瑜殿には負けて欲しくないし、負けたくないのです」


「なるほどのう。お主が歪んだヤツじゃと言う事はよく分かった。まぁ、少なくとも曹操と言う敵がいる間は共に手を取って行けるのじゃから、この酒は敵に感謝しながら飲む事にしよう」


 魯粛と諸葛亮は、笑いながら盃を交わした。


「それに、公瑾には公瑾の考えあって間者を迎え入れたのじゃろうからのう」

徹底した噛ませ犬


今回一切セリフの無かった蒋幹ですが、実は正史でも周瑜伝の中にチラッとだけ登場する人物で、ぶっちゃけ周瑜が立派な人と言った事以外のほとんどが分かっていない人です。

この人でその他に分かっている事は、周瑜と同郷だった事(孫策との面識があったかは不明)と曹操に仕えていた事、周瑜から『孫権軍、マジパネー』と言う話を聞かされてスゲーとなる事くらい。


そこに目をつけた誰か(羅貫中先生では無いみたい)が、今の噛ませ蒋幹に昇華させたみたいで、高潔な人物では無くなってしまいました。


ただ、このお方にはもう一度役割が回ってきますので、その時にこの物語でもセリフが出ると思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 諸葛亮が曹操を選ばなかった理由の一つ。 徐州での殺戮だった。 曹操が後に徐州を治めてもなかなか、治めにくかった。 のちに狼顧の相の持ち主も遼東で同じことをしましたが、悪い…
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