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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く

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第十七話 大戦を前に

 魯粛と周瑜は赤壁へ出立する前に、程普へ挨拶の為に彼の元へ向かった。


 魯粛としては必要の無い事の様に思えたのだが、周瑜は通すべき筋であると言って譲らなかった。


 品格や人格と言うのなら周瑜ほど立派な人物を魯粛は知らないのだが、それはそれで不安になるところもある。


 一武将としてなら、さらに言えば一軍の大将としてならおそらく漢全土を見ても周瑜以上の人材はいないだろうと魯粛は思う。


 戦術戦略は超一流であり、指揮能力も桁外れ。その外見からは考えられない武勇を持ち、性格も謙虚で年長者を敬い立てる事を忘れず、自身は常に一歩下がったところに立つ事を好む。


 その能力だけでも天下随一の名将と言える上に、従順とすら言える性格の持ち主。


 だが、それは一武将としての適正の話であり、大都督となればそれは当て嵌らない。


 大都督が立てるべき人物は主君のみであり、立てるべきも主君のみである。


 今回の事にしても、周瑜は大都督であり程普は副都督。


 いかに程普の方が年上も実績も上であったとしても、本来であれば副都督の程普の方が周瑜に挨拶に出向くのが筋であるはずだった。


 それをわざわざこちらから出向くと言うのは、大都督が行うべき譲歩ではない。


 魯粛はそう思っているからこそ、乗り気ではなかった。


 むしろ程普の方から周瑜の元に出向き、年長者であっても大都督を立てると言うのを見せるべきなのだ。


 周瑜の来訪は前もって知らせてあった事もあり、すぐに程普の屋敷の中へ案内される。


「大都督ともあろうお方が、何か御用ですかな」


 元々冷静沈着で表情に乏しい程普は、それなり以上の観察眼を自負する魯粛であっても何を考えているのかわかりづらいところがある。


「赤壁へ向かう前に、幾つか確認とお願いに参りました」


 周瑜はやはりいつもの雰囲気で、大都督として副都督に話すのではなく年長者に対する配慮を忘れていない。


うかがおうか」


 程普の方も、副都督として大都督に遠慮すると言う事は無く、やはりいつもの調子で答える。


 これは、あまり良くないのではないか。


 魯粛は眉をひそめて、二人の知者を見る。


 極端な話をするなら、程普であれば問題無い。


 長らく孫堅を支え、その後も孫策、今では孫権を支える事になった孫家の柱の一角を担う人物であり、その性格も尊大と言う事も無く、淡々とした冷静な人物であり分をわきまえていると言える。


 しかし、最年長者の程普が周瑜を立てなければ、その下には血の気が多く尊大なところがあり自らの功を誇る昔気質の武人、黄蓋がいるのが問題だった。


 そして誰か一人でも軍規に従わない者がいた場合、主力が川賊で構成されている孫権軍は驚くほど簡単に瓦解する事になる。


 それが分からない周瑜や程普では無いはずなのだが。


 不安だらけではあったが、それでも魯粛は口を挟まず見守る事にした。


「此度の敵、曹操は私も幾度か面識があります。かつての大殿にも劣らぬ軍略を持ち、先主にも引けを取らない戦の天才、参謀としての資質であってすら私や程普殿、子敬の三人であっても必ずしも上回る事が出来るとは言えない傑物。これまで戦ってきた者の中でも、群を抜いて強大であり最大の難敵でありましょう」


「……うむ、続けよ」


「包み隠さず申しますれば、現時点において諸葛亮が申していたほど容易く打ち破れる様な相手ではなく、また現時点において曹操は私より上である事は疑いありません」


「それで、泣き言を言いにわざわざ私の元へ来たのか?」


「違います」


 周瑜はきっぱりと否定する。


「今の私には足りないモノがある。その自覚はあるのですが、何が足りていないのか、はっきりとしないのです。戦を前にその漠然とした不安を抱えたままには出来ません。私は主より大都督と言う責任ある立場を任されたのですから、それに応える義務があります。そこで副都督となられた程普殿や、参謀として子敬殿に意見をいただきたく思います」


 周瑜はそう言うと、自身の座る位置をずらして程普と魯粛が見える位置へ移動する。


 なるほど、そう来たか。


 魯粛はようやく周瑜の狙いが分かった。


 大都督である周瑜が副都督である程普に遠慮している様な今の状況が良くない事は、言われるまでもなく周瑜も分かっていたのだろう。


 だが、その地位をして服従を迫ったとすれば形の上だけなら服する事だろうが、間違いなく深刻な溝が出来る事になる。


 あくまでも程普は副都督である、としながらも年長者を立てる為に敢えてこちらの短所や問題点を指摘させる事によって溜飲を下げさせる事が周瑜の狙いだったのだ。


 知恵者である程普であれば、それ以前から分かっていたはずだ。


 それを受け入れさせるきっかけが無かった事に気付いた周瑜が、敢えて譲歩して見せる事によって程普の背中を押すために、わざわざ挨拶と言う形で出向いて来たという訳だ。


「……ふ。ふふ、ふっはっはっは!」


 程普の口から笑いが漏れたかと思えば、らしくないほどに高らかに笑いだした。


 少なくともこれまで魯粛は見た事が無かったが、意外と本気で驚いている周瑜の様子から彼もまた初めて見る程普なのだろう。


「いや、失敬。今の今まで自分の中で相反する思いが渦巻いておったのだ。大都督を任じられる者は公瑾をおいて他にいないと言うのは私にも分かっている。だが、息子より年下の大都督を受け入れられるほど私の器は大きくなかった様だ。しかし、公瑾にはそれすら見抜かれていたらしい」


 程普は本当に楽しそうに言う。


 彼自身が前に出たがらない性格もあって知られていないが、程普は孫堅より年上で現在の孫権軍では最年長の一人であり、張昭よりも年上なのである。


「泣き言の一つでも言ってくれれば、私も主君に大都督の人選の再考をと願い出る事が出来たものを、自身で責任を背負う意志を見せつけられた上に私を立ててくれていると言うのであれば、私もこれ以上惨めを晒す訳にはいくまい」


「恐れ入ります。ですが、程普殿の支えが必要な事には疑いの余地はありません。何卒、この若輩を支えていただきたく」


 周瑜の言葉に、程普は笑って頷く。


「公瑾よ、そなたは誠に極上の美酒の如き者よな。これほど気持ちよく酔わせてもらってその期待に応えぬのは、それこそ恥と言うものだ」


 程普は笑顔でそう言うと、一度咳払いをする。


 その瞬間にいつもの冷静沈着な程普が戻ってきたのだが、あまりの変化に魯粛は見ていてちょっと恐怖を感じた。


「本来であれば大都督に物申すなど不届き千万なのだが、大都督ご自身がご所望との事なので率直に言わせてもらおう。公瑾の謙虚さは将の資質としては申し分無く、大将の大将たる器と言うべきであろう。だが、全軍を統括する大都督が謙虚であるべきは主君に対してのみ」


 やはり程普もそう思っていたか。


 魯粛は少し安心する。


「無論、自身の失敗や失策を認める度量は必要である。だが、大都督たる者が確たる軍略も無くただ譲っていては軍として百害有れど一利として無し。時に味方を死地に送る事になる事を分かった上で命じねばならん立場である。公瑾、今のそなたにそこまでの決意と、傲慢に映るほどの覚悟があるのか?」


 程普の言葉に周瑜は険しい表情になる。


「あるかと問われると……、分かりません」


「先ほど公瑾が申した曹操評だが、私は公瑾と曹操との間にそこまでの差があるとは思えない。だが、少なくとも今の公瑾では曹操の方が上手だろう。曹操に勝つ為にまず行うべき事がある」


「それは?」


「劉備に対する格付けだ。話は聞いているが、劉備の軍師である諸葛瑾の弟。随分と言いたい放題だったらしいな。それはつまり劉備は対等である、あるいはこちらを下に見ていると言う事の表れ。それを認めたまま戦に入ってはいけない。例え相手や周りにどう見られようとも、劉備は我々や曹操と比べて格下であると知らしめてから戦に入るべきだ」


 程普の提案は、周瑜にしても魯粛にしても考えていた事ではあるが意外な提案でもあった。


 同等の同盟。


 それは理論上では同盟の正しい形なのだが、実際には有り得ない。


 戦の主導権を握る者をはっきりさせない限り、指揮系統は乱れ軍など簡単に機能不全に陥るのだ。


 反董卓連合がまさにその例だと、魯粛は思い出す。


 あの時の袁紹は、よく言えば謙虚に周りの意見を聞いていたかもしれないが、副盟主である袁術に対して明確な指示を出す事も出来ず、また袁術も盟主を立てる事を行わなかった事もあって大義と数的優位を持ちながらそれを活かせず、董卓に敗れる事になった。


 大軍を有するとは言え、曹操軍は以前の反董卓連合とは違い曹操の指揮の元で戦う集団である。


 一方少数でありながら同盟軍の孫権、劉備の連合は今のままでは戦が始まってから瓦解すると言う危険をはらんでいる。


「公瑾、そこに気付いていない訳ではないだろう?」


「……劉備に対する格付け、ですか」


「そうだ。それは君と諸葛亮の格付けでもある。これで君が下に見られる様であれば、おそらく孫権軍そのものが格下に見られる。もちろん兵士達の目にもそう映る事だろう。そうなればおそらく君の指示より諸葛亮の指示に従う事になる。それは曹操に敗れる事とさほど変わらない結果をもたらす事になるのは分かっているな?」


 程普の言葉に、周瑜も頷く。


 随分と強い言葉だが、程普の言う事もあながち間違ってはいない。劉備は人の下につく事を良しとする人間ではないのだから、与し易いと見られれば間違いなくこの戦が終われば牙を剥く。


 それは魯粛も危惧するところである。


 すでに劉備は江夏を足掛かりにしている。


 そこから江東、そして益州と兵を進め、かつて周瑜と孫策が夢見た天下二分の計となる恐れはある。


 もっとも、自分が孔明であれば天下二分は狙わないだろう、と魯粛は考えていた。


 江東を得たとしても、益州に兵を進める前にまたしても曹操の大軍が南下してくるだろう。その時には防戦を強いられる事になり、そのまま曹操が益州を取り、国力差がついて終わりになるのは分かっているはずだ。


 天下三分、これこそが孫権と劉備が生きる道である事は孔明も分かっているだろう。


 魯粛はそう思うのだが、あくまでもこの同盟はこの戦限りと見るのが孫権軍の見解である。


 孔明のヤツがやりすぎたからのう。


 今後も曹操に対する盾として劉備軍は必要である、と魯粛は考えている。


 そう、天下三分には劉備が必要であり、せめて盾として使えるくらいには強くなってもらわなければ困る。


 この時孫権軍の中でそう考えているのは、魯粛一人であった。


「その決意と覚悟があるのでしたら、私は大都督に対し全面的に指示する事をお約束致します」


 程普は周瑜にそう言うが、それは大都督と言う異常な重さのある地位に就いた事を、改めて周瑜に思い知らせる事になった。


 当然それを宣言した副都督の程普も、その軍略を支える参謀である魯粛も周瑜一人に押し付けるのではなく、同じ重さを感じる事になったのである。

極上の美酒


孫策が周瑜を評した言葉と思われがちですが、これを言ったのは程普です。

ただ、いかにも孫策らしい小洒落感とすっごく周瑜を捉えた例えなので、ちょい地味な程普っぽく感じなかった事も一因かと思われます。


この言葉はまさに今回の話のタイミングで、周瑜が大都督に任じられた時、程普は物凄く不満だったそうです。

が、周瑜と言葉を交わしてその評価は一転、大都督は自分ではなく周瑜が適任と認めた時の言葉の様です。

正史の完璧超人である周瑜ならではと言えなくもないですが、正しくソレを認める事が出来る大人な程普もまた立派な人だと言えます。


袁紹軍でこれくらい大人な参謀がいれば、違った結果になっていた事でしょう。

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