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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く

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第十六話 曹操死すの報有り

 蔡瑁は自分を幸運な人間であると思っていた。


 自分に一騎当千の武勇が無い事も知っているし、千手先を読む神算鬼謀の持ち主でもない。


 世の中には異常としか言いようのない才能を持った者がいる事は知っているし、自分がそれでない事も十分承知しているが、それを卑下している訳ではない。


 例えば呂布。


 古今無双とさえ言われた異常極まりない武勇を誇った猛将であった。


 例えば孫策。


 古の覇王、項羽とさえ比肩されるほどの戦の天才だった。


 王佐の才と称された王允、董卓の知恵袋だった李儒、呂布の腹心であった陳宮など、蔡瑁自身を遥かに凌駕する才能を持つ者達がいたが、今名前を上げた者達はその才覚に見合った最期を迎えたと言う訳ではない。


 それに対して蔡瑁は、武勇や知略においては天才達には及ばないものの比較的優秀と言うべき能力がある事は自覚しているし、天才達と比べても劣らない能力を持っている事も知っている。


 蔡瑁と、彼の片腕とも言うべき張允ちょういんが有する天下で一、二を争う才能。


 それは風読みと波乗りによる操船技術である。


 特に蔡瑁の風読みは他の者達には想像もつかないほどに的確であり、しかも数日先まで読み切る事まで出来る。


 張允は波を掴む事が上手く、その波の立ち方で地形を掴む事すら出来るし、どれほど荒れていたとしても船を操る事や指揮する事さえも出来る。


 一個人として見るのであれば、蔡瑁や張允は呂布や孫策の足元にも及ばないだろうが、水上戦であれば一個人の武勇など無きに等しい。


 水上戦では何よりもまず操船技術であり、乗船させなければその武勇を振るう機会そのものが訪れない。


 蔡瑁と張允であれば、そう言う水上戦を行う事も出来ると言う自信はあった。


 実際陸上戦では劉表軍では極めて優秀な武将であった黄祖でも孫権軍には全く歯が立たなかったが、水軍であれば互角以上に戦う事が出来ている。


 その上で荊州水軍は孫権軍の全軍にも劣らない規模なので、個人で比べるのであれば孫権軍の水軍を率いる周瑜には一歩及ばないものの、その周瑜ですら荊州水軍を打ち破る事は出来ていない。


 その戦力を有したまま、中原の覇者たる曹操に降る事が出来た事は僥倖ぎょうこうとも言うべきだっただろう。


 当然と言えば当然だが、強力無比な騎馬軍団を有する曹操であっても雄大な長江での戦となれば、百戦錬磨の曹操軍の猛将達ではなく蔡瑁と張允を頼らざるを得ない。


 その予想通り、曹操はすぐに蔡瑁と張允を水軍全軍の大都督と副都督に任じ、騎馬を率いる猛将達を蔡瑁達の下に置いたのである。


 ここまでの厚遇は想定していなかったが、少なくとも孫権を打ち破るまでは蔡瑁達の水軍は必要不可欠であり、また孫権を打ち破った後にも水軍が必要無くなると言う事も無い。


 蔡瑁は、曹操軍の中で確実に一定の地位を固めたと言える。


 そこで蔡瑁は曹操軍の軍師である程昱に、孫権に降伏の書状を送る事を献策した。


 誰の目にも分かる敗北に等しい降伏であると知らしめる為にも、降伏の書状は失礼極まるモノが良いと提案した。


 程昱は乗り気ではなかったものの、最終的には曹操が認めた事もあって非礼な書状を孫権に送る事になった。


 とても戦として成立しないほどの戦力差であり、少しでも戦略に携わる者であれば無駄な戦で血を流すより降伏するべきだと判断するのは当然だと蔡瑁は思っていた。


 が、孫権からの返答は少し違っていた。


 内政を司る面々は戦によって無益な流血は望んでいない為に降伏する事を望んでいるが、武官達は無条件降伏を良しとしない為に徹底抗戦を望み、軍部の最高責任者である周瑜や程普ですらどうするべきか答えが出せないほどの混乱状態にある為、返答はしばらく待って欲しいと言う内容の返答が張紘の名で送られてきたのである。


 武官連中が何を期待して徹底抗戦をのたまっているのか蔡瑁には理解出来なかったが、孫権が答えを悩んでいる間の時間が出来たのは、荊州水軍の実力を曹操軍に見せる為に使えると蔡瑁は考えた。


 蔡瑁は曹操軍に長江を体験してもらおうと、船を出す事を提案した。


 戦場を実際に確認すると言うのは武将達にとっても必要な事なのだが、意外な事に曹操は長江の雄大さは武官ではなく文官に見せてやりたいと言い出した。


 曹操が言うには、武将達は戦場を駆け回る事が多い為に状況の変化に対する対応は早いのだが、従軍軍師として戦場に出ない限り内務に関わる者達は決められたところの決まった景色しか見ない事が多いので、案外状況の変化について行けない者が多いと言う事だった。


 言われてみれば確かに、と蔡瑁も思うところがあった。


 そしてこの時、蔡瑁にも精神的な余裕があったせいで、つい悪戯心が働いてしまった。


 霧が出る事が分かっていながら、その日を選んで船を出したのである。


 結果論で話すのであれば、それは油断から来る慢心であったと指摘されるまでもなく蔡瑁にも分かっている。


 だがその時には孫権軍は混乱の中にあってすぐに軍を動かせる状態ではなく、またこの近辺の川賊はすでに解体吸収されて活動していなかったと言う事もある。


 蔡瑁自身もそうだが、中原の武官文官の多くは自分達こそ天下の中枢を動かす者であると言う自負が強く、そこから外れた者達を辺境の者と蔑む傾向が強い為に不快に思うところが強かったせいもあっただろう。


 まさかそこまで周瑜が見越していたなど、蔡瑁は夢にも思わなかった。


 船を出し、中原の者達がまるで大海に出た様だと子供の様にはしゃいでいるのを見て、蔡瑁の悪戯心が膨れ上がっていくのを抑えきれなかった。


 丁度陸地や港が見えなくなってきた頃に霧が出始め、さらに進んだところで視界は完全に濃霧で遮られる事となった。


 思っていた通り、船の上では中原の文官達が大騒ぎとなり、蔡瑁は笑いを堪えるのに苦労させられた。


 このほとんど目隠し状態からでも元の港に戻る事など何も問題にならないほどに、荊州水軍の練度は十分でありむしろここからが荊州水軍の真骨頂とも言うべき見せ所となるはずだった。


 少なくとも、鈴の音を聞くまでは。


 荊州で船を出す時の鉄則の一つで、船の上で鈴の音を聞いたら何も考えずに船を捨ててでもその場から逃げる事、と言われるものがあった。


 その鈴の音は錦帆賊乗船の証。


 他の川賊なら奪われるモノは金品などが主になるのだが、錦帆賊は文字通り全てを奪っていく。


 金品食料などはもちろん、船の上から全ての命を奪い去った後で船まで奪い取っていくのが錦帆賊のやり方であり、その獰猛さは猛獣の群れに襲われた様なものである。


 しかも錦帆賊達は揺れる船の上での戦闘をものともしない身体能力と戦闘能力を持っている為に、並みの武将や自称豪傑ではまったく相手にならない。


 その為に下手に戦闘行為を行うより、何も考えずに逃げた方が被害が小さくて済むのである。


 もちろん蔡瑁はその原則に従った行動を取った。


 劉表や黄祖が甘寧を厚遇していればこんな事にはならなかったものを、と思いはしたが今言ってもすでに手遅れである。


 何も考えずに、と言われても実際その場になるとそう言うわけにも行かず、蔡瑁は自身の身の安全もさることながら、要人達の避難や全軍撤退の合図となる鐘の音を鳴らす為の指示、奪われるくらいなら沈めてしまった方が良いと船に火を放つ事も行った。


 旗艦となる龍船を失う事になるのは大きな損失ではあるが、それでも奪われるよりはマシなのでやむを得ない。


 こうして蔡瑁は多大な損害を出したものの、それでも最低限の要人を守り抜いて最前線の拠点となる赤壁へと戻ってくる事が出来た。


 が、そこで蔡瑁達を待っていたのは、実は船にはお忍びで曹操も沈んだ龍船に乗船しており帰ってきていないと言う凶報だった。




「論じるに値しない虚報です」


 周瑜は曹操死すの情報に対し、遂に沈黙を破って一刀両断するかの様に言い放つ。


「もし本当に曹操が死んだと言うのであれば、逆に曹操が生きていると装ってこちらの不意打ちによる非道を責め、強く降伏を勧めて来たでしょう。おそらく朝敵と見なし、全軍を持って非道の主を討ち滅ぼすと言って来たはず。殊更曹操の死報を流してきたと言う事は、その恨みを逸らす為にこちらから降伏を申し込んでくるであろうと言う策略」


 周瑜の思いもよらぬ強い言葉に、孫権だけでなく周囲の者達全員が驚かされた。


「仲謀、お主の決断次第じゃな」


 自身の席に戻る機会を逸した魯粛が、孫権の傍らに控えた状態で囁く。


「降伏は、我ら家臣には決して悪い選択ではない。曹操は人の才を愛でる者であり、我ら孫権軍の家臣団はどこに出しても恥じない才覚の持ち主揃い。まず間違いなく曹操軍内でも厚遇されるじゃろう。が、仲謀、お主は違う。これだけの家臣団をまとめ上げるお主の才覚は、愛でられるどころか疎まれ恐れられる才覚。お主の才は曹操の後継どもを遥かに凌駕するからのう。降伏した場合、お主の前途は絶たれ飼い殺しにされる。亡き父、兄が期待したお主にふさわしい道かを考えよ」


「言われるまでもない」


 孫権は力強く頷く。


「公瑾、曹操がその様な姑息な策を用いる理由は何だと思う?」


「我ら孫権軍を恐れる証。直接当たるを良しとせず、策によってこちらの弱体化を計る事は、まさにその表れでしょう」


「うむ、俺もそう思う」


「お待ち下さい、我が君!」


 張昭が孫権の言葉を遮る。


「戦を行うにはあまりにも絶望的な戦力差である事は事実! 何卒、ご英断を!」


「英断、か」


 張昭の言葉に孫権は頷くと、剣を抜き放って机を真っ二つに斬った。


「ならば、俺は決めた! 周瑜! 今、この時を持って貴将を全軍の大都督に、程普を副都督に、魯粛を参謀として、これより曹操と戦を始める! 逆らう者の末路は、この通りだと思うが良い!」


 孫権は剣で真っ二つにして机を指し示し、高らかに宣言する。


「諸葛亮殿、例え二千の兵であったとしても、劉備軍も全軍を持ってこの戦に当たられると言う事でよろしいな?」


 孫権の言葉に、諸葛亮は深々と頭を下げる。




 こうして三国志演義では最大の大戦として描かれている『赤壁の戦い』の幕は切って落とされたのだった。

蔡瑁と張允の謎能力について


今作の創作設定なのですが、演義においてはあの周瑜と孔明先生が勝つ為には消す必要があると考えた二人なので、これくらいの特殊能力は持っていたのではないでしょうか。

劉表にとっては妻の兄だったので厚遇する理由はあったでしょうが、曹操にとってはそんな理由も無くいきなり自身に次ぐナンバー2である大都督にしている事からも、この二人には何かあったと思いたくなります。


もっとも演義の赤壁の戦い自体が九割ほどフィクションなので、投降した人も厚遇するよアピールでしかなかった事も十分考えられる事ではあります。

ナンバー2と言えば聞こえは良いですが、演義の曹操軍って帝愛並に完全ワントップ型ですし。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 蔡瑁は昔、曹操と顔見知りだったことで、荊州で降伏しても悪いようにならないと感じてはいたが、曹操はさほど、重要視してなかったが、水軍の重要性を感じていたため、仕方なく、水軍…
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