第十四話 周瑜からの贈り物
「あ? 今、なんて言った?」
飲み物を運んできた小喬が、さっそく諸葛亮に食ってかかる。
本来ならそんな雑用をする立場の女性ではないのだが、好奇心が強く行動力があり、若干気が短い彼女の事なので来客の話が気になって仕方がなく、下女から奪い取ってきたのかもしれない。
「ん? 今、なんて言ったの? んん?」
「え? いや、あの、どなたですか? このおっかない美人さんは」
「今まさに己が言うた者じゃよ」
笑顔で迫ってくる小喬に恐れをなした諸葛亮が、魯粛の陰に隠れようとしながら尋ねる。
「今まさにって……、え? もしかして江東の二喬のどちらか?」
「そうじゃ。ほれ、言うてやれ。本人に伝えるのが一番じゃろう?」
魯粛はそう言うと、今までのお返しとばかりに諸葛亮を小喬の方へ差し出す。
「初めまして、お客人。私、周瑜の妻で、人からは小喬と呼ばれています」
にこにこと微笑みながら、小喬は諸葛亮に詰め寄っていく。
「ど、どうも、劉備軍で、軍師をやっています、諸葛、亮、です。孫権殿の元で、兄が、お世話に、なってます」
諸葛亮はしどろもどろになりながらも答えるが、小喬の迫力から逃れる為か少しずつ遠ざかって行く。
「まぁ、諸葛瑾様の弟君なんですね。ところで先ほど私の名前が聞こえましたが、一体どの様なご要件で?」
「……いや、これは天下の大計の事。女人が口を挟む事では……」
「あ?」
諸葛亮は何とかして小喬を遠ざけようとしたのだが、ひと睨みで黙らせられる。
「どうされた、孔明殿? まさか天下の大計、江東の未来がかかっているこの時に、女人一人に凄まれて口も聞けぬと?」
魯粛は大喜びで諸葛亮を煽る。
「小喬殿は周瑜殿の奥方様であられましたか。……では、大喬殿は? 大喬殿だけでも……」
「あぁ? 姉様が何だって?」
大喬の事に関わると笑顔を維持出来なくなったのか、小喬の表情が一変する。
「ああ、言うのを忘れておったが、大喬と小喬じゃがそれはもう仲の良い姉妹でのう。言うなれば小喬にとって姉の大喬は、言わば逆鱗じゃな。ちなみに大喬は亡き先主の妻じゃ。当然当主の孫権様も大事にされておる。で、孔明殿の策はなんじゃったかのう?」
「……周瑜様ぁ、助けて下さいぃ」
諸葛亮が情けない声で周瑜に助けを求めると、周瑜は笑いながら小喬と魯粛を制する。
「孔明殿、おそらく貴方は小喬が私の妻、大喬が先主の妻である事をご存知だったのでしょう? 曹操に降る訳にはいかない劉備軍としては、何が何でも孫権軍には抗戦してもらわねばならないところ、私が抗戦とも降伏ともつかない態度だった事で、私を怒らせて抗戦させるおつもりだったのでは?」
周瑜はどこまでも優しく、柔らかい口調で尋ねる。
「ご明察、恐れ入ります」
「もしこの場に子敬殿や小喬がいなかったら、おそらく私も拳を振り上げ『曹操め! 何と恥知らずな事を! その様な者に断じて降伏などせぬ!』と激怒していたでしょうが、先に怒る方が近くにいるもので、私自身はいつも出遅れて結果として冷静でいられると言う訳です」
周瑜がそんなに感情を表に出す事があるとは思えないが、周瑜の周りには彼より先に感情を発露する者がいる事は事実である。
何しろ、あの孫策と共に行動していたのだから、感情による行動で出遅れる事は常であり、むしろそれが身に染み付いてしまった結果ではないかと魯粛は思っていた。
孫策亡き後にも同程度に短気な小喬は健在であり、孫策ほどではないにしても孫権もそこそこ感情的になる事は多い。
さらに内政を司る張昭や軍部の重鎮である黄蓋など、確かに周瑜が感情的になって行動するより先に感情を爆発させる人物に囲まれていると言えるだろう。
「実に見事な策ではありますが、ここは一つ私に協力しては頂けませんか?」
「え? 私が周瑜殿に? それはもちろん、何でも協力致しますとも! 必要とあらば一肌でもふた肌でも、今この場で脱いでも構いませんとも!」
「それは必要ありません」
調子に乗る諸葛亮を、周瑜は素早く制する。
「先ほども言った通りですが、まずは主命が第一。いかに私が抗戦を唱えても、主が降伏と決めたのであればそれに従うのは当然の事。それは承知のはず」
「はい。おっしゃる通りです」
「孔明殿は人を怒らせる事が非常にお上手で、おそらくそれがもっとも得意とする手なのでしょう。その弁舌にて動かして頂きたいのです」
「孫権殿を怒らせろ、と?」
「違います。存分に弁舌を奮って頂ければ、おそらく主君は抗戦の意を示される事でしょう。明日の軍議の場には同行して頂きたい」
「それはもちろん、願ってもない事です!」
諸葛亮はもちろんそうだが、魯粛としても周瑜の申し出は願ったりといったところである。
周瑜の発言力は極めて強く、周瑜自身が控えめで忠義に厚い性格な事もあってあんな事を言っていたものの、孫権が周瑜の決定に逆らうと言う事はまず無いと思われる。
しかし、それで押し切った場合には内政を司る面々との分断が深刻化してしまう恐れがある。
それがどんな形であったとしても、文官達にも納得の形で曹操に対して抗戦と言う事にしなければ、今後大きな問題に発展しかねない。
この手際の良さ、まるでワシが知らぬ間に周瑜に操られておるかのようじゃ。
全てが自分の意志で決めてきた事であり、劉備との同盟も魯粛の独断で行った事なのだが、結果だけを見れば周瑜から誘導されていたのではないか、とさえ思えてくる。
しかも、それがさほど悪い気がしない。
「でも、それだともう少し見栄えに趣向を凝らしてみては?」
そう提案したのは、小喬だった。
「趣向?」
男性陣が三人揃って首を傾げる。
「ええ。急拵えだったにしては、僧形の軍師と言うのは悪く無いと思うのですが、それだけでは今一つ物足りないと言うか、どうしてもありきたりと言う印象は拭えません。諸葛亮殿が弁舌にて怒らせる事が目的と言うのであればもう少し怪しげと言いますか、見るからに信用出来ないと思わせた方がよろしいのでは?」
「なるほど、面白いのう」
小喬の提案に、魯粛は大きく頷く。
「いっそ、僧形は止めて女物の着物で行くと言うのはどうじゃ?」
「嘘ですよね? 今、冗談で話してますよね?」
諸葛亮は不安になって声をかけるが、小喬と魯粛はそんな声が聞こえていないのか盛り上がっている。
「何なら化粧もする? 私がやっても良いけど?」
「面白そうですが、劉備殿は皇叔です。その使者が女装して同盟を提案しに来たとなっては、怒るどころか呆れられて侮られる事でしょう。少なからず興味はありますが、今回は保留としておきましょうか。それより小喬、私の『アレ』を持ってきてもらえませんか?」
「あ、確かに。『アレ』なら良いですね」
周瑜の提案に小喬も思い当たる事があるらしく、素早くこの場から離れていく。
「何じゃ、公瑾。『アレ』とは。甘寧ばりに雉飾りでも付けるか?」
「それも面白そうですが、残念ながら我が家にあれほど立派な雉飾りはありません」
周瑜の提案なので突拍子も無い事は無いはずだと言う思いと、小喬が妙に乗り気だったのが気になる諸葛亮としては落ち着かない様子で周瑜と魯粛を見比べている。
「持ってきました」
小喬が小走りで、小箱を抱えて戻ってきた。
「コレは?」
「私が以前使っていた物です」
周瑜に勧められて、諸葛亮は恐る恐るといった感じで小箱を開ける。
中にはひと振りの羽扇が入っていた。
「……え?」
「先主の折、私は名士周りを行っていたのですが、先主から『武の匂いが消せていない』と言われ、これを持たされたものです。それを孔明殿に差し上げましょう」
「よろしいのですか? その様に大切な物を」
「ええ、今後武に身を置く私には必要の無い物で、箱の中で朽ちていくのはその羽扇も望むところでは無いでしょう」
周瑜に言われ、諸葛亮は箱から羽扇を取り出す。
「どうですか?」
諸葛亮は羽扇を持って、周りに見せる。
「うむ、胡散臭さが数段増したぞ。まっとうな人間なら、今のお主を見た瞬間に警戒するじゃろう」
「何か、最初は安いけど次からめちゃくちゃ高くなる物とか売りつけられそう」
魯粛と小喬は失礼極まりない、率直な意見を言う。
が、諸葛亮自身は悪い気がしていないのか、数回羽扇を扇がせている。
「すっごい上品な風が来ます。何と言うか、コレだけで上流の遊びを行っているみたいな気がします」
「うわー、扇いでるとさらに胡散臭いわー」
小喬は堪えきれずに笑い出す。
「明日、主の元で弁舌を奮ってもらいますよ」
「ええ、ご期待にお応え致します」
周瑜の言葉に、羽扇を両手に持って諸葛亮ははっきりと応えた。
僧形と羽扇
このTHE・孔明セットと言わんばかりの装備ですが、Wikiを見る限りでは何と演義以前は周瑜の標準装備だったそうです。
演義で短気なブチギレ大都督となった周瑜なので軍装が基本となり、正史以上の完璧超人となった孔明先生が正史における完璧超人だった周瑜の後を継いだのかもしれません。
なので、完全に創作設定なのですが、羽扇はこんな形で孔明先生の手元にやってきました。
言うまでもない事ですが、ビームは出ません。
あと、孫策から贈られたと言うのも、創作設定です。