第十三話 周瑜と諸葛亮
魯粛が周瑜の屋敷を訪ねたのは、夜分遅くになってからだった。
原因は諸葛亮の服装である。
何も、豪華絢爛な衣装を身に纏えと言っている訳ではないのだが、今の諸葛亮は着の身着のままの薄汚れた着流し状態である。
魯粛は独断で劉備との同盟を持ちかけ、事実上それを結んできたのだが、全員合意で満場一致の同盟と言う事など有り得ない。
まずは口煩い張昭辺りからとやかく言われる事になるだろうが、正直なところそれはどうにかなると魯粛は思っている。
問題があるとすれば、周瑜の方である。
周瑜は超一流と言っても過言ではない実力者である事は、孫権軍なら誰もが知っている。
そんな彼であれば、曹操に対抗する為には『劉備』と言う駒は必ず必要になると言う事はわかってもらえるだろう。
だが、もし万が一にも周瑜が同盟に反対した場合、事態は極めて深刻になる。
周瑜の言葉は、ある意味では主君の孫権以上に孫権軍に対する影響力が強い。
なので周瑜が反対した場合には、同盟締結そのものが無かった事になるどころか魯粛の独断による行動も咎められる事になり、おそらく今後魯粛の発言力は無くなるだろう。
そんな訳で、少しでも周瑜の機嫌を損ねる訳にはいかないと魯粛は入念な準備を行っているのだ。
「とは言え、お前、デカいからなぁ」
「でしょ?」
「何でちょっと嬉しそうなんじゃ」
「んっふっふー」
「そんだけデカいと、もうこの際僧形で良いか」
魯粛も面倒になったのか、官服を諦めて僧形の服を諸葛亮に被せる。
「これで少しはマシになったじゃろう」
「そこまで見た目を気にしなくても良くないですか?」
「たわけ。百聞は一見にしかずと言う言葉を知らんのか? 百の風聞も見た目一つで侮られる事になるから、見た目は重要と言う格言じゃ」
「……あれ? なんだか私が知っているモノとはちょっと違う気がするのですが……」
「目から入ってくる情報と言うのは、他の情報よりバカデカいんじゃから、少しでも良くしておくのは極めて重要じゃぞ?」
そんなやり取りをしているうちに、遅くなってしまったのである。
「……でも、こんな夜分に失礼じゃないですか?」
「誰のせいで遅くなったと思っておるのじゃ」
「お店の方です。接客上手でしたから」
諸葛亮はまったく悪びれる事なく、笑顔で答える。
いざ服装を整えると、色味が良くないとか、もう少し袖をなど諸葛亮が細かく注文をつけていたせいでさらに遅くなったと言う一面もあった。
「まったく、これは子瑜の申す以上の難物じゃわい」
「まあまあ、そんなに怒らずに」
「……大したモノよのぅ」
怒らせている側から宥められ、魯粛は怒る気も失せて呟く。
こうやって様子を伺い、主導権を握ろうとしていると言うのは頭では分かっているのだが、時々そんな高度な事を考えておらず、ただ楽しんでいるだけなのではないかと不安にもなる。
それでも魯粛は周瑜の元を訪ねた。
「こんな夜分にすまんな。本当ならもっと早くに来るはずじゃったのだが、このたわけた木偶のせいで遅くなってしもうた」
「いえいえ、来られると思って待っていましたよ」
本来であれば非常識な来客であるのだが、それでも周瑜は笑顔で迎えた。
「ところで、その方は?」
「あ? こやつはたわけだ木偶じゃ」
「どうも、初めまして。周瑜と申します」
まったく動じる事無く、周瑜は諸葛亮に頭を下げて名乗る。
「初めまして。たわけの木偶です」
「ちゃんと名乗れ」
諸葛亮の名乗りを聞いて、魯粛が諸葛亮の尻を蹴る。
「ぃやん」
「公瑾、こやつの事は忘れてくれ。今、この場で切り捨てる」
「え? 待って待って! 木偶って言ったの貴方じゃないですか!」
「いいから。もうとにかく細かい事は良いから、とにかく名を名乗れ。これ以上時を無駄にすると言うのであれば、容赦はせんぞ」
魯粛は剣に手をかけて言う。
「分かりましたって。私、姓は諸葛、名を亮と申します。劉備様の元で軍師をさせていただいている者でございます。以後、お見知りおきを」
「貴方が諸葛瑾殿の弟殿ですか。あの魯粛殿とやり合えるのは、それだけでも天下の鬼才たる証でしょうね」
「公瑾、このデカいだけのたわけの相手をしている場合ではないぞ」
魯粛の言葉を、周瑜は笑顔で遮る。
「そうは言っても、わざわざ独断で劉備軍の軍師を招いているのですから、無下に出来る様な事では無いのでしょう?」
周瑜はそう言うと、二人を招き入れる。
「それほどまでに大胆な行動を取ったと言う事は、曹操の勢い、例の書状も案外低俗な脅しと言う訳ではないと言う事ですか」
「例の書状? 何の話じゃ?」
「おや、ご存知無かったですか?」
周瑜は魯粛と諸葛亮に、曹操からの書状の話をする。
さらにその書状が来た事によって、降伏派と抗戦派の主張はぶつかり合い、その中間としてどうしていいのか分からないと言う者達による混乱も招いていると言う事も説明した。
「ほう、ワシがこの木偶の相手をしておる間に、そんな事になっておったか。して、公瑾の事じゃから何かしら手は打っておるのじゃろう?」
「手、と言われてもさほど有効な手は今のところ打ち様がありません」
そう言うと周瑜は、張紘には今の混乱した状況を曹操に知らせる様に返書を、軍部には川賊の行動の自由を指示した事、川賊には長江北岸でならば略奪行為を許した事を伝えた。
「ふっはっは! さすが公瑾! 痛快じゃな!」
魯粛は楽しげに笑うが、諸葛亮は眉を寄せる。
「……周瑜殿、まさか本気で降伏を考えておられませんよね?」
「あ? 今の話を聞いておらんかったのか?」
魯粛は呆れながら諸葛亮に言う。
周瑜の策は、張紘と言う曹操にとっての旧知にある信頼出来る情報源から呉の混乱を伝えられた場合、まず間違いなく答えを待とうと考える。
そして、ただ待つと言う事に徹するには曹操と言う男は好奇心が強すぎると言う問題があった。
おそらく低俗な脅迫じみた書状自体は、曹操の名を語ったお調子者の仕業だろうが、曹操がそれを止めなかったと言うのはその書状による反応を見たかったのだろう。
そしてその答えを待つ間、曹操が未知の大河を前に黙っていられるとは思えない。
混乱で敵は動かないと思っている曹操は大河に船を出す事は十分に考えられる事であり、そこを川賊に襲わせるのが周瑜の策の全貌であると魯粛は見ていた。
そうする事で曹操軍との戦端を開き、降伏派がどう言おうと戦に引きずり込む事を狙っての事だろう。
「いえ、それではまだ完成ではありません。この策にはまだ続きがあるんです。そうですよね、周瑜殿?」
「さて? 何故そう思われるのですか?」
周瑜が首を傾げると、諸葛亮は首を振る。
「宛城の張繍でしょう?」
諸葛亮の言葉に、魯粛はようやく諸葛亮や周瑜の考えが分かった。
一般的な常識で考えた場合、自分を殺そうとした者、そこまで行かなくても危害を加えてきた者にはそれ相応の罪科が課せられるものである。
降伏する事を考えるのであれば、周瑜のやろうとしている事は下策どころの話ではなく、まず間違いなく降伏を受け入れられなくなる行動だろう。
が、曹操と言う破格の英雄に対してだけは違う。
曹操はかつて宛城にて降伏した張繍の裏切りにあい、嫡男と親族と無双の豪傑と数多の精鋭を失った。
にも関わらず、張繍が再度降伏した時にはそれを受け入れ、今では将軍位まで与えている。
普通では考えられない行動なのだが、乱世を終わらせようとしている曹操にとって有能な人材は幾らいても困らない。
それが自身を脅かすほどであれば、それだけで有能の証として捉えるほどに破格の英雄なのだ。
「諸葛亮殿なら分かるでしょう?」
「孔明と、字でお呼び下さい」
「孔明殿なら」
「孔明、と」
「……孔明殿ならお分かりでしょう? 戦略上最適であっても、道理の上でも間違い無い事であったとしても、主君の意に沿わない場合には戦略を練り直す事になると。私は戦うつもりであったとしても、主君のお気持ちが降伏すると言うのであれば、主の為に主の立場を少しでも良くしようとするはず」
「非常に素晴らしいご意見ですが、私がそれほど高潔な人物とでも?」
諸葛亮は不思議そうに周瑜を見る。
「戦略で言うのならば、劉表殿は曹操に奪われるくらいなら劉備殿に荊州を譲ろうとしたのでは? もしそうでなかったとしても、本気で曹操と戦うつもりであれば劉備殿は荊州と言う地盤が必要だったはず。もし私であれば例え汚名を着てでも荊州を奪っていたでしょう。貴方もそうしようとしたのでは?」
周瑜の言葉に、諸葛亮は肩をすくめる。
「お見事です。私は確かに劉備様に荊州を奪う様に進言致しましたが、あの方はそれを良しとされませんでした。義と情に厚い仁義のお方なのです」
「……アレがか?」
魯粛は眉を寄せて首を傾げる。
「その後も民を捨ててでも江夏に駆け込めば、少なくともお身内や軍勢の多数を手元に残せたはずなのに、あのお方は民を一人でも多く救う為にお身内を捨て、子飼いの武将を捨て、名も無き民草を大切になされたのです」
「……アレがか?」
「何ですか、一々突っかかってきますね」
ひたすら首を傾げる魯粛に、諸葛亮が睨んでくる。
「いや、アレはそんな大層なものではなかろうに」
「失敬な。アレは大層なものなのです」
諸葛亮は胸を張って宣言するが、ごく自然に主君を『アレ』呼ばわりである。
「確かに劉備殿の名声は天を突き、漢の希望となっている事は事実。その劉備殿が同盟してくれると言うのであれば、非常に有難い」
「ですが、降伏するかもしれないでしょう?」
周瑜は笑顔なのだが、諸葛亮は拗ねた様に言う。
「もちろん、そうならない様に私も進言するつもりですよ」
「ですが、降伏するつもりならばそんな手の込んだ事をしなくても良い手がありますよ。この一手で孫権殿の地位も間違いなく安泰です」
「その表情を見る限りでロクな事を考えておらんのじゃろう?」
「いえいえ、これなら一滴の血も流れません。それどことか曹操から感謝状も届くでしょう」
露骨に疑いの目を向ける魯粛に向かって、諸葛亮は自信満々に言う。
「江東の名花と呼ばれる美女、喬公の二人の娘、大喬と小喬を曹操に献上するんです。そうすれば孫権将軍も江東の地も安泰、戦を避けられるどころか乱世を避ける事すら出来るでしょう」
この物語の孔明
正直に言えば、書き始めた時には『レッドクリフ』の孔明を参考にしていたはずだったのですが、気付けば蒼天孔明と新解釈三国志のムロ孔明を足した様なヘンテコ孔明になってました。
こんなハズじゃなかったのですが。
ただ、蒼天まではいかないにしても、孔明先生は非常に扱いにくいところはあったと思われます。
なのでレッドクリフの金城孔明みたいな知的なのにどこかユーモラスなのが、私の理想とする孔明像だったのですが、なぜこんな事になったのかは私にも分かりません。
こうなった以上は、この蒼天+ムロ孔明で行く事になります。
書いてて楽しかったので。
劉備もアレですし。




