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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く

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第十二話 周瑜に相談しよう

 開戦を告げる一通の書状は、軍事を司る周瑜も魯粛もいない状況で届いた。


 それは曹操からの書状であり、その内容は当代の名文家と言う評判の人物のモノとは思えないほど露骨な脅迫文だった、


「総勢百万の軍勢を持って、呉の地にて狩りをする、か」


 張昭はその書状を見て、鼻で笑う。


 彼自身も名文家として名声を得ていた為、そのあまりにも程度の低い脅迫文は自身の顕示欲そのものだと思ったのだろう。


 ほぼ全員が同じ判断だった事もあり、最初は笑い声も漏れていた。


 だが、その空気を変える事はすぐに起きた。


 張紘と顧徽が否定しなかったのである。


「張紘先生、あなたは曹操の軍勢をその目に見ているはず。この露骨な脅迫文をどう考えるか?」


 程普が張紘に尋ねる。


 それに対し張紘は、目を閉じたまま何も答えようとはしない。


「張紘、偽りなく答えよ。無用な気遣い、遠慮はいらん」


 孫権が促すと、張紘は頷いて目を開く。


「正直に申しますと、曹操軍の全てを知る訳ではありません。しかし曹操の軍勢は常に戦い続けられる戦闘集団であり、鍛錬も怠りませんでした。袁紹との戦いに際して数万を動員するのが精一杯だった事は間違いありません」


「では百万は虚仮だと?」


 黄蓋が尋ねると、張紘は首を振る。


「袁紹との戦いに動員出来たのは数万。ですが、その戦にて袁紹軍をまるごと飲み込んでおります。それ以前にも黄巾の残党である、いわゆる青州兵を有しております。さらに長安の守備軍、そして新たに吸収した荊州兵。現実的とは言えないまでも、もし全てを動員する事が出来れば百万と言う兵力はまだ控えめに伝えていると言えましょう」


 張紘のどこまでも冷静で、柔らかい声が事態の深刻さを正しく伝えてくる。


 張紘自身が言う様に、現実的ではない。


 袁紹の軍勢とその地盤をまるごと手に入れたとは言え、その広大な土地を守る為の兵は必要であり、北方には北方の異民族もいるので兵を全て動員する事など出来ない。


 同じように長安の守備軍も、西涼の馬騰ばとう、漢中の張魯ちょうろ、益州の劉璋りゅうしょうへの睨みを効かせる為にも動かせない。


 それだけでも曹操の全軍総動員は夢物語でしか無く、確実に半数以上は動かす事が出来ない事は疑い無い事である。


 が、全軍の半数は動かそうと思えば動かせる。


 その全軍の半数と言うのが、すでに超大軍であり張紘の言う様に書状にある百万と言う数ですら控えめな数なのだ。


「百万、か」


 猛勇を誇る黄蓋ですら、さすがにこの物量差には眉をひそめるしかなかった。


 先主孫策は、常に少数の軍で多数の軍と戦い勝利して来た。


 しかし、これほどの大兵力との大戦の経験は無く、ここまでの兵力差を覆した戦をしてきた訳ではない。


「いずれにしても、今、この場で全てを決める事などできんな。すぐに公瑾を呼び戻せ」


「いかな周瑜殿と言えど……」


 張昭が言いかけたのを、孫権は制する。


「国外の事は公瑾に相談してからと言うのは、先主の遺言だ。子布の言いたい事は十分承知しているが、先主の遺言に背けとは言わんだろう?」


 孫権にそう言われると、張昭としても言葉を挟めなくなる。


 こうして水軍の調練中であった周瑜は、急遽孫権の元へ呼び出される事になった。




 呼び出された周瑜は、さすがに即日その足で孫権に面会と言う訳にもいかず、まずは自宅で身支度を整えていた。


「公瑾様、お客様ですよ」


「客? こんな夜に?」


 小喬の言葉に、周瑜は首を傾げる。


「師匠がお見えです」


「師匠……、張昭様?」


 小喬の言う師匠は本来であれば学問の師匠のはずなのだが、最近では近接格闘を学んでいるのではないかと少し不安になる事もある。


 元々気の短いところもある小喬なので、張昭から格闘術を習うのはかみ合い過ぎるのが怖い。


 周瑜はそこに少し不安を感じてはいるものの、張昭は見た目はともかく常識人として高名な人物でもあるので大丈夫だろう。


「周瑜殿、こんな夜分に申し訳ない」


 周瑜の屋敷を訪れたのは、張昭だけではなく張紘や顧雍と言った主だった文官達であった。


「いえいえ、とんでもない。ところで何か重大な事が起きているとお聞きしましたが」


 周瑜は張昭達を招き、もてなしながら尋ねる。


「いや、過分な気遣いはけっこう。長居するつもりはない。今日は一言お伝えに参ったのみ」


「まず何が起きたのか、教えていただけますか?」


 張昭は周瑜に、曹操からの書状の事を話す。


「……百万の兵で、狩りですか……」


「周瑜殿の才覚、儂も十分に評価しておる。しかし、この地を血に染めるのは本意ではありますまい」


「曹操は本当にそれだけの大軍を動員出来ると言う事ですか?」


「可能性は低くない」


 張昭の言葉に、周瑜は眉を寄せる。


「主君はどうお考えなのでしょうか」


「外事に関してはまず周瑜殿に相談する、と。しかし、此度ばかりは相手が強大に過ぎよう。儂は無用な血を流す必要は無いと危惧しておるのだ」


「それは分かりました。私なりにこの国の事を十分に考えさせていただきますので、今日のところはお引取り下さい」


 周瑜の言葉に張昭は頷くと、文官達を引き連れて立ち去っていこうとする。


「張紘様、お待ち下さい」


 帰っていく文官の中から、周瑜が張紘を呼び止める。


「私ですか?」


「曹操からの書状への返書ですが、すぐに返答お願いします」


「……どの様な返答を?」


「この現状、そのままに」


 周瑜の言葉に、呼び止められた張紘はもちろん、他の文官達も不思議そうに首を傾げた。


「現状?」


「はい。今、まさにこの状況を曹操に返答していただき、少し時間をもらう様にしましょう」


「……分かりました。では、闞沢かんたくと言う若い書生がおりますので、その者に私の代筆を頼みましょう」


 張紘の言葉に、周瑜は笑顔で頭を下げて文官達を見送る。


 その後、ゆっくりしようとした周瑜の元に別の来客が現れた。


 黄蓋や韓当、朱治ら先の孫堅の代から仕えていた宿将を含む武将達である。


「周瑜殿、もう曹操からの書状の話は聞かれたか?」


 黄蓋が身を乗り出す様に、周瑜に詰め寄る。


「ええ、少しは。露骨な脅迫だったみたいで」


「まったく、程度が低いにもほどがある!」


 黄蓋は今にも卒倒しそうなほどに憤慨している。


「我らは屈さぬ! 曹操軍百万など、なんぼのもんじゃい! いくらでもかかってこんかい!」


「まぁまぁ、少なくとも私は曹操ではありませんし、私と戦う訳でも無いでしょう。私とて、むざむざとこの地を曹操如きにくれてやるつもりはありません」


 周瑜は黄蓋を宥めながら、笑顔で応える。


「おお、すまんな。つい熱くなってしまった」


「分かりますよ。あれほど失礼な書状、黄蓋将軍でなくても憤慨するのも当然です。主の孫権様も同じお考えなのでしょうか?」


 周瑜の質問に、黄蓋は眉を寄せる。


「それが仲謀……、あ、いや、孫権は、孫権様はまずは公瑾に相談すると申しておる。まさか公瑾は降伏を考えてはおられまいな?」


「降伏も何も、私はこの事に関しては今夜初めて聞きましたので、まだ何も考えておりません。ですが、先主伯符と共に我らが苦労して手にしたこの土地を簡単に引き渡すつもりはありません。とは言え、まずは孫権様のお考えを確認する事が先でしょう。無条件降伏は有り得ないにしても、一戦を交えて撃退する事のみが目的なのか、互いに最後の一兵までも駆逐しあうのかについては別問題もあります」


「……うむ、まさに公瑾の申す通り。少々頭に血が上り過ぎておったようだな。すまん、邪魔をした」


 黄蓋は何度も頷きながら言う。


「お引取りの前に、私からお願いがあります」


「む? 公瑾の方から願いとな?」


「全面降伏でも無い限り、曹操とは一戦を交える事になります。故にいつでも戦に出れる様に軍備を怠らないで下さい」


「無論、言われるまでもない」


「もう一つ。先ほどとは食い違うかもしれませんが、黄蓋将軍達の様な正規軍と違って、川賊上がりの者達は長く緊張感を維持する事はまだ難しいでしょう。ちょっとした川遊び程度であれば目を瞑って上げてもらえませんか?」


 周瑜の真意が読めない黄蓋は、首を傾げる。


 それは黄蓋のみならず、他の武官達も同様に不思議そうにしていた。


「……よかろう。多少の事には対応する事にしよう。だが、戦となれば正規軍も川賊上がりも関係無いぞ?」


「それは当然です」


 周瑜はそう言うと武将達を見送る。


 先ほどの文官達と違って物々しい集団ではあったが、それでも無頼の者と言う訳ではないので気に入らないからと暴れる様な暴挙には出ない。


「……慌ただしい夜ですね」


「まだ終わりではないでしょうね」


 小喬の言葉に周瑜はそう答えたが、それが正しいと証明するかの様に次の集団が周瑜の元を訪ねてきた。


 それは程普を筆頭とした集団で、凌統や甘寧ら川賊の他、呂蒙の様な参謀、諸葛瑾の様な文官も含まれていた。


 先の二組と比べると、まとまりの無い集団である。


「こんな夜分にいかがいたしましたか?」


「周瑜殿が戻られたと言う事でしたので、国の行く末についていかにお考えかをお教え頂きたく」


 程普が淡々と尋ねる。


「この国の行く末と申されますと、先日の曹操からの書状と言うヤツですか?」


「まさにその通り。今の孫権軍は降伏と抗戦とで真っ二つに割れている状態。これは国のあり方として非常に拙いと言わざるを得ないだろう。周瑜殿、いかにお考えか?」


「いや、先ほど聞いただけで、今のところはまだ何も。主君はどの様にお考えなので?」


「先主の遺言の通り、外事は周瑜殿と相談して決めると言われております」


 程普は声に抑揚をつけない為に、感情が読み取りづらいところがある。


 もっとも、先に来たのが感情丸出しの張昭と黄蓋と言う事もあって尚更そう思うのかもしれない。


「孫権様は聡明なお方ですので、おそらくある程度の事は考えておられる事でしょう。私に相談と言うのも、確認程度の事ではないでしょうか」


「うむ、そうである事を祈っている。情けない事に我らは降るべきか抗うべきかを決めかねているのだ」


「仕方の無い事です。我らにはまだ戦う力はあれど、百万の敵と言うのは天災が如き災厄。どうすべきか悩む事は、決して悪い事ではありません」


「……周瑜殿にそう言ってもらえると、少し楽になる。貴殿と主に重荷を押し付けるようで申し訳ない」


「いえ、先主との約定もありますので」


 周瑜がそう言うと、程普は言葉通り少し安心した様に頷く。


「ですが、一つよろしいですか?」


「何か?」


「川賊の方々には、もし北方の招かれざる客人がはしゃぐようでしたら、こちらの流儀で税金を取り立ててもらえますか?」


「……周瑜殿、それは……」


 程普が言いかけるのを、周瑜は軽く制する。


「曹操と言うのは並大抵の人物ではないので、常道とは違う手が必要になります。それが降るにしても抗うにしても、我々にとって優位に立つ為に必要になる手なのです」


「……全て信じましょう」


 程普はそう言うと、周瑜の屋敷を去っていく。


「……本当に慌ただしい夜ですね」


 嵐の様な来客に、小喬はきょとんとして呟く。


「あと一組来ると思いますよ。一際大きな問題を抱えてね」


 周瑜は笑いながら屋敷でその人物を待っていた。

今回のコレは


演義でもあるやり取りではありますが、いくらなんでも周瑜に頼りすぎでしょう。

この時周瑜は三十代。

そりゃこの数年後には命に関わる重病にもなるわいな、と言うプレッシャーだったはず。

とは言え、この異常なプレッシャーに応えられる周瑜もまた異常な訳で。


さらにここから周瑜のストレスは一気に跳ね上がるので、健康な三十代の一般男性であったとしても、このストレスを浴びれば数年で死に至っても仕方が無いかも知れません。

普通はこの期待に応えられないでしょうし。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です やはり、ブラック職種。 あの時代は現代の過労死と同じか、それ以上のストレスがマッパーで心労までプラスされるから大変だったはず。 呉はまだ人材がいたが、蜀は人材がいない、人…
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