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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く
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第七話 江夏城近辺の攻防

 甘寧の説得こそ上手くいかなかったものの、黄祖の元から甘寧と言う破格の猛将が離れたのが事実であると分かり、孫権の江夏攻略が本格化する事になった。


 劉表軍の中にあって、黄祖の軍才は確かなものがある。


 しかも兵力も十分であり、江夏城と言う地の利まであってはいかに孫権であったとしてもそう簡単に攻略出来るものではない。


「なれば、黄祖を城から引っ張り出す事が最優先と言う事です」


 周瑜はそう切り出した。


 これまでの反乱鎮圧は張昭が中心となっていたところはあるが、江夏攻略となればそれは張昭の手を離れ周瑜の領分となる。


「黄祖とはそれなりの能力に合わせて、その能力に見合った自意識を持ち合わせているとは言え、基本的には自身が攻勢ではなく守勢である事も理解している。そう簡単に地の利を手放す事は無いだろう」


 程普が言うと、誰もが頷く。


 かつての袁術ほどでは無いにしても劉表の軍も荊州を長く治めるだけあって、その規模の大きさや装備の充実振りを見ても孫権軍のソレを大きく上回る。


 それを外に向ける事も無く、荊州を守る事だけに使っていると言っても良い。


 もちろんそれはそれで間違った事ではないが、その行動範囲の狭さは戦術の純度を高める事にもなっている。


 守る戦に長けている、と言うよりそれしか出来ないのだから、そこから逸脱させるのは言うほど簡単な事ではない。


「とは言え、黄祖も人でありますので、当然感情もあり、攻めるべきは兵や城ではなく心であると言う事は変わりません。今であれば、黄祖の心を乱して城から出て迎撃しようと思わせる事が出来るでしょう」


 周瑜と魯粛が調べた黄祖の弱味は、この時期になって顕在化してきた。


 まず、黄祖は以前高名な文人である禰衡でいこうを殺害していると言う負い目があった。


 禰衡と言う人物を知っていれば黄祖の行いは必ずしも責められるモノではないと言えるほど言動に大き過ぎる問題を抱えた傲慢が服を着た様な厄介者なのだが、それでも文人としての才覚名声があった為に学を重んじる劉表軍では汚点となっている事は間違いない。


 それだけでも大きな失点なのだが、最近になって黄祖を脅かす問題が発生していた。


 袁紹の元に身を寄せていた劉備が、袁紹敗退に伴って劉表の元に落ち延びてきたのである。


 劉備自身に軍才や武才があるかは疑問でもあるのだが、それでもその旗下には関羽や張飛、趙雲と言った一騎当千を体現する猛将達が存在している。


 一客将とは言え、その戦闘能力では劉表軍の中では突出していると言えた。


 しかも劉備は皇叔であり同姓と言う事もあって劉表からの信頼も厚く、今は北方の守りとして新野の城に置かれているが孫権の備えとして江夏に送られてくる事が無いとは言えないのが現状である。


 もっとも、劉備の兵は三千足らずであり、新野の小城ですらその守りには不足する程度の兵力である事から江夏の様な戦略拠点の防衛が出来るとは考えられないのだが、それは周瑜や魯粛の様に冷静に戦局を見る事が出来るからこその判断であり、一度芽生えた不安と言うのは中々振り払えるものではない。


 黄祖を城から引っ張り出す策の筋道はすでに出来上がっているが、この策には大きな問題が残されていた。


 どれだけの兵で攻めるべきか、である。


 黄祖が乗り気にならない限り、いかに焦れているとは言え戦場に出てくる事は無い。


 なので黄祖が勝てると思う兵力で挑む必要があるのだが、だからといって少数の兵で攻めるには策の気配が強くなりすぎる。


 つまり本気で攻めていると思わせる兵力でありながら、相手が勝てると踏み切るだけの兵力を見極めなければならない。


「江夏の兵力次第じゃの。そこはワシが調べてみよう。叩く時には徹底的に叩くつもりじゃから、しっかり深く策に嵌めてやらんとのう」


 魯粛は実に楽しそうに言う。




 孫権軍動くの報は、すぐに黄祖の耳にも届いた。


 その兵力は五千前後であると言う。


「五千、だと? 調子に乗りおって! 一撃で粉砕してくれるわ!」


 黄祖は卓を叩いて、兵を出そうとする。


「お待ち下さい」


 勢いに任せようとしていた黄祖を止める者がいた。


 蘇飛そひと言う武将である。


 彼は黄祖軍の武の要とも言うべき武将でありながら、その武をひけらかす事はせず、また控えめな性格から荒くれ者達の橋渡し役も兼ねており、劉表軍の中で唯一甘寧と意気投合していた人物でもある。


「この動き、明らかにこちらを誘い出そうとしています。五千で黄祖将軍の守るこの江夏の城を落とすのは至難。本気で城を取りに来ているとは思えない数です」


 蘇飛が言う様に、江夏の城は荊州の要所の城の一つであり、しかも黄祖軍は二万を超える軍で守っているのである。


 勝負に絶対は無いが、五千の兵でこの城を陥落させる事はまず無理だと蘇飛は考えた。


「蘇飛の懸念はもっとも。ですが、それこそ奴らの狙いなのでは?」


 黄祖の息子である黄射こうしゃだった。


「かつて孫策は王朗と戦った時、敢えて目に見えたところに兵を展開し、後方に兵を回したと言う戦い方を行っています。つまり、江夏を狙うと見せて、実は長沙辺りを狙っているのでは?」


「……長沙、か。有り得るな」


 黄祖は大きく頷く。


「馬鹿な! そんな飛び地を取って何になると言うのです!」


「蘇飛、そなたは知らぬかも知れぬが、孫家にとって長沙とは中々に縁の深い地である事を考えると有り得ないとは言い切れない」


「確かに孫権の父、孫堅の立脚の地である事は知っています。ですが、孫権と言う若者、そんな感情ではなく冷徹な戦略で行動しているとしか思えない。なれば、もし長沙を狙おうとするのであればそれこそが陽動。狙いは間違いなくここ、江夏であり、標的は黄祖将軍である事は明白!」


 蘇飛の迫力に黄射は言葉を飲み込む。


「それに孫策が得意としていたのは、王朗の時の様に釘付けにするのではなく、少数で討てると思わせる隙を見せて伏兵にて打撃を与える奇襲こそがもっとも得意だった。孫権にその実力はあるかは未だ未知数とは言え、形を真似るのであれば、打って出る黄祖将軍を狙っている事こそ奴らの狙いなのでは?」


 少なくとも実戦経験と武功で言うのであれば、蘇飛は黄射などとは比べ物にならず、黄祖軍では破格の武将である為に黄祖であっても無視する事は出来ない。


「……なるほど、それが敵の策であるのならば、それを逆手に取ってやる事も出来るな」


 黄祖は腕を組んで言う。


「逆手に?」


「うむ、奴らの狙いが俺であると言うのなら、奴らは必ず俺の前に姿を現すと言う事になる。つまり、どんな策を用いるにしても、奴らは俺の事を狙ってくるのだからそれはまた俺に奴らを討つ好機でもあると言う事になる」


 黄祖の言葉に反論しようとした蘇飛を、黄祖は手で制する。


「孫権に、兄孫策ほどの軍才や戦勘があるのであれば、江東六郡の内五郡にまで背かれる様な事はあるまい。それでも軍才無しと認められぬから、兄の幻影に頼ろうとしているのであろう? 奴めの策、手に取る様に分かるわ」


 孫権は敢えて目の前に五千の兵を展開し、黄祖の軍を出撃させる。


 そしてまさにぶつかり合う直前、江夏近くに伏せた兵にて奇襲をかけてくる。


 あるいは、本隊同士がぶつかり合っている間に伏兵にて江夏の城を奪い取る。


 これが孫権の戦術である、と黄祖は看破したのだ。


「……確かに、常道と言えるでしょうが……」


 蘇飛は今ひとつ納得していなかったが、黄射は手を打って喜んでいる。


「はっはっは! まさしく兄の型だけを添う様な安い戦術ですな!」


「奴らの主力は本隊にあらず。本隊は陽動であり、主力は後方に伏せる少数の、そしておそらくは複数の伏兵である。故に我らは全軍近くで敵軍に姿を晒し、その陰に隠れし伏兵を先に討つ事で奴らの戦術を瓦解させてみせようぞ」


 黄祖の言葉に、蘇飛も渋々ではあるが納得する。


 蘇飛にしても、黄祖が言った様な戦術であると思ったからと言う事もあった。


 だが、黄祖や蘇飛が思うところに伏兵は配されておらず、黄祖の軍二万は孫権軍五千の前に立ち往生する事になった。


 そんな中で、黄祖の元に孫権からの書状が届いた。




 曰く、

『兵を出して決戦に及ばず、いたずらに時をかけるのが黄祖将軍の軍略と言うのであれば、それはいかに高度な戦術でるか、いったい何と戦っておられるのか、この孫権の理解に及ばぬところ。また若輩にて武功乏しく武才拙き者であると言うのであれば、それを前に兵を動かせずにいる黄祖将軍の将器たるやいかほどのものか。兵が足りぬとあれば、決戦に挑まれるだけの兵を集められよ、あるいは、こちらから率いる兵を減らすべきか。将軍が決戦に及ばれる為であれば、この孫権、将軍のご希望に応える努力は惜しみませぬ』




「コレ、子敬だろ?」


 黄祖に送られた書状を見ながら、孫権は魯粛に尋ねた。


「草案はワシじゃが、公瑾に手直しされて上品になってしもうた」


「性格の悪さがにじみ出ているな」


 孫権が笑いながら言う。


「そう褒めるな、照れるではないか」


「そこで褒められていると思える事が、子敬の大器たらしめているところだな。さて、黄祖のヤツ、怒って向かってくるから逃げるとするか」


「上手に負けてやらねばのう」


 何しろ現状では二万対五千なのだから、真正面から数の勝負ではまともに戦えるものではない。


 失礼極まる書状の挑発によって冷静さを失った黄祖は、全軍で突撃してくる。


 それを予測していた孫権軍は、後退してその勢いを受け止めようとはしない。


 怒りに任せた黄祖の軍は、狙い通りに深追いしてくれる。


 当然それを諌める者もいるだろうが、武功を焦る黄祖の耳には届かなったらしい。


 だからこそ、深く策に嵌める事も出来た。


 実際に孫権軍が用いた策は、黄祖が看破した通りであったのだが、一つだけ読み間違っていたところがあった。


 伏兵は敵の後方ではなく、最初に孫権軍本隊が布陣していた周辺に伏せられていたのである。


 敵の罠があると分かっていながら、その罠に嵌ると言うのは知らずに罠に落ちるより士気を挫くものである。


 当然の事ながら、立ち直る機会など与えるつもりは無い。


 どれほど士気を挫いたとは言え、敵の方が圧倒的に多い事は変わらない。


 孫権軍は混乱する黄祖を徹底的に叩き打ち破り大打撃を与える事には成功したが、黄祖にはあと一歩のところで取り逃し江夏の城に入られてしまった事もあって江夏の城までも攻略すると言う事までは出来なかった。


 が、それでも孫権が黄祖軍を打ち破った事に違いはなく、孫権軍はまさにこれからと言う時だったのだが、それでも孫権の前には障壁が立ちはだかる事になった。


 弟である孫翊が裏切りによって、その命を落としたのである。

色々と不憫な武将


必ずしも黄祖と言う武将は、扱いほど能力が低かったとは思えません。

この方の評判を下げた事は、甘寧を扱えなかった事と、禰衡を切った事、孫権に敗れた事なのでしょうが、正直どれも黄祖でなくても起こりえた事だと思います。


甘寧なんかは、好き嫌いとかではなく、ただ近くにいたと言う理由で人を切ったりする超一級の扱いにくさですし、

禰衡なんかは、むしろ切らない方が無理と言うレベルでアレな人でしたし、

孫権軍に敗れたのは何も黄祖に限った事ではないわけですし。


ただ、孫堅を討ったと言う特大武功があるからこそ、その後余計な不幸に見舞われたとしか思えません。

それに、創作する側としては使い勝手の良い噛ませポジションになっている事も、評価を下げる事になっているでしょう。


持ってない側だったみたいですね、黄祖と言うお方は。

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― 新着の感想 ―
[一言] 更新お疲れ様です。 兎耳が江夏に行っていたら、孫権にとっては地獄。 曹操にとっては、『よくやった、劉表。派手に潰し合いをしてくれとる、助かるわ』 内心、笑いが止まらない状態。 魯粛からした…
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