第五話 次に備えて
最終的に李術らは籠城した、と言うより城に閉じ込められて身動きが取れなくなったのだが、この反乱の鎮圧は孫権主導の元で行われていると言う事を周りに見せつける為にもそのまま兵糧攻めとなり、根負けした李術は投降を望んだのだが、孫権はそれを許さず李術と陳蘭を切り捨ててその首を晒し、反乱した五郡の鎮圧を成功させたのである。
「蒋欽、呂蒙、お主ら書もまともに読まないのか?」
その帰りの道すがら、年の近い孫権が二人に尋ねた。
「年下のくせに偉そうに」
「何様のつもりだ」
「お主らこそ何様のつもりだ。主だぞ」
張昭に睨まれ、呂蒙も蒋欽も言葉を飲み込む。
「良い、子布。実際に俺の方が年下である事は事実だからな」
孫権はさほど気にした様子も無く答える。
「それに、書を嗜む事をせぬ者ほど粗暴で根拠乏しく我を通そうとするものだと、公瑾からも言われた事がある。さすがは公瑾、その言葉に誤り無しだな」
「ああん?」
「んだと、コラァ!」
「本当に面白いヤツらじゃのう。ワシは嫌いではないが、さすがに今回の事は学ぶべき事はあったはずじゃぞ?」
孫権に煽られて呂蒙と蒋欽は噛み付こうとするものの、魯粛から口を挟まれてやはり口を閉ざす事になった。
「何も学者になれとは言わんし、腐れ儒者の真似事をしろと言っている訳じゃ無い。俺だって子布に睨まれながらではあるが三史などは読んでいるんだ」
「忙しいんだ」
呂蒙はそう言うが、孫権は鼻で笑う。
「まるで俺が暇であるかの様に言うが、何もこの世の書を総て網羅せよと言っている訳ではない。俺だって易経は読んでいないが、過去から学ぶ事は多い。それに何より」
孫権はそう言うと魯粛の方をチラッと見る。
「こんな輩にバカにされない様になる」
「……なるほど」
その一言はすんなりと腑に落ちたらしく、呂蒙も蒋欽も大きく頷いていた。
「……まぁ、動機がどうであれ身に付けば悪い事ではない、か」
張昭としては納得出来ない様だったが、それでも妥協点としては認められるところだったらしい。
「だいたい、ムカつくだろ? こいつに馬鹿にされるの」
「確かに」
孫権の言葉に、息ピッタリで呂蒙と蒋欽は頷く。
魯粛が気に入らないと言う理由だけで団結した呂蒙と蒋欽だったが、反乱を鎮圧した孫権を待っていたのは山越の反乱と、曹操南下の可能性有りと言う情報だった。
この時の曹操は最大の強敵であった袁紹を官渡にて破り、その残党狩りを行っているところだった。
孫策死後、その混乱に乗じて曹操は南下しようとしたのだが、曹操の元に残っていた張紘が諌めて袁紹との決戦に集中させてその危機を逃れていた。
今回は先の李術には加勢しない様に伝えた書状が、こちらの窮状を予想させるモノだったらしく、袁紹を降した後にこちらの備えが整わないうちにと考えたと思われる。
「十中八九、曹操の侵攻は有り得ないでしょう」
戦々恐々としている周りの人物達と違い、周瑜はまったくどこ吹く風と言わんばかりにいつも以上に涼しげな表情で孫権に言う。
「曹操は卓越した戦術家であり、破格の戦略家でもあります。袁紹を倒したと言ってもその勢力までを総て駆逐したと言う訳ではありません。その息子達が総力を結集すれば、まだ曹操を上回る兵力を有しているのです。誰かが曹操に一言二言進言すれば、まず間違いなく南下は断念して北伐に専念する事でしょう」
「なるほど、張紘先生と共に曹操の足止めをしてもらうと言う事か」
孫権が頷くと、周瑜も同じく頷く。
「まずは山越の鎮圧が優先されます。先遣隊として祖郎を派遣しています。話して分かる者達であれば祖郎が懐柔し、背く者には容赦せず。孫家の力を見せるべきかと」
「そこは公瑾に任す。曹操の元へは誰を派遣するべきか? 公瑾以外で」
孫権が先にそう言った為、周瑜は自ら出向くと言い出す事が出来なかった。
「一人、推挙したい者がおります。我が異母弟である顧徽であれば、張紘先生との面識もあり、その弁舌の才も任に耐えうるものかと」
顧雍の推挙によって顧徽は召し出され、曹操の元へと使者として派遣される事になった。
今回も孫権の軍師として程普が付き従い、魯粛と周瑜は次の攻略対象となる江夏の戦略を練る事にした。
「江夏と言えば、錦帆賊の大将はまだいるのかのう?」
「錦帆賊の大将? 甘寧ですか?」
「そう、ソレじゃ。ワシはそやつに興味がある」
「興味があると言われても、劉表の客分なのでしょう? しかも黄祖の元で凌操将軍を討った武将だったはず。どうされるんです? 暗殺ですか?」
「公瑾が言うと爽やかに聞こえる分、物騒さも増すのう。まぁ、場合によってはソレも視野に入れて行動する事にはなるじゃろうが、こちらの陣営に加えようかと思っての」
魯粛の言葉に、周瑜はらしくもなくきょとんとしていた。
「……はい?」
「甘寧とやらがどんなヤツかは知らんが、劉表の陣営は武より知、知より文、あるいは学ばかりを優先する傾向が極めて強い。黄祖がどうと言う訳ではないが、あの程度の者が随一の武将呼ばわりされているのでも程度が知れると言うモノじゃ。錦帆賊と言う川賊集団など劉表如きに長く扱えるはずもなかろう」
魯粛の言葉に、周瑜は眉を寄せて難しそうな表情になる。
「それは……どうでしょうか」
「む? 公瑾は反対か?」
「まぁ、両手を上げて大賛成、とはいきませんね」
周瑜は腕を組んで言う。
「ほう、公瑾は甘寧を知っておるのか?」
「正直に言わせてもらえば、よく知りません。と言う訳で、私が賛成出来ない理由は甘寧と言う人がどうというわけではなく、こちら側に問題があると言う事です」
「……凌統の事、じゃな」
「やはり分かっていましたか」
「当然そこは考えておるわい」
「それに凌操将軍はその出自からか、周囲にも十分な人望もありました。そんな人物を討ち取ったと言う者を受け入れるのは、さすがに危険が過ぎると思うのですが」
「ワシ自身そう思わんでもないのじゃが」
魯粛は頭を掻きながら答える。
「ワシも凌操の親父殿の事は大好きじゃったよ。父親を知らんワシにとっても、凌操の親父殿は父親同然と思っておったし、武将としての腕も並外れた実力者じゃったと思う。その親父殿を遠方から一矢で射抜いたと言うではないか。誰にでも出来る事ではないじゃろう? その一事のみで、ワシは甘寧とやらを太史慈と同等の実力をもっておると思っておる。江夏攻略の上でおられては困る戦力でもあるからのう」
「……わかりました。少し調べてみましょう」
魯粛の情報網と情報収集能力と、周瑜の情報処理能力をもってすれば劉表軍の情報を集める事はさほど難しい事ではなかった。
魯粛の予想した通り、甘寧は劉表軍では扱いづらい人物であったらしく、ほぼ敗北確定だった黄祖の軍を救い孫権軍の権威を失墜させたほどの武勇を見せつけたにも関わらず、甘寧は劉表軍では正規の将軍として扱われずに客将扱い。
しかも圧倒的武勇を誇る甘寧と、その旗下である錦帆賊の集団も劉表軍では心強い戦力ではなく、危険極まりない武力集団として恐れられ、錦帆賊は解体され次々と劉表の元から追い出されていき、ついに甘寧もそれに我慢ならなくなって劉表の元を去ったと言う事だった。
「まぁ、そうなるわな。さっそく会いに行くとするかのう」
「え? 直接?」
報告を受けてすぐ立ち上がった魯粛に、周瑜は驚いて尋ねる。
「他の連中には任せられんじゃろ? 子布に行かせるか?」
「いやいや、さすがにそれは無いですけど、錦帆賊と言えば川賊の中でも極めて危険な武闘派集団なのでしょう? その実力はあの凌操将軍さえも上回る訳ですから」
「じゃからワシじゃろう。ワシなら逃げ足も早いしのぅ」
魯粛は笑いながら言うが、周瑜はさすがに心配そうである。
「まさか単身で行く訳ではないでしょうね。それは認められませんよ?」
「ふーむ、そうじゃのう」
「黄蓋将軍とか」
「いや、それはケンカを売りに行く様なモンじゃろ?」
「では太史慈将軍で?」
「今回は強面に用はないかの。刺激は少ない方が良いからの。陳武が適任かの。見た目も悪うないし、甘寧との面識もあるじゃろうし」
「では、陳武に警護を命じましょう」
「待て待て、せっかくじゃから黙っておこう。その方が面白そうじゃ」
「相手だけではなく、こちらにも刺激を少なくした方が良いのでは?」
周瑜は苦笑いしながら忠告するが、楽しむ事にかけては無駄な行動力と構想力を持つ魯粛である。
呼ばれた陳武も、中々に勘の鋭い男である。
周瑜に呼ばれた分には良かったが、そこに妙に楽しげな魯粛が立っていた事に陳武は眉を寄せる。
「……お断り出来ますか?」
「まだ何も言うとらんじゃろぅ」
「……それも込みで、お断り出来ますか?」
陳武は周瑜に尋ねるが、残念な事に周瑜は苦笑いしながら首を振る。
「納得はいかないと思いますが、これも軍令と思って」
「そんな安い使い方するべきでは無いでしょうに」
「確かにその通りですが、そうでもしないと断られるんでしょう?」
陳武は険しい表情で魯粛を見る。
「それで、いったいどんな悪巧みに利用されるので?」
「人聞きの悪い言葉じゃのう。何も悪巧みなどせんわい。ちと護衛を頼みたいだけじゃ」
「護衛? 少なくともお二人に俺如きの護衛が必要とは到底思えませんが」
陳武はますます悪い予感を感じているのか、表情がさらに険しくなっていく。
「それに、参謀であるお方が護衛が必要なほど危険な場所に出向く事、それ自体を見直されてはいかがでしょうか。そうすれば余計な時間も人員も使わずに済みますが?」
「まったくその通りじゃ! よし、陳武、お主こそ適任である。ワシと一緒に来い」
「せめてどこへ行くつもりなのかを教えていただけますか? それによっては人員の再考を考えていただく必要もあるかと」
陳武は徹底的に安請け合いをしない。
というより、魯粛を信用していない。
「甘寧に会おうと思うてのぅ。ワシは一人で良いと言うのじゃが、公瑾がどうしても誰かつけろと聞かんのでな」
「甘寧? 錦帆賊の? 正気ですか?」
これまでの険しい表情と違って、陳武は本気で正気を疑う様な目を魯粛に向ける。
「おう、本気で正気じゃ。案ずるな」
「正気の参謀は、あんな川賊に用など無いでしょう。このイカれた商人上がりはともかく、周瑜殿はそれをお止めにならないのですか?」
「止めようとしたのですが、イカレ具合が私の手に負えるモノではなくて」
「……苦労されているのですね」
陳武は大きくため息をついて頷く。
「分かりました。軍令とあればやむを得ません。軍令に背いたにしても、こんなしょうもないモノではなく、さすが陳武、と言われる事をやりたいですからね」
「苦労かけます」
周瑜に言われ、陳武も諦めるしかなかった。
ただ魯粛一人が楽しそうだった。
ちょっとお休み
あくまでも登場人物の話で、呂蒙と蒋欽はしばらく休場となります。
宿題に追われて自由に動けなくなったと思って下さい。
本編でもチラッと書いてますが、実はこの時孫権、赤壁を待たずに曹操に滅ぼされそうになってました。
孫策死後、各地で反乱を起こされた孫権ごと曹操は飲み込もうと考えていたみたいですが、曹操が手放そうとしなかった張紘先生に『人としてやめときましょう』と説得されて、袁紹との戦いに専念する事になりました。
官渡の戦い以降、また孫権は曹操に攻められそうになりますが、今回名前だけチラッと出て来た顧徽に説得されて袁家駆逐に動きます。
ついでにその情報は孫権に流され、孫権も地盤固めに注力出来ました。
この時孫権攻めを敢行していれば、赤壁を待たずに孫権は滅んでいた可能性は低くないですが、もし下せなかった場合には、袁家が盛り返して曹操は窮地に立たされていた可能性もありますので、曹操もその危険を考えて踏み込まなかったのかもしれません。




