第四話 敵は文官
「この戦、長引かせる必要無し」
李術は翌日、そう切り出した。
前日は戦を中断させられた雷緒が喚き散らしていたが、李術と陳蘭でそれを宥めるのに苦労させられた。
そこで次も雷緒に先鋒を任せると約束し、しかも総攻撃にて孫権軍を撃砕する事を狙っているとも説明して大人しくさせた。
「敵将には多少の小細工が出来る者もいるらしいが、程度もしれている。奴らに打てる手は少なく、総攻撃となれば対処出来る手は無い! この一戦で敵を皆殺しにして、我らの名を中原まで轟かせるぞ!」
李術の言葉に軍の士気が高まり、喚声が上がる。
昨日の小隊を率いた武将の動きは見事と言うしかなかったが、それ以外は戦術的な動きから考えると、とてもお粗末と言うべき有様だった。
そこで李術は、この軍に対する戦術を思いついた。
と言っても、特別な事ではなく、至極まっとうな正攻法である。
全力で当たれば雷緒を止める事が出来る事は示したが、逆に言えば全力でなければ雷緒を止められないと言う事である。
そこで雷緒を先鋒に同じように突撃して、右翼に陳蘭、左翼に李術と配置して攻め込んだ場合、片翼ならあの小隊の武将が止められたとして、残る片翼を誰が止める事が出来ると言うのか。
つまり、三隊同時攻撃であれば二隊は止められたとしても一隊は敵の本隊に届くと言う事になる。
猛勇を誇る雷緒はもちろん、陳蘭にしても李術にしても武勇に劣ると言う事はない。
誰かの一隊が届けば、敵本隊を率いるのは文官である。
陳蘭が言うには張昭と言えば文官としてはかなり高名な人物であると言う事だが、それでも武将と言う事はなく、これまでに小競り合いに参加した事や孫策の相談相手として戦に出た事はあるにしても、今回の様に本格的に軍を率いた事は無いらしい。
完全な素人と言う訳では無さそうなのだが、それでも武将としての才覚が優れていると言う訳ではない事は昨日の事でも分かる。
李術は絶対的な勝利の確信と共に、戦端を開いた。
それでなくても雷緒は人の話を聞く様な人物ではない事もあり、いつまでも戦術の話で縛り付けておく事は出来ない。
正直な話をすれば、雷緒はここで消えても問題ない程度の者である。
確かに腕は立つが、ただそれだけの男だ。
戦場では使い道もあるが、この戦が終わって曹操の庇護を受ける様になってからは邪魔にしかならない事を考えると、敵の戦術を引き出すだけ引き出してから討たれるのでも構わない。
李術はそんな事さえ考えていた。
実力と兵力で上回る相手の正攻法と言うのは、目に見えているより遥かに対処が難しい。
さて、それを分かっている相手かどうか。
左翼に入っている李術は、中央を突撃する雷緒、その後を追う右翼の陳蘭と比べてそれより少し遅れて軍を進めていく。
これは李術が総大将であると言う事も関係しているが、単純に敵に興味があったと言う事も否定できない。
敵軍の動きは想定していた以上に、想定通りだった。
敵軍も両翼を伸ばして陳蘭と李術を止め、中央を突撃する雷緒には中央の軍を少し下げて鶴翼に捉えて半包囲しようとしている。
正攻法の攻め方に対して、まるで教科書通りと言わんばかりの対処法である。
確かに正しい対処法ではあるかもしれないが、はたしてそれが叶う実力があるかどうか。
はっきり言って、下策だと李術は笑いそうになった。
雷緒の突撃を止めるにはあまりにも安い手であり、またこれでは本隊の前を手薄にしてしまう。
頭でわかっていたとしても、文官に雷緒の突撃を受け止める事が出来るとでも思ったか。
李術の興味は敵の総大将から、自分の前に立ち塞がる武将の方に移っていた。
何しろここに現れた敵将は、李術が最も危険だと感じていた魯粛であった。
ほぼ勝利が確定したこの状況にあって、無理に強敵と思われる敵を突破する事にさしたる意味は無い。
それより雷緒の突撃が敵総大将を捉えた後に、敵は撤退するしか無いのだからそこを追撃すれば良いのだ。
李術の消極的な動きを察したのか、魯粛もさほど積極的に攻め込んでは来ない。
冷静なのか、臆病なのか。まぁ、前者として捉えておくさ。
李術は余裕を持って戦場の流れを見定めていた。
一方の雷緒は敵の策は見抜いていたものの、それで自分を止める事など出来ないと言う確信の元、突撃していた。
敵の狙いは囲い込みによる殲滅なのだろうが、それを成功させるには中央で受ける必要がある。
戦術に固執する者が見逃しやすい落とし穴がそこにある。
包囲が完成する前に中央を突破され、あっさりと戦線崩壊を招いて戦場に消えた自称戦術家は正確に記録されていないほどに多い。
戦場を知らない高名な文官とはまさにその典型であり、この布陣を見てもその失敗を模倣しているかの様な甘い布陣であった。
雷緒が突撃するのに合わせて、両翼を伸ばしてきたがそれには李術、陳蘭が対応する事になっている。
そして、敵本隊にも動きが出てきた。
本隊も両翼に当たる小隊を出して雷緒を包囲しようとしているのは分かるが、それは本隊をさらに薄くするだけの愚行と言う事も分からないらしい。
所詮頭で戦をしていると勘違いしている類の輩、本当の戦場の恐ろしさを思い知らせてやろうか。
わざわざ通り道を開いてくれているので、雷緒は遠慮なく敵本隊を貫かんばかりに馬を走らせ、自慢の大刀を振り回して己の武威を見せつける。
「ふはははは! 孫策亡き後は取るに足らぬ有象無象が残ったか! 孫策も哀れな者よ!」
雷緒はそのまま本隊を貫き、敵総大将に肉薄するところまで来た。
「やれやれ、騒がしいものよのぅ」
そこで雷緒が目にしたのは、どっしりと構えた筋肉の塊の様な暴威振りまく圧倒的な存在感を持つ者だった。
あれ? 話が違わないか? 敵の総大将って文官だったよな?
雷緒は目を疑う。
「儂もそうだが、大将同士の一騎打ちなど感心せん戦い方よな」
その筋肉の塊はそう言うと重々しく身構える。
あまりにも巨大なせいか、着込みの鎖帷子も無く官服に甲冑を身にまとっている様だが、その甲冑も身に合うもので無かったのか、肩当てや胸当て程度しか身にまとっていないもののそれでも十分過ぎる様に見える。
恐るな! 見掛け倒しに決まっている!
雷緒は勇気を振り絞って大刀を振り上げるが、その筋肉の巨体は事も無げに雷緒の振り下ろした大刀の柄を掴む。
「まったく、この程度で取り乱すとは情けない。先主は笑いながら儂に挑んで来たぞ」
その男はそう言うと、雷緒の大刀を引っこ抜く様に振り上げて雷緒もろとも空中に放り出す。
「覚悟せい。本気で殴るぞ」
張昭は空中で身動きの取れない雷緒に拳を向ける。
文官じゃ無いだろ! 何でこんな世紀末覇王……。
雷緒が最期に目にしたのは、その殺気と迫力によってまるで自分の上半身と同じくらいの大きさに見える拳だった。
そこからの攻守反転劇は見事と言うほか無かった。
李術も陳蘭も、当然雷緒が中央を突破して敵総大将を打ち取ると思っていた事もあり、敵軍が撤退するのに合わせて攻勢を仕掛けるつもりでいた。
が、やって来たのは雷緒の勝報ではなく雷緒が打ち取られたと言う凶報であり、向かってきたのは敵軍本隊の両翼として出て来た小隊が、李術や陳蘭の側面へ攻撃に向かってきた。
それは総て魯粛の見越した通りの展開だった。
雷緒個人に対してはともかく、少なくともその武勇に対しては絶対の信頼を置いている李術の戦術はその一撃必殺の槍によってこちらの総大将を討ち取り、戦線を崩壊させる事。
正直に言えば、もしこちらの情報を知らない状態での戦であれば、魯粛もそうしたかも知れない。
何しろ相手の総大将は文官、しかも文官として高名であるが戦場の経験は非常に乏しいと言う事である。
いかにも頭でっかちな机上の空論大好きの武将気取りに思える、と言うよりそうとしか思えない様な評判と経歴であり、初日の拙すぎる戦い方からその評価が固定された故の中央突破だったはずだ。
だからこそ、そこに勝機があると魯粛は敢えて大将同士の一騎打ちを演出したのである。
雷緒はもちろん、李術らも評判でしか張昭を知らない為、敵将は文官だと侮っている事を最大限に利用する為にも、張昭の存在を隠した状態で今日の戦いに備えた。
張昭の見た目がバレていれば、雷緒も侮る事はせず、また李術も安易な中央突破ではなく、雷緒を囮としてこちらの両翼を各個に撃破していくと言う戦術に変更するかも知れないと思ったからである。
そして、戦う相手が想定していた人物とまったく違った場合、これならこれで構わないと問題なく戦える武将と言うのは、決して多くない。
それこそ孫策の様な特殊な人物であればともかく、同等の武勇を誇る太史慈であってもここまで当初の予想と現実の人物が違っては、戸惑いを覚える事だろう。
そこへ張昭の一撃。
張昭の全身全霊の一撃であれば、まず間違いなく戦いは終わる。
仮に命を留めたとしても、戦闘不能になる事は疑いようがない。
あとの残党は張昭率いる本隊で掃討し、本隊の両翼を担う小隊を率いる呂蒙と蒋欽にはそのまま直進して李術、陳蘭に攻撃する様に命じていた。
ただし、張昭の戦いを見届けてから、と言う条件付きである。
万が一にも雷緒を取り逃した時の備えと言う事もあるにはあるが、それより重要なのが張昭に対する畏怖畏敬の念の上書きが必要だと魯粛は判断した。
出陣の時に甲冑を殴ってその膂力を見せつけたが、それでも時間が経つとその印象は薄れ、文官と言う肩書きに対する侮りが出てくるのを危惧したのである。
事実、呂蒙や蒋欽にはそう言うところが出ていた。
その為、実戦で敵将を相手に、張昭の本気の一撃を見舞われた場合にはどうなるのかをその目に見せておきたかった。
年若い二人には効果覿面だったらしく、元々攻勢を得意とする事もあってかその勢いは素晴らしく、また士気も高いのが見て取れた。
逆に李術、陳蘭の対応は遅れ、混乱をきたしていた。
自分達の勝利を疑わずに放った必殺の槍であるはずの雷緒を逆に打ち取られ、攻勢をかけるはずがかけられる立場となってもまだ、自分達の正確な状況が把握出来ていなかったのである。
ようやく状況を理解した時には兵は討たれ、または逃走して離反していき崩壊寸前の状態であった。
しかし、こうなってからの立て直しと言うのはどれほどの名将をもってしても不可能であり、撤退を余儀なくされた。
「撤退、か。やむを得ないとは言え、無意味な事を」
魯粛と合流した呂蒙が言うと、魯粛は笑う。
「あやつらはまだ曹操が後ろについていると思い込んでおるのじゃろう。城に逃げ込んで待っておるのは、曹操からの援軍は来ないと言う報告と考えると同情したくなるくらい憐れじゃが、残念な事に自業自得。あとはいつその首を晒されるかと言う事くらいじゃ」
こうして、ただ足止めするに留まらず、反乱勢力の中でも最大規模を誇った李術を打ち破った事によって総大将として兵を率いた張昭はさらにその名声を高めたのである。
世紀末覇王
もちろん、後漢や三国時代に世紀末と言う言葉はありませんし、世紀末覇王も存在しません。
が、この物語の張昭と戦場で出会った場合のイメージはもう、このイメージです。
なので、雷緒でなくても
「え?」
となるのは仕方が無い事です。
それこそ孫策や張飛、馬超の様な『アレ』な性格でも無い限り、スリーキングダムの許攸とかそんな敵を想像していて、いざその場にジェロム・レ・バンナが待ち構えていたら、
「それはそれで面白い!」
とはならないでしょう。
雷緒が悪い訳ではありません。
この物語の張昭が世紀末覇王だった事が悪いんです。