第三話 李術との戦い
「やはり、孫策伯符は小覇王と呼ばれるに足る英傑であったのだな。あの布陣を見ろ。まるで戦を知らん者の布陣だ。副将は何をやっているのだ」
李術は無能な敵を相手に、むしろ憤っていた。
元の主である劉勲など話にもならない様な孫策の輝かしい才能に惚れ込んで、李術は孫策の臣下になった。
その後継がこの体たらくでは、あまりにも孫策が報われない。
敵の布陣はこちらの奇襲に備えたモノなのか、総数において不利なせいか万全を期そうと言う意図は見えるのだが、その事にこだわるあまり何もかもが中途半端になっている。
文官の総大将ではやむを得ないのかもしれないが、副将やその配下の武将達はいかに若手とは言え初陣ばかりを集めていると言う訳ではないはずで、もし自分なら確実に諌めていると李術は思っていた。
「あの程度の敵、戦を長引かせる意味も無い。雷緒、貴将の剛勇を知らしめる機会の第一歩だ。存分にその威を示せ」
「ふっはっは! 言われるまでも無いわ!」
雷緒は高らかに笑いながら、自慢の大刀を振り回しながら敵軍に突撃していく。
「雷緒に任せても大丈夫ですか?」
陳蘭は李術に尋ねる。
「あまりにも無能の陣形ではあるが、万が一と言う事はある。雷緒は扱いやすいとは言えないが、その猛勇は俺達を上回るだろう。もし敵が無能を装っているのであればその爪と牙を隠していられないだろうし、無能であれば雷緒で噛み砕いて終わりだ」
「なるほど、適材適所と言うワケですな」
陳蘭は薄く笑いながら頷く。
雷薄であればともかく、雷緒は確かに扱いやすいと言う性格ではない。
どちらかといえば集団行動においては、足を引っ張る性格であると言うべきだろう。
李術が孫策に惚れ込んだ様に、孫策もまた李術を配下に加える事を認めた人物であるのだ。
そして雷緒もまた、袁術軍の武将の一角を担い、同格である陳蘭でも手に負えない剛勇の持ち主である。
はっきり言えば、誰とも知らない文官の率いてきた軍で雷緒の突撃を止める事は不可能だと李術は考えていたし、事実今の中途半端な布陣では一戦で勝敗がつきかねないとも思っていた。
が、一人気にかかる男がいる。
太史慈と共に劉勲の元に現れた不遜な男、魯粛の存在である。
ただ不遜で大言を吐くだけの小才である可能性は否定出来ないが、それでも孫策が周瑜と同じく近くにおいていた参謀の一人が魯粛だ。
孫策に惚れ込んだ李術だが、当然周瑜の事も知っている。
若き覇王を補佐するに足る、若き王佐の才と称すべき異才の持ち主。
孫策は人を求めていたが、それは無条件にと言う訳ではない。
さて、その才覚が本物かどうか、見せてもらおうか。商人上がりの参謀め。
雷緒の突撃によって、孫権軍は相変わらず中途半端な陣ではあるものの、それでも中央を固めて雷緒の突撃に対処していた。
ほう、案外戦えているではないか。
李術は遠目に見ているからこそ、敵軍の動きもよく見えた。
本隊を率いるのは文官と言う事だったので、そこまで届かせない様に動く部隊があった。
おそらく若い武将達が慌てて守りに入ったのだろうが、戦術は上等とは言えないまでもそれぞれに対処する者達の能力は決して低くない事は分かる。
「ふん、やはり動き出したか」
雷緒が戦っている主戦場を迂回しながら、雷緒の後方に回ろうとしている小隊の動きも離れている分よく見えた。
「陳蘭、急ぎ雷緒を救出しに向かってくれ。あの小隊は危険だ」
「ここで雷緒を失う訳には行きませんからな。遠くから見ているからこそ動きも見えるが、それだけにこういう場合には相当急がないと手遅れになってしまいますな」
「止むを得んだろう。だが、手遅れになる前に動けるのは有難い。陳蘭、頼むぞ」
「御意」
その勢力を買われて袁術軍に参加していた陳蘭ではあるが、競争激しい袁術軍の中にあって家柄ではなく実力で将軍として有り続けた陳蘭もまた、元は山賊とは言え非凡な武将である事は事実である。
自身の部隊を率いて雷緒の後方に回ろうとしている小隊に圧力をかける様に動くと、その小隊は陳蘭の、そして観戦している李術にとってもまったく予想していなかった動きに出た。
小隊は数の不利があるとは言え、その速度と言う利点がある。
それだけに小隊を後方に回して後方から攪乱するつもりだろうと言うのが李術と陳蘭の予想だったのだが、その小隊はまだ雷緒の軍の中腹程度だと言うにも関わらず、突如雷緒の軍に向かって突撃したのである。
「馬鹿な、死ぬ気か?」
いくら奇襲とは言え、また突撃する部隊の側面からの攻撃が極めて有効とは言え、いくらなんでも数が違いすぎる。
その状態で中腹に突撃など、そのまま飲み込まれて全滅するしか道はない。
遠目に見ている李術はそう思った。
が、その小隊はどのまま分断するのではなく、雷緒軍の中に突撃したところで再度方向転換して、雷緒の突撃方向と同じ方向に向かって走り出す。
「あの小隊を率いている武将には、いったい何が見えているのだ?」
李術は誰に言うでもなく、一人呟いていた。
流れに逆らわずに、追う者の背を追う。
これは実行できれば非常に効果的であり、この小隊の本来の動きであったはずだ。
しかしそれは後背から突撃した場合が前提であり、中腹から入って敵軍中で再度方向転換して本来の動きに戻ると言う事は、周りが考えるほど簡単な事ではない。
それをあの小隊はやってのけたのである。
「……魯粛、か? いや、ヤツは参謀だったはず。あれほど鋭い戦が出来る武将が、孫策殿以外にもいると言う事なのか?」
この小隊の動きによって雷緒は完全に突撃を止められる結果になったが、陳蘭の援軍によって混乱に陥る事もなく、痛み分けの形で初日を終える事になった。
「まったく、良い様にやられたモノじゃのう」
魯粛は笑いながら、仏頂面の呂蒙や蒋欽に向かって言う。
「……何が初戦は好きな様に動いて良い、だ! 公績には策を与えておいて!」
先に噛み付いたのは呂蒙だった。
「うむ、お主らがもっとまともに動いておれば、初日初戦で敵将の首を落とす事も十分に有り得るとワシは思っておったのじゃが、少々荷が重かった様じゃのう。これなら公績を守りに回して、ワシが小隊を率いるべきじゃったかのう」
魯粛は楽しげに言うが、呂蒙も蒋欽も歯軋りするものの言葉が出てこない。
と言うのも、この戦いは痛み分けに終わったものの、終わってみて考えれば一方的な完勝も有り得た事を呂蒙も蒋欽も気づいている為である。
今回の戦で魯粛は本隊の前の中軍を、呂蒙を左翼、蒋欽を右翼、凌統を後軍に据えて本隊の張昭の前に布陣していた。
雷緒の突撃を予測していた魯粛は、呂蒙と蒋欽に自由に動いて良いと指示を出していたが、これは彼らを試す為の指示であった。
雷緒の突撃を受ける様に見せて、魯粛は少しずつ軍を後退させていた。
魯粛の描いた絵では、魯粛が後退するのに合わせて呂蒙と蒋欽が前進して突撃する軍の先端を叩いて勢いを止める。
足が止まったところに、後背から凌統が突撃して敵軍を混乱させて、それに合わせて魯粛、呂蒙、蒋欽の三軍が攻勢に出る、と言うものだったのだろうと呂蒙と蒋欽も、今なら分かる。
だが、実際に戦場で行った事と言えば、呂蒙と蒋欽は後退する魯粛の動きに呼応する事無く、我先にと武勲を競う様に雷緒の突撃の前に出て行った。
その結果が魯粛の描いた絵をぶち壊しにする混乱を招き、無駄な犠牲を生む事になったのである。
二人共、その事がわかっているからこそ強く出る事が出来なかった。
「例え腐って崩れであったとしても袁術軍の武将であった者と、先主孫策が見込んだ者と言う事か。お主らも戦術の重要性も理解した事だろう。明日からの戦いをどうするかを話そうではないか。少なくとも、今日の戦で凌統と言う武力を見せつけたのだから、敵も迂闊な事はしてこないだろう。じっくり腰を据えて戦うと言うのであれば、我ら本来の目的である足止めは成功したと考えても良いところだが」
「あいにくじゃが、明日の敵軍は腰を据えるどころか総攻撃に出てくるじゃろう」
張昭の予想、と言うより希望を魯粛は即否定する。
「ほう、根拠を聞かせてみよ」
「えー? 言われんでもわかろうに」
「良いから、良いから話せ。儂から殴られる前に言って聞かせよ」
張昭は握り拳を見せつけながら、魯粛に言う。
「ワシとしては李術とやらがもう少し調子の良いヤツじゃと思っておったのじゃが、思いのほか戦の出来る者じゃったからのう。今日も厄介払いも兼ねてじゃろうが、元袁術軍崩れを差し向けてきてワシらを測りおった。元袁術軍崩れを止めるだけの実力があり、しかも公績と言う知られておらん戦える武将までおると言う事が分かったんじゃ。とは言えお調子者は下手に時間をかけるより、確実に勝てると思われる時に勝っておこうと考えるじゃろう」
「確かに今であれば向こうの方が数は多い、か」
「だけではない。今日の阿蒙と川賊の坊ちゃんのやらかしが実力だと勘違いしておるじゃろうから、ここで大勝して曹操に売り込むつもりじゃろう。もちろん、奴らは公瑾の書状を知らんからのう」
今日の拙い戦い方は、呂蒙にとっても蒋欽にとっても不本意なモノだったのだが、敵将である李術がその事に気付くほどこちらに精通しているとは思えない。
また、ここで悠長に敵軍と戦っていられると言う事も、曹操と言う後ろ盾を失った事に気付いていないからこその行動であると魯粛は読んだ。
「戦において数が重要なのは、それによる勝機を掴む為じゃ。が、数さえ揃っておれば勝てると言うものでもない。要は勝機を掴めるかどうかと言う事じゃが、敵の動きを予測出来るワシらの方が圧倒的に有利と言える状況じゃ」
「だが、数に勝る軍の総攻撃となれば、決して侮れんぞ?」
言ったのは張昭だったが、それは魯粛以外の全員が思っていた事である。
「当然こちらも総力戦となる。良いか、今日の様な甘えた行動は許さんぞ」
これまでニヤニヤとしていた魯粛が、表情を改めて周りを見る。
それには凌統、呂蒙、蒋欽も頷く。
「うむ、子敬、頼んだぞ」
「何を言うておる。総力戦なのじゃから、子布にも当然働いてもらうからのう」
魯粛はそう言うと、翌日の戦いについて細かく指示を出し始めた。
袁術軍の事
演義では驚く程無名の武将参謀軍師揃いの袁術軍で、紀霊の他に誰がいるっけ?状態なのですが、在りし日の袁術軍は、袁紹軍さえも上回る勢力を誇っていた訳で、そこで将軍にいると言うのはそれだけで凄まじい実力者でもあったはずです。
とは言え名門志向の袁術軍。
その将軍位に就ける方々もさぞかし名門氏族だった事でしょうが、陳蘭や雷薄は袁紹軍で言えば顔良や文醜の様な、家柄ではなくその勢力によって参加を許された元賊なのでその実力は、おそらく李豊や楽就などより上だったのではないでしょうか。
などと妄想しながら、今回の戦いに挑んでます。