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新説 魯粛子敬伝 異伝  作者: 元精肉鮮魚店
第二章 血と炎で赤く

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第一話 新たな始まり

 誰もが認める戦の天才だった、孫策の死。


 そのあまりにも大きな事件に対する反応は、まさに両極端だったと言える。


 曲阿に集結する孫策軍の中核を担う者達の中に脱落者は無く、それどころか全員が一丸となって孫策の遺言でありその後を継ぐ事になった弟の孫権を盛り立てていこうと、その士気は高まっていた。


 本来であれば、その意気のままに江夏攻めを再開するところだったのだが、そう言う訳にはいかなかった。


 江東六郡の内、五郡までもが離反したのである。


 この事は、若き君主となった孫権の心を根こそぎへし折るには十分過ぎる事だった。




「仲謀、いつまでしょぼくれとるつもりじゃ?」


 魯粛は笑いながら、酒瓶片手に恐ろしく気軽に主の元を訪ねてきた。


「子敬か。誰の目にも、臣下の態度では無いな」


「うははははは! そう言うな。ワシの主でありたいのであれば、しょぼくれとるヒマなどないぞ。ワシはその程度の主に使いこなせる様な人材では無いからのう」


「……言うじゃないか」


「当たり前じゃろう。ワシが競う相手は、公瑾や子布じゃぞ? あんな化物どもを相手にしなければならんのは、何もワシに限った事じゃない。その化物と比べたら、しょぼくれた主などものの数にもならんわ」


 魯粛はそう言うと、孫権の前にどっかりと腰を下ろして、持ってきた酒の上にかぶせていた盃に酒を注ぐと孫権に渡す。


「で? お主は何をしょぼくれとるんじゃ? 人生の先輩として、ワシが聞くだけは聞いてやるぞ? ま、解決するのは自分じゃろうがのう」


「馬鹿にしてるのか?」


「馬鹿にされる程度の理由でしょぼくれとるのなら、そりゃバカにもされるじゃろうの。まぁ、飲め。まずは何にしょぼくれとるのか、聞いてやろうじゃないか」


「俺、呑んだ事無いんだけど」


「他の連中には黙ってろよ? 特に子布にはバレない様にしろ。アイツはうるさそうじゃ」


 あまりにも楽しそうな魯粛の様子に、孫権も肩の力が抜けたのか表情を和らげると盃の酒に口をつける。


「で? 何にしょぼくれとるんじゃ?」


「言われなくてもわかるだろ? 江東六郡の内、五郡までが背いたんだぞ? これにしょぼくれないヤツはいないだろ?」


「ふむ、見た目だけで言えば確かにお主の器に疑いを持たれる事じゃろうな。じゃが、お主に近しい者達が誰一人離れておらんのは、伯符の遺言と言うよりお主の器を直接見ておるからじゃろう」


「兄上の影響だよ」


「言うまでもなくそれもあるじゃろうが、それだけで公瑾はともかく、あの子布や顧雍、陸績や陸遜達がお主の元に残ると思うか? あやつらの家格は、孫家より遥かに上じゃ。主従で言うのならば本来、あやつらは上に立っても下につく者達では無い。その者達が言葉一つで、主従で有り続けるほどのお人好しな訳が無かろう。あやつらも、ワシも主として認めておるからこそ、今ここにおるのじゃ」


 魯粛も袖口から盃を出して、自分で注ぐと酒を飲みながら言う。


「ワシなんぞ優秀すぎるから、何処へでも引く手数多なんじゃが、今の状況ほど美味しい事はそう無いじゃろうから、楽しみで仕方無いわ」


「楽しみ? この状況が美味しい?」


 孫権は首を傾げる。


「考えてもみよ。六郡の内五郡が離反と言うのは、まさに侮られておる証拠じゃの。先主孫策と比べ、今の主は話にもならないと舐められとる訳じゃな」


「改めて言葉にされると、凹むどころでは無いな」


「じゃからこそ、この状況を打開するんじゃ。侮った連中の目がいかに節穴だったかを思い知らせるんじゃよ。誰に背いたのかを思い知らせる好機到来と言う訳じゃ。楽しみで仕方無いじゃろうが」


「……そこまで楽天的にはなれないな」


「楽天的とは違うのう。そもそもお主は伯符とは別の人間じゃ。もし伯符と同じ人物がおればその者が後継となったかも知れんが、そんな者はおらん」


「弟の叔弼しゅくひつは、兄に似ていると評判だったじゃないか」


「ああ、孫翊そんよくか。アレじゃダメじゃな」


「ダメ? 兄に似ていると評判で、俺より向いてるんじゃないか?」


「似てると言うなら似ているかも知れんが、似ているだけで当人では無いからのう。もし翊が伯符と同等であったとしても、伯符を超えるほどの人物では無い。故に公瑾も後継であるお主を認めておるし、お主を立てるなら翊を立てるとも言い出さん。伯符が死んだ以上、伯符の為の軍略ではダメなんじゃ。それであれば、似た翊より明らかに伯符より優れたところのあるお主の方が主として向いておるわい」


 実は、孫権には伝えていないがそんな話があったのは事実である。


 孫策の体調が日に日に悪くなっていく時、嫌でも後継の話はしないわけにはいかなかった。


 本来であれば、後継と言うのは年齢を問わず長男が後を継ぐものである。


 しかし、孫策の長男である孫紹そんしょうはまだ生まれて間もない事もあり、とてもじゃないが主として担ぎ出す訳にはいかない。


 それはこの凋落した漢王朝の象徴とも言うべき悪習を踏襲する事になる、と孫策自身が却下した。


 その次の候補として名が上がったのが、孫翊だった。


 果断速攻即断即決の行動力や武勇などは、確かに孫策の風があると言える人物である。


 孫策の軍略の基本路線は国土拡大であり、荊州の江夏、あるいは徐州を攻撃対象に選んでいた。


 また孫策本人の構想には、許昌への奇襲も視野に入れていた様だった。


 が、それらはあくまでも孫策と言う他者には真似出来ない異才あっての軍略である。


 似ているからと言う理由で孫翊を立てて、その軍略に固執してはまず間違いなく失敗する事になる。


 敢えて孫翊と言う後継の名を出したのは張昭だったが、張昭自身がその危険性を考えなかったはずもない。


 むしろ、その後継は有り得ないとはっきり周りに知らせる為に、張昭は孫翊と言う名を出したのだろう。


「俺が兄上より勝るところがある、と?」


「何じゃお主、兄の遺言を聞いておらんかったのか? お主の兄は、明確にお主の長所を伝えておったではないか」


「お前は俺に及ばない、と言われた事しか残ってない」


「お主、それは遺言の半分以下ではないか。そこはもっとちゃんとせい」


 孫権がわざと言っている事には気付いたが、魯粛は聞き流したりせずに指摘する。


「伯符は言っておったじゃろうが、戦に関してはお主は及ばぬが、治める事に関してはお主に及ばぬと。しっかり聞いて、ちゃんと覚えてます、と言えるくらいでないと伯符も泣くぞ? ん? あやつなら笑って殴りかかってくるかも知れんのう」


「子布も小義姉もソレ好きだよな? 何かあったら、殴るって言ってくるし」


「まぁ、子布はわからんでもないが、小喬がソレなのはどうかとはワシも思う」


 少し酒が回ってきたのか、孫権も少しずつ口を開く。


 孫権の悩みは天才、孫策の後を継いだと言う重荷だけではなかった。


 若き君主にとって家臣が年上ばかりと言うのは、非常に扱いづらいところがあると言う事だったが、孫権の場合はそれだけではない。


 孫策と言う異才によって集められた人材は、孫策にとっても年上だったのだがそれでも主従を誓わせた人物は孫権ではなく孫策なのである。


 それともう一つ、家臣について孫権の深い悩みがあった。


 魯粛も口にした通り、家格が主である孫家より格上ばかりなのである。


 義理の兄である周瑜も、張昭も、顧雍、陸績なども孫家より格上の家格であり、領地住民も率いる兵達にとっても主家より名士であるそちらの方に従う事になるのは目に見えている。


 聡明な孫権にとって、自分が傀儡となる未来が見えてしまったのだろう。


「ほうほう、中々に壮大な悩みじゃのう。それくらいでないと、張り合いがないわい」


 魯粛は笑いながら何度も頷く。


「笑いどころじゃないだろう。そう簡単に解決出来る悩みじゃないぞ」


「なぁに、一つ明確な解決法があるわい」


「ほう、聞かせてもらおうか」


「お? 態度が肥大化したのう」


「少なくとも、子敬は富豪であっても家格で言えば孫家の方が上だ。いかに年上であったとしても、俺は主で子敬は家臣。俺が遠慮する必要は無いからな」


「ワシにそう言えるなら、子布じゃろうと公瑾じゃろうと同じように言えばよかろうに」


「言えれば苦労しないんだよ。何て言うか『圧』が違うんだよ。陸績は年下だからまだしも、こう、何と言うか『名士!』と言う『圧』があるから、言えないんだ」


「子布はもう、見た目から『圧』そのものじゃからのう。でも、公瑾にそんな『圧』あるか? ワシはあれほど上品な男は見た事無いぞ?」


「そこ! まさにそこなんだよ! 義兄は何と言うか、完璧なんだよ。兄上はあんなだったから、その兄上と一緒にいた時には気にならなかったけど、兄上がいなくなって義兄が俺の傍にいると『うわ、何この完璧超人の色男! 近付かないで!』ってなるだろ?」


「……ああ、確かに公瑾と比べられるとなれば、それはそれで地獄じゃな。あの男は遠くから眺める分には申し分も無い色男じゃが、比べられる相手としては最強最悪の存在じゃからのう」


「だろ? たまんねーんだよ、俺だって。主だから、の一言だけで戦っていける訳ないだろうが」


 孫権は魯粛には気楽に絡んでいく。


 確かに魯粛は名門名家の生まれではないので、そう言う意味でも孫権にとっては近しい存在だと感じているのかもしれない。


「一つ、明確な解決法があるわい」


「さっきもそんな事言ってたな? どんな方法だ?」


「お主が生まれて間もないくらいかのう。それを実践しようとした者もおる。ほんの数年前にもそれをやろうとして失敗したお調子者もおる」


「へえ、難しそうだな」


「お主も聞いた事くらいはあるじゃろう? 『蒼天、既に死す』と言うヤツじゃ」


 孫権は魯粛の言葉をしばらく考えていたが、その意味を知って息を飲んだ。


 魯粛は孫権にこう言っているのだ。


 漢王朝を見限り、皇帝になれ、と。


 確かに皇帝になってしまえば、もはや名門も名士も関係ない。


 何しろ皇帝より上が存在しないのだから、それ以上の名門などあるはずもないのだ。


「……子敬、この話は俺以外の誰かに話した事はあるか?」


「ワシは祭りが好きじゃし騒ぎを起こすのも嫌いじゃない。じゃが、ある程度の分別はあるつもりじゃ」


「俺はもちろん、父も兄も漢の将軍である事に誇りを持っていた。馬鹿げた夢を掲げた袁術がどの様な末路をたどったか、子敬も知っているだろう?」


「じゃが、お主の抱えておる問題は一発で総て解決じゃぞ?」


「今は地方領を治める事でも精一杯どころか、溢れ出ている程度の器。漢をお助けする事以上を求められる様な状況ではあるまい」


 孫権の言葉に、魯粛は大きく頷く。


「何じゃ、分かっておるではないか。どうじゃ? しょぼくれとる場合じゃない事は分かったじゃろう?」


 魯粛の言葉に、孫権は苦笑いする。


「まんまとしてやられたと言う訳だな」


「そうでもない」


 魯粛は盃に残った酒を一気に飲み干すと、まっすぐに孫権を見る。


「伯符は言っても小覇王止まりじゃった。わかるか? いかに優れておったとは言え、覇王にはなれても高祖にはなれなかったのじゃ。仲謀が伯符の期待に応えたいと願うのであれば、お主の目指すところは覇王ではなく高祖である事は自覚しておれ」


「言っただろう? 今はその状況ではない、と。この話は終わりだ。酔いが醒めたら反乱を治めるぞ」


「おう、その意気じゃ」

実は既定路線では無かった後継問題


まず何よりも孫策がこんなに早く退場する事になるなど、誰も想像していなかったので、そこから既に既定路線から外れているのですが、その後を孫権が継ぐ事になるのには案外いろんな問題があったみたいです。


本編でも触れてますが、本来なら孫策の後継は息子の孫紹が継ぐのが正当なのですが、この時一歳前後の孫紹に継がせると言う選択肢は無かったみたいです。


次の候補が孫翊だったらしいのですが、実はこちらが後継の本命だったらしく、孫策と同じタイプだったこともあって張昭が推したみたいです。


が、孫策はまったくタイプの違う孫権を指名すると言うサプライズで、孫権が後を継ぐ事になりました。

孫権としてもいきなり後継になった事もあって、プレッシャーだったみたいです。

また、名門だらけの家臣団に気後れしていたのも事実みたいで、孫権の門出は非常に厳しい状態からのスタートだったと思われます。

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