第三十話 江東統一目前
劉勲の居城は、思いのほか清潔で立派な城だった。
魯粛の予想ではもう少しずさんで廃れた雰囲気だと思っていたのだが、予想していたより軍としての機能は働いている様だった。
「今更ですが、会ってもらえないと言う可能性は?」
「案ずるな。劉勲に会わぬと言う選択肢は無い」
魯粛は自信満々に言う。
「劉勲との面識は?」
「ワシの方からはチラッと見たことがあると言う程度じゃの。ワシは袁術の元では末端もいいとこじゃったのに対し、劉勲は伯符を押しのけて太守にされるほどじゃったからのう。まぁ、向こうもワシの名前くらいは知っておるじゃろうから、気にする事もあるまい」
太史慈としては気にする事しか無い様な気がしているのだが、魯粛は言葉通りにまったく気にかけていない。
と言うのも、劉勲は現在大きな問題を抱えているからである。
それは劉勲が独自勢力を保てるかどうかにも関わる、重大な問題だった。
城の衛兵達は最初こそ太史慈の凶相に恐れをなして必要以上に警戒していたが、前もって伝えていた孫策の使者である事が分かると、今度は露骨なまでに近寄らなくなった。
「……大した猛将ぶりじゃのう。伯符ではこうはいくまい」
「これで兵が務まるのやら」
太史慈が視線を送るだけで、劉勲の兵達は体を強ばらせ、許される事なら逃げ出していただろうと予想させた。
「孫策の使者、と申したな?」
劉勲の前に着くと、魯粛が名乗る前に向こうから声をかけてきた。
「手前、孫策の旗下に身を置く魯粛と申す。以後、お見知りおきを」
魯粛は挨拶しながら周囲を見ると、集められた武将や参謀達の中に見知った顔を見つけた。
本人が望んだと言う訳ではないが、強く否定していない為に妙な広がり方を見せる『江東の小覇王』孫策の名に恐れず、また直接的な太史慈と言う脅威にも揺るがない胆力を持っていながら、出来るだけ目立たない様に身を潜めようといしている参謀が一人。
劉曄である。
確か曹操の元にいたはずなのだが、曹操を見限って劉勲についた、と言う訳ではなく経験を積ませると言う意味合いも込めた出向なのだろう。
「劉曄か? これは久しいな」
魯粛は敢えて劉曄の存在に触れる。
「お久しぶりです、魯粛殿、反董卓連合以来ですね」
「うむ、お互い文のやり取りはあっても、会うのはそれ以来じゃのう」
魯粛は笑いながら言うが、文のやり取りもさほど頻繁なものではなく、以前劉曄が魯粛を曹操陣営に呼び込むとした事がある程度だった。
「知り合いか?」
「まったく知らぬ仲、と言う訳ではありません」
劉勲に凄まれても、劉曄なそれに何ら思うところは無いと言った感じで涼しげに答える。
おそらく同姓と言う事もあって曹操は劉曄を送り込んだのだろうが、あまりにも若く優秀な出向参謀に劉勲は多少なりとも不信感を得ている様だった。
「ほう、ならば意見を聞く事もあるだろう」
劉勲は妙に含むところのある言い方をした後、魯粛の方を見る。
「で、魯粛とやら。何の目的があってこの劉勲の元を訪れたのだ? あの生意気な若僧が、この劉勲に降るとでも言いに来たか?」
「一足飛びにそこまで行く事もあるまいよ。ワシが主、伯符に提案し、許可を得て劉勲殿に提案するのは賊の討伐じゃ」
「賊、だと?」
「うむ。我が主は予てよりの仇敵、劉表と雌雄を決する事を望んでおられる。その上で劉勲殿には同姓のよしみなどと言って劉表への加勢など考えないで頂きたい」
「それで、その話が何故賊退治になる? 俺としては孫策如き若僧などより、皇族の流れを汲む同姓の劉表殿と手を組んで孫策を討伐する方が道理だと思うのだが?」
「道理、ですかのぅ」
脅しをかける劉勲に対し、魯粛はとぼけた調子で首を傾げる。
「漢の臣下たる者、当然の事でろう」
「漢の臣下とおっしゃられるが、劉勲殿の太守の印綬、果たして漢のモノですかな? 仲のモノではございませぬか?」
魯粛の言葉に、劉勲は眉を寄せる。
「まぁ、ワシとしては漢であろうと仲であろうと構わんのじゃよ。主孫策は己が野心の為に荊州を欲しているにあらず。父を討たれた子として、孝の道として仇敵劉表を討つを欲す。故に余計な戦火を広げぬ為にも、劉勲殿には静観していただきたい」
「……それは置くとしても、賊討伐の話とは繋がらんだろう?」
「理由はさほど変わらぬよ。賊にうろつかれては劉表との戦に集中出来ぬ。そこでまずは後顧の憂いを絶つ為にも劉勲殿と共に賊を討伐し、そこで得た戦利品を総て劉勲殿に差し上げて見返りとされたい。いかがかな?」
魯粛の提案に、劉勲の表情が動く。
「戦利品を総て、と申すか?」
「無論。我らとて懐事情は苦しいものの、それで劉勲殿が敵とならないのであれば安いモノ。また劉勲殿もご自身の為にも賊の討伐は避けては通れぬ道のはず。その後、劉表との戦いの為に兵を出して欲しいと言っておる訳ではないのじゃから、得るモノの多さを考えても得策では?」
魯粛は十分な手応えを感じていた。
劉勲の抱える問題、それは袁術軍残党を吸収した事によって急激に膨れ上がった軍を維持するだけの兵糧が足りない事である。
実は張勲らを襲撃した際に、彼らが袁術の元から奪い取ってきた財宝の類も略奪しているので、劉勲の元にはかなりの財貨が集まっている。
今も劉勲の周りには、見せつけるかの様に宝物や珍品が置かれているが、言うなればこれこそが劉勲の限界だった。
もし魯粛であれば、この様な財物はすぐさま兵糧や兵具に変えている。
治世の頃であればそれらの金品は自身の権勢を見せつける為の役に立つのかもしれないが、乱世において眺めるだけの金品など米の一表ほどの価値もない。
劉曄であれば、当然その事にも気付いていただろう。
そして、おそらくその事を諫言したはずだ。
略奪した金品は兵糧に変えるべきだ、と。
自身で勢力を持つのであれば当然分かっていなければならない事なのだが、劉勲はそうしなかった。
手にした財宝を手放すのが惜しくなったのだろう。
それもあって、諫言してくる劉曄の事が疎ましく、煩わしくなったに違いない。
せっかくの能力も、主がこれでは活かす事も出来まい。劉曄は近々この無能から離れ、曹操の元へ戻るじゃろう。敵になるかも知れん事を考えると歓迎は出来んが、今、この場で邪魔にならんと言うだけで良しとするべきか。
劉勲は色々と悩んではいた様だったが、けっきょくは魯粛の提案に乗った。
「なるほど、欲ボケているところを狙うと言う訳か」
機嫌が治ったらしい孫策が、楽しげに言う。
何事にも単純明快を好む孫策なので、汚い小細工を好まないのかと思っていたのだが案外そんな事も無く、本人が言う様に負ける事と比べると大した事ではないと思っているらしい。
「それだけに徐州の陳登から先手を取られた事が気に入らないんですよ」
と、周瑜がこっそり教えてくれた。
確かにあの手は戦術の話に限ればの条件付きになるものの、見事と言うほかない様な一手だった。
俺様最強主義な孫策としては、その事が気に入らなかったのだろうが、根が単純なので時間が経って相手を認める事が出来る様になったので機嫌も治ったと言う事だろう。
「さて、それじゃ劉勲で憂さ晴らしだな」
「それについて、ワシに考えがある。劉勲と共に賊討伐には、伯符のほかには公瑾や程普、韓当、朱治辺りを使ってもらんか? ワシの策の方に動いてもらうのは、太史慈、陳武、黄蓋の強面どもを使いたい」
「その分類にはいささか納得いかんところもあるが、何をするつもりだ?」
黄蓋が眉を寄せて、魯粛に尋ねる。
「もちろん、戦じゃよ。劉勲なんぞといつまでも遊んでやる義理も暇も無いからのう」
「黄蓋将軍、俺も実際に劉勲の兵を見てきましたが、軍師の目論見通りにいく事は十分に考えられますし、それであれば無駄に兵を失う事もありません。俺の様にただ見た目だけでなく、将軍の様な歴戦の武威を見せ付けられる武将であれば尚の事です」
魯粛ではなく太史慈にそう言われると、黄蓋も悪い気はしなかったらしく魯粛の策に従う事にした。
「なぁに、この策は別段難しい事を要求する事も無く、特殊な危険を伴う事も無い。ただ一つ、伯符には思う存分、派手に暴れてもらうくらいじゃのう」
「おう、それなら任せておけ。ちょっと引くくらいに期待に応えてやろうじゃないか」
「いや、そこまでやらんでもいい。その辺は公瑾が上手く制御してくれ」
「まぁ、私に出来る範囲では」
さすがの周瑜でも確約は出来ないみたいだが、あまり多くを望みすぎるのも良くないと魯粛は自分を納得させた。
魯粛は孫策らが劉勲と共に賊の討伐の為に二万の兵を率いて出たのを確認すると、自身も太史慈や黄蓋、陳武らの強面組を率いて劉勲の居城である皖城に攻め込んだ。
と言っても、劉勲は主力を率いて孫策と共に賊を討伐するために出ている事は知っている。
「太史慈である! 死にたくなければ、開城して降伏せよ! もし降らぬと言うのであれば、この太史慈だけでなく、川賊で鳴らした陳武、孫策軍の重鎮にして猛将黄蓋が敵とみなして皆殺しにするぞ!」
太史慈の強面を知っている劉勲の兵達は、陳武や黄蓋の顔までは知らないにしても、連戦連勝の小覇王孫策の事は知っている。
それらの武将が兵を率いて武器を構え、まさに戦闘態勢を取っているのは城の上からでも十分に分かる。
もし劉勲が主力と共に城に残っていたとしても、同じ結果になっていただろう。
皖城はまともに戦う事も無く陥落したのである。
「さて、伯符に連絡じゃの。城は落としたから、劉勲を叩きのめせ、とな」
「俺が行こう。黄蓋将軍は城に残られた方が良い」
「む? 年寄り扱いか?」
太史慈の言葉に、黄蓋が敏感に反応する。
「いえ、そうではなく、俺や陳武では城を治めるに重みが足りんでしょう。今は呑まれているだけで、我々に背かないとは限らないのです。俺の如き者より、実力実績十分な黄蓋将軍が残られると兵も簡単に事実を飲み込めるでしょう」
「うむ、その通りじゃな。ワシもそれが良いと思っておった」
太史慈の言葉に、魯粛も続いたので黄蓋も頷く。
太史慈と陳武はそれぞれ兵を一千ずつ率いて孫策と合流する為に出発し、黄蓋と魯粛で皖城に残って戦後処理に移っていた。
劉勲が略奪した袁術の財宝なども大量に蓄えられていたので、それによって孫策軍も十分な資産を得る事が出来た。
それからほどなくして孫策が劉勲を打ち破り、援軍としてやって来た劉表軍の黄祖の軍をも打ち破って追い払う事に成功したと言う報告が入った。
「まんまと留守役にさせられたが、向こうは景気が良さそうだな」
黄蓋は悔しそうに言う。
「まぁまぁ、若者が育たねば軍の強化はありえませんぞ」
魯粛は笑いながらそう言って、黄蓋をなだめた。
これによって孫策の江東統一はほぼ成され、次は荊州、そして天下へとその歩みを進めていく事になる。
この時、孫策軍の誰もがそんな未来を予想していた。
大幅に変更してます。
劉勲の居城を奇襲したのは孫策と周瑜で、その時に率いた兵が二万です。
ちなみにこの戦に魯粛はさほど参加していなかったみたいです。
しかも、一説にはここで大喬小喬をとっ捕まえて側室にしたとされてます。
劉曄がこの時、劉勲の元にいたのは事実で、
「孫策信用出来ないッス」
と劉勲に言っていたのですが、信用されずに奇襲されて城を奪われてますが、これはまぁ劉勲が全面的に悪いでしょう。
実は孫策が劉勲と共に賊を退治して、そのついでに劉勲も退治するところを書こうとしていたのですが、そうするといよいよ魯粛出番無いじゃん、となったので今回のようなことになりました。