第三話 烏合の衆
……しかし、悪い事と言うのは重なるモノじゃのう。
連合に参加した参謀達の末席にあって、魯粛は呆れるしかなかった。
袁紹と言うのは、確かに盟主に足る大人物だったかもしれないが、その事が足を引っ張る事になったのは魯粛の予想した通りだった。
連合結成の際、盟主を引き受けた時の芝居は見事と言う他ないほどに堂々たるもので、誰も袁紹が盟主となる事に反対しなかったし、させなかった。
四世三公の知名度だけでなく、袁紹にはかつての大将軍である何進の側近であった実績もあるので、この場に集まった諸侯の中でも一つ飛び抜けた存在である事は周知の事実であり盟主は袁紹しかいないと言うのは連合結成前からの既定路線であったにも関わらず、実際にその場に立てば反対したくなる者もいたはずだった。
が、いざその場になって袁紹が盟主になる事を反対させないだけの存在感があった。
まずいのう。
この時、魯粛は嫌な予感を感じていた。
堂々たる盟主である事を見せつけた袁紹は、その場で副盟主に袁術を任命し、大兵力を持って董卓を倒し皇帝陛下を救出する事を宣言した。
その宣言を持って連合の士気は高まったのだが、まるで酔った様な士気の高まり方に不安を感じたのは魯粛だけでは無かったはずだが、口を挟む事は出来なかった。
ところが、まったく予想もしていなかったところから連合の士気は水を差される事になる。
董卓軍の猛将、徐栄が洛陽に留まっていた袁家に連なる者を処刑したと宣言しただけでなく、その惨たらしい遺体を連合に届けると言う蛮行を行ったのである。
それだけでなく、徐栄は連合から見たら僅かな、三千と言う兵しか率いていないのに恐れる事無く突撃してきたのだった。
本来であれば失笑モノの蛮勇なのだが、徐栄は連合の想像を遥かに超えて強かった。
油断もあったかも知れないが、徐栄に狙われた鮑信の軍は勢力として大きな勢力ではないにしても率いる兵が一万を下回ると言う事もない。
それが一方的にやられ、あわや壊滅と言う危機を迎えたほどだった。
危機的状況を防いだのは弱小勢力である曹操軍の智将、曹仁の機転もあって逆に徐栄を包囲する事まで出来たのだが、今度は董卓軍から華雄と言う人間離れした猛将が入り込んできた事によって、突如始まった初戦は痛み分けになった。
「痛み分けのう」
魯粛は参謀達の集まったところで報告を聞いていたのだが、ため息混じりに呟く。
実際のところは惨敗と言うべきところだが、連合はそれを認める訳にはいかない。
なので、徐栄を討ち取る寸前まで追い詰めた事を大きく伝えて、完全勝利とはいかなかったものの十分な戦果であるとした。
「気に入りませんか?」
魯粛の呟きに気付いた者がいた。
年の頃は魯粛と同じくらいか、少し下くらい。
これはワシと同じ育成枠じゃのう。
年の頃だけでなく、奇妙とさえ思えるほど整った顔立ちからは武の雰囲気が身についていない。
むしろ風情や文化の香りさえ漂う少年だった。
「事実ではあるにしても、真実とはかけ離れておる。正確な情報とは言えんじゃろう」
「ここで士気を落とす訳にはいかないでしょうから」
「じゃったら、すぐに鮑信の軍に伝令を出すべきじゃな。抜けがけなど考えずに、足並みを揃えろと」
魯粛の言葉に、少年は首を傾げる。
「ま、今更遅いじゃろうがの」
「どう言う事です?」
「朝には分かる」
魯粛が言った通り、次の日の朝には鮑信が洛陽の正面の門である汜水関に夜襲を仕掛けたが失敗して、手痛い反撃を受けたと報告があった。
それを重く受け止めた袁紹は、汜水関攻略に江東の虎とさえ称される勇将孫堅を任命、さらに副盟主である袁術にも出撃の命令が出て、ほぼ崩壊状態である鮑信の三軍を持って汜水関を攻める事になった。
そうは言っても副盟主の袁術は兵糧管理も担当しているので、本拠点から出ては行くが最前線に出る訳ではない。
「む? ここでも一緒と言う事は孫堅軍か? あるいは鮑信軍か? いや、孫堅軍じゃな。昨日の事にピンと来ていなかったみたいじゃしのう」
「はい。正確には孫堅軍所属ではなく、いずれ孫堅軍と言うべき立場の周瑜と言う者です」
周瑜と名乗った少年に、魯粛は驚く。
「周家の息子か? いや、おかしいじゃろう? そりゃ袁家とは比べられんにしても、周家といえば二代にわたって三公を出した上に現職で三公を務めるほど名門の中の名門。いかに勇名を馳せているとは言え、一介の地方太守がせいぜいの将軍でしか無い孫堅の下と言うのはおかしいじゃろう?」
「そうですかね?」
驚く魯粛に対して、周瑜は不思議そうに尋ねる。
「重要なのは以前の功績ではなく、現状の能力です。今の周家と比べると孫家は十倍、いや百倍ほど優れているのですから、その下につくのはまったく不自然では無いでしょう?」
「……なるほど、その通りじゃ。これは一本取られたのう。周瑜よ、この戦、決して楽ではない故、生き延びるのじゃぞ」
「もちろん。諸侯の勢力の中で、我が孫堅軍はおそらく最強の軍ですよ」
周瑜の表情を見て、魯粛はすぐに察した。
孫堅には何か考えがあるのだろう。連合に参加する前に魯粛が考えていた詰み筋か、あるいはそれくらいに勝率が高い策が、おそらく孫堅軍にはある。
その策はさほど日数を置かずに、魯粛も察する事が出来た。
攻略の初日にこそ敵将の胡軫を討つと言う手柄を挙げた孫堅軍だったが、その後は勇将の名折れとばかりに凡戦を繰り返し、連日援軍の要請を繰り返している。
「孫堅、口ほどにもありませんな」
凡戦続きの孫堅に対し、嬉しそうにそんな事を言うが表情を見る限りではそう思っているのは張勲だけでは無い。
「そもそも孫堅には荷が重かったのかもしれないな」
袁術ですら表情を緩めている。
孫堅の真意がわからんらしいの。いや、その方が良いか。
魯粛は袁術軍の緩んだ空気は気に入らなかったが、口を挟む事は避けた。
「さっそく殿の出番ですかな」
「え?」
張炯がそんな事を言い出したので、思わず魯粛は声を上げてしまった。
「なんだ、今は戦の話をしているのであって、商売の話はしていないぞ?」
何をわかりきった事を、と魯粛は張炯を睨む。
「殿は副盟主ですぞ? 副盟主が最前線に出て武勲を挙げるなど、蛮勇と言うもの。副盟主の器を示すのは人を使ってこそ。孫堅が援軍を要請してくると言うのであれば、副盟主が上手に使ってやる為にもその援軍は孫堅の予想を超える強力な援軍を呼び、副盟主の器を見せつけるべき」
魯粛は堂々と言う。
「……ほう、商売ばかりが取り柄と言う訳でもないか。魯家のせがれは中々に面白い案を出すではないか」
袁術は数度頷いて言う。
「手柄を挙げるのではなく、挙げさせると言う訳か。それは確かに副盟主の器かもしれないな」
よし、食いついた。
袁術は気位ばかり高いものの、器の小さい小人物である。そんな人物であれば、労は少なく功は多くと望むのだが、それを露骨に表に出す事を嫌うと言う面倒なところもある。
それを正式な立場で正式な手順、これこそ本来の仕事であるとばかりに行わせる事で自分の功績になると教えてやれば、好んで最前線に出る様な真似はしたくないと思うだろうと魯粛は予測していた。
「では、その人選はどうしてやろうか」
袁術の問いに魯粛はすぐに答えようとしたが、ここは言葉を飲み込む。
あまり出過ぎては良い事などない。それに極端な話をすれば、最終的には総力戦に引きずり込む事になるのだから、誰でも良いのだ。
魯粛は孫堅の真意を見抜いていたので、そう思っていた。
孫堅の凡戦は、本人の能力不足などではない。
それどころか、本気になれば孫堅は汜水関を落とす事も出来るだろう。
だが、それは無意味である事を孫堅は分かっている。
汜水関を落としたところで、次の虎牢関を閉じられては同等以上の労力を要求される。
孫堅は自身の凡将と言う評価と引換に連合軍を戦場に引きずり込み、総力戦によって一気に洛陽を陥落させるつもりでいるのだ。
それこそが、大連合にとって最強の一手である事も分かっている。
孫堅、並の武将ではないのぅ。凌操の親父殿はもう孫堅に士官したのだろうか? これは間違いなく買いの武将じゃぞ。
「そう言う事であれば、それなりの戦力を持つ者が望ましいでしょう。ここはやはり戦力に定評のある馬騰や公孫瓚でしょうか?」
売り込みに必死な感じを受ける張炯がそう提案するが、魯粛は袁術軍の参謀の程度を見た気がした。
確かに西涼騎馬を率いる馬騰や、北方の騎馬による独自の戦術を持つ公孫瓚の戦力が高いのは魯粛も知っているが、それらは『騎馬兵』に支えられた戦力であり、いわば野戦における攻撃力である。
少なくとも汜水関の攻略と言う攻城戦では、騎馬隊の出る幕はほとんど無いと言える。
もしワシなら、馬騰や公孫瓚ではなく、張邈を押す。義に厚く、それなりに好戦的なところなどうってつけじゃ。それに劉岱なども悪くない。少なくとも陶謙や孔融などより戦力を持っている。
この援軍の後に、袁紹を動かして総攻撃じゃ。
「魯粛はどう考えておる?」
張勲が末席の魯粛に尋ねる。
「馬騰、公孫瓚と言った武将は確かに優れた騎兵による戦闘能力の高さを持っておりますが、今回の戦場では騎兵を活かす機会が少ないかと。それであれば張邈将軍などが適任かと」
「一軍だけでは少ないな、もう一軍、劉岱でも呼ぶか」
魯粛の言葉に、袁術が付け足す。
「殿、我々も参戦する姿勢を見せて、圧をかけるのも良いかと思われます」
張勲に負けない為か、橋蕤も提案する。
悪くない、悪くないぞ。
魯粛は顔に出さない様に気をつけながら、心の中でそう思っていた。
総力戦の場合には、当然この腰の重い袁術も動く必要があるのだが、少なくともその姿勢を見せると言う事だけでも流されて行く事になるし、ここぞと言う時に乗せやすくもなる。
張勲や橋蕤は、歴史に名を残す名将と比べると物足りないのは間違い無いが、だからといって話にならない無能と言う訳ではない。
このまま孫堅主導の元で戦が進めば、おそらくは問題なく勝てる。後は名門の袁紹様が下手に気位の高さを出してこなければ良いのだが。
と魯粛は思っていたのだが、勝ち戦をぶち壊しにしたのは、まさかの袁術軍であった。
実は凄く偉い人の息子
三国志一の美男子扱いを受ける周瑜ですが、実は家柄も凄まじいのです。
孫策と幼馴染と言う事もあって同格と思われがちですが、大会社の社長の御曹司が周瑜で、系列店の支店長の息子が孫策と言うぐらい、家柄は違います。
作中で魯粛が言った様に、この時代の常識で言うのならば周瑜に孫策が仕える事はまったくおかしくないのですが、孫策に周瑜が仕える事は有り得ないレベルの非常識でした。
「あの周家を従える、孫家一族」と言う肩書きが、後に三国の一角を担う強大な勢力となる呉の地盤となっていきます。