第二十二話 王朗との戦い
劉繇堕つの報は江東の情勢を大きく揺るがす事となった。
袁術が江東の地を狙っている事は周知の事実であったが、劉繇はまさにその防波堤の役割を担っていたと言える。
その防波堤が失われた事は、江東の勢力にとって死活問題である。
はずなのだが、その対策には後手に回る者達が多く、孫策軍に対する備えはほとんど無かった。
「とは言え、孫策は若輩であり袁術に動く気配も無い。ここは固く守り、徳王を称する厳白虎が孫策の側面を突くのを待とう。さすればいかに戦上手な孫策と言えど何ら手は打てまい」
王朗は基本戦術を示す。
王朗の軍には、劉繇軍の張英や樊能の様な名の通った猛将豪傑は不在であったが、守りの戦であれば十分な兵力を持つのだから、十分に守る事が出来ると言う判断だった。
「愚かなり! 戦に及べば敗れるのは火を見るより明らか! 今すぐに逃げるしか手は無い!」
そんな王朗に対し、真っ向から反対する家臣もいた。
虞翻と言う下級官吏である。
非常に高い能力を持つ人物である事は疑いないのだが、年齢や立場に斟酌せず、言いたい事を言い過ぎるせいもあって出世は遅れている。
今回の騒動でも、父の喪に服していた虞翻だったが、急遽やって来て王朗にそう言う。
忠義から来る言葉であるのだが、とにかく言い方が悪いと言う事もあって、仕官した当初は重宝されていたのだが、今では遠ざけられている。
「虞翻、言葉を慎め。ここには十分な兵もいれば、それを率いる百戦錬磨の武将もいる。孫策如き寡兵を相手に守る事など造作もない」
「この中に、一千前後の兵のみで張英、樊能の軍を打ち破れる者がいるのか? その寡兵を持って陸康を打倒する事が出来ると言う者がいるのか?」
王朗の配下の中には虞翻を咎める者もいたが、虞翻は引き下がろうとはしない。
「それに孫策が寡兵だと言っているが、劉繇を降した後には孫策の元へ続々と人が集まっているのだ。その兵は数万に膨れ上がっている。兵だけではない。武将では川賊だった凌統、陳武、蒋欽はその配下に加わったと聞くし、江東の二張と呼ばれる賢人張昭と張紘の他、呉の四姓と称される名門士族もその旗下に加わったらしいぞ」
「そんなはずはあるまい。その様なでまかせを信じて敵を大きくするなど、まったくもって恥ずべき事よ」
「少し調べれば分かる事だが、お前には難しかったらしいな。とにかく、主君含めてどこを見て勝算有りと考えてるかは知らないが、はっきり言わせてもらえば万に一つも勝機など無い。今すぐ降伏するか、あるいは逃亡するしか道は無いと言う事くらい分かるだろ? って言うか分かれよ! 調べれば分かる事も調べようとしない時点で勝目なんかあるわけないだろ!」
言い方が悪かったと虞翻が自覚するより早く退出を命じられ、戦から外される事となった。
王朗が暗愚と言う訳ではない事は、虞翻にも分かっている。
暗愚どころか、一太守として考えるのであれば極めて有能な官吏であり、その能力でいうのなら太守どころか三公さえ担える事だろうと言うくらいに、虞翻は王朗を評価していた。
が、それは官吏としての話であり、戦の適正となると話は変わってくる。
孫策はその戦闘能力の高さで言えば、破格と言うべき高さである。
だが、本当に恐ろしいのはその秘匿性の高さではないかと虞翻は考えていた。
陸康の時にしても、劉繇の時にしても孫策は少数の兵で出撃したと言う情報は入ってきたが、そこから一時的に情報が消え、次に情報が入ってきた時には戦に勝利している。
終わった後の話を聞くと、何故その戦いの情報が入ってこなかったのかと言うほど派手な戦い方と勝ち方であるにも関わらず、である。
異常なほどの存在感を示す孫策でありながら、彼がどの規模の兵を率いてどの進路を進んでいるのかが分からないのだ。
そんな事がありえるのだろうか、と虞翻は奇妙に思っていた。
もし並の敵が相手であれば、王朗が言う様に兵力が十分にある王朗軍が敗れる事はない。
実際に攻めてきた孫策は、固く守る王朗軍を正面から破る事が出来ずに苦戦しているのは分かっていた。
違う。これは孫策が苦戦しているのではなく、王朗が踊らされているだけだ。
虞翻の直感は、時を経ずして現実のモノとなった。
孫策は正面突破にこだわって王朗に苦戦していた様に見えていたのだが、いつの間にかそこで指揮していたのは孫策ではなく親族の孫静に変わっていて、秘密裏に行動の自由を得ていた孫策は裏手に回って後方の拠点を占領したのである。
虞翻は煙たがられている事を自覚していたが、それでも王朗に逃亡を進言した。
今になっては間に合うかは賭けになるが、それでもそうするしかない。
今回は王朗も虞翻に賛成した。
今でも厳白虎と同盟して孫策を挟撃するべきだったなどとブツブツ文句を垂れているが、残念ながらそれも上手くいかなかっただろうと虞翻は考えている。
孫策ではない。恐ろしく優秀な参謀が側についている。江東の二張か?
城を捨てて船で逃亡を試みた王朗だったが、孫策軍は素晴らしい快速の船で追ってきた。
川賊だな、正規軍ではない事にも強みがあったか。江東の虎の息子は、ただ猛虎と言うだけでなく翼までも持っているらしいな。
結局王朗の逃亡は失敗して、孫策軍に捕えられる事となった。
「仲謀、この戦は良い勉強になったと思うが、どこを学ぶべきかは分かるか?」
「さっぱり分からん。兄上がすげーと言う事だけは分かった」
魯粛の質問に、孫権は胸を張って答える。
「うむ、清々しいくらいじゃな。ワシは嫌いじゃないぞ。では、さっそく答えを教えよう。と言っても大した事ではない。王朗の守りの戦の拙さじゃ」
「なんとなく良くない守り方だとは思うけど、具体的に何がどう悪いのかを説明出来ない」
「うむ。正直なのは良い事じゃ」
孫権と魯粛は孫静の陣にいた。
と言っても、すでに逃亡を企てた王朗は周瑜と蒋欽の水軍によって捕らえられていると言う事だったので、会稽の城に向かって移動しているところだった。
「今回の王朗の戦じゃが、いかにも兵書読みによる守り方じゃったな。攻めてきたモノから耐え凌ごうとするのみ、はっきり言えば、これで守る事はほぼ不可能じゃ。それが何故かは分かるか?」
「俺らが強いから?」
「うむ、間違っちゃいないが、そう言う事じゃない。ほとんどの戦では、戦の主導権は攻め手側にある。それを甘んじて受け入れてしまっては、今回の様に守り側が常に後手じゃ。守り手から攻め手に圧をかけていかなければ、攻め手はやりたい放題じゃ」
「ああ、王朗は兄上が裏手に回っている事さえ気付いていなかったしな」
「それ以前に、王朗は攻めているのが孫静殿であった事すら気付いていなかったようじゃぞ。情報の重要さもわかっとらん。これではどれだけ兵がいても、守れるモノじゃないわい」
それに関しては、魯粛が最初から誤情報を流していた事も功を奏している。
実は王朗を攻めていたのは最初から孫静であり、魯粛は孫静の軍を孫策の軍であると言う情報を流していた。
孫策だと思い込んでいた王朗は全力で守りを固めたのだが、孫静は探る程度で本気で攻略する事はしていなかった。
これも魯粛や周瑜の策であり、いかにも孫策が攻めあぐねていると装っていたのだ。
孫静の軍の後方から、夜陰に紛れて孫策の一軍が王朗軍の裏手に回って拠点を奪い取ったのである。
正面で攻めあぐねている孫策軍を相手に守り通せると思い込んだ王朗軍からすると、突如湧いて出た様な孫策の軍はまったく予想外だったらしく、防備も間に合わない様な有様で拠点を奪われる事になった。
この時点で王朗が降らなければ水路で逃げるしかないと読み切っていた周瑜が、すでに水軍を手配していたのである。
「とにかく兄上達が凄いのは分かったが、王朗の方が兵は多かったのだから守る方法もあったのだろう? 子敬なら守れたか?」
「無論じゃ。ワシが王朗であれば、相手が伯符であっても簡単には負けん」
「どうやって守る?」
「いかに強いと言っても、伯符は自ら動きたがる傾向が強すぎる。であれば、ただ守ると言うだけでなく、厳虎、許頁、劉繇の残党など一斉に牛渚なり曲阿なりを攻めさせる。全てが一斉に動けば、残念ながら我らに全てを守るだけの兵力は無い。伯符がどこに行くかを見定めて、伯符がいないところ攻める。これで伯符は攻められなくなるじゃろう」
「守りの戦じゃなかったっけ?」
「守っておるじゃろう? 守る上で重要なのは、耐え凌ぐ事ではなく相手の攻め気を削ぐ事じゃ。それは必ずしも高い城壁や深い堀の事だけではないのじゃ」
「ほー、なるほどなー」
「分かっとるのか?」
「ま、なんとなく」
孫権は曖昧に頷く。
「仲謀、お主は自分の事をよく分かっておらん様じゃが、伯符にしても公瑾にしても軍略の中心に据えておるのはお前じゃぞ?」
「は? 何で俺? 兄上と公瑾兄がいれば俺の入る余地など無いだろう?」
「漢に例えれば分り易いかのう。伯符は、高祖と韓信の長所を併せ持つ様な破格の英傑であると言えるじゃろう。公瑾にしても、張良と比べて劣ると言う事も無いほどの知略と軍略を持っておる。仲謀、お主の役割も見えてくるじゃろう?」
「まったく。その二人がすげーとしか」
「お主の役割は蕭何じゃ。伯符の戦い方は勘によるところが大きく、おそらく伯符以外の者が真似ても失敗するだけじゃろうな。それを支えるのが公瑾の役割じゃが、それによって国土を広げた場合に起きる問題が空洞化じゃ。そこで仲謀、お主が人を繋げる柱として伯符の行動の自由を支える。間違いなく伯符と公瑾は、仲謀にその役割を期待しておるぞ」
「俺がぁ? 無理無理、そんなガラじゃないだろー?」
「そんなガラじゃ。だからこそワシが付いておるのじゃ」
「へー、子敬は俺の補佐なのか」
「まぁの。ワシは主として仰ぐなら、伯符よりお主の方が良いと思っておるよ。大体、伯符の戦い方ではワシの出る幕が無いわい」
「俺が蕭何なら、子敬は曹参か?」
「ワシの役割はお主を蕭何にする事であって、ワシ自身が曹参になる必要も無い。その代わり、ワシには感謝しろよ」
「その時が来れば、感謝の一つや二つしてやるさ」
孫権はそう言って笑った。
孫権の役割
創作です。
少なくとも、正史でも演義でも蕭何の役割だったとは言ってません。
たぶん違います。
ただ、孫策や周瑜が孫権に期待していたのは間違い無いと思われます。
おそらく役割としては、夏侯惇の役割がもっとも近いのでは無いでしょうか。
孫策は曹操と同じく自分から動いて戦局を切り開いていくタイプなので、絶対の信頼がおける留守居役は何よりも必要だったはずであり、孫権にはその働きを期待していたのではと思います。
また、孫権の能力から考えても最前線を指揮する武将としての働きより後方支援こそ活かせるはずです。
さらに孫策が集めてきた人材はクセが強過ぎるので、孫権くらいの器が無ければとてもじゃないですがまとめられそうにありません。
おそらくそれこそが、周瑜が夢見た天下二分の計の完成形だったのではないでしょうか。




