第二話 反董卓連合へ
「紀霊殿は行かれんのか?」
魯粛は袁術軍の中でもかなりの若手ではあるのだが、だからと言って誰に対しても遠慮をすると言う事は無い。
それは袁術軍と言う巨大組織の中になっても、豪商である魯家の財力と影響力によるものでもあるのだが、一番の要因はそれらの事より本人の性格によるところが大きい。
「兪渉さんが行きたがっていましたので譲りましたよ、ふっふっふ。なので引率は張勲殿と橋蕤殿にお任せしました。何分、この三尖刀がまだ手に馴染まないものでね。不完全なモノをお見せするのは、私の意に反しますので。ふっふっふ」
胡散臭い僧服の上に、胡散臭い話し方をする武将であるが、魯粛の目には紀霊は袁術軍の中でも上位の実力を持つ武将に見えていた。
まず何より家柄や血筋が最優先される袁術軍にあって、魯粛や紀霊は必ずしも実力に見合った身分であるとは言えないので手柄を焦っているのかと思ったのだが、紀霊は案外その事はさほど気にしていないらしい。
こんな胡散臭いナリでも、根っからの武芸者なんじゃな。
「子敬のお坊ちゃんは、今回のメンツに入っているのかね? ふっふっふ」
「育成枠じゃと言われとる。何事も経験なんじゃと」
「育成枠? これはまた随分と我が軍らしからぬ事を言い出してますね。韓胤辺りが言い出したのですか?」
「いや、李豊らしい」
「ふっふっふ、なるほど。うるさ型な李豊殿らしい。案外、いずれはその育成した若手達を使って、張勲殿や橋蕤殿と取って代わろうと考えているのかも知れませんね、ふっふっふ」
「李豊じゃ無理じゃろうの。その育成枠に自分が取って代わられるのがオチじゃ」
「それこそ、子敬のお坊ちゃんにね。ふっふっふ」
「侮らんでくれ、紀霊殿。ワシはそんな行きがけの駄賃みたいな地位など、興味も無い」
「ふっふっふ、お坊ちゃんのそういうところ、嫌いじゃないですよ」
紀霊は笑いながら言うが、魯粛もこの胡散臭い武将の事は嫌いではない。
見た目にも口調にも胡散臭さが漂ってはいるものの、完全に実力主義で割り切っているところや三尖刀と言う扱い辛さばかりが目立つ仙具を自分のモノにしようと努力しているところなどは、血筋のみに甘えている者達より遥かに好意が持てる。
「ところで坊ちゃんは、今回の大連合はどう見てるんですか? これで董卓を討てると? ふっふっふ」
「董卓なんぞ討つ必要は無いじゃろう。皇帝を手中に収め、人事を一新する。これで董卓の春は終わる。次に来るのは盟主袁紹と副盟主袁術の天下じゃよ。もっとも、皆が結束していればの話じゃがな」
「ふっふっふ、それがもっとも難しいでしょうに」
紀霊の言う通りである事は、魯粛も分かっている。
直接の面識は無いにしても、董卓とその軍が非常に獰猛で強力な事は知っているし、さらには天下無双の猛将と言われる呂布がいる事も十分承知している。
が、そんな事ではどうする事も出来ないほどの数の差があった。
もし自分が盟主であれば、と魯粛は思う。
もし自分が盟主であれば、全兵力を総動員して洛陽を包囲して一斉に攻撃して皇帝を押さえるだろう。はっきり言えば、誰がどんな武勲を挙げようと関係ない。むしろ誰がどんな武勲を挙げたのか分からない方が望ましいくらいだ。そうすれば、功績は嫌でも盟主と副盟主のところに降って来るのだから。
それに今回の連合はほとんどが太守や刺史で組まれている。
どれほどの武勲を挙げたとしても、一人の人物が董卓と呂布を討って董卓軍を壊滅させた上に皇帝を救出するくらい非常識な武勲を挙げない限り、そんな身分の者が一足飛びに三公や大将軍になれるはずもないのだから、董卓を討とうが呂布を討とうが関係ない。
何ならそれらの事を全て任せて、皇帝の身柄を袁術が押さえてしまえばそれで袁紹との立場も逆転出来るのだ。
魯粛にはそんな詰み筋が見えていたのだが、紀霊が指摘する様にそれは全員が同じ目的の元に団結していなければならないと言う特大の障害を超えての話である。
「ワシは袁紹の事も知らんからなぁ」
「私も直接は知りませんが、袁術殿を見ている限りでは大人物であると思われますよ、ふっふっふ」
紀霊が言わんとしている事も、分かる。
袁術はとにかく気位が高く、その割に器が小さいと言うか嫉妬深いところが見て取れる。
従兄弟のはずの袁紹だが、本家筋であるはずの袁術より周囲から期待され、四世三公の袁家と言う看板を堂々と背負って見せているのは袁術より袁紹だろう。
袁術とて能力で言うのであれば決して無能と言う訳ではないのだが、その男が最も嫉妬の目を向けるのは、その理由があるからだと言うのは魯粛も想像がついていた。
「ま、坊ちゃんは連合の中でも若手でしょうし、末席なのだから発言権も無いでしょうね。何事も経験と思って、物見遊山を楽しめば良いでしょうね、ふっふっふ」
「何事も経験、か。確かにそう自分に言い聞かせるしかないのぅ。紀霊殿、楽しかったぞ」
「こちらこそ、ふっふっふ」
袁術軍は連合の中でも極めて大きな勢力であり、紀霊は拠点を守る役割であるが袁術自身の他に武の要ともいえる張勲と橋蕤、参謀でも袁術に近しい韓胤や張炯なども参加するなど、かなりの規模の兵を動員する。
紀霊の言う様に魯粛などは末席も末席、本当にただ同行するだけと言う様な立場である。
はっきり言ってしまえば、魯粛がいてもいなくても何ら影響はないのだが、それでも魯粛は今回の連合参加にはちょっと期待していた。
紀霊の言う経験もそうだが、何より大連合の者達に直接会う機会を得られるのは大きい。
敵である董卓や呂布と接触する事は無理なのはともかく、名声の高い袁紹を始めとする諸侯のほとんどを魯粛は知らない。
それだけではない。
諸侯に限らず、今回参加しているかは分からないが黄巾の乱で名をはせた漢の名将である皇甫嵩や朱儁、さらに漢軍ごと黄巾軍を焼き払ったと言われる曹操、義勇軍を率いて正規軍以上の活躍を見せたと言われる劉備などもウワサでしか知らない。
また、各勢力に同じように育成枠で参加する者がいた場合には、その勢力の期待の若手と言う事になるのだからそこと知り合っておくのは悪くない。
この時の魯粛は、呑気にそんな事を考えていた。
魯粛は自分の能力に関しては自信があり、天下に有数の知略と軍略を持っていると自負している。
それでも、先ほどの詰み筋が見えたのが天下に自分一人だけであると自惚れてはいない。
諸侯の参謀、特に袁紹に近しい者が同じ様な詰み筋を見出していれば、相手が董卓であろうと呂布であろうと、それどころか古の項羽や楽毅であっても勝利は約束されているようなものだ。
とはいえ、問題は山積みでもある。
まず第一に、全員が協力体制にあると言う前提から難しい事。
それがほぼ不可能と言うべき難易度である。
解決法も無くは無いが、それにはまず袁紹の器によるところも大きい。
袁紹が連合の盟主足り得る器が無ければ、あるいはその重圧から逃れる為に一気に総攻撃と言う短絡的かつ効果的な手を打つ事も期待できる。
逆に中途半端に器がある方が面倒な事になりそうだと、魯粛は危惧していた。
何しろ、連合の総数は四十万にも及ぶと言う。
対する董卓軍は、漢軍の全てを動員すれば数の上での不利はそこまで大きくならないが、実際には漢軍の全てを動員する事など出来ない。
正確な数字は知りようがないものの、数万が限度だと魯粛は予測していた。
董卓の強引過ぎる手法が万人に認められるわけもなく、これほどの大連合が出来るほど反董卓の気運は高まっている。
それは董卓の子飼いの軍ならばともかく、漢軍全軍が董卓に協力的などと言う事は有り得ない。
むしろ反逆の恐れの方が大きいだろう。
それらを総動員した場合、連合と呼応する事が考えられ、外に連合の大軍、内に呼応した漢軍の大軍を抱える愚を犯す事になる。
董卓自身も然ることながら、董卓の参謀でその事に気付かない者がいないほど花畑に囲まれているとは到底思えない。
漢の正規軍はもちろん、その目付の軍も残す事も考えると四十万の連合軍の総攻撃を防ぐ事は出来ない。
その、勝ちがほぼ確定した状態が問題なのである。
下手に器があった場合には、勝ち方にこだわろうとしてしまう。
今回は、その余裕があるのだ。
名門の中の名門であり、その看板を背負う事を期待されている袁紹はおそらく魯粛の見出した必勝の詰み筋を良しとしないかも知れない。
そうなるとマズいな。
もし大兵力で気分を良くして勝ち方にこだわった場合、わかりやすく完全勝利を見せつけるには正面突破から董卓を討ち取り、皇帝を救出させると言う手を考えるかも知れないが、これはほとんど無意味どころか有害とさえ言える幻想である。
洛陽と言う都は今でこそ乱世であるが、ここを都とした時には治世の都であり、外敵から守る事を主目的とせずに外交による繁栄を主目的とした開かれた都である。
当然城門や城壁はあるのだが、乱世の都ほどの備えは無いと言える。
が、それでも正面突破が容易な城ではないだけでなく、敵である董卓軍も獰猛かつ残忍、その戦闘能力の高さは尋常ではない集団だ。
正面突破を狙う場合には、大兵力で一斉にとはいかない。
つまり、一軍か二軍の兵力で董卓軍の猛者を、最悪の場合には董卓と呂布を同時に相手にしなければならない事態に陥る事も考えられる。
そうなってくると最悪だ。
大兵力と言っても、連合の結果である。
出来る事なら自分達に犠牲を出したくないと考えるのはごく普通の事だが、董卓を相手にする事を考えるとこれは致命的な足枷になる。
そこは四世三公の袁家。能力も極めて高い参謀がついていてくれる事を期待するしかない。
それに正面突破は困難ではるが、成功した時の見返りを考えると決して悪いとばかりも言えない策である事は魯粛にも分かる。
まず何より、分かり易い。
これを成功させる事が出来ればその後に董卓が何をどう言おうと、誰の目にも連合の勝利は明らかとなり、急造の董卓政権は一気に瓦解して立て直しは不可能だろう。
それどころか漢の正規軍が息を吹き返し、連合に負けるなとばかりに董卓軍を攻撃する事にもなり、董卓は政権瓦解どころか、おそらく生きてはいられないはずだ。
そして、連合の盟主たる袁紹の名声は天に届き、次期大将軍は確約のモノになる。
そうすると袁紹は器の大きさを見せる為にも、副盟主である袁術に最低でも三公の地位を、あるいは丞相に近い地位を用意する事になる。
この見返りは、困難に向かうだけの魅力があるのは魯粛にも理解出来る。
が、それらは全て成功すればの話であって、成功させるだけなら一斉攻撃の方が良い。
さて、ワシに発言権は無いから、お手並み拝見と行こうかの。乱世の諸侯とやらが本物かどうか、見物させてもらうとしよう。
張炯さんについて
実は三国志演義の中でもほとんど出番が無く、正史でも一瞬名前が出る程度の存在なのですが、架空の人物ではありません。
もう少し後の話になりますが、袁術が皇帝になる事に賛成した参謀の中の一人に名前が出てきます。
でも、その時の袁術軍にあって意見が出来ると言う事はそれなりの地位にあり、袁術軍でそれなりの地位と言う事は相当な名門の生まれだったか、その能力があったと思われます。
ので、あまり知られてない張炯さんをイジってみました。
個人で伝が立てられていないので、どんな人だったのかはわかりません。