第十九話 必要な人材
周瑜と張昭、朱治は張昭の推す人物に会いに来ていた。
会いに行く事は先方にも伝えてあったのだが、周瑜や朱治はともかく、このメンツの中ではもっとも高名であるはずの張昭が原因で多少手こずるハメになった。
「まったく不愉快な事だ! この儂を誰だと思っておるのか」
「先生、ごく一般的な反応です」
「朱治、お主もケンカを売っておるようじゃのう」
「いえ、そう言う事ではなく。先生ほど高名なお方となれば、その名を語る不届き者の存在も考慮する必要があるでしょう。ご本人と面識の無い者に本人であると証明する事は、意外と難しいものです」
「……何じゃ、武将にしては悪うない返しじゃの。出自は呉か?」
「いえ、同じ揚州ではありますが、丹陽です。それが何か?」
「良い人材と言うのは、不思議と同じところに集まりやすくてな。一人出身者がいれば、その後も滞りなく人材を集めやすくなると言うものなのだ」
張昭はそう言うと、眉をひそめる。
「何しろ孫策には色々と支障があるからのう」
「支障と言うと?」
「あの性格だけでも十分過ぎるくらいに支障があるだろうに。武将ならいざ知らず、文人にとってあの性格はまったくもって未知の生物じゃぞ?」
「……それは確かに」
苦り切った張昭の表情と言葉に、周瑜としても苦笑いするしかない。
ほとんど思い付きで行動する孫策は、確かに文人にとっては理解しがたい人物だろう。
同じ様に思い付きで行動すると言う事は有り得ないにしても、武将肌の人物にとって孫策は単純明快な裏表のない人物に見えるものである。
孫策の元に人が集まってくるのは、本質的にそちら側の人物である事が常であり、張昭や張紘と言った文人肌の人物は確かに縁遠い存在になっている。
「だからこそ、どうしても必要な人物なのだ。お主らなら問題ないと思うがくれぐれも失礼の無い様にな」
と、張昭は念を押しているが、周瑜や朱治よりどう考えても張昭の方が色々と気をつける必要があるのではないか。
周瑜も朱治も同時に同じ事を思ったが、どちらもそれを口にする事は無かった。
「張昭様ですね、お待ちしておりました」
目指していた人物の屋敷に到着したのか、屋敷の前には家人が待っていた。
「お初にお目にかかります。張昭と申します」
筋肉の塊である巨漢がよほど予想外だったのか、こちらの到着を待っていたはずの家人が驚き、明らかに恐れているのが分かる。
「まぁ、普通は高名な文人と聞いてあの先生みたいなのは想像しないよな」
朱治が小声で周瑜に言う。
家人の案内で通されたところには、すでに一人待っていた。
「お待ちしておりました」
その人物は立ち上がると、張昭達に頭を下げる。
「お待たせしたみたいですな。お初にお目にかかります、張昭と申します」
「顧雍です。初めまして」
張昭と違って、いかにも文人と言う雰囲気の顧雍は張紘と同じく人の良さそうな顔立ちもあって、どこか目立たない存在でもあった。
それは近くに張昭と言う目立ちすぎる人物がいるせいかもしれないが、年の頃は張昭より年下で周瑜や魯粛より少し年上と言ったところだろう。
「単刀直入に申し上げるが、儂は顧先生を招き入れる為に来た」
これ以上は無いくらいに単刀直入に、張昭は顧雍に向かって言う。
「今はまさに乱世。我らが学び得たモノは蔑ろにされ、それを嫌ったが故に世を嘆いてこられた事は儂にも分かる。だが、そんな儂に向かってそれでは世の中は良くならない。そんなモノは腐れ儒者がやる事だ、と言ってのけたモノを知らない若造がおりましてな。口惜しい事に、上手く言い返す事が出来ませんでしたわ」
張昭は勝手に話し始めると、どっかと腰を下ろす。
本来であれば失礼の極みであり、もし張昭の前でこんな行動を取ろうものなら鉄拳制裁だろう。
わざと相手を怒らせようとしているのか?
挑発行為にしか見えない行動を取る張昭に疑問を持ちながら、それでも周瑜は口を挟む事はせずに見守っていた。
「なるほど、それはその若者の言う通りでしょう。正しいと思ったからこそ、先生も言い返せなかったと言う訳ですね」
顧雍はそんな張昭の行動を咎める様な事はせず、柔らかく答えると自身も張昭の対面に座る。
張昭の拳の間合いに平然と入るか、あの先生、見た目と違って豪胆なお方だ。
張昭に対して距離を取ろうとするのは、物理的圧力から考えても決しておかしな事とは言えない。
ましていきなり失礼な態度と行動を取る様な人物であれば尚更である。
「お主は幼き頃、あの蔡邕先生より学問を受け、その才能を認められた事から『雍』の名を与えられたと聞く。その才覚、正しい主の元で振るってみたいとは思わぬか?」
「その人物とは? 張昭先生がそこまで言われるのであれば、相当な人物なのでしょう?」
別に顧雍が特別な質問をしている訳では無いはずだが、張昭は即答出来ずに言葉に詰まる。
「張昭先生?」
「……いや、儂の方から勧めておいてなんだが、主に持つに対してその人物が素晴らしいかと言われると、決して素晴らしいと言う訳ではなく……」
急に歯切れの悪くなった張昭に、顧雍は首を傾げる。
「とは言え、張昭先生はそのお方を主とされた訳でしょう? 私にも同じ主に仕えよと申されるのであれば、是非にお名前をお聞かせ願いたいのですが?」
「……主、主のう……」
「私共の主は、孫策伯符にございます」
まだ主と認めたく無いのか、主として名前を出す事に強い抵抗があるらしい張昭を助ける様に、周瑜が後方から答える。
「孫策? かの海賊狩りとして名を馳せた孫堅将軍の御子息か?」
「その通りです」
「ですが孫堅将軍は戦場にて命を落とし、その勢力は袁術殿に吸収されたとか。つまり私に袁術殿に仕えろと進められるので?」
「違います。我々の主は、あくまでも孫策であり、袁術とは無関係です」
「なるほどなるほど。ところで君はどなたかな?」
「これは、大変な失礼を。私は周瑜と申します」
いかに張昭が返答に困っていたからと言って、名乗りもせずに勝手に発言した非礼を周瑜は詫びる。
それ以前に張昭がもっと無礼を働いているので、今更でもあるのだが。
「ほう、三公を輩出された周家の方ですな? しかし、張昭先生にしても周瑜殿にしても、何故に孫策殿の家臣に甘んじておられるのです? 家格、名声共に主従が逆でしょう?」
「主である孫策が私を使いこなす事は出来ても、私では孫策を使いこなす事は出来ません。私にとってはそれで十分。それより優先される事などありません」
「ははは、この調子で張昭先生も一本取られたのですな?」
「まったく、最近の若い者は恐れを知らぬ」
「おそらく張昭先生も同じ様に言われていたはずでしょう」
顧雍は笑いながら言う。
「この世には本音と建前と言うモノがあります。なので、まずは建前から聞いていただきましょう」
顧雍はそう言うと、後方に立つ周瑜や朱治にも座る様に勧め、家人に飲み物を用意させる。
「何をどう主張されたとしても、孫策殿は袁術軍の武将であり、私はどの様な言葉を用いられようとも袁術殿を主とするつもりはありません。また、先ほどの言からも近い将来孫策殿は袁術殿からの独立を考えておられるようですが、それでも今は根無し草。仕えるべき主であると言えますかな?」
「まさにおっしゃる通り!」
何故か張昭が大きく頷いている。
「おっしゃる通りって、先生」
朱治が呆れながら呟く。
「いや、冷静に考えると顧雍殿の言うわれる通りだと思うてな。何を血迷って孫策を主としたのか、今になっても答えが出ないのを思い出したのだ」
「……たぶん、それが許される気風だからですよ」
孫策自身が無礼講過ぎると言う事もあって、孫策軍は軍と言うには緩やかで朗らかな雰囲気がある。
今はそれでいいかもしれないが、ずっとそのままと言う訳にはいかないために張昭や顧雍と言った人材は必須である、と周瑜は思っていた。
もちろん張昭もそう思ったからこそ、こうやって動いている。
「今は根無し草であっても、まもなく十分な地盤を得る事になります。おそらく先生も納得の地盤となるでしょう」
「ほう、それは?」
「この江東一帯です」
周瑜の言葉に、顧雍は一瞬眉を寄せる。
「大きく出ましたな。若者の大言、嫌いではありませんが、あまり言葉ばかりを先行させるのは良い事にはなりませんよ?」
「いや、顧雍殿。実は大言とばかりは言えんのです。今まさに江東の一大勢力、劉繇を締め上げている真っ最中でしてな。この後に袁術よりの独立を画策しておるのですよ、この若い衆は」
張昭の言葉に、顧雍は驚く。
「劉繇? 数万の兵力を持つ劉繇軍を相手に、孫策殿の兵力は?」
「儂が出る前は、袁術より借り受けた一千と、一族のモノから二から三千とか申しておった」
「無茶でしょう?」
「それがそうでもないからこそ、こうやって仕官を勧めに来ておるのだよ」
張昭がそう言うと、顧雍は何やら考え込む。
「では、本音の方を」
先ほどの建前でも仕官を断る理由としては納得出来るものだったが、それとは別の理由もあるらしい。
「本音を言えば、怖いのですよ、孫策殿が」
「怖い?」
周瑜は不思議そうに尋ねるが、顧雍は真面目に頷く。
「先ほどは知らぬ振りをしましたが、すでに孫策殿の武名は轟いております。何しろあの陸康将軍を僅かな兵にて討ち取っておられる。その事を知らぬモノは少ないでしょう」
「そう、その事がこの一帯のモノに仕官を勧めるにあたっての支障なのだ」
顧雍の言葉に、張昭が頷く。
皇族の劉繇もさる事ながら、都を離れ長江を渡った一帯になると地方独自に力をつけた豪族の支配が強くなる傾向にある。
そんな力をつけた豪族の中でも一際強い影響力を持った四つの家柄があり、それは『呉の四姓』と言われるほどの名門名家となっていた。
その四姓の一角であり武門としての力を持っていたのが、陸康なのである。
孫策はそんな事に頓着する事無く、僅か一戦にて陸康を討ち取ってしまった。
その事実は他の三家にも、同等の災禍に見舞われる恐れを抱かせるに十分な事だった。
「であれば尚更孫策に協力していただけるのでは?」
「ですから、怖いのです。若さに任せた血気盛んな暴君にも見えるのですよ、孫策殿は。もちろん違う事は分かっておりますが、直近の例で董卓と言う非常に分り易いモノもおりますれば、我ら文人は主選びには慎重にならざるを得ないのです」
「うむ、伯符には暴君の素養はあるだろうな」
張昭は大きく頷いている。
「だからこそ、我ら文官の力が必要になるのだ、顧雍殿。案ずるな、孫伯符は確かに若く血気盛んで猪突猛進なところもあり、不安になるほど暴君としての素養も見て取れる」
「欠点だらけですね」
張昭の言葉に、顧雍は小さく笑う。
「が、それをよしとしておらず、己の非を認める素直な心と、それを改善しようとする向上心を持ち合わせておる。儂や顧雍殿、そこにおる周公瑾らが傍に仕え主を諌めていれば、間違っても董卓の再来などにはならんと約束しようではないか」
張昭の言葉に、顧雍は大きく頷く。
「分かりました、張昭先生。ですが、一つだけ条件を出させて下さい。私としても体裁を整えなければ、自由に動けないところがあるのです」
「それは?」
「地盤固めです。先ほど劉繇を倒してその地盤を得ると言われておりました。それが達成出来た折に、私はもちろん、私が推す者達と共に孫策殿のもとへ参じましょう。ですが、私が説得しても動かない家が一つあります。そちらの説得はお任せしたい」
「……陸家だな」
張昭の言葉に、顧雍は頷く。
「陸康殿が討たれたとは言え、陸家が没落し、その名声が失われたと言う事はありません。また、若さに任せた行動である事から孫策殿に対する反感は必ず現れます。その時、陸家ほどの影響力を利用しない手はありません。それには私どもの言葉ではなく、主の器にて受け入れるなり屈服させるなりするべきでしょう」
そうして顧雍の協力は取り付ける事に一応の成果はあげたと言えるものの、難しい問題も出て来た。
「家格、か。確かにのう」
「陸家との禍根も、確かに解消するべき問題ですからね」
「いや、その前に問題があるだろう?」
思い悩む張昭と周瑜に対し、朱治が割って入る。
「劉繇に勝てるのか? 確かに伯符の戦上手は身内であれば誰しもが疑わないところだが、それにも限度はある。兵力差は十倍だぞ? 一人対十人でも極めて厳しい戦いだと言うのに、それが十人対百人、百人対千人となっていけば厳しいどことか絶望的だ。本当に勝てるのか?」
朱治の主張はいたって常識的なものだった。
「……それは、現場のモノに任せるしか無いからのう。儂らに出来る事は、上手くいく事を祈り、上手くいった事を前提に事を運ぶだけじゃ」
「大丈夫ですよ、朱治殿。伯符だけではなく、一騎当千の黄蓋殿や韓当殿もおられますし、戦術に対しても程普殿や子敬がいます。相談役に張紘先生や呂範殿もいますので、人の質では劉繇軍など比較にもなりません」
「……本当に大丈夫なのか?」
朱治だけは不安そうだったが、これは朱治が孫策に対する忠誠心に欠けると言う事ではなく、張昭ほど人並み外れた豪胆さが無く、周瑜ほど盲信出来るわけではないといった、ごく当たり前の人としての反応であった。
後に極めて重要な人物
呉の四姓は、基本的に孫権の時代に本格的に活躍する事になります。
正史では孫策の時代ではなく、孫権の時代になってからいつの間にか配下に加わっている人達が多く、顧雍もその一人です。
ちなみに演義では張昭ではなく、張紘が推挙してます。
四姓は顧雍の顧家、陸康改め陸績(&陸遜)の陸家の他には、今後登場予定の朱桓の朱家(朱治は違うよ)、張温(かつて董卓と孫堅の上司で、若い嫁さんをもらって董卓に殺された人は同姓同名の別人)の張家(江東の二張とか言われてますが、張昭とか張紘は無関係)の四家です。
呉の四姓がどれくらい凄いかと言うと、張温の先祖はあの天才軍師張良子房らしく、他の三家も同等の家格です。
この物語はフィクションなので、顧雍のスカウトに周瑜や張昭は動いてないと思われますので、こんな会話は行われていないと思われます。