第十四話 軍議
「よし、ではさっそく本格的な軍議に入ろうか」
本来の合流地点として定めていた呉景の元にやって来た孫策達は、そこで無事合流を果たした。
そこで孫策がそう切り出したのである。
「お待ち下さい。幾人か面識の無い者もおりますれば」
年長者の程普が、冷静かつ丁寧に孫策に申し出る。
「おっと、そうだった。我が家臣となった、江東の二張こと張昭先生と張紘先生だ。あと、金を出してくれる魯粛だ。こやつはまだ俺の家臣では無いと言い張っているが、まあ気にしないで良い」
「お前は気にしろ」
魯粛は一応言ってみるが、孫策は笑いながら軽く手を振っただけで改善するつもりは皆無らしい。
「こっちが父の代からの臣下である、程普、黄蓋、韓当。あと、同じように袁術を見限った朱治と呂範だ。俺と公瑾と呉景の叔父上の事は省略しても良いだろう?」
魯粛は呉景との面識は無かったが、商売の流れで名前くらいは聞き覚えがあるし、呉景の方も魯粛本人と会った事は無かったが名前は知っていたので、そこは特に問題にならない。
「さて、紹介も済んだところで、今後の話だ。攻略目標は劉繇で決まりなのだが、俺は劉繇の事はよく知らない。叔父上、一年に渡って戦って来た叔父上であれば詳しい事をご存知でしょう?」
呉景は孫策にとって母方の叔父に当たり、劉繇が赴任してきた時に袁術側だった事もあって元々の領地から追い出され、それ以降は袁術側の立場で劉繇と戦っている。
残念ながら呉景は劣勢で、それを覆す事は出来ていない。
その旗下には樊能や張英といった長らく劉繇に付き従う勇将の他にも、本人が皇族に連なる事もあって続々と人が集まっていると言う。
今では数万もの兵力を持つ巨大勢力になりつつある。
一方の孫策は、率いる兵は袁術のところから引っ張ってきた一千近い兵力のみ。
呉景の兵も、今となってはこの拠点を守る兵で精一杯と言う有様で、とても孫策に兵を貸し与える事が出来るほどの余裕が無い状態である。
「兵力一千はいかにも少ないな」
黄蓋が口にするが、それは全員が思った事でもあった。
「よし、ではワシがそれは何とかしようかの」
魯粛が言うと、全員が魯粛を見る。
「子敬、ではそれはお前に一任するが、いつ頃に揃う予定だ?」
「そうじゃのう。呉景殿、劉繇めは戦場に出ておりましたか?」
「幾度かは見かけた事はあるが、それが?」
呉景は魯粛の質問の意図がわからず、それでも素直に答える。
「では、本拠地の曲阿に引きこもるだけではなく、一応部下の前で士気を鼓舞する程度には戦が出来ると言うわけか。それならおそらく、この牛渚を要塞として前線に対処している事じゃろう」
魯粛は地図を見ながら言う。
「つまり当利口と横江津を抜いて、長江と言う地の利を奪う必要があると言う訳だな。で、何時頃に兵力は揃う?」
孫策の言葉に、魯粛は腕を組む。
「そうじゃのう、ワシが横江津を落とそう。現兵力で当利口は落とせるか?」
「それくらい屁でもないが、そっちはどうするんだ? 現兵力は俺が全て率いていく事になるんだろう?」
「ワシは身一つで構わんよ。牛渚で合流しようぞ」
「俺、子敬のそういうところ大好きだぞ。任せよう」
孫策が何も詳しい事を聞こうとしない事に周りは驚いていた様だが、孫策にそれを気にする素振りは無い。
彼もまた、魯粛の悪戯じみた軍略が好みだった事も一因であり、どんな手を打つのかを楽しみにしているのだろう。
「同じく文系の人材も必要になるでしょうから、私はそちらの方面に向かいましょう。それで出来れば一緒に張紘先生にご同行を願いたいのですが」
そう切り出したのは周瑜である。
確かに江東の二張と言えば高名な官吏ではあるが、二人いればそれで万事解決と言う訳ではない。
むしろ彼らの手足となって働ける者達が数多く必要であり、現状では孫策の周りにそんな人材は武官と比べると明らかに不足している。
「公瑾がか? 公瑾には軍師として同行してもらう思っていたのだが」
「軍師と言うのであれば歴戦の経験を持つ程普殿の方が適任であり、相談役と言うのであれば張昭殿の方が冷静かつ俯瞰的に物事を見る事が出来ます。この戦で私に出来る事は少ないでしょう」
単純な才覚や資質で言うのなら、周瑜はこの中でも飛び抜けている事だろうが、慎み深い周瑜ならではの気遣いとも言える。
程普や張昭の様な年長者を立てる事は、集団において必ず必要になってくる行動である。
また、人材を揃えると言う事も急務である事から、周瑜は年長者を立てながら問題の解決の為に動くと言う提案は、程普や張昭なども素直に受け入れられる提案だった。
さらに見た目と違って周瑜自身が人並み外れた武芸を身につけている事もあって、護衛さえも兼ねる事が出来るのである。
「そういう事だったら、俺もそちらに協力しよう。そもそも率いる兵が少ないのだから、俺が率いる兵を出せるほどの余裕は無いだろう」
そう名乗り出たのは朱治であった。
実は彼も父である孫堅の旗下にいた武将なのだが、反董卓連合の際には留守役の一人であり、孫堅没後にはいち早く袁術の元に降って孫策達を迎え入れる準備を行っていた武将である。
優秀である事は疑いようがないのだが、孫策、黄蓋、韓当らの間に割って入れるほどではない事を自覚している為に、自ら脇役を買って出たと言う事だろう。
「隊を率いる隊長はどれだけいても困る事は無いが、朱治殿がついていてくれるのなら安心と言うモノ。そちらはお願いします」
「御意」
「では、子敬は兵を集める、公瑾と朱治殿と張紘先生で官吏候補の文官を集める。残る俺たちは兵を率いて一足先に劉繇討伐に向かう。これで良いな」
「よろしいですか?」
全員が返事をしようとした時、張紘が挙手してゆっくりとだが機先を制する形で声を上げる。
「張紘先生、何か?」
「文官などを集めると言う事は、おそらく袁術に与しなかった名門氏族や、権力に与する事を嫌う者を集めると言う事になるでしょう。ならば適任は私ではなく張昭先生の方でしょう。朱治殿、周瑜殿、さらに張昭先生に行ってもらった方が効果的です。戦場での伯符殿の相談役であれば、私でも務まるでしょうから」
いや、それはないじゃろ?
魯粛だけでなく、ほぼ全員がそう思った事だろう。
誰の目にも人材登用に向いているのは、好々爺である張紘であって筋肉の塊である張昭では無さそうに見える。
「……はっはっは! なるほど、張紘先生も悪いお人だ! 確かにその手なら張紘先生より子布(張昭の字)爺の方が適任だな!」
「何故張紘先生は先生で、儂は字でしかも爺呼ばわりなんだ?」
張昭がただでさえ厳つい顔を、さらに険しくして孫策に尋ねる。
「え? 説明いる?」
「……やはり殴る! 一度は殴っておかないと、お前には身に付かんらしい!」
「よし来い!」
「お待ち下さい、若君。今は遊んでいる場合ではありません。何故の人選なのですか?」
驚く程冷静に、程普が孫策に尋ねる。
「こう言うのは子敬が得意じゃないのか?」
「ワシか?」
孫策に言われて魯粛は首を傾げたが、少し遅れて孫策と張紘の真意が分かった。
「……なるほど、最初から説得する訳では無かったと言う事じゃな?」
「その通り。朱治、公瑾、張紘では上手く行かない事でも、子布爺であれば出来る事がある」
「……あ、なるほど」
さらに周瑜も気付いた様だ。
「それは?」
「脅迫じゃよ」
程普の質問に、魯粛が答える。
「何をどう言ったところで、今の孫策軍は吹けば飛ぶ様な弱小勢力でしかない。名門の周家の後ろ盾があったとしても、おそらく気位の高い官吏達は侮って傘下に加わろうとはせんじゃろう。故に張昭爺が尋ねる訳じゃ。『お前は我らの敵か味方か』と。目の前の暴力を前に己を通せる人物はそう多くないからのう。で、さらに続けてこう問うのじゃ。『劉繇の次は誰になるかのう』とな。仮に日和見を決め込んだとしても、劉繇を実際に降して見せれば向こうから流れ込んでくるじゃろう」
「その役割に、儂が適任と申すか?」
「え? 説明いる?」
「お主も殴らんとわからんようだな」
張昭が拳を握って関節をボキボキと鳴らすのを見て、魯粛は素早く逃げる。
「在野に向かって主家筋が誰かをはっきりさせると言う事においても、名門の生まれである公瑾殿と名声の高い張昭先生が、主である孫策殿の使者としてやって来たと言うのを見ただけでわかる様にする為にも、私より張昭先生の方が適任なのですよ」
張紘が柔らかく言う。
家臣団が形成され、全員が孫策を主として認めてはいるものの、対外的に見た場合には孫家の家格はそこまで高位という訳ではなく、家格で言えば周家の方が、個人の名声でいうのであれば孫策より張昭の方が圧倒的に上である。
だからこそ、それらの者が下についたと分かりやすく見せる事が、主従としての関係をはっきりとさせる事が出来る。
つまり、張昭や周瑜には協力するが、孫策に仕えるつもりはないというのを許さない状況を最初から作るというのである。
「なるほど、それならば確かに張昭先生の方が適任ですな。肝心の張昭先生はどの様にお考えで?」
程普の質問に、張昭は腕を組んで考える。
「ふむ、子敬の言う事は気に食わんし、伯符を主と認めた覚えも無いのだが、言い分には一理ある事を認める必要はあるだろうし、何より張紘先生の言葉とあっては無下にも出来まい。江東の一帯丸ごとこちら側に付ける事としようかのう」
「はっはっは! 良いぞ、子布! それでこそ我が臣下よ!」
「なるほど、己は聞いていないのではなく全て自分に都合がよく解釈出来ると言う事か。それを踏まえて一度殴れば少しはマシになるかもなぁ」
口調は冷静なのだが、腕や額の血管の浮き出方を見る限りでは相当に怒っている。
このメンツの中ではもっとも戦歴を重ねているであろう、猛将黄蓋さえも上回りそうな武威を撒き散らす張昭である。
「この文官めが、大概にせいよ」
その黄蓋が張昭と同様に、腕や額に血管を浮き上がらせて立ち上がる。
「あぁん? 元はといえば、譜代の家臣が甘やかすからこうなる! 己らの責任でもあるのだぞ?」
「言ってくれるではないか、ぽっと出の腐れ儒者めが!」
張昭と黄蓋が立ち上がって、がっぷりと組み合う。
「お、良いぞ! やれやれ!」
「煽るな、伯符。義公、止めるぞ」
「え? この二人を? 無理じゃない?」
取っ組み合いを始めた張昭と黄蓋を止めようと程普は止めようとしたが、韓当は腰を上げようとはしなかった。
「伯符、公瑾、若いもんが動かんでどうする」
「いや、あの、私にも無理そうなので」
「こう言うのは、下手に止めたりせずに心ゆくまでやらせるモンだ」
周瑜は韓当と同じ様な事を言うのだが、孫策は最初から止めるつもりは無いらしい。
「では、ワシはさっそく行くとするかのぅ」
「待てぃ、子敬! 次はお前だ!」
張昭の怒号を背に、魯粛はさっさと軍議の場を離れていった。
孫策家臣団
このメンツが、三国の一角を担う呉の骨子になった事は疑いようがありません。
今回初登場ながら一切セリフが無かった呂範なども、目立った仕事は一切無いと言える地味極まり無い存在なのですが、本人は美男子で派手好きな某音柱みたいな人です。
また、呉景の他にも一族の孫河なども孫策の家臣扱いになってます。
ただ、本編でも説明していますが、家の格で言えば周瑜の家の方が数段上で個人の名声で言えば張昭が群を抜いた状態です。
これは孫策の時代だけの問題ではなく、それからずっと後で孫権が皇帝になる直前でも、孫権より張昭の方が名声が高かったのを孫権が気にしていたと言う話があるほど。
今回の様なやり取りがあったかは不明ですが、周瑜や張昭が孫策の家臣になったと言う事実が孫家を大きくしていく事になったのは間違いありません。
では武の方はどうかと言うと、次回以降の話になります。