第十二話 江東の二張
その後も孫策と大喬の我が道以外行くつもりのないワガママ連合に苦しめられ、見た目には姉によく似た美しさながら思いのほか短気で喧嘩早い小喬をなだめ、最終的には喬公の元に娘二人を残して男性陣だけで二張の住むところに向かう事になった。
「公瑾は良かったのか? 伯符のとばっちりで嫁を取る事になってしもうたが」
「とばっちり? 俺のおかげであんな別嬪な嫁をもらったんだ。公瑾としても悪くない話だったじゃないか」
孫策は誇らしげに言うが、周瑜としては曖昧な笑顔を浮かべるにとどまっている。
単純に話の善し悪しだけで言うのであれば、名門の周家と名士である喬公の娘と言う組み合わせはそう悪い話ではない。
また、見栄えの話であれば周瑜と小喬は互いに群を抜いた美男美女の組み合わせなので、並んでいる分には非常に絵になる。
ここまで絵になる夫婦は、そう多くはないだろう。
黙って座っていればと言う条件を付けるのであれば、孫策と大喬も絵になると言えるが、この二人は独自過ぎてついて行けない価値観と行動力を持っているので台無しである。
「絵になると言えば、呂布将軍とその奥方も美しかったな。娘も別嬪になりそうだった。あと数年したら俺の嫁に欲しかったくらいだが、もう大喬に会ってしまったからな」
「ほう、呂布がのう。ワシは面識が無いから、相当な女好きの荒くれ者かと思っておったのじゃが」
「呂布将軍は、まったく荒くれ者ではありませんよ。見た目で言うのなら、武将にすら見えませんから」
孫策ではなく周瑜の言葉なので、魯粛としては首を傾げるしかない。
何しろ古今無双の名を欲しいままにする豪傑であり、連合の前に立ちはだかった高過ぎる壁として勝利を遠ざけた武神。
「ま、公瑾も似た様なモノだがな」
孫策は笑いながら言う。
そう、喬公のところで散々孫策に絡まれ、その流れもあって周瑜とも稽古をつけたのだが、どう見ても荒事に向いている様に見えない上品な美男子である周瑜が、実際には相当な使い手であり武才も並外れていた。
「天に愛されまくっておるのう。その上、美人の嫁さんか。この世の男の三分の一くらいから呪い殺されそうじゃな」
「はっはっは! 呪いなんて存在しないさ! そんなモノが存在したら、俺や公瑾は間違いなく呪い殺されるだろうな。それこそ三分の一どころか、五分の四くらいから呪われているだろう」
「それはそれで大した自信じゃないか」
いかにも孫策らしい大言ではあるが、孫策にしても周瑜にしても凡夫から見れば贔屓の塊の様な人間である。
見た目の良さもさることながら、その武才や軍才は人並み外れ、周瑜に至っては家柄にも恵まれているだけでなく音曲にも非凡な才能を持っていると、逆に何なら持っていないのかと問い詰めたくなるくらいである。
「まぁ、こうやって俺や公瑾が生きている通り、呪いなど存在しない。俺はそんなモノ、露ほども信じていないからな」
「伯符はそうでも、民もお前の様に強くは無いぞ? 民は自分の分からないモノを、占いやら呪いに答えを求めるものじゃ。それを全て否定するつもりか?」
「もちろん、否定する。民が信じるべきは、怪しげな占いや妖術ではなく、主である事を俺が知らしめる。そうでなければ、乱世は治まらない」
孫策は堂々と宣言する。
見事なものじゃ。この男、まさに天下の器かも知れんのう。あとは、思慮の大事さを身につければ言う事なしじゃろうが、そこは公瑾の役割なのかも知れんな。
そんな話をしながら、魯粛の案内で二張と称される賢人の住むと言う地区へやって来た。
「……ん? 子敬、ここに二張先生が住んでいるのか?」
「そのはずじゃが、伯符には気がかりがあるのか?」
「いや、気がかりと言うより、ここは……」
孫策は周囲を見回すと、案内役の魯粛を置いて自らが先頭に馬を進め始める。
「何じゃ? どうしたのじゃ?」
「どうやら見知った土地の様ですね」
孫策が勝手に走り出したのを見て、魯粛と周瑜は慌てて孫策を追う。
孫策の行動が基本的に即断即決、思ったら即行動と言う事もあって知らない土地でもこんな行動を取るのだが、ここは本当に見知ったところだったらしく一軒の屋敷の前に馬を進めていた。
「やっぱりそうだったか! 子綱先生! おられますか! 孫策です!」
孫策の事なので最悪の場合、屋敷の門をぶち破って飛び込んで行きはしないかと魯粛は不安だったが、さすがの孫策もそこまで非常識では無かったらしく屋敷の外で声を掛けている。
ほどなくして屋敷の門は開き、中から非常に珍しい異様とも言える風貌の少年が飛び出してきた。
「兄上!」
「おう、仲謀か! 元気にしていたか?」
孫策はその少年とは知り合いらしく、頭を乱暴になでている。
「……知り合いか?」
「あの方は伯符の弟で、孫権殿です」
「兄弟なのか? 随分と似ていないが」
「お父君である孫堅殿を挟めば良く似ているのが分かるのですが」
「そういえば、ワシは孫堅殿とも面識が無かったからのう」
周瑜が言うには、顔立ちで言うのなら孫策が父親似で孫権は母親似だそうだ。
が、孫権の異相はそう言う次元の話ではない。
まず髪の色が常人離れしている。
金色の髪なのだ。
ところどころに黒い髪が混じり、虎縞を描いている。
「アレは父譲りです。孫堅殿は黒が主でところどころに金髪が混じって虎縞になっていました。それもあって、江東の虎と言う異名も与えられたとか」
「ほう、割合が違うだけで、あの髪は父譲りか。で、顔が母親似だと言うのであれば確かに孫策とは似ては見えんが、兄弟なのじゃろうな」
もう一つ、孫権には非常に珍しい特徴があった。
目が青いのだ。
孫策も人目を惹く風貌である事に違いないが、この孫権もまたまったく違う意味で人目を惹き付ける人物である。
「おやおや、元気の良い声がすると思ったら伯符殿でしたか。どうやら相変わらず腕白なご様子。父君の後を継がれるのでしたら、もう少し思慮分別を身に着けませんと」
屋敷からやって来たのは、老齢と言うのは早そうだが白い髪と白いひげの、いかにも好々爺と言う様な風貌の男性が穏やかな笑顔を浮かべて現れた。
「子綱先生、お久しぶりです。この通り、立派に思慮分別を身につけておりますとも」
「ふふふ、その様子ですと相変わらずの様ですね」
子綱先生と呼ばれる男性は、孫策のそういうところに慣れているらしく笑っている。
「ところで先生、今日は江東の二張と呼ばれる賢人についてお尋ねに来たのです」
「待て、伯符。お尋ねも何も、その方が二張のお一人である張紘先生じゃぞ?」
魯粛は呆れて言うが、孫策は本当に知らなかったらしく目を丸くして驚いている。
「……え? 子綱先生が、え?」
「江東の二張ですか。あまり好きな呼び名ではありませんが、確かに私はそう言われているみたいですね。伯符殿には名乗っておりませんでしたな。私は張紘、字を子綱と申します」
「はっはっは! 分かってしまえば、何も不思議な事は無い! 子綱先生ほどの御方、そう多くはいないでしょうから二張と言われていても何もおかしくはないのですから」
と、言って孫策はふと思い当たった事があった。
「二張? 先生と並び称されるほどの賢人がいるとでも?」
「いえいえ、とんでもない」
張紘は笑顔で首を振る。
「でしょうね。先生ほどの御方、そうはいない」
「私がその御方と並べられる事がありえませんよ。二張などと恐れ多い事です」
孫策の考えと違って、張紘は本当にそう思っている様な表情である。
「先生にそこまで言わせるとは。俄然興味が沸いてきました。公瑾、子敬、行くぞ」
「あー、その事じゃがワシは遠慮しておこう」
魯粛はいち早く離脱を申し出る。
「魯家の狂児は好まれておらんからのう」
「そうか、知っているのだったな。どんな先生なんだ?」
「それは会ってみれば分かる事じゃ」
魯粛はそう言ってはぐらかしたが、彼の興味は孫策や二張ではなく、幼さの残る異相の少年の方に向いていた。
「……そうか。では、先生はご同行してもらえるのかな?」
孫策は張紘に向けて尋ねたが、張紘も首を振る。
「せっかくですが、私の方から伯符殿が先生の元を訪ねる事をお知らせしております。もし主従にと言うのであれば、私の口添えではなく伯符殿の器によって相手を認めさせる事が何より重要のはず。そこはお分かりでしょう?」
「なるほど、俺の器か。さすが先生だ!」
孫策が大きく頷く。
……上手いな。伯符の扱いに慣れていると見える。
張紘の柔らかい物言いに、魯粛は感心する。
周瑜もそうだが、孫策を扱うには上手に乗せる必要がある。
おだてや褒め言葉を好む孫策ではあるが、諫言を嫌うと言う事も無く、相手の言い分が正しいとなればそれを受け入れる度量もある。
上手に褒め言葉を混じえながらであれば、こちらの言い分もさらに聞き入れられ易いと言う傾向にある事は魯粛も気付いていた。
が、とにかく次の行動に移るのが早すぎるので、上手く乗せたつもりがそのまま突っ走ってしまう事もある。
魯粛では上手く行かないが、張紘や周瑜はそれを上手に行っていた。
「では公瑾、行くとしようか。先生、子敬、仲謀と共に留守を頼む。すぐに劉繇討伐の軍議に入るぞ」
「それは構わんが、言っておくがワシはまだお前の家臣では無いぞ、伯符」
「はっはっは! 細かい事は気にするな! 行くぞ、公瑾」
相変わらず行動に移るのが早すぎて人の話を最後まで聞くと言う事をしない孫策だが、人徳と言うべきかどこか憎めないところは、まさしく天下の器だと思わされる。
「先生、良かったのですか? 兄上に張昭先生の事を教えなくて」
孫権だけが心配そうに、残った二人を見る。
「いやいや、伯符殿に対してでは下手に情報を与えない方が良い事もあります」
「うむ、その方が面白いからのう」
張紘と魯粛で、割と別々な事を言う。
「いや、俺も面白いとは思うのですが、兄上の事だから下手すると張昭先生に危害を及ぼすかも……」
「む? そうか、その心配があったな。公瑾がいるからそれは無いとは思うが……」
「確かに、ちょっと不注意でしたね」
張紘も髭を撫でながら言う。
「孫策殿の無事を祈るとしましょうか」
二張のじゃない方
みたいな扱いを受けていますが、正史によると張紘は孫策とは早くから知り合いだったらしく、母や孫権を預かって匿っていたそうです。
その後、張昭を孫策に紹介するのですが、演義では逆に張昭が張紘を孫策に紹介しています。
非常に優れた人物で孫策とも上手く付き合っていたみたいですが、じゃない方扱いを受ける事になるのは表舞台から姿を消す期間が長く、また退場までが早いと言う事と、張昭がヤバいなどの理由が重なった結果です。
新説シリーズでちょくちょく名前は出ていたものの、初登場となる孫権ですが、演義準拠で目が青いと言うところは取り入れてますが、金髪だったと言うのは創作設定です。
孫堅もその婦人も、言うまでもなく純粋なアジア人ですので金髪碧眼の遺伝子があったとは思えないのですが、演義ではキャラ立ちの弱さからか孫堅には碧眼属性が、この新説シリーズでは孫堅の髪が虎縞だった事から金髪属性が加わり、孫策や周瑜にも劣らない見栄えになりました。