第三十七話 袁龍との戦い
翌日さっそく開戦だと息巻いていた袁龍だったが、それより先に敵軍に動きがあったと報告を受けた。
敵将は孫権軍の大都督である魯粛と言う事も判明したが、布陣を見る限りでは魯粛は戦を知らないらしいと袁龍は呆れていた。
孫権軍の大都督と言えば、荊州でも名の知れ渡った名将周喩の印象が強く、その後任ともなればさぞかし重圧だろうと言う事は袁龍にも分かる。
だが、商人上がりの魯粛では戦の機微を読む事は出来ないらしい。
いかにも机の上で練った軍師気取りの布陣。相手に合わせる事だけしか頭が働かず、自分から戦局を動かす事を考えていない。
幸いな事にその旗下には歴戦の武将が揃っていたのだろう。
魯粛の机上の空論はあくまでもこちらの都合通りに相手が動いて初めて機能する空論では、想定外の行動に極端に弱い。
バカみたいに中央が薄い布陣に対し、配下武将達が反対したのだろうと袁龍は予想したのだが、実際に魯粛が動かしたのはその予想とはまるで違う動かし方だった。
異常なまでに薄い中央を厚くしてきたと思っていたのだが、実際には後方に二分して待機していた本隊だか予備兵だか分からない部隊の下流側の部隊が、さらに下流側に向けて動いていたのである。
それによってただでさえ薄い中央がさらに薄くなっているのだが、そこまで来ると袁龍にも魯粛の意図が読めてくる。
中央突破を誘っているのか。
こちらの方が兵力が多く、孫権軍は合肥で大敗したばかりで士気が低いはず。
しかも千に満たない張遼の騎兵を相手に、十万で遅れを取るほどの惰弱ぶりまで露呈している。
孫堅と孫策は誰もが認める猛将であり、それを支えてきた周喩も名将の中の名将だったが、果たして魯粛に誘うだけの実力があるのかどうか。
また、明らかに中央に何か備えがある様に見せて、こちらに中央突破を躊躇わせる事が狙いの可能性もある。
そっちがその気なら、こちらも乗ってやろうじゃないか。
袁龍は中央の本隊を厚めにして中央突破を狙う事は変えなかったが、両翼に三千ずつの兵力を与え、上流、中央、下流からの三手同時攻撃を狙う。
実は動きはもう一つ有り、袁龍はそちらの方に意識を向けていた。
関羽率いる荊州軍が戦場の後方にある高台に布陣したのである。
これは、この戦の動向を見極める為であり、自身を売り込む最大の好機であると袁龍は考えた。
袁龍はこの地方の豪族の家系であったが、官吏は肌に合わず侠客としてこの地を支配していた。
劉備軍と言うのはいわばその大将とも言うべき軍であり、関羽は侠客を自認する袁龍にとっても憧れの人物である。
自分も生まれが違っていれば、山を根城に頭目となっていたにも関わらず、それらを全て捨てて一武将として関羽と同行した周倉と同じ事をしただろう。
そう、これからだ。ここで魯粛を打倒し、関羽に自分を認めさせる。それによって、関羽と共に孫権軍を攻める先鋒となるのは悪くない。
袁龍はそんな事を考えながら、それぞれが配置に着くと攻撃を開始した。
が、三方同時攻撃は開始と同時に躓く事になった。
上流の部隊が攻撃に移ろうとしたところを狙われて、伏兵にあったのである。
「伏兵だと?」
すでに動き出したところで袁龍はその報告を受けた。
有り得ない、と言う訳ではない。
魯粛は朝には布陣を動かしていた。
夜の内に光源も無く川を渡る事はさすがに考えにくいが、まったく出来ないと言う訳でもない。
例えば船を先に川に置き、夜が明ける前のかろうじて視界が確保出来たところで対岸に渡る。
こちらの物見が動くより先に川を渡って兵を伏せる事によって、この伏兵は可能となる。
だが、船は?
その問題も、戦闘を想定せず川を渡るだけであれば、それな何も船ではなく筏で事足りる。
「……だが、それでも兵の数は決して多くない。上流の部隊には慌てる事無く、無理に攻撃に参加する必要も無いので、冷静に対処した後に後方待機に移行せよと伝えろ」
袁龍はそう伝えたのだが、その早馬が上流組に到達する前に戦場は動き始めていた。
上流組の混乱を中央で受けた時にはすでに下流組も動き出していた為、連携が途切れている事に気付かずに下流組は渡河を始めていた。
が、それは下流に布陣していた呂蒙に阻まれる事になる。
中央の軍がそれに遅れて渡河を始めるが、薄いとは言え正面の軍が守りを固めているのだから、決して楽ではない。
川は無理すれば泳いで渡れない訳ではないものの、流れはそれなりに早く深さもあるので船は必須である。
袁龍がその事にもう少し早く気付いていれば、結果は多少変わっていたかも知れない。
正面の守りを固める孫権軍だったが、そもそもの兵力が違う事もあって袁龍の軍は上陸して拠点を構える事に成功する直前まではいった。
が、突如上流から甘寧の水軍が上陸しようとしていた袁龍の中軍の横腹を突き崩しにかかったのである。
「甘寧だと? 馬鹿な! ヤツが何故川を下って来れるんだ!」
先に上陸していた袁龍だが、後続を甘寧に断たれた事を知らされる。
「はっはっは! 荊州の連中、水軍の調練をサボってやがったな! そら、船を揺らしてやれ! まともに戦う必要なんかねぇぞ!」
上流から下ってきた甘寧は、袁龍軍の船に飛び移ると大喜びで船を揺らし始める。
それに続き、甘寧率いる錦帆賊時代からの甘寧軍は次々と袁龍軍の船に飛び移っていくと、甘寧に続いて好き放題に船を揺らし、袁龍軍の兵士を川に次々と落としていく。
何とか船から振り落とされなかった兵士達も、揺れを一切気にする事無く暴れる甘寧と錦帆賊をどうにか出来ると言う事も無く、千程度の錦帆賊を相手に数千の袁龍軍がまったく手も足も出ない状況で切り捨てられ、次々と川に落とされていく事になった。
すでに上陸してしまっている袁龍は後続を断たれた事によって、完全に敵中に孤立する。
「……せめて死に場所は戦場で、と思っていたが、貴様ではそれも叶わんな」
袁龍の前に現れたのは、大刀を手にした歴戦の猛将、黄蓋だった。
「こ、黄蓋? 何故ここに?」
「阿呆。お前が渡河する間、こちらが一切動かないとでも思ったのか」
黄蓋が呆れながら馬を前に進めると、袁龍は逃げ出そうとするが後ろは川であり、しかもそこは既に甘寧に抑えられている。
よって逃げるにしても袁龍には下流側しか逃げ場が無いのだが、後方の黄蓋が本隊と合流していた様に朝から下流側へと移動していたもう一方の後方の部隊、凌統によって遮断されていた。
袁龍は全てが終わった時に、最初から自分は魯粛の手のひらの上で踊らされていたと言う事に気が付いたのである。
「驚いた。まさか自ら最前線に来ていたとは」
関羽は自分の布陣していた高台に少数の兵だけを連れてやって来た魯粛に、本気で驚いて言う。
「本調子とは程遠いと言えど、あの程度のお調子者の相手は十分過ぎるほどに務まるわい」
魯粛は笑いながら言う。
病身の魯粛は当然中央の本隊を率いていると誰しもが思っていたのだが、実は初手の上流組に対する伏兵こそ魯粛が率いていたものであり、中央は呂岱と諸葛瑾に任せていた。
魯粛は敢えて隙だらけの布陣を相手に見せた後で、その後に分かりやすく微調整する事で相手に罠の気配を読み取らせ、僅かでも後方に備えが必要だと思わせた。
そして五百の兵で伏兵を仕掛けて上流組を混乱に陥れた後、四百以上の兵を割いて袁龍軍の上流組の守りの意識の薄れた船を奪って甘寧に合流させ、自身はさっさと戦場を離脱して関羽の陣取る高台に移動していたのである。
これによって船の無かった甘寧が船を得て袁龍に奇襲をかける事に成功し、その対応に追われている間に黄蓋と凌統の包囲網も完成したと言うワケだった。
「実に見事」
終わってみれば奇妙な戦だったと関羽は思う。
本来であれば守る袁龍にとって、間を流れる川は最大の防壁になり得た。
しかし、袁龍だけでなく、関羽やその配下武将達も守る事を考えず、あまりにも隙だらけに見えた魯粛を打ち倒す事を目的として戦術を考えていた。
その結果、最大の防壁となるはずだった川が最悪の武器に変えられたのである。
「いや、褒めるのはワシでは無かろう。ワシはこの通り、本格的に戦が始まった時にはここにおって観戦していたわけじゃし、最初の伏兵以外にこの策を練って実際に動かしたのはワシではない」
「ほう、魯粛殿以外にこれほどの策を動かせる者がおられるか」
「この前の会談でも言うたじゃろう? 張遼に対しては遅れをとっても、それ以上に名の通った関羽には遅れをとらんと。口で言うより見せた方が分かりやすかろう?」
実際に魯粛はここにいるのだから、誰か別人が戦場を率いていたのは理解出来る。
「ワシの後任となるじゃろう、呂蒙じゃ。今後、お主とのやり取りを行うのは呂蒙となるじゃろう。この戦もお主に見せる為に練った策じゃ」
「この関羽、あの様な無様な戦にはならないと思うが?」
「無論、ここまで上手くはいかんじゃろうが、この策とてこれが全てではない事はわかろう? この程度のお調子者では、ここまでしか披露出来なかったと言うだけの話じゃよ」
関羽と袁龍では仮に同数の兵力でも個の武力が違い過ぎるのだから、同じ事をやった場合には孫権軍も大損害を被る事は十分に考えられる。
それに対する策も呂蒙は用意していたのだが、そこまで関羽に披露する前に決着してしまったと言う話である事は、関羽もすぐに理解出来た。
「実に見事。もし魯粛殿自らが兵を率いる事が出来ていれば、尚の事強力であっただろう。惜しい事だ」
「はっはっは、とことんナメてくれるのう。それでこそ関羽雲長じゃな!」
関羽の失礼極まりない態度でも、魯粛は怒りを表に出す様な事もせずに楽しげに笑う。
「出来る事なら、ワシが責任を持って最期まで相手をしたかったところじゃがのう」
魯粛はそんな事を楽しげに言う。
「それについて、と言うワケでは無いが、少なくともあのお調子者を調子付かせたのはこちらの落ち度。それについては謝罪致そう」
関羽の素直な言葉に、魯粛ではなく関羽が率いてきた武将達の方が驚いていた。
傲岸不遜を絵に書いた様な関羽が、魯粛に対して謝罪しただけでなく頭を下げた事が意外だったのである。
あまりにも傲慢な態度ばかりが目立つ関羽であるが、全てにおいて不遜極まりない態度を取る訳ではない事を、関羽周辺の人物達より深く魯粛は理解していた。
もし本当にただ傲慢で不遜な人物であれば劉備の下に居続けるはずもなく、また軍師である諸葛亮の言葉に従う事も無い。
関羽には関羽の道理と筋があり、その部分で魯粛を認めているからこそ魯粛に対しては素直に頭を下げる事が出来る。
その一方で、いかに魯粛の主と言えど孫権に対してはその評価に到っていない事もあって、とことん下に見ているのである。
「雲長よ、ワシは商人じゃから謝意を示すには言葉だけでは足りんぞ? 謝意は言葉にして外に出た途端に薄れるモノじゃからのう」
「魯粛殿、この関羽を侮られては困る。先頃お約束した長沙、桂陽はもちろん、今回の失態の謝意として零陵もそちらに返還致そう。それでこの関羽の謝意として認めてもらえるかな?」
「ははっ、言うた通りになったじゃろう?」
関羽の言葉に、魯粛は笑う。
「何がかな?」
「会談が終わった後、お主は自分の意思で三郡を返す事になると言うたじゃろう?」
「魯粛殿の戦巧者振り、とくと楽しませてもらった。是非戦場で競いたかったものだ」
「さすがにそれは叶わんのう。じゃが、案ずるな。お主が隙を見せれば呂蒙はすぐに動くじゃろうし、隙を見せねば共に共通の敵と戦う事も出来るじゃろう」
関羽と魯粛が高台で話している間に袁龍は討ち取られ、その軍は全面降伏を求めてきた。
「では、ワシも帰るとするか。雲長、楽しかったぞ」
魯粛が去っていくのを、関羽は黙って見送った。
関羽自身、この時には気付いていなかった。
魯粛の言葉には仕込まれた毒があり、それが自分の視野を狭めている事に。
こうして、魯粛の最期の戦は圧勝にて終結し、孫権に宣言した通りに荊州南部三郡を取り返したのである。
今回の戦い
完全創作です。
が、モデルは単刀会の前の魯粛VS関羽を弄りまわしたものです。
この時に呂蒙は魯粛に
「関羽を破る策を五つも考えたぜ!」
と売り込んで、かの名言『呉下の阿蒙にあらず』を引き出してます。
また甘寧も
「俺が川を見張れば、関羽は渡ってこれねーぜ!」
と言って関羽の進軍を阻んでいます。
ちなみに黄蓋や凌統、諸葛瑾は参戦していませんし、呂岱はモデルとなった戦いには参加していませんが、袁龍との戦いでは活躍しています。
あと前回も書いた通り、袁龍が何者なのか詳細はわかりませんので勝手に想像して作ってます。
なので侠客では無いと思われますし、そもそも演義での創作武将の周倉と同じ事をしたとか考えたりしてません。
が、反乱を起こしたタイミングから考えると、関羽に憧れていた事はあるかもしれません。




