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徒労

作者: 微睡臚列

私の上をトンビがぐるぐると・・・。青い空は何時いつまでも青く、日が落ちる前の淡く闇に薄まった琥珀色の緑を見せる事は無い。その気配すらまったく無い。

何時いつまで正午が続くのか?太陽は奇妙なバランスで万物の法則を拒み、私のつむじを永遠と見つめる。焦げるほどに・・・。

景色がぼやけるほど湿度を含んだ長細い砂の道が私の前にまるでカラカラの大蛇の抜け殻のように横たわっている。左右は私の背の3倍程の高さの黄色い崩れかけた砂壁がその蛇の棺桶かんおけ側板がわいたの様に遥か向こうのほうで尖り繋がっている様に見える・・・。もしかすると本当に繋がっているのかもしれない・・・行き止まりだ。しかし、もう3日以上水を飲んでない目では判断する事は出来なかった。

私は気力だけで蛇の背を一歩ずつ進む。

靴は砂にまみれまったくつやの無い黄色に汚れている。壁に凭れ掛かりながらも進む。進むしか無いのだ。

白くひび割れた唇から荒く吐き捨てられる息の中の水分さえ逃したくは無い・・・しかし呼吸を荒げずには居られないのだ。もう十日も物体を口にしていない。『ビタミンを取らないと・・・』日照ひでり続きの田んぼ見たいな肌を掻き毟る。皮が剥がれ落ちてパラパラと下の砂の仲間に入る。少し大きめの皮なんかは綺麗に剥がしとって口の中に入れ自らの歯をなぐさめる。もうだめだ・・・影を見たい。この日差しを遮り弱弱しくあるだけの影の中で腰を下ろしたい。そしてため息をつくのだ。『もうこんな所まで来てしまった』と。熱砂の中で力尽き干からびそうになっていた私をかえりみてねぎらう様に何度もうなずく。『ああ・・・こんな所に・・・』足を引きずる瞬間の中に小さな暗闇を見つけた。私は軟体動物のように体を折り曲げ、その中に入ろうとした。必死に。

結局は顔に足を擦り付けているだけだった。途中でそう気がついた。だめだ精神までもがこの温度で融け、陽で焦げている。行き止まりなら行き止まりでいい。とにかくこの道の最も鋭利な道の先へとたどり着かなければ。


何故なぜ私はここに来たのだろうか?いったい何の目的で?こんな苦労と引き換えに得るものなのだからたいそうな景品が貰えるのだろう。死んだ人間でも蘇らそうとしてるのか?私にはこの足が向かっている目的もここへ来た理由さえ覚えが無い。

不思議だ・・・。記憶していないのではなく、もしその理由や意味がもともと無いとすると私のこの苦労は苦労単体の物でしかなく、それ自体に意味を見つけねばならない。

『苦労を楽しめ』という事だ。まったくの不毛だ。

この先も何年もこの迷路の中を這いずり回らなければならないと思うと既に飛びそうな意識がふわりと私の体から浮き上がり蝉が抜け殻を脱ぐように風船を手放すように朦朧とする。

私のこの行動自体が不毛なのだとしたら・・・。

そしてその不毛の中に意味を見出さなければいけないのなら・・・。

立ち止まって寝転がり息を吐く事をやめよう。

そうすれば私が歩を進めた時と同じ壮大な不毛の景色の一部になるだろう・・・。そのほうが楽だ。同じく不毛なら・・・。私の足が止まった。下の砂粒を見つめる・・・。

しかし何故なぜか進み続けなければいけないというどこから来るのか分からない暗示みたいなモノが私の中から喉元のどもとまで上り詰め極めて責任の無い言葉を自分に言い聞かせる。

「頑張れ」と。

トンビはまだ私の上を回っている。もしかすると私の場所を誰かに示しているのだろうか?『この下の人間酷く苦しんでいるから助けてやってくれ』と私の頭上を飛んでいるのだろうか?それならいい。

それとも私を嘲り笑っているのだろうか?それでも別にかまいやしない。記憶によると私がここへ来た時から交代する事も無く同じトンビが飛んでいる。彼もまた食事をしていないようだ。見かけた事が無い。眠る事さえしない。


目の前に水が見える・・・。しかしそいつらは私といくらかの間隔をあけ『サーッ』と逃げていく。ふと、壁の一部に小さな草が生えているのに気がついた。あの逃げ水の野郎こんな忘れ物をして慌てて引いていく・・・。私はそれを食べた。そこからというもの歩くたびに小さな植物は見つかり数が増えていった。黄色い砂は緑に変わり、玄関には植木鉢に入った花が置かれていた。そして私は戸を開け「ただいま」と言う。すぐに家の奥から母が来て「お帰り」と返す。

私は渋茶色の板が敷かれている廊下を上がった。そして風呂に入る。何年ぶりだろうか?ちょうど父も帰ってきたようだ。ガラガラガラと引き戸を開ける音が脱衣場まで聞こえてくる。私と父と母はこれもまた渋茶のちゃぶ台につく。平日のなんら変わらないおかずが三つ四つ並び私たちは箸で突く。

ココも迷路の一部なのだ。この家の廊下や台所や寝室やかわやまでもがさっきの蛇道じゃどうと変わらない存在なのだ。どこに行っても壁はあり天井と床に挟まれている。紛れも無い窮屈な迷路だ。しかし幸いな事にどこに繋がっているのか分からないくだからは水が出る。夜中も休む事の無い小さな唸り声を上げる箱の冷気の中には食べ物だってある。


「どうだった今日の仕事は?」


母が私に尋ねる。


「熱くて死にそうだったよ」


「そう、最近あっついからね~。台風の影響らしいよ」


「ふーん」


私は何日かぶりの米をリスの様に頬張る。私は黙っておかずと米とを細々交互に食っている父を見詰めた。噛みかたは父のほうがリスに似ている。


「熱くて少し気がおかしくなってたよ」


「大丈夫?」


「気づいたら靴の裏側に顔をねじ込もうとしてた」


・・・。


母は父と同じく沈黙した・・・。

私は台所に行き水を一杯一気に飲み干し、すぐに二階の自室で眠りについた・・・。



「お父さん・・・明日仕事を休ませて孝太をまた小野先生の所に連れて行こうと思うのだけど?」


私の父は晩酌をしない。食後にさ湯を一時間かけてすする。


「んん」


寡黙な父はあまり興味のなさそうな返事を返す。


「もっと真剣に考えてやってください自分の息子のことでしょうが」


父は同じく喉で音を返すとその後に付け加えた。


「んん~心配する事は無いんじゃないか?ちゃんと毎日会社に行ってちゃんと帰ってきてるじゃあないか」


母は確かにそうだと頷きながら何か正当な言い返しは出来ないものか考えていた。


「そうかもしれないけど、こう毎日奇妙な事を言われたんじゃ会社でどうしているか心配になるじゃないですか」


父は再び沈黙する。



時計が・・・枕元にあるツインベルの目覚まし時計が私の眠りをいつも午前3時にさまたげる。私が愉快な夢を見ていても不快な夢を見ていても必ず秒針の振れる音が夢の中に割り込んでくる始めは小さく『どこかに時計があるのか?』と気づく程度だが・・・一秒、また一秒と音は大きくなり、最後にはまるでひと拍置いて耳を金槌で叩かれているようだ。

そうして目が覚める。

午前3時の迷路は最もたちが悪い。寝る前の小さな木造の我が家とは打って変わって、延べ床面積がどこかの大陸ほどに広い。そして先の検討も時間の観念もココでは通用しない。目覚まし時計は3時だが居間の壁掛け時計は9時をさしていたり、窓の外から夕日が見えたり、台所の曇りガラスからは朝日が立ち込めていることもある。廊下の次は廊下で朝もやの庭から勝手口に入ると夕時の匂いのする台所に着く。

どれもが誰かがいた気配を残して寂しくたたずんでいる。それぞれがそれぞれの雰囲気を持っていて区切られた隔たりの内にのみそれを残している。

壁、床、天井、この三つで仕切られた箱がおそらく二つ以上あるのだろう・・。しかもまったく同じ箱が、形や素材が類似しているのではなく。そのものなのだ。時間上の別物その箱を誰かが動かしている。

私が扉に入ると前いた箱は大きな巨人によって私の進行方向の扉の続く所へ繋げられ、そこに入ると又同じ事がおきる。

私は交互に二つの箱を行き来している。単なる一つの推測に過ぎないのだが・・・。そんなようなを知るとどこかにたどり着こうと言う気もうせ何も掛けづその場で眠り込んでしまう。

3時の迷路はいつもこんな終わり方だ。きっと箱を動かす事を生業なりわいにしている巨人は私の毎夜まいやの行動に自らのしている事に気づき呆れるだろう。

『単調すぎるがそれを一生懸命している』

そこが巨人にとって笑いどころでもあり、巨人の大きな目のさらに後ろの客観的な視点から見れば巨人自らもまた他ならぬ笑いどころに属しているからだ。

急ぐ必要が無い。この事がこの午前3時の迷路の最も厄介な要素だ。迷路と言うからにはゴールがある。終着に向かう事こそ迷路そのものの意味であり目的である。どんなに遠くても永遠に終着に近づくだけでも迷路は進まなくてはいけない。結末を目指す意欲の無い者が迷路の当事者であってはいけない。そして迷路の進行状況を決定するのは距離ではない。

時間だ。

時間は一方的に迷路の中を進ませる。同じ場所に突っ立ていても時間は進む。原始や電子や微粒子そのレベルで見ればコンマ以降の如何いかなる秒数でもそこは以前の突っ立ていた場所ではなく違う空間なのだ。時間とともに強制的に道を進まされているのだ。時間に逆らえないように自らの歩みも止まる事なく逆らえないのだ。

そうすると私は理にかなっていない。どこかに辿り着こうという気の無いのに迷路を進んでいる。全くの矛盾だ。おそらく私がしなくても風呂は沸いてるし飯も出てくる。靴下だって揃っているし電気も繋がっている。私以外の家族が私に危機的な急ぐ必要性を要求してこないから、やらなければいけない事が御座成おざなりになってしまったのだろう。結局結末を見る事が出来ず中途半端になってしまう。

一番厄介なパターンだ・・・。それが我が家と言うものだ。そして、その後私がセットした時間にツインベルが叩かれる。


どうやら今日は木曜日と言う日らしい。私は母が作った洋食のような和食のような朝食を食べて、その後母と出かけた。精神病院らしい。

鉄筋コンクリートのはだいぶ高い。木造のはそれなりに高い。いくつも連なり壁になっている。その内側にもトウモロコシ畑のように人が群れ壁が出来ている。その間の道を母と私は進む。そのうち本物の森に入り道路はなだらかに斜面を登っていく。私は歩いて森の中に入り「息子さんは少しそこで待っててください」と言われた。

椅子に座り待合室でしばらく待った。




「ああ、孝太さんのお母さん。今日はどうなされました?」


孝太の母は問診室の扉から半分顔を出すとお辞儀して入室した。


「先生、孝太が又おかしな事を言うんですよ」


孝太の母はしゃべりながら、小野の前にある椅子に掛ける。


「そうですか・・・。お母さん。孝太さんは治りません。治せる病気ではないのですから。何度も言っていますが・・・」


孝太の母は少し静かになってから話す。


「しかしですね先生。心配で、私の見ていないところで周りの人に変なことを言っていないか」


小野は顔を曇らせ、しかし医者の義務であるがために微笑んで話し始めた。


「いいですかお母さん。息子さんは普通の人間とは物事の感じ方が違うんです。おそらく脳の扁桃核、海馬を中心とした脳全体の何らかの先天性変異だと思われます。人間の脳は空間や感覚や感情などを一瞬の内に処理し、その一瞬で一つの記憶を形成し全体を認識しています。その形成、過去の記憶と照らし合わせる再構成その二つが間違って形造られた物を孝太さんは見て、その中で判断、行動しています。ですが面白いことに外界から受け取る情報を変異して捉えていても彼の内界から出る行動も又変異したもので、それは外界に適用した物になって行動、言動になるんです。ですから孝太さん自身がどう感じようと周りの人から見ると普通の人間なんです。家でおかしな事を言うのは推測ですが、生まれてから何十年も同じ光景の中にいて体の神経の形成の段階から居た家なのでその家の中はそのまま認識しているのでしょう。つまり、孝太さんが変なことを言うのは家の中だけなんです」


小野は母の目を見て解っていただけたでしょうか?と諦めたように言う。


「何だかよくわかりません。つまり、住み慣れた家を引っ越せば孝太は変なことを言わなくなるのですか?」


小野は驚いたように首を振る。


「いいえ。それは精神学的にはとても危険だと思います。確かに息子さんは変なことを言わなくなるでしょうが、安心できる場所と言うのがなくなってしまいます。そうなると不安定な脳の回線がどうなるか分かりません。今の科学や医学では直すどころか理解することさえ困難なものなんです。ですから見守ってあげるしかないんですよ。身体的な異変が起こったら又きてください・・・」


孝太の母は「はぁ」と返事して問診室の扉から出て行った。小野はカルテを書きながらあの母親で他人と違う息子を理解し受け入れる事が出来るのだろうか?大丈夫だろうか?と心配していた。孝太が小野の診察を受けたのは7歳の時だった。自分と話している時は普通だが孝太と母のしゃべっている会話は不可思議で奇妙だった。が現実とそれなりに一致していた。小野は孝太が共感覚の持ち主であると疑った。共感覚とは音が見えたり、味が聞こえたりと言った神経の異常で調べてみると彼は五感全てが共有していた。小野は孝太の脳を詳しく調べた。その結果、大脳や前頭連合野、大脳基底核、脳幹までもがあらぬ配置にあり、しかし適切に機能していた。そして小野は推測をした。『孝太は違う世界で生きている』と、そう考えるのが一番手っ取り早かった。初めて孝太の母に話したのは孝太が10歳になった時だ。その時も母は理解してない様子だった。それから月に5回ほど母は診察に来た。そして孝太は今年で二十八歳になる。母は未だに週一程のペースで来て何百回説明しても理解してくれない様子だった。



病院を出て家に着く頃にはもう夜の8時を回っていた。

私は酷く疲れた。母は私の隣でひっきりなしにしゃべくっては返答を求める。それも、父や誰かをそれが罵倒ではないとわからない程度の愚痴ばかりだ。聞くだけだが、それはとても疲れる。私は夕飯も食べず布団に入った。そして瞼を閉じ眠りに入る前の暗闇の中でため息をつく、『又明日も広大な迷路の中を疲れ果てながら歩き回らないといけないのか』そして短い呟きは吐き捨てられ暗闇に墜ちて行く。


私が眠りに落ちた頃父はさ湯を飲む段階に差し掛かっていた。母は茶碗を洗い終え風呂に入っている。父は一人さ湯をすする。そうして二階を見上げ私に思う。


「人生とは厳しく辛い。しかし生きていかなければいけないのだ」


そして父は息子に精一杯の応援を送る「頑張れ」と無責任に。



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