科学の天才グノーメ(5)
シーフリートが地図で示した場所は、ルロッカの北にある山の中だった。そこにグノーメの里への入り口があるのだ、と彼は言った。既に3人はリシフィラを後にし、山の方に向かって歩き始めている。
「ふうん、そこまで調べてあるんだ」
「言うまでもないことだ。仕事を受けた以上、時間を無駄にはしないのが私の主義だ」
「なのに、今まで放っておいたのね」
マーヤーの言葉に、シーフリートが不満げな表情を浮かべる。
「放っておいたのではない。機会を待っていただけだ。何もないときにこちらからグノーメを刺激して、報復をされるのは望むところではない。グノーメが動けば、リシフィラに何をされるかわからぬ」
「つまり、様子見してたのね」
「情勢を判断していたのだ。お前のように後先を考えずに突っ走るのは、私のやり方ではないからな」
「兵は拙速を喜ぶ、って言わなかったっけ」
「お前のは拙速ではない、拙劣だ」
うんざりした顔でシーフリートが言う。
「大した被害でもない、あんな鳥の悪戯に驚いて、グノーメの作品を打ち落とした結果があの雨だ。本来なら、私がなんとかするはずだったものを」
「そうなの? さっきと言ってることが違うよ」
横合いからそう言ったのはフィシスだった。
「悪戯をなんとかするように頼まれてたんだよね。被害をなんとか、じゃなくって」
む、とシーフリートが押し黙る。
「被害が出るまで待ってちゃ、だめだったんでしょ?」
「実にお前は聡明だ、フィシス」
マーヤーに見習わせたいものだ、と深く息を吐きながらシーフリートはそう言った。
「それはそうと、そろそろマーヤーの力を借りるとしようか」
「わたしの?」
シーフリートの言葉にマーヤーが振り返る。にんまりと笑ってうなずくシーフリートを見て、彼の意図をマーヤーが悟る。
「楽をするつもりね?」
当然だ、とシーフリートが言う。
「このまま、山道を何日も掛けて歩きたいのか?」
7日じゃ済まんぞ、と念を押す。
「飛翔の魔法ね」
同じ魔法なら、シーフリートよりもマーヤーの方が巧みに扱える。飛翔なら、効果の持続時間も、空を飛ぶ速さも、マーヤーの魔法の方が勝っている。
「いつでも、そうやってわたしに振るんだよね、シーフリートは」
「比較優位というものだ。知っておくがいい」
その代わりに私は、マーヤーにできないことをするのだから、とシーフリートが言う。それを否定できないのはマーヤーもよくわかっている。共に魔法使いではあっても、2人の得意とする魔法は異なる分野のもので、だから、互いに補い合える。そして、2人とも同じ効果を生む術が使える場合には、その威力の大きい方がその魔法を使うというのが、一緒にパーティーを組んでいたときからの暗黙の了解だった。もっとも、その結果、魔法をかけるのは、大抵はマーヤーになるのだったが。
「隠形の術も忘れるな」
わかってるよ、と返事をして不可視の魔法をかける。この魔法も、シーフリートに使えないわけではないが、その効果は比べものにならないほどマーヤーの方が優れている。それから、見えない者を見る魔法。これで、互いの位置を確認できる。
魔法をかけ終わると、シーフリートが空中に舞い上がる。それを追って、マーヤーとフィシスも飛び上がった。互いの姿はぼんやりとだが見えていて、先を行くシーフリートを見失うことはない。
パーティーを組んでいたときからマーヤーの飛翔の魔法に馴れている上に、自分でも同じ魔法が使えるシーフリートはぐんぐん速度を上げ、北の方へと飛んでいく。
(速すぎる…!)
彼を追いながらマーヤーはそう思った。マーヤーだけならシーフリートよりも速く飛べるが、今はフィシスを連れているのだ。初めてではないものの、フィシスは魔法で空を飛ぶのに馴れていない。高さと速度を維持するには、いや、それ以前に空を飛ぶことは魔法の力だけでなく、飛ぶ者自身が自分で空を飛ぶイメージをはっきりと浮かべなくてはならない。速く飛ぶことを思えばそれだけ速度は増すし、集中力が落ちて、飛ぶ自分がイメージできなくなれば、いくら魔法がかかっていても、うまく飛ぶことはできない――最悪の場合、墜落するのだ。
「早すぎるよ、ちょっと待って!」
声の届く距離ではない。だから、魔法で――幻術で自分の声をシーフリートのいる場所に響かせる。それに気付いたシーフリートが向きを変え、空中に静止してマーヤー達の方を見る。
「フィシスはまだうまく飛べないから。もっとゆっくり!」
ようやく追いついたマーヤーに言われ、シーフリートが詫びる。
「すまん、失念していた。フィシスは魔法に馴れていないのだったな」
シーフリートの飛ぶ速さがツバメほどだとすれば、フィシスはせいぜいがミツバチ程度といったところだろうか。速さだけではない。飛ぶことに集中できる時間も、フィシスはシーフリートの半分もないのだ。
「少し休もう?」
そう言ってマーヤーはフィシスの方を見た。不可視の魔法ではっきりとはわからないが、フィシスはかなり疲れているようだ。
「いきなりあんなスピードを出されちゃったもんね、つらかったでしょ」
そう言って、マーヤーはフィシスの手を取って地上へと降りていく。シーフリートも黙ってそれに続いた。
「大丈夫、フィシス?」
不可視の魔法を解き、姿を見せたマーヤーが訊く。それに倣って、フィシスも姿を現わして言う。
「うん、ちょっと疲れただけ」
そう答えたフィシスの表情が、いつもと変わった様子はないのを見てマーヤーはほっとした。
「もう大丈夫だよ」
そうフィシスが言うのをシーフリートが止める。
「いや、少し休もう。集中のしすぎは、気付かぬうちに疲れがたまる。まだ出発したばかりなのだ。先へ行って、動けなくなるようなことがあっては却ってまずい」
障害物のない空を行けば山道を行くよりは遙かに行程は捗るが、それでも一度に行ける距離には限界がある。ごく短い間ならハヤブサが急降下するほどの速度を出せるが、それを長時間持続はできない。普通に飛べば、よほど馴れた術者でもせいぜいが白鳥の飛ぶ速さ程度といったところだ。魔法で飛ぶための精神集中が続けられる時間を考えれば、マーヤーでも休みを挟みながら1日で200キロ程度が限界だろうか。速度を出せば出すほど、それだけ精神の集中も必要になり、疲労も増すからだ。
「そんなことないよ、僧団で鍛えてたから」
そうか、とシーフリートが答える。
「では、少し歩こう。その方が気分が変わる」
わかった、とマーヤーも賛成し、フィシスもそれに従う。山の中を行くのは、さほど困難なことではない。フィシスの前で、木々や草が道を開けてくれ、邪魔にならないからだ。
小一時間も歩いたところで、少しの休みを取ると、3人は再び空中に浮かび上がった。
方向だけを指示して、フィシスを先に行かせる。無理のない速度で行くように指示をし、シーフリートとマーヤーがその後を追う。
最初は小さな蝶の飛ぶほどの速さだったフィシスが、次第にスピードを増し、蜂の飛ぶほどの速度になる。馴れない者にしては十分すぎるほどの速さだ。あるときは一直線に、またあるときは上下に高さを変えながら、フィシスが飛んでいく。急上昇や、大きな輪を描くような飛び方をしたり、いかにも空を飛ぶのが楽しくてたまらない、といった様子だ。
1時間ほどしたところで、マーヤーがフィシスに声を掛ける。
「そろそろ降りて。しばらく休むわ」
一瞬ためらった様子を見せたフィシスが、やがてゆっくりと地上へ降下する。それを追うようにしてマーヤーとシーフリートも地上に降りていく。並び立つ木々の中に、うまい具合に開けた場所が見つかり、3人はそこに着地した。
「ずいぶんと飛ぶのに馴れたみたいね」
うん、とフィシスが笑って答える。
「これなら、いくらでも飛べると思うよ」
にっこり笑って言うフィシスに、マーヤーは、だめ、と指を立ててみせる。
「そういうときが一番危ないから。気が付かないうちに疲れがたまって、急に集中が続かなくなるの。魔法はね、友達に助けてもらうわけじゃない、誰も手を貸してはくれないから」
ふうん、と神妙な顔をするフィシスに声を掛けたのはシーフリートだった。
「だが、上達が早いのは間違いない。無茶をしなければ、直に私と同じ程度に飛べるようになるだろう」
「ほんと?」
ぱっと顔を輝かせるフィシスに、シーフリートがうなずいてみせる。
「だから、今はマーヤーの言うことを聞いておくことだ。一番うまく飛べるのはマーヤーだからな」
わかった、とフィシスが真顔で答える。
「ちょうど頃合いだ、この辺りで昼にしよう」
言われてみれば、日はそろそろ中天にさしかかっている。空腹を覆え始めていたマーヤーも賛成し、下生えの上に腰を下ろす。
「お弁当だね」
そうよ、とフィシスに答えてマーヤーがテーブルクロスを広げると、その上にパンやソーセージ、チーズや果物などが現れる。それを見たシーフリートが、ほう、と声を上げる。
「それは、お前の得意な幻覚なのか?」
「まさか。そんなわけないでしょ」
「もしかして、魔法のテーブルクロスなの?」
「それも、はずれ」
ふふ、とマーヤーが得意げに笑う。
「下宿の部屋に、用意しておいたの。それを魔法で引き寄せただけ」
「へえ、そうなの」
「一度に持って出られる食べ物なんて、そんなにたくさんじゃないでしょ。自分の部屋があれば、そこに荷物を置いておけるから、欲しいときに魔法で持ってこられるの」
旅を続け、落ち着き先のないときには無理だが、今のように、仮にでも住む場所があればできることだ。もちろん、いつまでも部屋の中にしまっておける、保存の利くものがほとんどだし、あまり大きなものは無理だが、それでも持ち運ぶときのように量や重さを考慮しなくてすむのがありがたいところだ。
「ビスケットや干し肉だけじゃないもんね」
そうよ、とマーヤーが答える。ビスケットや干し肉は非常用にいくらかは用意してあるが、今あえてそちらを選ぶ理由はない。
「魔法で作り出したわけではないのだな」
そう言いながら、シーフリートがパンに手を伸ばす。
「昔の仲間には、魔法で食べ物を作り出す奴もいたが」
「そうね、アラゴンだっけ、そんな法術を使ってた。あんなことができれば、水も食料も持ち歩かなくて済むけど」
「あれは、僧侶の使う術だった。神から日々の糧を賜わるのだとか言っていたな」
そう言いながら、シーフリートがフィシスの方を視線を向ける。
「フィシスも僧だったのではないか」
そうだよ、とフィシス。
「では、お前はそういうことはできないのか」
「できるよ」
え? とマーヤーがフィシスの方を見る。
「そうだったの? わたしはてっきり…」
くすり、とフィシスが笑う。
「できない、なんて言ってないよ。必要ないから使わないし、訊かれなかったから言わなかっただけ。それに、魔法で作ったごはん、って、マーヤーは嫌だよね」
う、とマーヤーが言葉に詰まる。確かに好きとは言わないけど…、と言葉を濁す。
「必要なら使うよ? …いつでも」
そうか、とシーフリートが言う。
「僧の使う魔法も、熟達すれば私達の使う術より威力のあるものがある。お前はどのくらいの腕なのだろうな」
「知らない。でも、マーヤーみたいにすごくないから」
「比べる相手がマーヤーか。ならば、並大抵の腕ではないということか」
知らない、とフィシスが言う。
「人と比べたことなんてないし、他の人の魔法だって、マーヤーくらいしか見たことないもん」
「僧団にはいたのだろう、魔法の使い手が」
「法術を使える人はいたよ。でも、滅多にそんなの使わない」
お友達と仲良く一緒に生きていれば、法術に頼る必要なんてないから、とフィシスが言うのを聞いてマーヤーは納得する。僧団の人々は、修行者であって冒険者などではないのだろうから。
しばらく休んだ後、3人はまた空中に舞い上がった。少し離れたところに、湖が見える。周囲を色とりどりの花に囲まれた美しい湖。それを眼下に見ながら、3人は少しずつ速度を増しながら飛んでいった。




