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科学の天才グノーメ(3)

 それが飛んできたのは、10日目の夕方だった。銀色の円盤、としか見えない物。まるでティーカップ用の受け皿(ソーサー)のような大きさと形をしたそれが、どこからともなく現れたのだ。おそらくは、目に見えないほどの上空を飛んでやってきて、リシフィラの上空で降下してきたのだ。

 最初に気が付いたのは広場で遊んでいた子供達だった。夕日を受けてキラキラと輝く円盤を見つけて上空を見上げる姿に、他の人々も気付いて銀色の円盤を目にする。そして、人々の見守るうち、円盤が少しずつ膨れ上がっていったと見えた。

 実際には円盤自体が膨れ上がったのではない。円盤の周りに霧のような細かい水滴が噴き出し、それが少しずつ広がって、下からは円盤が段々大きくなっていくように見えているのだ。人々の見守る中で、円盤の周囲の霧は少しずつ範囲を広げていき、輪郭がぼやけていく。最初は明星ほどの大きさだった円盤が、満月ほどの大きさになり、それが小さなちぎれ雲ほどになると、あとはぐんぐん大きく広がっていき、空の半分を覆うほどになる。

 色も次第に白から薄い灰色、そして鉛色に変わり、日没と相まって街は次第に暗くなっていく。そして、日の沈む頃、ぽつり、ぽつりと雨が降り始めた。最初は霧雨が、次にはぱらつく程度の小雨に、そして次第に雨粒が大きくなって、完全に日が沈んだときにはリシフィラは鉄砲雨に見舞われていた。


 「よしよし、うまく雨を降らしたぞ」

 「ほうほう、思った以上のできじゃわい」

 「雲に隠れていれば、地上からは見つからん」

 「見つけても、あんな小さな物、打ち落とせるわけがない」

 「雲はもっと広がらんのかな」

 「なになに、あのくらいで十分じゃろう」

 「さよう、さよう、街中すっかり覆っておるんじゃ」

 「雨はもっと強くできるのかな」

 「よしよし、一つ試してみようぞ」

 「それ降れ、やれ降れ、もっと降れ」


 雨は一晩中降り続き、朝になっても一向に雨脚が弱まる様子はない。雲はリシフィラの上空に(とど)まったまま、全く動こうとはしない。道はぬかるみ、馬車や荷車は泥に車輪を取られ、思うように進むことができない。篠突く雨に傘も役に立たず、たまに道を行く人はずぶ濡れになって足早に通り過ぎていく。

 「すごい雨だね、マーヤー」

 窓から外を眺めてフィシスが言う。ほんとね、と相づちを打ちながらマーヤーも通りに目をやる。ほとんど通る者のない往来は雨水に覆われ、まるで浅瀬のように見える。厚い雲に覆われて地上は暗く、まるで黄昏時のようだ。

 昼になり、太陽は天頂にかかっているはずの時刻になっても外は一向に明るくならない。

 魔法の明かりを灯した部屋の中は明るいが、窓に下ろした木板の隙間から吹き込む風が、ひんやりとした空気を連れてくるため、室内は冷たい湿気に包まれていた。

 マーヤーでさえも肌寒さを感じるほどの空気なのだ。幼いフィシスはさぞつらいだろうと思うが、しかし、フィシスは一向にへこたれた様子は見せない。寒くないの、と訊いてみても黙って首を振るばかりだ。我慢強いのか、僧団で鍛えられているから不平を顔に出さないのか、と思いながらも、暖炉に火を入れる。

 土砂降りの中、外へ出る気にもなれず、下宿屋の女主人に頼んで簡単な食事を用意してもらう。朝のうちに頼んでいなかった分、余分に割増料金を取られるが仕方がない。他の部屋の住人達も、同じように食堂で昼食を取っている。

 「こんなことは、これまでになかったことです。きっと、何かとんでもないことの起きる前触れに違いない。そう思いませんか」

 そう言って話しかけてきたのは、ほっそりとした学生らしい青年だった。ニキビの目立つ真面目そうな若者が、いかにもな訳知り顔で言葉を続ける。

 「僕は朝からずっと雲の様子を見ていたのです。気が付きましたか。朝から、雲の様子は全く変わっていない。雨雲というのは、風に吹かれて、刻一刻と動き、少しずつ形を変えていくものなのです。なのに、あの雲はおかしい」

 そうなの、と軽く相槌を打つと、青年は一層勢い付いて声を高くする。

 「今に見ていてご覧なさい。きっととんでもないことが起こります。この雨は、必ずその前触れなのです」

 「とんでもないこと、って何?」

 「何、って、それは、もうとてつもないことです。僕たちの思いも寄らないことに決まっています」

 ふうん、とため息交じりにマーヤーが言う。この人は、結局何を言いたいのだろう、と思いながら。

 「思いも寄らなくって、きっと想像もできないのね」

 その言葉に込めた皮肉は彼には通じた様子がない。

 「そうです、そうに決まっているではありませんか。いいですか、今のうちに言っておきますが…」

 そう言って口角に泡を飛ばして青年が早口でまくし立てる。と、その後ろから、彼の肩を叩いた者がいた。ばしん、と強く肩を打たれ、青年がバランスを崩してテーブルに手を突く。

 「そのくらいにしておけや、若いの」

 そう言ったのはがっしりとした体つきの、日焼けした男だった。筋肉の盛り上がった、傷一つない体は、冒険者ではないが、力仕事で生計を立てている者のようだった。口より先に手の出るタイプだ、と一見してわかる。

 「こんな青二才の言うことなんて聞いてちゃいけねえ」

 それはマーヤー達に向けられた言葉だった。

 「いつものことなんだよ、こいつは。碌にものも知らないくせに、話の中心になりたくて、適当なことばっかり言ってやがるんだ。しゃべるだけはしゃべるが、そのくせ、何も中身なんてありゃしねえ。そうだろ、な!」

 そう言って、青年の背中をどやしつける。勢いよく叩かれて、青年は数歩たたらを踏むと、そそくさとその場から立ち去っていった。

 「にしても、全く嫌な雨だぜ」

 そう言い捨てると、男もマーヤー達のテーブルから離れていった。

 部屋に戻っても、聞こえてくるのは雨音ばかりだ。窓を閉め切っているので、どれだけ時間が過ぎたかもよくわからない。そして、やがて聞こえてきた夕方の鐘で、もうそんな時刻になったのか、とようやく知ったのだった。

 夜が更け、そして次の朝になっても雨は一向に止みそうになかった。

 窓を開いて外を見れば、往来は水浸しで、どの家も床に水が浸かっている。家の前に土嚢を積んだところもいくつかあった。

 「ずいぶん、ひどいことになってるよ」

 下宿屋は1階の床が高くなっているのでまだ水の害は受けていないし、マーヤー達の部屋は2階にあるので、少々のことなら心配することはない。だが、川から遠く、水に対する備えのできていないリシフィラは、刻一刻とその被害を増している。

 「雨はフィシスの友達じゃないのかな?」

 ふと思いついて訊いてみる。草や木や、風が友達なら、あるいは、と思ったのだ。

 「雨はフィシスの友達だよ。でも、この雨は違う」

 「違う…ってどういうこと?」

 思いがけない答えに、マーヤーが聞き返す。フィシスの友達の雨や、友達でない雨がある、そういうことなのだろうか、と。

 「この前の鳥と同じ。この雨は心が通わない」

 心が? その言葉を聞いてマーヤーの心にピンとくるものがあった。

 「もしかして、この雨が作り物だっていうこと?」

 そうかも、とフィシスが答える。

 「本当の…自然にできた雲から降ってくる雨じゃないよ」

 それって、とマーヤーがシーフリートの言葉を思い出す。

 「もしかして、グノーメのしわざ、なの?」

 「わからないけど、でも、そうかもね」

 そうだとしたらどうなるのだろう。

 グノーメの作った鳥は、面白半分にいろいろな物を落としていった。それによって、人がどうなるかなど考えるふうもなく。只々、自分の存在をアピールするだけのために。

 この雨もそれと同じなら、いつまでも降り続けるのかも知れない。街を水没させ、押し流すくらいに。街だけでなく、辺りの野や畑も水の中に沈め、この一帯を湖に変えようとするかも知れない。実際にそんなことができるかどうかはわからないが、それほどたくさんの雨を降らせ続けるかも知れない。

 「まずいよ、このままだと」

 フィシスに向かってそう言ったのは、何かを期待してのことではない。ただ、口にせずにいられなかっただけのことだ。だが、フィシスからは期待していなかった答えが返ってきた。

 「雨を止ませる?」

 え、とマーヤーがフィシスの顔を見返す。

 「そりゃ、できるならね」

 半分投げやりに言った言葉だ。マーヤーの魔法でどうにかできることではないからだ。幻影も、幻覚も、自然相手には何の力にもならない。小さな火を出したり、風を吹かせる程度のことならできなくはないが、今リシフィラに降っている雨には、それしきの魔法では何の影響も与えられない。だから、半ば悔し紛れに訊いてみた。

 「フィシスなら何かできる?」

 うん、とフィシスは小さくうなずいた。

 「風に頼んでみる」

 「風に?」

 「そう。空の高いところを吹いている風。頼んで、雨を降らしている雲を吹き飛ばしてもらう」

 ああそうか、と納得する。風はフィシスの友達だったのだ、とマーヤーは思い出していた。

 「そうか、じゃ、やってみて」

 「うん、やってみる」

 言うと、フィシスは空を見上げ、じっと押し黙ったまま、何か祈るような仕草をした。その全身から、何か淡い光が見えたような気がしたのは、マーヤーの錯覚だろうか。

 マーヤーは、身じろぎもしないフィシスの姿を見つめたまま、時間(とき)が過ぎていくのを、只感じていた。

 小半時もした頃だろうか。それまで、少しも動く様子のなかった雨雲が、風に吹かれて少しずつ流れ出したのは。同時に、フィシスがマーヤーの方に顔を向ける。

 「これで大丈夫だよ」

 にっこり笑ったその顔は、修行を積んだ僧のものではなく、小さな子供にふさわしい表情だった。

 「ほんとだ、雲が動いてる。すごいわ、フィシス」

 えへへ、と笑いながら、そうでしょ、とフィシスが言う。

 「うん、すごい。あんな友達のいるフィシスって、本当にすごい」

 大げさかなとは思いつつも、ここは褒めておく。実際、他の誰にもできることではないのだから。

 雲が吹き飛ばされていくにつれ、雨は少しずつ勢いを減らし、次第に小降りに、小止みになっていく。そして昼過ぎには、雲の切れ目から太陽が現れ、地上に光が降り注いでいた。

 「やんだね」

 ほっとして言うマーヤーに、フィシスは、えへん、と胸をそらして見せた。


 「雨が止んだぞ」

 「雲が切れておるわい」

 「切れるどころか、どこかに飛んでいってしもうたぞ」

 「おうおう、これは、なんとしたことじゃ」

 「風などで飛ばされるはずではなかったものを」

 「いやいや、そもそも、風など吹かぬはずじゃったわい」

 「奇妙じゃ、奇怪じゃ、奇天烈じゃ」

 「魔法であるのか、これも」

 「さてさて、なんとも面白い」

 「ふむふむ、確かにその通り」

 「これが魔法であるならば、次の工夫は何とする」

 「なになに、飛ばされなければいいのじゃろう」

 「ほうほう、それなら、手立てはあるというものじゃ」

 「ふむふむ、魔法使いと腕比べじゃな」

 「いやいや、わしらは負けたりはせん」

 「さよう、さよう、然り、最後に笑うは我等よ」


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