怪物殺しのテーグル(4)
イズールからは一方ならぬ賞賛を受けたものの、テーグルは腹の虫が治まらないでいた。せっかくヒドラを倒したのに、その様子を領主の使者に見せられなかったのだ。
イズールの目の前で戦えなかったのは、ヒドラの出てくるのが遅すぎたからだ。イズールが宿舎にいる内に現れていれば、彼の目の前でヒドラを倒し、実力を見せつけられたものを。
これは失策だ。このままにはできない。償いを求めなくては。そんな思いを胸に、テーグルは森へ向かった。
木々の間を抜け、茂みをかき分けて、テーグルは魔法円のところへやってきていた。悪魔がヒドラを喚び出した、あの魔法円だ。
小さな香炉を出して火を入れる。次に懐から小さな袋を取り出すと、その中からひとつまみの黒っぽい粉を取って香炉の中に振りかける。ほんのわずかな粉から、あたりを覆うほどの煙が生じ、何とも言えない奇妙なにおいが魔法円の周りに充満する。そして一言、呪文めいた言葉をテーグルが唱える。
魔法円の中央から一条の黒煙が立ち上り、それが広がると、その中に1人の悪魔が姿を現わした。
「我を喚んだか」
ゆったりとした口調。しかし、聞いただけで心を強く揺さぶられ、恐怖が湧き上がる声。人ならぬものの持つ、圧倒的な威圧感。
だが、テーグルは苛立った様子で悪魔に食ってかかる。
「失敗だ。なぜもっとうまくやってくれなかったんだ」
ほう、と面白そうに悪魔が言う。かすかに口元がゆがんだのは、嗤ったのだろうか。
「妙なことを言う。お前の望み通りに怪物を出した。お前はそれを倒した。契約は守られている」
「領主の使者の前で倒せなかったんだ。出てくるのが遅すぎたのはあんたのせいだ」
早口にまくし立てるテーグルを、悪魔は面白そうに見つめている。
「お前の望みは、怪物を出すことと、それを倒すことだった」
「そ、そうだ」
「望みは叶えた」
何も問題はない、と悪魔は言った。それに対し、テーグルは焦りを隠せない。
「し、しかしだ。それだけでは意味がない。領主の使者に怪物を倒すところを見せなくてはだめなんだ」
それには答えず、悪魔はテーグルの背後を指さした。
「気付いていないのだな」
「な、何を…?」
不安を覚えてテーグルが振り返る。その目に、木陰から姿を現わしたシーフリートの姿が映った。テーグルの目が大きく見開かれる。
「見ていたぞ」
静かにシーフリートが言うのを聞いて、テーグルが後ずさる。その顔が青ざめているのは恐怖によるものだ。膝ががくがくと揺れ、まともに立っていられないほどにテーグルはすくみ上っていた。
「承知しているな。人に見られた以上、契約は終わりだ」
感情のこもらない声で悪魔が告げる。テーグルはその場に尻餅をついてへたり込んだ。
悪魔が一言、何かを叫んだ。次の瞬間、魔法円の中央が盛り上がり、1個の丸い塊が現れる。それは徐々に膨れ上がると、やがて、差し渡し1メートルほどの、薄緑色の痰の塊のような物体になる。スライムだ。
「お前のために出した最後の怪物だ」
悪魔が言うと、スライムはゆっくりと動き出し、テーグルの方へ向かっていく。その動きは徐々に速くなり、我に返ったテーグルが剣を抜いたときには、もう彼の足下に迫っていた。
死に物狂いで突き出したテーグルの剣がスライムを貫く。しかし、そのぶよぶよした体は剣で貫かれても何のダメージも受けない。ネバネバする体の中に剣が包み込まれ、剣を伝ってスライムがテーグルの手に伸びてくる。
勇者らしからぬ悲鳴を上げ、慌てて剣を手放して飛び退いたテーグルを、スライムが襲う。スライムがこんなに早く動けるはずはない、と思ったのはシーフリートだ。テーグルは、そんなことなど考える余裕もない。
恥も外聞もなく逃げ出そうとするテーグルに、易々とスライムが追いつき、その体に触れようとした瞬間、テーグルの身体がふわりと浮き上がった。
悪魔は面白そうにその様子を見つめていた。頭を上げて後方を見やった悪魔は、シーフリートの後ろにいる1人の少女に気付いた。魔法で姿を隠しているが、悪魔にははっきりとその存在が感じ取られている。
「そこにいるのだな、魔法使い」
悪魔が言うと、マーヤーの姿が現れる。不可視の魔法が破られたのだ。
「無駄なことだ」
そう悪魔が言った瞬間、スライムがテーグルに飛びかかった。3メートルほどの高さをものともせずにテーグルに襲いかかり、一瞬のうちにその全身を包み込んでしまう。悲鳴すら上げる間もなく、テーグルはスライムの餌食となっていた。
「見られたから、秘密を守るためにやったのね」
マーヤーの言葉を聞いて、悪魔は嗤った。
「何も隠す必要などない。元々そういう契約だったのだ」
「契約? 契約って何なの」
そういいながら、マーヤーは悪魔に魔法をかける。イレジスタブル・クエスチョン。問いに正直に答えさせる魔法。だが、返ってきたのは嘲笑だった。
「変わった魔法を使う。だが、我には効かぬ」
しかし、その言葉に敵意は感じられない。
「そうか、こういう魔法の使い方もあるのだな」
マーヤーの使ったのが攻撃魔法でなかったことが悪魔の興味を引いたようだった。しばらく悪魔は何事か考えている様子だった。
「面白い。お前の使った魔法は覚えさせてもらった」
その言葉はマーヤーを驚かせた。自分にかけられた魔法を解析し、自分のものにしてしまうとは。それも、こんなわずかな――ほんの数分の間に。
「いいだろう。お前から新しい魔法をもらった。その対価を支払おう」
その言葉はマーヤーの驚きに更に追い打ちを掛けた。
「対価?」
「知識の対価は知識だ」
したり顔で、そう悪魔は言った。
「お前の知りたいことを教えてやろう。我とあの者の間の契約を。既にあの者が死んで、果たし終わった契約だ。教えることに問題はない」
悪魔は、テーグルとの契約と、彼が悪魔と契約するに至った経緯をマーヤーに語り始めた。
「あの者は、最近でこそちやほやされておったが、もとは村の鼻つまみ者だったのだ」
にやり、としか形容のしようのない表情が悪魔の顔に浮かぶ。
「陰気な男だった。村のしきたりになじみもしない。祭りも、宴も好きでないといって、加わろうとしない。人から何と言われても、改めぬ。いつも1人でいた。そのくせ、己のことを高く見ていて、ほかの者を見下していた」
そんな日々を悪魔は本当に見ていたのだろうか? そんなマーヤーの心を読んだように悪魔が言う。
「見ていたわけではない。契約を交わしたとき、知ったのだ。契約を交わせば、その者の心の中は全て知れる」
そうだよ、それが悪魔との契約なの、とマーヤーの後ろでフィシスが言った。それを聞いた悪魔は、一瞬だけ珍しそうにフィシスの方に目を向けたが、またマーヤーの方に視線を戻して続ける。
「村八分にされたあの者は、世を恨んだ。そして、こんな世界など滅びれば良いと考え始めたのだ。自分も、ほかの者も、この世の全てが消え去ればいいのだとそう願ったのだ」
にわかには信じがたい、とマーヤーは思った。村のために剣を取って怪物に立ち向かった勇者の姿とは違いがありすぎる。
「あの者は、森の中で行き倒れになった召喚術士を見つけたのだ。死にかけておった召喚術士に止めを刺して、持ち物を漁ったのだ。悪魔を呼び出す呪文の巻物と、召喚に使う術具を手に入れた」
そこで、いったん悪魔は言葉を切る。くっくっ、という笑いが口から漏れる。
「あの者は我を呼び出した。悪魔と知って、契約を交わすために喚び出した。召喚術士があえてしなかったことを、あの者は行った」
侮蔑するような、それでいて楽しげな表情を悪魔は浮かべる。
「我等は、喚ばれぬ限りこの世界には出られぬ。喚ばれればたちまちこの世界に出る。そう知って、あの者は我を喚んだ」
試みるような目で悪魔はマーヤーを見た。
「あの者が何を望んだと思う?」
世界の滅亡? そんな言葉がマーヤーの脳裏に浮かぶ。
「すべてのものを消滅させてくれ、と言ったのだ。世界の消滅を、と。だから我は言ってやった。それよりも本当にあの者が望んでいることがあるのを教えてやったのだ。お前は人から認められたいのだろう。すべての者から、ちやほやされたいのだろう、と。それのかなわぬ世界の消滅が、あの者の望むことなのだと知った故に。歪んだ願いの奥にあった本当の望みを、我は突きつけたのだ」
悪魔の誘惑だ。マーヤーはそう思った。
「心の内を暴かれて、あの者は驚き、狼狽し、そして最後には納得した。そして我と契約した。それは、世界を救う勇士になって、村の者達を見返すこと。人々に尊敬される英雄となって誰もが彼にひれ伏すこと。それがあの者の要求となった。それをかなえるのが我の務め。契約に基づき、我は同族と図ってこの村に怪物を喚んだ」
そういって、悪魔はじろりとマーヤーを見据える。
「それは、お前も見たことだ」
マーヤーの背筋に冷たいものが走る。気付かれていないと思っていたはずなのに、悪魔はマーヤーがヒドラを喚ぶのを見ていたのを気付いていたのか。そんなマーヤーの思いを無視して悪魔は言葉を続ける。
「あの者が怪物を倒したのは、全て我の取り計らったこと。我の演出だ」
ああ、そうなのか、とマーヤーは納得した。だから、ヒドラとの戦いは、あんなにも不自然だったのだ。悪魔の書いた筋書き通りだったから、テーグルはヒドラの毒にもやられず、首が再生する前に全ての首をやっつけることができたし、心臓の一突きでヒドラは死んだのだ。本当なら、ヒドラはあんな簡単に倒せる相手ではないのだ。
「そして教えてやろう。契約の対価が何であったかを」
その先は大体予想がついている。しかし、耳を傾けずにはいられない。
「契約を漏らしたとき、あるいは、あの者の命の尽きたとき、あの者の魂は我のものとなる。それが対価だ」
思っていたとおりの答。だが、魂? どうやってそれを手に入れるのだろう? そんな疑問が湧く。淡々と語る悪魔の声に、嫌でも引き込まれないではいられない。
「死んだ後、あの者は我等の同族――悪魔として転生する。そして、我の奴隷となる。この世界とは異なる世界に住む我等は、そうすることでしか同族を増やせぬ故に」
つまり、人との契約は、種族を維持するための手段なのだ、とマーヤーは悟った。それだから悪魔は喚ばれれば現れ、契約を交わすのだ。
「わかったか、人間よ」
これが彼の望んだことなのだ、と悪魔は告げた。
「故に、お前にも言ってやろう。我との契約を望むのであれば、いつでも応じる、と。お前の望み、何でもかなえよう」
「お断りだわ」
即答するマーヤーに、悪魔は愉快そうに笑った。そして、次の瞬間、かき消すようにその姿が見えなくなる。
「消えた…去ったのね」
「悪魔との契約か。話に聞いたことはあるが、まさか本当にあることとはな」
シーフリートも驚きを隠せずに言う。
「それにしても、悪魔相手に魔法をかけようなど、信じられん。相変わらずお前のやることは無茶苦茶だ」
言葉とは裏腹に、咎める口調ではない。むしろ楽しんでいるような響きだ。
「こうなった以上、イズールの調査も無意味となった」
そうね、とマーヤーが応じる。
「それでどうするの? 今の話をイズール卿にするつもり?」
「したところで、イズールに理解できるとも思えぬ。それに、真実を知らせない方が、村のためだ」
「そうね…、そうかも」
「テーグルは森の中で別の怪物に遭い、死んだと伝えよう。私が見た通りの彼の最期――スライムに殺されたときの様子をイズールに話そう」
嘘は言わぬ、とシーフリートは言った。只、全てを言いはしないだけだ、と。
「まあ予想だにしなかったこと、とは言わぬ。お前から知らせを受けたとき、そんな気はしていた」
シーフリートの言うのは、マーヤーが送り届けた夢のことだ。だから、人々が去った後、森へ駈けていくテーグルを見て、気になって後を付けてきたのだ。
「ヒドラが召喚されたものなら、何のために、って思うものね」
「そうだ。だが、よく悪魔の存在に気づけたものだ」
そう言ってフィシスの方を見やる。もっと褒めてもいいんだよ、と少し得意げな顔で微笑むフィシスに、マーヤーは心が和む気がした。フィシスがたまに見せる年相応の表情だ。
「後は任せていいよね?」
ああ、シーフリートがうなずく。イズールの護衛に着いている彼なら、うまく彼を誘導してくれるだろう。そう思ってマーヤーはフィシスと一緒に、姿を消して森を後にした。
翌日、イズールは村の調査を再開した。悪魔のいた森にさしかかったのは2日目の昼過ぎだった。シーフリートは、それとなく一行を森の奥――魔法円のある場所の方へと誘導していった。
「おい、向こうに何か変なものがあるぞ」
最初に気付いたのは調査隊にいた傭兵の1人だった。
森の中の少し開けた場所。地面に描かれた、奇怪な円。その中には見たことのない図形や文字らしき記号、いくつもの数字が書かれている。円も、図形や文字も、どれもが細かな色石を並べて形作られている。テーグルが悪魔を喚び出し、悪魔が怪物を召喚するのに使った魔法円だ。
「何だ、これは」
魔法円を見たイズールは、傍らにいたシーフリートに尋ねた。魔法使いなら、これが何かわかるか、と言って。
「これは、魔物や怪物を喚び出すのに用いられる魔法円でございます」
しばらく魔法円を調べる振りをしてから、シーフリートはそう告げた。
「愚考しますに、この村に怪物が現れたのは、ここにこの魔法円があるためかと」
「何と!」
驚くイズールに、シーフリートが言葉を継ぐ。
「されば、早々にこれを破壊しておくのがよろしいかと。そうすれば、もはやこの村に怪物の現れることもなくなるでありましょう」
シーフリートの進言に、イズールは大きくうなずいた。
「できるか」
「ご命令とあれば、直ちに」
ではすぐにやれ、とのイズールの言葉に、シーフリートが両手を掲げ、魔法円の方にかざす。両の掌から猛烈な風が吹き出し、魔法円を襲う。たちまちの内に、魔法円を形作っていた色石が吹き飛ばされ、魔法円は跡形もなく崩れ去り、後には散乱した無数の小石が残るばかりだった。
「片付きましてございます」
うむ、とイズールは満足げに言って、更に命じる。
「他にもまだこのようなものがあるかも知れぬ。気を抜かずに調べよ」
日暮れまで続いた森の中の探索は、翌日に持ち越されることとなった。結局、イズールが結果に満足して調査の終わりを宣言したのは、それから5日も経ってからのことだった。既にテーグルのいない今、少しでも怪物の出現する可能性を残しておくわけにはいかないからだ。
森へ入って6日目、ようやくイズールは、これで、もうラスララに怪物が現れることはないだろう、と言ったのだった。
「しかしテーグルは惜しいことをした。領内にあのような者がいれば、心強い限りであったが」
ラスララからの帰路、誰にともなくそう言ったイズールを見て、シーフリートはマーヤーと顔を見合わせ、小さな苦笑を交わすだけだった。




