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怪物殺しのテーグル(3)

 翌朝、イズールは兵士と護衛を伴って村の周囲を調べに出かけた。

 そのことはマーヤー達雑役には一切知らされず、従って、事前にシーフリートと話すこともできなかった。

 外の様子からイズール達の出発に気付いたマーヤーが宿舎から出た時には、すでに彼等の姿はなく、近くにいた村人から聞いてようやく彼等が村の入り口――街道の方へ向かったと知ったのだった。


 (昨夜(ゆうべ)の内にメッセージを送っておいて良かった)


 おそらくは、村の周囲を回って、変わったことがないか確かめるつもりなのだろう。小さな村とは言え、1日で回りきれる距離ではない。今日の内に森まで行くのは無理だろう。

 マーヤー達を――雑役の者達を同行させないのは、最初に聞いたとおりだ。これなら、冒険に出なくて済む。


 (どうせなら、最初に森へ行ってほしかったけど)


 せっかく知らせたのに。とは言え、調査の仕方はイズールの決めることだ。いくらシーフリートでも、そうそう口を挟むことはできなかったのだろう。そう思って、宿舎へ戻ろうとした時だった。

 森の方から、木々の折れる音が響いてきた。そして、地面を引きずる重い音が。それが近付くにつれ、シュウシュウという掠れた、草の葉擦れにも似た音が重なる。


 (もしかして、ヒドラ!)


 そう思って目を向ければ、果たして、森の奥から姿を現わしたヒドラが村の方へとやってこようとしていた。昨夜、悪魔(フィンド)達が召喚した怪物だ。

 その姿に気付いた村人達が、慌てて駆け出すのが見える。口々に叫び声を上げながら。

 その叫びは、しかし恐怖から来るものではない。だから、駈けていく人々はヒドラを恐れて逃げ出したのではない。

 村人達は、口々に呼んでいるのだ――テーグルの名を。

 それに答えるように、駈けてくるものがあった。ヒドラから逃げる人々の前方からやってきて、彼等と擦れ違いにヒドラに向かって突進していく青年が。

 その姿を見た人々の声が高まる。テーグルの名を叫ぶ声が一つになって、エールになる。

 逃げていた人々が足を止め、ヒドラに立ち向かうテーグルに人々の期待を込めた視線が集まる。


 (え、逃げないの…?)


 誰もが、テーグルに声援を送って、その場に留まっている。恐ろしい怪物の姿を目の当たりにしながら、その場から逃げだそうとしない。適当な距離こそ置いているものの、誰の目にも恐れはない。


 (あの人、って、そんなに強いの? …みんなが怪物から逃げなくっていいくらいに?)


 見上げるほどの巨大な怪物と対峙するテーグルは、確かに落ち着き払って、ヒドラの隙を窺っている。自信にあふれた様子はわかるが、しかし、それほどの腕のある戦士には見えない。

 「あの人、やられちゃうよ」

 いつの間にか(そば)へ来ていたフィシスが言う。マーヤーも同じ思いだった。それでも、今はテーグルの戦いを見守ることにする。いざとなれば、介入できるよう魔法の準備だけは調えて。ヒドラと戦うことはできないが、テーグルを助け出すことくらいはできるはずだ。

 そんなマーヤーの思いをよそに、剣を抜いたテーグルはヒドラに斬りかかっていた。真横に薙いだ一撃が、あっけないほど簡単にヒドラの首の1本を跳ね飛ばす。どす黒い血を吹き出し、毒蛇の頭が地面に転げ落ちて、村人達の歓声が上がる。

 ヒドラの血は、触れただけで命を落とすほどの猛毒だ。だが、テーグルはそれを知らないのか、飛んでくる血のしずくを避けようともしない。


 (危ない…!)


 思わず叫びそうになるマーヤーの目の前で、テーグルの身体にヒドラの血が降り注ぐ。しかし、テーグルは何も感じていないようだった。普通なら、ヒドラの血を浴びれば、たちどころに身体がただれ、猛烈な苦痛が襲うはずなのに。


 (信じられない…!)


 テーグルは不死身なのか? 毒に強い耐性があるのか? それとも、このヒドラは、血に毒を持たない――普通とは違った個体なのだろうか? 次々とそんな疑問が湧いてくる。

 テーグルは浴びた血を拭おうともせず、そして、その動きには何の変化もない。血のかかったところに異常もないようだ。毒の影響を受けていないのは明らかだった。

 残った6本の首が、テーグルめがけて突き出すように襲ってくる。それを、テーグルは身をひねって躱していく。紙一重のところでヒドラの牙を避けながら、次の剣戟がヒドラを襲い、2本目の首が跳ね飛ばされる。またもや、人々の口からどよめきが上がる。


 (え? 嘘でしょ…)


 マーヤーの目には、まるでヒドラがテーグルを避けるように動いているように見えていた。毒牙が、あえてテーグルに当たらないように注意して繰り出されているように見えているのだ。これは、テーグルの技倆がそれだけ優れているからなのか。それとも…?

 テーグルが3本目の首を叩き斬ったときだった。最初に斬られた首から噴き出す血が止まり、斬られたところに、少しずつ肉が盛り上がり始めていた。それがゆっくりと膨れ上がると、やがて完全な蛇の頭の形となる。それに気付いた村人が驚愕の声を上げる。斬り落とされたはずの頭が再生したのだ。

 この再生能力こそが、ヒドラの本当の恐ろしさだ。ヒドラを殺すには、全ての首を落とさなくてはならないが、斬られたそばから、新しい首が生えてきて、際限のない堂々巡りに陥るのだ。普通であれば、そんな中で、ヒドラに立ち向かうものはヒドラの毒に蝕まれていく。ヒドラの毒は血だけにあるのではない。吐く息、巨体を覆う鱗から染み出して気化する毒の霧。全身が毒の塊なのだ。

 しかし、再生した首を見ても、テーグルの表情は変わらない。それまでと同じように剣を振るうだけだ。続けざまに、2本の首が落ち、更にもう1本の首を切り裂く。どの一撃も狙いを外すことなく、次々とヒドラの首が落ちていく。ヒドラの全身から出ているはずの毒に冒された様子もない。いや、見守る村人にも、毒にやられた者が出ないところを見れば、やはりこのヒドラは毒を持たないのか。


 (…おかしい?)


 やっぱり変だ、そうマーヤーは思った。のたうち、大きく振り回されながら襲いかかるヒドラの首は、テーグルが狙い過たずに討ち取っているというより、むしろテーグルの剣の振るわれる方に差し出されているのだ。テーグルがヒドラを討っているのではなく、ヒドラが進んでテーグルに討たれている。そんな思いをマーヤーは抱いていた。

 「ヒドラが、自分から死にに行ってるみたい」

 フィシスの言葉を聞いて、マーヤーは自分の思いが間違いでないと悟った。フィシスも同じように感じているのだ。

 「フィシスもそう思う?」

 「うん、わざとやられにいっている」

 そんな馬鹿な、と思うが、しかしヒドラの動きはそうとしか思えない。テーグルには、ヒドラにそんな動きをさせる力があるのだろうか。あるいは何かの魔法か、それともテーグルの持つ特殊な技能(スキル)なのか。

 ヒドラの首が減るにつれ、テーグルの攻撃が鋭さを増していく。あるいは、ヒドラの動きがより無謀に――自殺的になっていく。首の再生が、テーグルの攻撃に追いつかない。そして、最後の首が落ち、どの首も再生しないうちに、テーグルの剣がヒドラの胴を切り裂いた。鮮血と供に臓物が溢れ出し、その中に、脈打つヒドラの心臓がこぼれ出す。

 見る見る広がる血溜まりの中にテーグルが踏み込み、まだ鼓動を続ける心臓に近付く。逆手(さかて)に持った剣を大きく振りかぶると、一気にそれを振り下ろす。剣が心臓を貫いて、どす黒い血がはじけるように飛び散って、ヒドラの全身が大きくけいれんし、そして、やがてピクリとも動かなくなる。再生しかけていた首も、それ以上変化しなくなって、ヒドラの命が終わったことを告げている。


 (ヒドラを殺した…)


 驚くマーヤーの目の前で、村人が歓声を上げ、口々にテーグルを褒め称える。正に彼は村の英雄だった。だが、人々の賞賛とは裏腹に、テーグルの表情は硬かった。

 しばらくして、イズール達がやってくる。ヒドラが現れたという知らせを聞いて、急いで引き返してきたのだが、テーグルがヒドラを倒す方が彼等の戻ってくるのよりも早かったのだ。血の海の中に横たわるヒドラの死体を見て、イズールは言葉を失っていた。

 シーフリートがイズールの側を離れてマーヤーの方へやってくる。

 「見ていたのか。彼の戦いを」

 ええ、とマーヤーはうなずいた。そして、自分の見たままを語って聞かせる。ヒドラが、まるで自分からテーグルの手に掛かろうとしていたのだ、と。フィシスも、それが間違っていない、と言うのを聞いて、シーフリートは怪訝な表情を隠せなかった。

 「つまり、ヒドラが自殺したと言うことか」

 「そうね。本当にそんな感じだった」

 「信じがたいことだ。奴にはそんな能力が――相手に自分から死にに来させるような力があるのか」

 そんな魔法がないわけではない。しかし、テーグルがそんなものを使うとは考えにくい。それはマーヤーも同じ思いだった。

 「テーグルという男、思いの他の曲者(くせもの)かも知れぬ」

シーフリートの言葉に、マーヤーは黙ってうなずいたのだった。



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