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救世主教団(7)

「何とかしないと、死んだ人、出てきちゃうよ?」

「ば、馬鹿な、そんなはずがない…!」

 司教が青ざめて、やっとのことでそれだけを言う。里の人々に見せた地獄は教団の魔法使いの幻影だったはずだ。それが現実のはずがない。しかし、この光景は……目の前にある、これは一体何なのだ。まさか、本当なのか? 教団が説いたことが……地獄が、死後の罰が……神の裁きが本当にあるのか? 恐怖と混乱。一瞬彼の心を占めたそれを、司教はすぐに否定した。これは、きっと同じなのだ。目の前の女の出した幻影に違いない。だが、これはなんと生々しいのだ。幻とわかっていても、現実さながらの光景は、理屈抜きに人の心に恐怖をもたらす。

 亡者たちが、炎の中から逃れ出ようと、必死に這い登ってくる。全身を炎に包まれ、炭にまみれた骨と化してはまた元の肉や皮に覆われ、再び焼かれて骨と化すという繰り返しを続けながら、一歩、また一歩と地上へ向かってやってくる。肉の焦げるにおい、熱で骨が砕ける音、燃え盛る猛火の巻き上げる風の音。飛び散る巨大な火の粉。そういったものが徐々に近づいてくる。

「信仰のある人は助けてくれるんでしょ、……神様? それとも救世主様?

 里の人や、あなたたちは助けてもらえるのよね?」

 恐怖にとらわれた里の人々は、しかしその光景を見守るだけ。戦慄が心を呪縛したように、頭の中が真っ白になって、只々目の前の光景を見続けるほか何もできないでいるのだ。足がすくんで体も動かず、人々は神に祈ることすら忘れていた。地獄、地獄という、うわ言のような声があちこちで上がり、波打つようにあたりに広がっていく。

「わ、わわわ、わぁぁぁ……!」

 怯えた声を上げてその場から逃げ出そうとしたのは最初にマーヤーと話していた伝教師だった。司教がそれを引き留める。

「うろたえるな。

 お前、これは一体何のまやかしだ」

 マーヤーを睨み付ける司教の言葉を、マーヤーは嗤う。

「あら、地獄がまやかし? こんなものは、ない、というの?」

 う、と司教が言葉に詰まる。

「地獄はあるんでしょ、これがそうなんじゃない?」

「ふざけるな!

 地獄など信じないといったのはお前ではないか。その口でこれが地獄だと? 我々を愚弄するつもりか!」

「地獄があるといったのはあなたたち。

 これが地獄なんて、わたしは言ってないよ? ()いてるだけ。

 これは何なの。……教えて?」

「ぐぬぬ……」

 地獄、地獄という里の人々の声が低い詠唱のように聞こえる。

 教団の面々には、目の前の光景が幻術の(たぐい)であるのはわかっている。いつか里の人々の前で自分たちがやって見せたのと同じことだ。いや、かつて教団が見せたものに比べ、マーヤーの術は格段に高水準のものだ。見せられた光景、音、臭い、熱気。教団お抱えの魔法の使い手の術では作り出せなかったものが目の前にはある。司教は魔法の技量が開きすぎていることに思いいたり、愕然としていた。

 そして、里の人々の声を打ち消して、これは地獄でない、とは言えない。そんなことをすれば、自分たちの見せたものも否定することになる。それは、直ちに教団の教理、そしてそれを説いた教団そのものの否定につながる。

 このままでは危険だ。そう定めた司教が、側にいた革鎧に身を包んだ男たちに目配せする。道中の警護や、不測の事態に備えて随行させている戦士職たち。丸盾とメイスで武装した彼らが、マーヤーの周りを取り囲む。

 どれほど優れた魔法使いであっても、同時に2つの魔法は使えないはず。教団にいる魔法の使い手からそれは聞いている。地獄の幻影を見せ続けなくてはならぬ以上、マーヤーは幻術に集中していなくてはならず、したがって、他の魔法どころか、身を守ることすら容易ではないに違いない。それが司教の目論見だった。

「魔女め、思い知らせてくれる」

 武装した男たちを従え、司教がマーヤーの方に近づく。

「わたし、魔女なの?」

 肩の力を抜いて、くすり、と笑いながら言うマーヤーに、司教が青筋を浮かべる。

「我らを愚弄しようとするものは、神に逆らうも同じ。神に逆らうのであれば、悪魔、魔女であることは必定(ひつじょう)だ。神の威光を恐れぬ(やから)め、鉄槌を下してくれるわ」

 そう言いつつ、マーヤーをにらみつけ、穴のあくほど食い入るようにその姿をねめつけた司教の目が、彼女の胸にあるブローチに引き寄せられる。瞬間、その顔色が変わった。

「何、……まさか?!」

 そのブローチの形に覚えがあった。小さくない所領をいくつも治める貴族の名が脳裏に浮かぶ。その貴族の所領の1つを表す紋と同じ形のブローチ。偶然ならよい。しかしそうでないなら、大変な相手を敵に回すことになる。

「ま、待て、控えろ!」

 マーヤーに向かって襲い掛かろうとする戦士たちを、慌てて大声で止めようとるが、勢いのついた彼らは急に止まれない。そのまま、マーヤーのもとへ殺到する。しかし、同じ瞬間、マーヤーの姿はかき消すように見えなくなっていた。目標を失った戦士たちの口からどよめきが漏れる。

「……!」

 司教の口から、声にならない叫びが上がる。

 姿が消えたのは、魔法によるものだ。それはわかりきったこと。これだけの幻影を操るのであれば、自分の姿を消すことくらい何の造作もないのが当たり前だ。しかし、彼女の作り出した地獄の幻影は、消えもせずに依然としてその恐ろしい有様を見せ続けている。

「信じられん……!」

 2つの魔法を同時に使うことが可能だなどと、今まで聞いたこともなく、また想像もしなかった。だが、それが今現実に目の前で起きたのだ。

 ……いや、考えてみれば、先刻まであの魔法使いは、幻影を創り出したまま、自分たちと会話をしていたではないか。魔法に精神を集中していれば、そもそも会話をする余裕などあるはずがない。あの時点で気づくべきだったのだ。それに思い至った司教は、相手の実力を見誤っていたことを悟った。

 ……いや、それとも、あの地獄は幻術などではないというのか?

 2つの魔法が使えないというのであれば、必然的にそう考えざるを得なくなる。しかし、それはさらに恐ろしい事実を突きつける。そんなこととは、あってはならない! 司教は、慌ててその考えを頭から追い払った。

 すでに魔法使いの姿はない。彼女を脅して魔法をやめさせることはできない。教団の魔法の使い手に何とかさせようとしても、ここまで技量(レベル)が違いすぎては、とても相手にならないだろう。


 地獄の中から、亡者の最初の1人が出てこようとする。誰にもそれを止めることができない。亡者から漂う臭気が鼻を突き、近くによっていた戦士たちが後ずさる。

 その時だった。空がにわかに掻き曇り、厚い雲が天を覆った。そして地上が薄暗くなったと思った瞬間、雷鳴とともに稲妻が天から降り注いだのだ。地上に出たばかりの亡者が稲妻に打たれて消し飛ぶ。

 さらに、数条の稲妻が大地を撃つ。それは地に大きく開いた裂けめに吸い込まれ、地獄の中に降り注いだ。轟音があたりに響き、大地が震え、鳴動する。くぐもった爆音が何度も地割れの中に響き、こだまする。

 里の人々が目をふさぎ、耳をふさいで地面に伏せ、救いを求めて神の名を叫ぶ。

 爆音が収まると、大地から、最初は()み出すように、そして湧き水のように、更には川の流れのように、清らかな水が噴き出し、地の裂け目へと流れ込む。這い出しかけていた亡者の身体(からだ)を押し流し、あたりを包み込んだ熱気を消し去って、音もなく地中へと注いでいく。そして、水が流れ去り、再び乾いた大地が現れた時、地獄の熱も、臭気も、亡者の呻き呻き声も消えていた。

「な、何がどうなったのだ……?」

 呆然として司教が呟く。光と音の乱舞。それだけが印象に残り、実際に何があったのかをつぶさに思い出すことはできない。

 地割れの中をのぞけば、そこにはすでに地獄の光景はなく、ただ、それほど深くもない地面の裂け目が広がるばかりだった。稲妻が地獄を打ち砕き、水があたりを清め尽くした。そう思うしかない光景だった。

 そして、見る間に空を覆った雲が晴れる。雲間(くもま)から日の光が差し、あたりを明るく照らし出す。思わず空を見上げた人々は、雲の向こうにのぞく青空の中に、神の姿を見た。救世主教の神ではない。里の守護神、豊穣と水の神フィルグハルトの姿を。

 広場にいる人々の口から、驚きとも安堵ともつかぬ低い声が漏れる。

 雲が消えるとともにフィルグハルトの姿は次第に薄れ、大気に溶け込むように消えていきつつ、地上へ降りてくる。そして里の守護神が地上へ降り立った瞬間、その姿も完全に見えなくなり、同時に地割れも元のようにふさがっていたのだった。

 人々が神の名を呼ぶのが聞こえ、司教は、もはや取り返しのつかないことが起きたことを知った。教団の者たちを置き去りに、去り行く里の人々を、黙って見つめるほかになすすべはないのだった。



 そのころ、広場から離れたところにある木の陰にマーヤーは姿を現していた。近くにはフィルグハルト神殿に仕える数人の下位修士とともに、神殿主がいる。

「さすがは、大スワレートの教えを受けられた方。感服いたしました」

 遠くから様子を見ていた神殿主がマーヤーに言う。先ほど繰り広げられた光景は、あらかじめ打ち合わせておいた通りのものだった。

「微力がお役に立て、光栄です。

 でも、この後こそが大変だと、わかっていらっしゃいいますね?」

「お任せください。必ずや、神々の御心に沿って御覧に入れましょう」

 深々と腰を折る神殿主達を置いて、マーヤーはその場を立ち去った。


(一応、役目は果たしたかな。

 ……でも、やりすぎたかも。調子に乗って、いっぱい魔法使っちゃった)


 魔法使いとしての暮らしが長かったから。

 魔法に頼らないで問題を解決することに慣れていないのは十分自覚している。魔法を捨てる、という選択が、今の自分には、まだ重い目標なのだ、と思い知らされた日だった。

 それでも、あれはやりすぎだった。教団のメンバーは、冒険者時代に出会った敵とは違う、ごく普通の人間といっていい相手なのだ。

 実のところ、見せたのは、児戯に等しい、芝居ともいえない程度の代物(しろもの)だが、あれを幻と気づかなければ、どれほどに深い傷が心に刻まれることか。いや、実際にそれは里の人々の心に刻まれてしまったものだ。


(仕方ないな。……ここも、もういられないね)


 どのみち、長居するつもりでもなかったし。…早々に立ち去ろう。そう思ってマーヤーは、荷物を取りに宿へ戻ることにした。


 「あなた、一体何なんです……?」

 宿へ戻ったマーヤーを女将が異形のものを見る目で見て、震える声で言う。

 無理もない、マーヤーの作り出した地獄の光景を、里の人の中で一番近くで見ていたのだから。恐怖で口もきけなくなっていたとしても不思議はないのだ。

「うん、魔法使い。…だまってて、ごめんね」

「まさか、神様のお使いなんかじゃないんでしょうね? ……それとも、悪魔の」

 その言われように、思わずおかしな気がして、くすりとマーヤーが笑う。

「ちがう、通りすがりの魔法使い」

 マーヤーの返事に、女将は大きく頭を振って言う。

「……ったく、なんだってあなたを教団に引き合わせたりなんかしたんでしょうね。あなたを引き止めなければ、何にも起こらず、今までと変わらないままだったでしょうに」

「ううん、そうじゃない。女将さんのせいじゃない。

 始めから、あの神殿が気になってたし。教団の人に会わなくっても、やっぱり、何かしたと思う」

 マーヤーの言葉に、女将が深い溜息を吐き、肩を落とす。

「そうですか」

「たぶん。

 ……ね、女将さんは、まだ神様を信じてる?」

「救世主教の神様ですか?

 わたしには、もう、何がなんだかかわからなくなりましたよ。

 前は教団の司教様に地獄を見せられて、否応もなく死後の恐ろしさを思い知らされたっていうのに、あなたが引きずり出した地獄はフィルグハルト様が簡単に消してしまわれた。

 ……なら、死んだ後も、フィルグハルト様は助けてくださるんでしょうかね。それで、そのとき、救世主教の神様は、フィルグハルト様の邪魔をしないでいてくれるんでしょうか、今日みたいに」

「知らない。神殿に行って訊いてみたら?」

 冷たく聞こえる言葉だったが、彼女に安心を与えることができるのは自分ではない。マーヤーはそう自覚していた。

「なんでもいいわ。

 何にしても、あんなことがあっては、もう救世主教団はこの里へはやってこないでしょう」

「……うん」

「宿屋はたたみますよ。元々、教団の人達に言われて建てたものですから」

 そう言われ、少し心が痛むのをマーヤーは感じた。

「ごめんね。

 でも、後のことは、神殿で何とかしてくれると思う」

 はぁ、と女将がため息をつく。

「あなたに何か言う気はありません。……だって、元に戻るだけですからね。

 まったく……これが神様の思し召しなんでしょうかねぇ」

「元通り……?

 何も変わらなかったりなんか、しないよ?」

「ということは、変わる? ……って、何が?」

「わかるよ、そのうち、ね」


(きっと変わる。……でも、いい方に、とは限らないから。

 一度砕かれた権威(カリスマ)は二度と元には戻らない。御師様はそう言っていた。

 教団の神、それに救世主みたいな絶対的な()()がなくなった里の人を、神殿の力で、前みたいな安らかな生活に戻せるのかな……?

 心に負った深い傷が(いや)せるものがあるとしたら、それこそ神の力ね。

 里の人たちは、きっと、二度と救世主教の名を呼んだりはしない。けど、だからって、フィルグハルトの名を呼んでくれる……かな?

 んん、難しそう! 最悪、里がバラバラになったりしなければいいかな。

 神殿主、自分の立場が分かってるといいけど)


 誰にも告げてはいなかったが、自分のしたことの結果を一番危ぶんでいたのはマーヤー自身だった。

 人々の信じていたもの。それが二度にわたって奪われたのだ。古い信仰を失っていなかった者は、まだ救われるだろう。しかし、救世主教を受け入れ、フィルグハルトを否定した者たちに、救いは来るのだろうか。

 神ならぬ自分のしたことが、里に、神を裏切った罰をもたらすことになるのではないだろうか。その懸念は拭い去れなかった。


(でも期待してるわ、神殿主さん。

 約束は、守ってね)


 その日のうちに、マーヤーは里を後にした。既に昼は過ぎていたが、これ以上、この里に留まるつもりはなかった。柔らかな日差しの中、どこへ向かうともなくマーヤーは歩きだしていた。


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