ザノール来たる(3)
人目につかないようにして守備隊から離れると、不可視の魔法で姿を消す。こういう魔法はいつもマーヤーの役だ。シーフリートの魔法では、危なっかしいのだ。
飛翔の魔法でシーフリートとマーヤー、それにフィシスの3人は空中へ舞い上がった。人数を減らすため、本当はフィシスは置いていきたかったのだが、どうしても一緒に行くと言って聞かなかったのだ。見えないものを見る魔法を使い、互いの姿はぼんやりとだが確認できる。
空から見下ろせば、地上は既に暗く、月明かりで見ても街道脇の荒れ地には動くものは見当たらない。が、それは巧みに姿を隠して潜むものがないことを意味するわけではない。
「いるよ、たくさん」
そう言ったのはフィシスだった。
「そうなのか? 私には何も見えないが、お前にはわかるのか」
「地面と地面じゃないところの区別はつくよ」
地面でないところ、つまり他の何かがいるところだ。
「黒い、まだらの布をかぶったのが、たくさんいる」
カムフラージュされた姿は、暗視の魔法を使っても見分けがつかない。迂闊に地上に近付くわけには行かない。どこにザノールがいて、鉢合わせるかわかったものではない。
しばらく様子を見ていたフィシスは、町の防壁から2キロほどの距離を取り、町の南の方にザノールが展開しているのだと言った。
「声は聞こえるか? 奴らは何かしゃべっているか」
「聞こえないよ。こんなに離れてちゃ無理」
それもそうか、と答えるシーフリートにマーヤーが言う。
「もう少し降りてみる?」
「嗅ぎつけられてもいいのならな」
「嗅ぎつけ…、ってにおいのこと?」
「そうだ、ザノールは犬並みに鼻がきくのを知らないわけではないだろう」
そんな会話にフィシスが割り込んでくる。
「風はフィシスのお友達だよ」
「なに、風?」
「におわなければいいんでしょ?」
そうだ、と答えたシーフリートは、フィシスの言葉の意味するところを理解した。
「わかった、においが運ばれなければ気付かれぬ道理。お前を信じるぞ」
うん、と得意げにうなずいたフィシスの顔は、不可視の魔法に隠されてはっきりとは見えない。3人は、少しずつ地上に近付いていく。それに連れ、ザノール達の言葉がはっきりと聞き取れるようになっていく。
明日の夜、満月が中天にかかったときが攻撃の開始だ。
一斉に防壁にとりつき、人梯子で防壁を登って中へ飛び込め。
魔法の道具を持った奴は、防壁を打ち破って破壊しろ。
侵入に成功したら、手当たり次第に人間を襲って、殺せ。
人間達は眠っている時間だ。騒ぎが起これば、驚慌が起きて何もわからないままに逃げ惑う奴らを殺し放題だ。
人間を、生きたまま食うのもいい。すばらしい悲鳴が上がる。誰が一番大きな声で泣きわめかせるか競争だ
騒ぎが広がったら門を開け、全部のザノールが町へ入り込むのだ。
朝までには1人残らず殺し尽くせ。
そんな声が伝わってくる。ザノールのリーダーが言うのではない。潜んでいるザノール達が、口々に言い合っている言葉だ。これだけ聞けば十分、とマーヤーは2人に引き上げを促した。
「奴らの言うことは聞き取れたか」
声が届かないところまで上昇して、シーフリートが言う。マーヤー達のようにザノールの言葉は理解できないのだ。
「たっぷりとね」
そう言ってマーヤーはザノール達の交わした言葉をシーフリートに聞かせた。聞いたままを繰り返しながら、胸が悪くなるのをどうしようもない。マーヤーの言葉を、フィシスも裏付けた。
「なるほどな。奴ららしいことだ」
納得した様子でシーフリートが言う。
「攻撃があるのは明日の真夜中か。時間があるな」
おそらく、まだ合流していない仲間がいるのだろう。明日になれば、ザノールの数はさらに増えるに違いない。それを待って、一網打尽に、とシーフリートは計算していた。
今奇襲を掛ければ、リシフィラの周辺にいるザノールは蹴散らせる。だが、数が多い。シーフリート1人では全滅は無理だ。そして全滅させられなければ、生き残りに警戒させることになる。後続のザノールに連絡されれば、次の戦いがやりにくくなる恐れもある。
「さっさと片を付けたそうね?」
そういったマーヤーに、否、今は偵察だけだ、と答えてシーフリートは帰還を指示した。
守備隊のところへ戻ると、シーフリートは、その足で隊長のイズールに面会を求めた。
取り次ぎを求められた従兵がシーフリートの剣幕に驚き、イズールのところへ駆け込んでいくと、程なくして不満げな様子でイズールが姿を現わす。
「何事だ、急ぎの用とは」
「既に、リシフィラは包囲されております」
悠然とした口調でこたるシーフリートに、イズールは苛立った様子を隠そうともしない。
「なぜそんなことがわかる。防壁に見張りを立たせてあるが、そのようなものは誰も見ておらん」
「私がこの目で見て参りました。2キロほどの距離を置いて、夜陰に紛れて潜んでおります」
「見てきた、だと? そんな命令は出しておらん」
「は、僭越な振る舞いは重々お詫びいたします。しかし、今はザノールに備えることこそが肝要かと愚考します」
む、と口ごもるイズールに、シーフリートが続ける。言葉の中に少なからぬ誇張を混じえながら。
「ザノールの言葉を解するものを伴い、彼等の近くまで迫り、言談を聴き取って参りました」
「なんと。して、その内容はいかなるものか」
「襲撃は明日の真夜中、月が天頂に至る時であると」
「明日…満月の夜か」
「はい。防壁を登り、或いは防壁を打ち壊して侵入するとの企図である様子。彼等には十分な用意のあることと思われます」
「なに!」
「至急の備えが必要であるかと拝察いたします」
イズールは完全に色を失っていた。門だけを固めている彼の――守備隊の作戦が、全く無意味だと知らされたのだ。直ちに東の門に伝令が走り、指示を仰ぐ。それまではどこか弛んだ空気のあった守備隊は、一気に緊張に包まれた。
夜が更けた頃、ニールセンは主立った部下――騎士達を集めていた。無論、イズールもその場に出ている。シーフリートのもたらした情報が改めてイズールの口から伝えられると、騎士達の口から思い思いの意見が飛び出す。
「ザノールが襲ってくるのは明日の夜中とのこと。ならば、昼のうちにこちらから打って出ては」
「荒れ地で待ち構えているザノールにか?」
「何もしないで、襲撃を待つよりもその方が有利ではないか。既にこの街は包囲されていると言うではないか」
「笑止。いかにザノールとは言え、たかが100や200で、リシフィラが包囲できるはずがない。何かの間違いであろう」
「敵は広い場所に散っているのではないか? それに、どこにどれだけの数がいるかわかっているのか?」
「む、それはそうだが…」
「それにだ、騎馬で戦える者は片手にも満たぬ。残りは歩兵だ。近付く前にザノールに気付かれるは必定。待ち伏せをされれば全滅の恐れもある」
「何と、貴公、臆したか」
「そうではない、無謀な真似をするわけにはいかんと言うのだ」
「無謀だと」
「そうだ、考えても見ろ、ザノールの数はわかっているだけで150。それが、まだ後続を待っていると言うではないか。それに比べ、こちらの兵力は志願兵を入れてもせいぜい120といったところ、開けた場所での戦闘は不利だ。無駄に兵を死なせるわけにはいかん」
正論とわからないわけではない。しかし、言われた方も、大人しく引き下がってはいられない。
「そんな気弱なことを言っていてどうする。少しでも町から離れたところで奴らを討ってこそ、領民を安心させられるというものではないか」
「何を言う、この猪武者めが」
「猪武者でも敗北主義よりましであろう」
「何と、敗北主義だと」
言い合う言葉が次第に激昂し、感情的になってきたところで、ニールセンがパン、と手を叩いた。
騎士達の目が一斉にそちらに向けられる。
「打って出ることはしない」
きっぱりと言い放たれた、それが決定だった。
「防壁を利用して、守りに徹する。そして領主様の援兵を待つのだ」
その言葉通り、領主がまだ後詰めの兵の手配をしているはずだった。だから、守りを固めて時間を稼げば、援軍が来てザノールを挟み撃ちにできる、と言う目算があった。
「よいか、決してこちらから仕掛けてはならん。兵力の損耗は許されん」
騎士達が頭を下げ、命令に従う意思を示す。それが作戦会議の終わりだった。
イズールの指揮する部隊は防壁の南側に陣取っていた。シーフリートのもたらした情報から南の防御を固める必要ありとされたためだ。シーフリートがイズールの配下にあるため、その地区の守りがイズールに任されたのだ。他の区域は、ニールセンの部隊が受け持つことになっていた。
防壁の上に設けられた狭い通路に、弓手が配置され、石や、油の入った甕が運ばれる。
シーフリート始め、魔法を使える者達も、皆、防壁の上でザノールの襲撃を迎え撃つこととなり、それ以外の志願兵達も、防壁の上に上がった。
防壁の上に上れるだけの人数を配置すると、残った兵達は数人ずつに分かれ、防壁の内側で敵襲に備える――といっても、数が少なく、広い町の中をカバーしきれるだけの兵力にはほど遠い。せいぜい、町の中を巡回することで人々に姿を見せて気休めの役を果たすくらいにしかならない。
住民達には、夜は眠らず、家の戸を閉ざして決して外に出ないようにとの厳命が出た。
「あんた達のおかげだな。少なくとも、門で待っていて、不意打ちを食うようなことにはならずに済んだわけだ」
冒険者の1人がシーフリートに声を掛けてきていた。少なくとも、昼の間はザノールの襲撃はない、とわかっていくらかの余裕を取り戻しているようだ。
「それにしても大したものだ、よくザノールを見つけられたもんだ」
「これしきのこと、驚くに価しない。探知の術に優れた者がいれば当然のことだ」
「そうじゃないさ、既にザノールが潜んでいることに気付かなければ、偵察もしなかっただろう。俺たちの仲間は誰もそんなことを思いもしなかったからな」
ああ、そのことか、とシーフリートは言った。
「私は何度かザノールと戦ったことがあるのだ。その経験の差だ」
「まあ、それは本当なの」
別の冒険者が言う。一見して魔法の使い手とわかる女だ。
「だったら、あなたは奴らのやり口を知ってるのね」
知っている、とシーフリートがうなずく。
「残虐な奴らだ、というのは知っているだろう。だが、そのくせ小心なのは知るまい」
「小心…なの?」
「そうだ。有利とみれば嵩に掛かって攻めてくる。しかし、ひとたび不利と――自分の身が危ないと悟れば、たちどころに逃げ出す」
だから、できるだけ派手な魔法を使え、とシーフリートは言った。
「こちらが決して侮れない相手だと思わせるのだ。与しやすいと思われれば、奴らは調子に乗る。そうすれば、実力以上の働きをする。そうならないよう気をつけることだ」
「つまり、舐められなければいい、ってことなのか」
そう訊いたのは血の気の多そうな、しかし戦いには全くの素人の靴屋の親爺だった。そうだ、とうなずくシーフリートの言葉に安堵した顔を見せる。
「ならば、勝ち目があるってことだな」
「当然だ。私はもっと不利な戦いをしたこともある。それに、今回は不意打ちを食うわけではないのだ。負けたりはしない」
いくらかの誇張を混ぜて話す。彼等の不安をあおることは避けたいからだ。
魔法使いと認識されていない――ザノールの言葉がわかるから参加しているだけと思われているマーヤーは、そんな会話には加わらなかった。
ザノールの話していることを聞き取って、貴重な情報を持ち帰ったことは評価されているものの、それは主にシーフリートの手柄と見なされていた。魔法の腕と度胸のあるシーフリートについて行っただけの非力な少女、というのが大方のマーヤーへの評価で、それはマーヤー自身の望んだことでもある。
だが、戦いが始まれば、魔法を使わないわけにはいかない。いかにそれをうまく行うか。そのことをマーヤーは考えていた。
フィシスといえば、戦力としての期待は全くされていない。今はともかく、夜になれば足手まといにさえならなければいい、といった程度の扱いになるだろう。町のどこにも安全な場所がないとわかっている以上、1人だけ逃げろ、とは言われないだろうが。
だから、マーヤーと一緒に、せいぜい見張りの手伝いといった格好で、目立たないところに下がっていた。
冬の日は短く、既に日は西に傾いていた。次第に迫る夜の時間が、一同に無言の圧力を加えていた。




