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リシフィラへ

 既に3日目だった。

 シーフリートを仲間に加え、マーヤーとフィシスは山道を――道と言うより獣道といった方がよさそうな場所を進んでいた。

 街道を使わず、山の中を通るのは、シュタイナー商会の目から、足取りを隠そうという思惑もあってのことだった。商会に雇われた冒険者達が全滅して消息が途絶えたとしても、街道に戻れば、また、商会の監視の目に留まらないとも限らない。

 山奥の小径(こみち)は、下生えが少なく、茂みが行く手を妨げないのでなんとか先へ行くことができる、といった程度の隘路だが、それでも歩くのに不便は感じない。

 険しく見える坂も、ほどよく傾斜し、あるいは半ば地中に埋まった手頃な大きさの石が足場の役を果たし、あるいは斜面に沿って緩やかに登れるところが続くなど、思っていたほどには体力を消耗しなくて済む。

 しばらく歩いて疲れを覚える頃になれば、休むのに適した開けた場所に出たり、所々で湧き水が見つかったりもする。

 日が暮れれば、野宿に適した場所があり、薪にするのにほどよい枯れ枝が手に入る。

 あまりに都合の良い――不自然なほどに旅しやすい山道。

 決して人の手で整備されたところではない。

 ついに、こんなことは信じられん、と言ったのはシーフリートだった。

 「よもや、マーヤーの幻術で作られた幻の地形ではないだろうな?」

 本気で言っているはずはないが、そう言いたくなるのも無理のないほど楽な旅路だった。

 まさか、とマーヤーが応じる。

 「幻術でこんな楽に山登りができれば苦労はないよ?」

 シーフリートが大げさに肩をすくめて見せる。聞くまでもない、とその目が言っている。

 そんなやりとりを、きょとんとして見ているのはフィシスだった。

 「どうして? 山はお友達だよ?」

 なに、とシーフリートが眉を上げる。

 「友だち…?」

 「山はフィシスのお友達。お友達だから、よくしてくれるの、当たり前でしょ?」

 「よくしてくれる、だと? ならば、これはお前の仕業なのか?」

 違うよ、とフィシスが首を振る。

 「フィシスは(なん)にもしてないもん」

 「(なに)も、して、いない?」

 「そうだよ。フィシスのお友達が、みんなしてくれるの」

 わけがわからない、と言いたげな顔でシーフリートが首を振る。

 「魔法…ではないのだな?」

 「フィシスは、お友達に魔法をかけたりなんて、しないもの」

 おい、とシーフリートがマーヤーの方を向く。

 「お前には、こいつ…いや、フィシスの言ってることの意味がわかるのか?」

 まあね、とマーヤーが眉根を上げて微笑んでみせるのを見て、シーフリートが怪訝な顔になる。

 「つまり、自然と心を通い合わせられる、ってこと。人と話すように、火や水や風、森の木々や草とも話が通じるわけね」

 マーヤーの言葉にうなずくフィシスを見て、シーフリートが尋ねる。

 「それは、生き物でもないものが話をする、という…そういうことなのか」

 こくり、と大きくうなずくフィシスを見て、シーフリートが深く息を吐く。

 「なるほど、そういうことなのか」

 ようやく納得した、とその顔が告げている。

 「私には、わからん。だが、お前にとっては、それは確固としたことなのだな」

 いくつもの魔法を極めたシーフリートには、自分の感覚で受け入れられるものだけがこの世のすべてでないことは知識として、また経験としても身に染みている。だから、フィシスにとっての真実があることは、それが自分の理解を超えるものであっても、受け入れられないことではないのだった。

 「ならば、それでよい。今肝心なのは、余分な苦労なしに旅ができることだ」

 そうあっさりと割り切ってみせるシーフリートに、マーヤーは、半ばあきれ、半ば感心していた。その向こうで、自分の言ったことをわかってもらえた、と思ったフィシスは、うれしそうに微笑んでいる。

 その日も暮れ、3人は火を焚いて休むことにした。

 枯れ枝や枯れ葉が、まるでそのために用意されていたように簡単に見つかり、野営の準備にさほどの時間は掛からない。

 真冬でなければ、食料になる木の実や果実が見つかったのだろうな、と思いながら、マーヤーは携行用の固いビスケットとチーズを取り出してフィシスにも分けた。シーフリートも自分の荷物から保存食を取り出して食事の支度をしている。

 「もう2日もすれば、町に着く」

 干し肉をかじりながらシーフリートが言う。

 「思ったよりも旅程が(はかど)ったからな。本当は、この倍は掛かると思っていたのだが」

 「あなたの知ってる町?」

 「そうだ。割と大きな町だが、シュタイナー商会の支店はない。宿屋も多いし、下宿屋もあるから、しばらく身を隠すのには都合がいい。街道沿いで商人が行き来するから、情報を集めるのも難しくない」

 なるほど、とマーヤーがうなずく。

 「とにかく、情報が必要だ。お前と一緒に動く以上は」

 言葉の裏にある皮肉に気付いて、そうね、とマーヤーが渋い顔で言う。

 「なんていう町?」

 「リシフィラだ。ウォーレス男爵の領地の1つだな」

 知っているか、との問いにマーヤーは首を振る。

 「私は何度も行ったことがある。冒険の拠点にしたことも一度や二度ではないな」

 そう聞いて、ならば大丈夫だろう、と思う反面、冒険の拠点、と言う言葉にマーヤーは引っかかった。つまり、リシフィラの近くには冒険になるような事件がゴロゴロしている、ということだ。

 「わたし、冒険者はやめた、って言ったよね?」

 「わかっている。だが、それにこだわってばかりはいられまい。ひとたび事が起これば臨機応変。そうではないか」

 シーフリートの言葉を、正論だとは思いつつも、諸手を挙げて賛成するつもりにはなれないマーヤーだった。


 夜が明け、歩き始めた3人は、遠くで人の声がするのに気付いていた。

 2~3人の男の声。少し離れたところを歩いているようだ。木立(こだち)に隠れて姿は見えない。向こうも、マーヤー達に気付いた様子はない。足を止め、その声に耳を澄ましたとき、風が変わり、男達の方から微風が吹いてくる。風に乗って、彼等の言葉が運ばれてくる。

 驚いた様子を見せたのはシーフリートだった。が、フィシスの得意げな表情を見て悟ったのらしく、(いだ)いたであろう疑問を口にすることはなかった。

 風の運ぶ、途切れ途切れに伝わってくる言葉をつないでわかったのは、声の主はこの山に本拠を構える山賊達で、近く、(ふもと)の町を襲撃するつもりであることだった。

 「麓の町、すなわちリシフィラだ」

 シーフリートが言う。

 「私たちがリシフィラへ着くのが先か、山賊共が行動を起こすのが先か」

 そう言って、マーヤーを見据える。

 「いずれにせよ、このまま知らぬふりをすることはできまい」

 「…で、冒険をしろ、って言う?」

 拗ねたように言ってみせるマーヤーを、シーフリートは笑っていなす。

 「この程度のことが冒険だと? 久々に聞く冗談だ」

 本気でそう思っているのだ、と笑っていない目が語っている。事実、シーフリートの腕なら、20人や30人の山賊など鎧袖一触にも当たらない。


 (仕方ない、か…)


 内心ため息をつきながら、マーヤーはシーフリートの言葉に従うことにした。

 リシフィラにいて山賊の襲撃を待つのも、山賊が襲った後の荒れ果てた町に着くのも願い下げにしたい。それは確かだった。

 「町に着いたら、うまい飯を食いたいのでな」

 いつものシーフリートの言い草だ。こいつはこういう奴だった、とマーヤーは思い出す。

 「策はあるの?」

 マーヤーの言葉に、わずかにシーフリートの口角が上がる。

 「やり方などいくらもあるさ。だが、まずは奴らの様子を見極めねばな」

 「偵察ね」

 「姿を消す魔法はお前の方が優れている」

 シーフリートの言葉に、わかったわよ、とマーヤーが肩をすくめる。一緒に冒険をしていた頃に、このあたりの呼吸は身についている。

 不可視(インヴィジブル)の魔法で身を隠した3人は、声の聞こえてきた方へと移動する。茂みがひとりでに開き、3人の行く手を阻むものはない。それでいて、遠目には、風で茂みが揺れているようにしか見えなかった。

 しばらく行くと、木立の中を行く3人の男達の姿があった。1人の手に兎の死骸があるのを見ると、食料を調達に出た帰りということか。

 シーフリートとマーヤーが囁き交わす。

 「仲間のところへ戻る途中のようだな」

 「付ける?」

 「無論だ」

 そんなことを知るよしもない男達は、碌にあたりの様子も見ないまま歩き続けている。不用心が過ぎるが、今はその方がありがたい。

 やがて、山賊達の後を追って行き着いたのは、いくつもの天幕の並ぶ、開けた場所だった。30人近い山賊達がそこにはたむろし、思い思いに飲んだり食ったりしている。

 「あれが、そうだ」

 「あれで全部だと思う?」

 「いや、まだ他にもいるかも知れん。逃がすと面倒だ。一所(ひとところ)に集まってきてもらわねばな」

 「集めるの?」

 「そうだ。任せるぞ」

 「…わかったわよ」


 山賊達は、息を呑んだ。

 あたりの木の影から、十数人の美女達が姿を現わし、自分たちの方へやってくる。真冬というのに、身体の線がくっきりと見える薄物をまとっただけの姿。それでいて、寒さを感じさせない生き生きとした動き。にっこりと笑いかけながら、髪をなびかせ、なまめかしく身体を揺らしながら、ゆっくりと歩いてくる。それぞれの手には銀の盆がある。

 「な、なんだ、これは…」

 まず驚きが。次に怪訝(かいが)、そして警戒が山賊達の心に湧き上がる。

 何人かが武器を取って美女達の方に進み出る。

 しかし、それも、美女達が手に持った盆を山賊達の前に差し出すまでのことだった。

 盆に載った幾皿もの料理。()も言われぬよい香りが漂い、食欲をそそる。その匂いをかぐや、即座に空腹を覚え、目が料理の皿に釘付けになる。

 たちまちの内に、皿の奪い合いが始まる。

 我先に置かれた盆に殺到し、互いに押しのけ合い、料理の皿に手を伸ばす。

 しかし、誰かが皿を取れば、その後には、盆から湧き出すように別の皿が現れ、別の者がまたそれを奪い取る。

 その騒ぎを聞きつけ、離れたところにた山賊達が集まってくる。そして、美女達の前ヘ殺到し、料理の皿を手にすると、それをむさぼり食い始める。

 片手に載るほどの小さな皿のはずなのに、料理はいくら食べても減ることはなく、どれほど食べようと、腹がくちくなることがない。

 だから、山賊達は食べ続ける。

 我を忘れ、他の何をも忘れ、目の前の料理だけに心を奪われて。

 それが、マーヤーの魔法で作り出された幻であることなど、思いもよらず。

 周囲を警戒することなど、すっかり頭から消え失せた山賊達が、頭上から降りかかってきた巨大な火球で全滅させられたのは、ほんの一瞬のことだった。

 死の瞬間も山賊達はひたすら食べ続け、最期を自覚することもなく、彼等は全滅したのだった。

 「片付いた。…張り合いのないものだ」

 つまらなさそうにシーフリートが言う。

 「なにをしたの、マーヤー?」

 興味深そうに訊いたのはフィシスだった。マーヤーの作り出した幻覚は3人には見えていない。料理を運んだ美女達も、幻の美食も。それが見えれば、フィシスやシーフリートも魔法の(とりこ)になるからだが、だから、2人には山賊達がぼんやりと立ち尽くしたり、あるいは地面に座り込んで何かぶつぶつ言っているらしい様子しか見えていなかった。

 「ご馳走してあげただけ。おいしすぎて、他のことが目に入らなくなるくらいの」

 へえ? とフィシスの目が丸くなる。

 「…ただし、幻の」

 そう聞いたフィシスの顔に、なるほど、という表情が浮かぶ。

 「奴らにとっては、最後の晩餐だったわけだ」

 「そうしたのは、あなたよね?」

 ああ、とシーフリートがうなずく。

 「腕は衰えていないようだな。安心したぞ」

 「シーフリートは、殺すんだね」

 無邪気に訊かれ、シーフリートの表情がこわばったのは、フィシスのにこやかで悪意のない口調と、言葉の落差(ギャップ)に戸惑ったためか。が、それも一瞬のことだった。

 「当然のことだ。必要があれば、ためらうことはない」

 それはマーヤーも同じことだ、とシーフリートは続けた。

 「こうなることを承知で幻を見せているのだ。殺さねばならぬ時に、妙な仏心を起こすような甘いやつではない」

 そうなの、と目で問いかけるフィシスに、マーヤーは黙ってうなずいた。

 「ただ、わたしとシーフリートじゃ、見極める基準(ライン)が違うかも」

 「ああ、確かにそうだ。だが、判断を誤ったりはしない。そうだな?」

 「あなたや、他の仲間が教えてくれたことよ。そのおかげで生きてこられたのは間違いないわ」

 感謝はしてるわ、とマーヤーは結んだ。

 意外か? とシーフリートに訊かれ、フィシスは首を振った。

 「お前なら、どうする? 殺すのをためらうか」

 「フィシスは殺さないよ。…殺す力がないから」

 そうか、とシーフリートが肯んじる。フィシスが、感傷に捕らわれて自分の身を危なくするような愚者ではない、と悟った顔だった。フィシス自身に力がなくとも、友だちが力を貸してくれるのだろう。

 「その歳でその答か。大したものだ」

 「フィシスは馬鹿じゃないもん」

 少しふくれて言うフィシスに、シーフリートは破顔した。


 山を()り、リシフィラに着いたのは翌日のことだった。

 シーフリートの言ったとおり、旅人で賑わう活気のある町だ。シュタイナー商会の支店こそないが、いくつもの商会が店を連ね、たくさんの行商人が出入りしている。

 いくつかある宿屋の1つに当座の住まいを確保すると、シーフリートはマーヤーとフィシスを伴って町の中心部にある酒場を訪れた。

 「昼間からお酒なの?」

 フィシスに訊かれ、シーフリートが首を振る。

 店に入ったシーフリートは、まっすぐに奥のカウンターへ行き、店主を呼んだ。

 「お、久しぶりじゃないか。まだ生きていたんだな」

 「生憎だな。まだ運は尽きていないのでな」

 「悪運だろう? まあ、殺しても死ぬようなあんたじゃないからな」

 そう言い合う様子から、2人が旧知の仲であることがわかる。シーフリートは、店主をダルトンと呼んだ。

 「で、今日はなんだい、あんたの好きそうな話ならいくつかあるが」

 うむ、とうなずきながらシーフリートが言う。

 「その話の中にルロッカ山の山賊の件はあるか?」

 ルロッカというのは、マーヤー達が昨日まで歩いて来た山の名だ。

 「いいや、そいつはない」

 「そうか、ならばいい」

 シーフリートはそう言ったが、今度はダルトンの方が黙っていなかった。

 「ルロッカに山賊がいるってことなのかい? だとしたら物騒だな」

 「いたのさ」

 「いた? …見たのか」

 「そうだ。おっと、もう片付いた話だ。もし討伐の話でも出ていればと思ったのだが、当てが外れたようだ」

 それを聞いてダルトンが笑う。

 「さては、あんたがやっつけたわけか。もし、賞金でも掛かっていたら、それをいただこうって魂胆だったわけだな」

 うむ、とシーフリートが答える。

 「残念だったな。まだ、この町に山賊の話は聞こえてきてない。だから、当然、討伐の話もなしだ」

 「そうか」

 「でも、領主に報告すれば、褒賞が出る可能性はあるな。何か証拠になるものでもあれば、だが」

 「そんなものはない。奴らをやっつけた場所まで行けば話は別だが」

 それを聞いてダルトンは肩をすくめた。

 「それじゃだめだな。領主が手を打とうとしていた事件なら、確認のために人も出すだろうが、裏の取れていない話じゃな」

 「そうだな。わかっているさ」

 話を打ち切ると、シーフリートはマーヤー達の方へ戻ってきた。

 「用は終わった。飯でも食いに行こう」

 「この店じゃだめなの?」

 そう訊いたフィシスにシーフリートは片目をつむってみせる。

 「どうせ食うなら、うまい店の方がいいだろう?」

 そう言うと、後ろから飛んできた、聞こえてるぞ馬鹿野郎、というダルトンの声を無視して店を出たのだった。


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