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フィシスソフィア(3)

 豪奢な作りの部屋の中。

 高い天井には水晶でつくられたシャンデリアが輝き、窓1つなく外界の光の差さない部屋の中を昼間のように明るく照らし出している。シャンデリアに灯されているのはろうそくではない。数百の、美しくカットされた水晶が、1つ1つ、ろうそくよりも遙かにまばゆい光を放って輝いているのだ。

 象牙色に塗られた壁は染み一つなく、濃い深紅の絨毯は、歩けば足がその中に沈み込むような錯覚を覚える。

 四方の壁は当代一流の画家の手になる絵画で飾られ、部屋の四隅には大理石でつくられた神々の彫像があたりを睥睨している。

 その中央で、紫檀の板を組み合わせてつくられたテーブルを囲む男女がいた。

 「あの愚か者はしくじったようじゃな」

 「仕方のないことだ。もとより当てにしてはいなかったのだ。そもそも、我らに忠誠など持っていない者だ。その上、分もわきまえずに入れ込みおって」

 上座に座る、一番年配の、長老といった感じの男がゆっくりと口を開き、次位に座する者が答えた。それに続いて、頭が禿げ上がって目尻に深いしわのある、一見、人の良さそうな男が発言する。

 「それでも、おかげで貴重な情報が手に入りましたからな、元は取れたと言うべきでしょうな。それよりも、せっかく送り込んだあの怪物までが返り討ちにされるとは、いや、これには驚くばかりで」

 「まったくですわ。あの小娘は、見せかけだけの小細工しかできないはずだったのに、どうしてあの不死身の男がやられてしまったのかしら」

 そう言ったのは、引き締まった体つきの美しい女性。多くの戦場を駆け抜け、無数の修羅場を生き延びてきた戦士、といった風情だ。その険のある言葉の端々に、尊大そうな人を見下す態度を隠そうともしない。

 「なんでも、ずいぶんと高いところから叩き落とされた、という話でしたな」

 「そんなことくらいで参るような男ではありませんでしたでしょう。一体どんな魔法があったのかしらね。全く油断のならないことですわね」

 ふん、と顎を上げた彼女をたしなめたのは、長老だった。まあ、待て、と言って言葉を続ける。

 「今にして思えば、失敗してくれて幸いじゃった。実のところ、あれが、なまじ成功でもしておってみよ、我々は、あの方を敵に回していたかも知れぬのじゃぞ」

 「それはその通りだ。あやつの素性が明らかになった以上、この先、迂闊な真似はできん」

 「確かにその通りですな、いや、これは厄介だ。まさか、あんな繋がりのある者とは思いもしませんでしたからな」

 「…しかし、だからといって、何もせぬまま放ってもおけん。これ以上、変な手出しをせぬよう、警告を与えねば。そうと知ってか、あるいは偶然にか、すでに(さわ)りになってきているのは間違いない」

 長老の次位に座った男が不機嫌そうに言う。

 「コルターの取引先と、テューラの金鉱でしたな」

 「そうですわ、分けてもテューラの金鉱が暴かれたのは痛手でしたわね。アリの穴から堤が崩れるの言葉通り、わずかな油断があんなことになろうとは。」

 「まあ、それでも閉鎖されたように見せながら、その実、中では元通りに仕事は進んでますからな。実害はない、というわけで」

 「まあ、何を言います。あの金鉱の存在が明るみに出たことこそが痛手ではありませんか」

 厳しい口調で女戦士が言う。それに言葉を継いだのは、深紅のドレスに身を包んだ、妖艶だがどこか気だるそうな雰囲気を漂わせた女性だった。

 「それと…ミュロンの店にも姿を見せているわ」

 「確かに。ですが、あちらの方はブラッディパールの仕業と報告が入っておりますな。これは間違いのないようで」

 「それであっても、目障りであることに変わりはないわね」

 「まあ、そう言えばそうかも知れませんな」

 「しかし、じゃからといって(あや)めるわけにはいかぬぞ。命を奪ったことが知れれば、我々の負うリスクも大きい。あの方の逆鱗に触れる可能性だけは避けねばならぬ。これは絶対じゃ」

 そう言って、年配の男が一同を見渡す。しばしの沈黙の後、深紅のドレスの女性が言う。

 「いっそのこと、あの方がお手元に()めておいてくださればよいのだわ」

 「確かにそうだ。そうすれば、これ以上の面倒がなくて済む。であるなら、一番よいのは、我々の手で捕えて――お迎えして、あの方に引き渡すことだ」

 「そうじゃな。あの方の手に渡せば、これ以上、下手な動きをされることもないじゃろう。あの方も、あの娘の行方を気に掛けておられると聞くしな。じゃが、うまい算段があるかの?」

 長老が次位の男に訊く。

 「そうだな、策はある」

 「よいじゃろう、ではこれについてはお前に任せよう」

 「承知した」



 日が沈み、夜のとばりに包まれた中、マーヤーとフィシスソフィアは、焚き火を挟んで街道脇の空き地に腰を下ろしていた。

 既に1月も終わろうとしている。真冬というのに、しかし、寒さを感じない。木々の枝は風に揺れ、時折、乾いた音を立てるというのに、2人の周りだけ風がなく、燃える火も揺らがない。

 「風が吹いてこない…?」

 マーヤーが言うのに、フィシスソフィアが笑顔で答える。

 「風がね、フィシスたちが寒くないようにしてくれてるんだよ」

 え? とマーヤーがフィシスの顔を見つめる。

 「フィシスは風と気持ちが通じ合ってる…、そういうこと?」

 うん、とフィシスソフィアが得意げに微笑む。

 「そうなんだ」

 言われてみれば、2人の周りは冬の夜にしてはずいぶんと暖かだ。焚き火は、いつもはこんなに暖かだっただろうか? そう自問したマーヤーは、すぐにそんなはずはない、と気が付く。

 「こんなに暖かいのも、フィシス、風のおかげなの?」

 そうだよ、と無邪気そうな答がある。ごく当たり前のことだ、といった顔で。

 「フィシスは、風とお友達だよ」

 そう言ったフィシスソフィアの表情は、いかにも誇らしげに見えた。

 「そうなの。…すごいね」

 マーヤーの言葉に、フィシスソフィアはにっこりと笑う。

 「でも、マーヤーもすごいんでしょ? 従者の人に聞いたよ」

 従者…、従者か。ずっと気になっていたことを、マーヤーはフィシスソフィアに尋ねてみる。

 「従者、って、あの人は、フィシスの従者なの?」

 違うよ、と、フィシスソフィアは小首をかしげて見せた。

 「フィシスの僧団の、もっと上の方の誰かの従者なの」

 そうなの、とマーヤーはうなずいてみせる。上の方の誰か――誰か、ということはフィシスもはっきりとは知らない存在なのだ、と思い至る。

 「その人が、わたしのことを話したの」

 うん、とフィシスソフィアがうなずく。

 「マーヤーは、壁画の言葉を聴いたんだね。従者の人が言ってた」

 ラムランチュール神殿の遺跡にあった壁画のことだ、と思い至る。あそこで、初めてマーヤーは従者に会ったのだ。

 「だから、マーヤーを選んだんだって。それで、フィシスに一緒に行くようにって言ったんだよ」

 壁画の語った言葉。真の創世の物語。

 「フィシスは、壁画の言葉を知ってるの?」

 うん、知ってる、とフィシスソフィアは答えた。それが僧団の教えなのだ、と。

 「僧団、って言うことは、フィシスは僧侶――神様に仕えてるの?」

 ちょっと違う、というのが答だった。

 「導いてくれる方はいるけど、でも、フィシスたちはこの世界を見ているの」

 「世界を?」

 「この世界が、どんなふうに変わってきたか、これからどうなっていくのか、それを見続けるのがフィシスの僧団の役割なんだって」

 「見続ける…」

 「うん、ありのままをね」

 何か不思議な感じがする。これが、僧団なのだろうか。それにしても、年格好に似合わないしっかりした言葉だ。

 「いつからフィシスはそういうことをしているの?」

 「初めから」

 え? と聞き返したマーヤーにフィシスソフィアが答える。

 「生まれてすぐに僧団に入れられてたんだって。フィシスのお父さんやお母さんがそう決めたんだって聞いた」

 そうなのか、と思う。少し、わたしと似てるかな…、そんな思いをマーヤーは(いだ)いた。

 「マーヤーもそうなんでしょ?」

 え? …それも従者に聞いたのか、と尋ねる。答はイエスだった。

 「わたしのこと、ずいぶんと知ってるんだね」

 驚いた、というよりあきれてマーヤーは言う。従者は、もしかしたらマーヤーの未来世なのだろうか? …それとも、ファービュアスのように、マーヤーの身近にいた誰かの転生(てんしょう)なのだろうか。一体、どれだけのことをフィシスは聞かされているのだろうか?

 「今までのことしか知らないよ?」

 マーヤーの心の中を読んだようにフィシスソフィアが言う。

 「全部知ってたら、一緒に行く意味、ないでしょ?」

 まあ、確かにね。言われたことに、そう納得する。

 「じゃ、わたしの今までのこと、全部知ってるのかな?」

 まさかあ、とフィシスソフィアは笑った。

 「魔法の先生に育てられて、冒険をして、今は、先生が死んで1人で旅をしてる。そのくらいだよ? 従者の人は、もっといろいろ知ってるみたいだけど」

 「じゃ、どうしてわたしが旅をしてるか、知ってる?」

 うん、とフィシスソフィアは答えた。

 「本当の自分になりたいから、でしょ」

 「え?!」

 マーヤーは、頭を殴られたような衝撃を覚えていた。そんなふうに意識したことはなかった。だが、それを否定する言葉は浮かんでこない。

 「…それも、従者に聞いたの?」

 「ちがうよ? …だって、見てればわかるもん」

 「見てれば…、って、わたしを見てた?」

 従者がマーヤーに会った後、折に触れ、従者がマーヤーの姿を見せてくれていたのだ、とフィシスソフィアは言った。

 「フィシスはわたしのこと、そんなに、知ってるのね」

 なのに、わたしはフィシスのこと、何も知らない。そう言うと、フィシスソフィアは無邪気に笑って見せた。

 「フィシスと出会ったばかりだもん、当たり前じゃない」

 そして、言葉を続ける。

 「これから、わかっていくから。…フィシスも、マーヤーのこと、もっとわかるようになるよ」

 フィシス。不思議なものの言い方をする子。

 少し怖いような、それでいて惹かれずにいられない、不思議な少女。

 不思議。…不可思議。自分のの思いを超えた何か。現実とは――マーヤーの知る世界とは別のところからやってきた少女。マーヤーは、そんな印象を、フィシスソフィアに持ったのだった。


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