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救世主教団(6)

 神殿を出たのは、昼を少し過ぎるころだった。

 里へ向かう道すがら、出会った農夫に頼んで、食べ物を分けてもらうことにした。

 声を掛けた相手は、快くマーヤーの頼みを聞いてくれた。彼にとってマーヤーは、見も知らない、素性のわからない人間であるのにもかかわらず。

 彼が渡してくれたのは、赤ん坊の頭ほどの大きさのある、オレンジを2つ。礼を言って代金を払おうとしたマーヤーを、日焼けした顔の初老の農夫は笑って(さえぎ)った。

「神様からの御恵(おめぐ)みさね。取っておきな。それに、旅の人に良くしておけば、死んだ後に待ってる神様の覚えもめでたくなろうというものさ」

 ありがとう、と素直にもらっておく。恵んでくれた神様はフィルグハルト、死後に待っている神様は救世主教の神だろう。こんな言葉が自然に出てくるということは…


(まだ、救世主教一本にに染まりきってないんだ…)


 これが、里の人々の信仰なのらしい。そう知って、マーヤーは、何やら安堵した気持ちになったのだった。


 草原(くさはら)に腰を下ろして、オレンジを食べる。今日、はじめての食事だった。

 皮をむかずにそのまま、と言った農夫の言葉に従い、大きな果実にかぶりつき、汁気をたっぷり含んだ果肉を口いっぱいにほおばる。金色をイメージさせる香り、酸っぱい味と柔らかな舌触り。甘味は少ないが、きつすぎない酸味が心地よい。農夫は一番食べごろのところをもいでくれたのだ。


(おいしい!)


 手が果汁で濡れるのに構わず、どんどん口に入れていく。あまり上品な作法ではないが、気に()めもしない。


(……ふぅ、おなか、いっぱい)


 味に魅了されるまま、気が付いた時には最初のオレンジは食べきっていた。が、とても2個目は食べられない。残った1個、ポーチに入れるには大きすぎるその実を手に持って、マーヤーはあたりを見るともなく見渡していた。

 日差しが温かく、時折そよぐ風が眠気を誘う。

 少し離れたところでは、家畜が草を()んでいる。羊のような長い毛を持ったやや小型の牛。額と頭頂に2本の短い角を持った、馬に似た生き物はデュコーンと呼ばれる家畜の()。いずれも農耕に使ったり、毛や乳を取るために飼われている動物たちだ。

 今、草原となっているここは、今年は休耕地にして地力を回復させるのだろう。離れたところの畑では、デュコーンが(すき)を引き、農夫がそれを追っている。魔法や、冒険とは無縁の平穏な暮らし。それがここにはある。マーヤーは、のんびりとその光景を眺めていた。


 日が傾くころ、宿へ戻ると、カウンターに女将がいた。

「おかえりなさい、どちらまで行かれました?」

「里をぐるりと。女将さんは?」

「わたしは仕事ですよ? 里の人たちから肉やら野菜やらを分けてもらいにね。

 ……ああ、朝、ここを留守にしてましたからね」

「食堂は、朝はお休みなの?」

「あら、言ってませんでしたか? 普段の日は、夕食だけの営業なんですよ。

 ごめんなさいね、ひもじい思いをさせてしまいましたか?」

 ううん、と首を振って見せる。

「そうですか、だったらいいんですけど。

 人につらい思いをさせてしまうのも、やはり罪ですからねえ」


(あ、まただ。窮屈なんだよね、これじゃ)


「今日は卵が手に入りましたから、夕食に出しましょうね。メニューはお任せでいいですか?」

「ええ。お願い」


 食事の後、宿の女将が期待を込めた目でマーヤーを見て言う。

「明日は、救世主教団の一行がこの里へやってこられますからね」

「話を聞けばいいの」

「そうですよ。きっと有意義な経験になりますからね。

 わたしが紹介して差し上げます。きっと、よいお話が聴けますよ」

 いやいや、そうは思わない、とは口にしない。ろうそくと水を受け取ると、お休みの挨拶をしてマーヤーは部屋へ戻っていった。



 翌日、昼少し前、馬車を中心に、30人ほどの集団が里を訪れていた。彼等は今夜の宿を取るために、女将の経営する宿屋へやって来ていた。

 約束通り、女将はマーヤーを一行に引き合わせた。一団の中の伝教師と思しき男がマーヤーに向かい合う。

「あなたは、よそのお方のようだな」

「ええ、旅行者」

 それでは、聴かせよう。そう前置きすると、伝教師は、大仰な口ぶりでマーヤーに語り掛けた。

「まずは、この日に出会えたこと、神に感謝を。

 よろしいか、人が罪を重ねるのを神は喜ばれぬ。死後、地獄に行くのはすべての罪ある人の定め。

 旅の方、この機会を無駄にせず、神に懺悔をするのです」

「懺悔?

 そんなことをしても、またいくらでも罪を重ねるんだから、無意味でしょ?」

 いきなりマーヤーに言い返され、伝教師は一瞬面食らったような顔を見せるが、すぐにそれを取り繕って見せる。

「これは何と聡明な方か。

 左様、懺悔はこれまでの罪を払うため。これからの罪を消すには、このアミュレットが効果がある」

 そう言って見せたのは、昨日広場で見た子供たちが下げていたのと同じ銀色のペンダントだった。

「くれるの?」

 わざと聞いてみて、予想通りの答えが返ってくるのを待つ。

「これはしたり。差し上げるには、それなりに神への帰順を示していただかねばなりませぬ」

「帰順?

 わたしは、また気の向くままに行くのだけれど」

「いかにも、そうされるがよい。

 別に引き留めようとはいたしませぬよ」

「じゃ、どうするの?」

「心ばかりの寄進を頂ければ、それでよろしい」

「お金?」

「いかにも。

 金銭こそは人の心がけ、重ねた(つと)めを(はか)るしるべとなるもの。それを神にささげることは、神に自分の生涯のひと(とき)を捧げるも同じ。

 …御覧なされ、この里の人々を。

 暮らしに金銭は(よう)ないと言えど、ひとえに、神にささげた勤めの(あかし)とするためにだけ、ああして金を貯め、それを捧げて信仰の(あかし)としておりますことを」

 言われて、彼の指さす方を見れば、里の人々が、それぞれが持参した金袋(かねぶくろ)を教団の世話役らしい者に差し出している。その先頭に立つのは、宿屋の女将だ。それを見ながら、男は笑みを浮かべながら言った。

「お金が欲しいの、…神さまは?」

 半ばからかうつもりで言った言葉に。伝教師が目をむく。

「な、なんということを。

 神は、あらゆるものを生み出し給いし御方(おかた)なれば、金銭もまた神の生み出されたもの。それゆえ、自らの生み出された金銭などを欲したりなどなされませぬ。

 ただ、人の思いを測る、目に見える指標(しるべ)として金銭を利用なさっておられるだけなのです。

 よろしいか、金銭という目に見えるものがあればこそ、人は、自分の信仰を示すための手立てを得ることができるのですから、金銭を差し出させるのは神の示された慈愛なのですぞ。

 ほれ、あのような幼子(おさなご)ですら銅貨を握りしめて列に並んでおる。目に見える、わかりやすい(かたち)がなければ、あのような幼児(ようじ)にどうやって(おのれ)の信仰の深さを示すことができましょうや」

「悪いけど、あなたの神なんて、信じてないから」

「な…、神を信じない、と?」

 伝教師の表情が硬くなる。この反応は予想していなかった、ということだろうか。あるいは、この里にいる者はみな従順な信徒。そう決めつけていたものか。マーヤーを紹介したのが宿の女将であったことも、そんな思い込みの一因だったかも知れない。

「神さまのことは知ってる。

 この世を創った神さま、世界を動かして存在させてる神さま。

 でも、永遠の地獄なんて言う神は、わたしは知らない」

「なるほど、その目で見なければ信じられないと?」

「見ても、きっと信じない……かな」

 いつの間にか、里の人々が2人に注目していた。

 その中にあって、宿の女将がはらはらした表情でマーヤーを見つめているのがわかる。

「どうしたのだ?」

 不穏な空気をかぎつけたのだろう、教団のリーダーらしい男が近づいてくる。

「司教様、ここに神を信じない、と言って憚らぬ者がおります。

 ただし、その……里の者ではないようで」

 司教、と呼ばれた男がつまらなさそうに、片手を振る。

「捨てておくがよい。

 死後に報いを受けるのはその者の勝手だ。

 神に帰順しない不届き者など、相手にするだけの価値もない」

 そんな言葉を聞いて、マーヤーが彼の前に進み出る。そして彼の顔を見据えて言った。

「あなたが、偉い人?」

「……む?」

 マーヤーに声をかけられ、司教がうるさそうに顔を顰める。そんな彼に向かい、もう一歩進み出てマーヤーは言った。

「なら、教えて。救世主って何?」

「何?」

「救世主教、よね?」


 馬鹿にしたような口調で言うマーヤーに向かい、司教が、そして救世主教団の面々が、ふん、と鼻で笑うのが見える。相手にしたくはないが、里の人々の手前、神の教理を説く機会を無にする(さま)は見せられない、というところか。あるいは、里の人々に教理を説く好機と見たものか。おもむろに司教が口を開く。

「聞かせてやろう。

 救世主とは、神と人との仲立ちをして、人が救われる道を作ってくださったお方だ。

 それだけではない。神に帰順するための、神へのとりなしをしてくださり、救世主にすべてを捧げる人の罪を、その身に背負い、身代わりとなってあがなってさえくださるのだ。

 何と偉大なことではないか。

 そして、救世主こそが死後の在り方をわれわれ人間に知らせ、罪を重ねることの恐ろしさを教えてくださった方なのだ。

 地獄に落ちるという真実を知ったからこそ、われわれは救いを求めることができるようになったのだ。

 自らが罪ある者であるとの自覚がなければ、罪をあがなう気持ちすら起きぬであろう。

 そう、(まさ)にお前のようにな。

 地獄に落ちてから悔いても、もう遅いのだ」

 強い口調で司教が言い、里の人々が思わず一歩引いて護符に手を触れる。しかし、マーヤーは軽い口調でそれに答えた。

「……地獄、ってこんなの?」

 マーヤーがそう言った瞬間、轟音とともに足元の地面が大きく裂ける。

 その奥には燃え盛る炎と、焼かれ、苦痛にうめく人や獣の姿があり、苦悶の声が聞こえる。

 驚愕した里の人々が悲鳴にも似た声を漏らす。そして司教の口からも。

「な、何だと……!」

「どうなの?

 ……自分で入って確かめてみる?」

 マーヤーが指さすと、地鳴りとともに裂け目がより大きく開かれ、近くによれないほどの熱気があふれ出してくる。

「い、いや……。確かにこれが地獄…」

 あえぐように言う司教の顔に浮かぶ汗は、熱気によるものだけではない。

「神様を信じてるんでしょ? ……どうにかしてみたら?」

 裂け目から炎が少しずつ外へ出てくるのがみえる。それとともに、流れ出る熱気も増し、暑さは耐えがたいほどになる。そして、地割れの中から、炎とともに、焼かれる亡者たちが地上へ這い出そうとするのが見えた。


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