飢餓の里(6)
マーヤーは、ジャネットを凄腕の魔法使いだと紹介した。一廉以上の冒険者たちが束になってもかなわないほどの天才魔法使いだと。ジャネットが魔法を使って暴れ回れば、いなくなった冒険者たちよりも効果的に村人の目を集め、脅威を感じさせることができる。そう聞いてカラウナーは半信半疑の様子だったが、ドルマルクの方は深くうなずいて肯定の意を示していた。
「…わかってるよね、ジャネット?」
「…拒否する選択肢はない、ってことね」
不承不承、ジャネットがうなずく。ジャネットのことはわかっている、とドルマルクの目が告げている。
「その方が優秀な魔法使いであるなら、そちらの少女は…?」
ドルマルクが訊く。しばらく考えたマーヤーは、エリザにかけた魔法を解いた。
「…エリザ?」
さほど驚いた様子もなく、ドルマルクが言う。
「カラウナー卿、この子の身柄を引き受けていただけますか」
「…閣下の仰せとあれば」
「道中で行き会った少女です。何やら事情があるようなのでかくまっていました。貴君の庇護の元にあれば、何の憂いもないことと思います」
そう言ってマーヤーはドルマルクの方へ目をやる。
「御意、カラウナー様の元なれば、何者にも脅かされることはありますまい」
「両親を亡くした身寄りのない子です。決して不自由な思いをさせことのありませぬように」
「御意のままに」
重ねて言うマーヤーに、カラウナーが深々とうなずく。
「実に閣下は思慮深くあらせられる。この子はこれで安泰でありましょう」
ドルマルクが静かにそう告げた。
ジャネットが村人の前に姿を現わすのは、3日後のことと打ち合わせられ、それまでの間、マーヤーとジャネットはドルマルクの営む宿屋に身を隠すこととなった。
村の人々に、それとなく姿を見せ、羽振りの良さを見せ、反感を植え付ける。そうして人々の怒りがつのった頃を見計らって、ジャネットが村と、領主の敵として姿を現わす、というのがマーヤーたちの考えたシナリオだった。そして、そんなジャネットを討つのは、カラウナーの兵とマーヤーだった。マーヤーは、自分にも魔法の心得がある、とカラウナーに告げたのだった。
ジャネットをすぐに退治せずに、しばらく村で暴れ回らせることも考えたが、それはやめた方がいい、ということになった。1人でできることには限りがあるし、長引けば、マーヤーとの関係がばれる恐れもあったからだ。それよりは、悪評を流しておいて、一気に討つ方がいい、ということになったのだ。
当然のことながら、それを聞いたジャネットは渋い顔をした。
「ってことは、わたし1人が悪役なのよね。ずいぶん損な役回り。何か、うまく売られた気分だわ」
「何言ってるの、元はと言えば、自分の蒔いた種でしょ」
「それを言われればそうだけど」
そう言いながら、マーヤーは別のことを考えていた。
いつかは実行に移そうと思っていたことだった。
(そう。これが好機…)
ジャネットに言うことはできない。彼女に知られないように事を運ばなければ。そんな密かな思いを、マーヤーは一人、胸に秘めていた。
話を終え、マーヤーとジャネットは、こぎれいな客間に通された。エリザは2人と別れ、カラウナーの召使いにどこかへ連れられていく。それを見送り、2人だけになった途端、ジャネットがマーヤーを質問攻めにする。
「さあ、きちんと話してもらうわよ?」
「え? …って、何のことかな…」
「ごまかそうなんて思わないわよね?」
そう言って、ジャネットは1本ずつ指を立てていく。
「まず…、どうして、領主がマーヤーに会ってくれたのか」
「う、うん、そうね」
それから、とジャネットが2本目の指を立てる。
「なんなの? 閣下、って。ドルマルクもそうだけど、領主にまであんな呼び方されるなんて、普通じゃない、ってわかるわよ?」
「ま、まあ、そういうこともあるのかなー、って」
「まだあるわ。マーヤーを下にも置かないあの態度。あまつさえ、御意、って一体どこから出てくる言葉なの。まるで、あの2人、マーヤーの家来みたいな様子じゃない」
「あ、あはは…」
ばん! とジャネットがテーブルを拳で叩く。
「笑ってごまかさない!」
そうジャネットが言ったときだった。勢いよく扉が開き、部屋の前に立っていた警護の兵が中へ入ってくる。
「…どうなさいました、何か問題でも?」
その剣幕にジャネットが言葉を失う。兵たちの視線は、守るのはマーヤーで、排除するなら、それはジャネットだ、とはっきり告げている。
「あ、何でもないよ?」
のんびりとした口調でマーヤーが言う。
「ジャネットの言葉癖…いつものこと。だから、気にしないで?」
そう言われ、はっ、と敬礼して兵たちは静かに部屋を出て行った。唖然とした顔で、ジャネットがそれを見送る。
「ごめんね、ジャネット」
すっかり毒気を抜かれた様子のジャネットにマーヤーが言う。口元にかすかな笑みを浮かべて。
「本当のところは、わたしもよく知らない」
ぽかんとした顔でジャネットがマーヤーを見つめる。
「でもね、どうやら、わたしの身内に貴族がいるみたいなの、って、そんな話…信じる?」
「信じるも何も…」
マーヤーがくすり、と笑う。
「狐につままれたみたいな顔だよ?」
「当たり前でしょ! でたらめな魔法の天才が、今度は、お貴族様ですって? 宮廷魔法使いの弟子までは素直に納得するわよ? でも、貴族だなんて。…あ、いや、だから宮廷魔法使いが先生になった?」
「知らないの、わたしも。…だってよ? 本当に貴族なら、こんなふうに旅をしてるなんて、あり得ないと思わない?」
はあ、とジャネットがため息をつく。
「知らないわよ、マーヤーなら、何でもありだから。つまり、こういうこと? マーヤーは自分でも知らないくせに、すごく偉い貴族で、だから、ここの領主が頭を下げる、って」
「一言で言えば、ね。…そういうの、嫌い?」
「そういう話じゃないでしょ! マーヤーのことをマーヤーも知らない、ってそんなのおかしくない? そもそも、領主に会おうとした、ってことは、マーヤーは自分がずいぶん偉い貴族だって知ってたわけでしょ?」
そういって、ぴしり、と指先をマーヤーに向ける。
「うん、そう」
うなずくマーヤーに、ジャネットが追求を続ける。
「だったら、知らないなんて、そんなはずないわよね。…さあ、何もかもすっかり白状してごらんな? わたしがちゃんと聴いててあげるから」
かなわないな、と思いながら、マーヤーの目がまっすぐにジャネットの目を見る。
「じゃあ、言うよ?」
「じゃあ、聴くよ?」
ああ、とマーヤーが肩の力を抜いて、少し微笑む。
「わたしは、家から出された…らしいの」
「何なの、らしい、って?」
「本当に知らないんだよ、物心つく前のことだから」
「え? あ、そういうこと?」
少し青ざめて訊くジャネットにマーヤがうなずく。
「小さいときから御師様と暮らしてて、御師様に引き取られる前のことは何も知らない。御師様のいない暮らしの記憶は、わたしにはないの」
「…ごめん、嫌なこと訊いちゃった?」
少し気まずそうに言うジャネットに、ううん、とマーヤーが首を振る。
「気にしてない。人に聞くまで、わたしも知らなかったことだもの」
「人に…、って、マーヤーの先生によね?」
「違うよ。…世を捨てた不思議な人」
「不思議? …マーヤーより不思議な人なんて、この世にいるのかしら?」
世の中は広いんだよ、とマーヤーが言う。
「この世の出来事を何でも覚えてる人。未来も、過去も」
へえ、と目を丸くするジャネットに、マーヤーは言葉を続ける。本当のことを言っても信じてくれないだろうな、と思いながら、しかし、隠し事はしないことにする。
「生まれ変わりの…今までの輪廻転生の記憶を全部持ってる人。その人は、御師様の何回目かの生まれ変わりで、だから、御師様のこと――自分の過去を覚えてた」
「輪廻の記憶…、それで未来を覚えてる? そんなのおかしくない? 記憶、って過去の思い出でしょ?」
「死んだ後、過去に生まれ変わることもあるんだって」
「…なにそれ、わけ、わかんないわよ」
「だから、未来のことも、前世の思い出。人間だったときや、動物、草や木々、時には神様にも生まれ変わったんだ、って」
「生まれ変わりなんて…、人が人にならともかく、動物や植物に? その上、神様?」
やめてよね、とジャネットが肩をすくめ、両手を広げてみせる。
「マーヤー、それ、本当に信じてる?」
「信じて、っていうか…その人は、私の過去も未来も言い当てたから」
もういいわ、とジャネットがぷるぷると首を振る。
「要するに、マーヤーは、生まれてすぐにマーヤーの先生に預けられてて、自分の生まれを何も知らなかった、ってそういうことなのね?」
「そうだよ?」
はあ、と、あきれたような声を出した後、ジャネットはマーヤーに向き直る。
「でも、それを人に聞いたから…、だったらマーヤーは、自分が何者なのか、今は知ってるのね?」
「…うん、知ってる」
そう答えたマーヤーは、ジャネットがそれを訊いてくるのではないか、と身構えた。
「聞きたい? …もしかしたら、とんでもない大物かもよ?」
だが、ジャネットの口からマーヤーの懸念した問いは出てこなかった。
「は! いまさらでしょ、そんなの。マーヤーには、驚き馴れてて、もう、何が出てきたって何とも思やしないから。たとえ皇帝陛下の隠し子だ、って言われても信じてあげるわよ」
放り出すように言うジャネットに、マーヤーは、ふっ、と息を漏らす。もし、父の名を言ったらジャネットはどんな顔をするだろうか。ふとそんな思いがよぎるが、その名を出すことは、もちろんしない。もっとも、その名を出してもジャネットに感銘を与えたりはしないだろうし、それで、ジャネットのマーヤーに対する態度が変わることも、ない。そうマーヤーは確信していた。
翌日。エリザと別れたマーヤーとジャネットは宿を移っていた。村の中央近くにある、大きな宿屋。ドルマルクの経営する店だという。1階にある酒場も、リアークの使っていたものより大きく、カラウナーがたまに訪れるほどのものだった。どんな伝手を使っているのか、食料の乏しい今も、ここにはまだ十分な食材があり、値段は馬鹿にならないが、望めばたっぷりとした量の贅沢な食事をすることができた。
他に客はおらず、貸し切り状態の中、ジャネットは普段よりも奮発して料理を注文していた。
「ずいぶん、ごちそうね」
半ばあきれたようにマーヤが言うのに、ジャネットは楽しそうに答える。
「うん、お祝いなの」
「お祝い? …なんの?」
「あなたが手に入ったことのお祝い」
「…どういうこと?」
ジャネットの吐いた不穏な言葉に、マーヤーの顔色が変わる。
「マーヤーが、わたしから離れられないようになったから。…そんな気がしない?」
「え?! …もしかして、これに、何か入れた?」
既に口をつけてしまった料理を見てマーヤーが言う。そんなはずのないことはわかっている。それに、同じ皿から、ジャネットも食べているのだから。
「まさか。そんなことしたって、マーヤーはすぐに気づくでしょ?」
ジャネットはにこやかに笑って言った。
「だから、そんなことしない。…でもね、わたし、呪術も知ってるの」
「呪術…」
ジャネットの魔法のレパートリーが広いのは知っている。が、呪術というのは初めて聞いたことだ。
「そう。プレイボーイがガールフレンドを誘うときに使う呪術。テーブルの裏に、呪文を書いておくの」
「え…?」
「からだ、熱くない?」
含み笑いをしながら、ジャネットが言う。そう言われれば、なんだかいつもと感じが違っている気がする。
(え? …嘘、なんだか火照ってきてる?)
何か頭がぼんやりとして、めまいがする。それと同時に、真綿にくるまれるような眠気を感じる。思わず額に手をやったマーヤーを見て、ジャネットが微笑む。
「そうね、早めに休んだほうがいいわよ? 肩、貸してあげる」
食事を中止して、抱えられるようにして、ジャネットに連れられてマーヤーは部屋へ戻った。
何かおかしい、そう思うが、思考がはっきりしない。いつものように、はっきりとものを考えられない。目は見え、耳もちゃんと聞こえている。そのはずなのに、視界がぼやけたように、あたりの様子が目に入らず、ジャネットの囁き声も、聞こえはしても言葉の意味がわからない。
「マーヤー。かわいいマーヤー」
名前を呼ばれている。返事をしなきゃ…、と心のどこかが考えているが、思考がまとまらない。
「わたしが、マーヤーを食べてあげる…」
そんな声が聞こえたと思ったのは気のせいだっただろうか。そのまま、マーヤーは気が遠くなっていった。
朝、目を覚ますと、ジャネットが、絞ったタオルでマーヤーの身体を拭いていた
「あ、目が覚めたんだ」
マーヤーの目の前にジャネットの顔がある。身体が重く、だるい。
「え、わたし、どうしたの? …はだか?」
「ものすごく汗かいてたから。拭いてあげているの」
腕。首。胸から腹、腰へとジャネットの手がマーヤーの身体の上を動いていく。
「え…?」
ジャネットが何を言っているかわからないまま、マーヤーは彼女のするがままに任せていた。
「覚えてない、でしょ?」
覚えて…、って、何を? ぼんやりとした意識の中で、のろのろとそんな思いが浮かんでくる。ジャネットは何を言っているのだろう?
「うふふ、そういう術なの」
そういう術? 何の術? …なにがあったの?
「ずいぶん、かわいかったわよ」
「そ、それって、一体…」
かろうじて、それだけを口にする。そう言いながら、自分が何を言っているのか、よくわかっていない。半ば無意識のうちに、言葉だけが口から出ている。
「あなた、処女じゃなかったのね」
「ど、どうして、そんな…」
なに…なにを言ってるの? そんな思いは、ジャネットに遮られた。マーヤーのはだかの胸にジャネットが手を触れる。なぜか、いやではない。
「いい顔、するようになったわね」
ジャネットの頬がマーヤーの頬に触れた。
「え、ええ?!」
叫んだつもりでも、かすれた声しか出てこない。開いた口に、ジャネットの指が触れる。唇の輪郭を、その指先がなぞっていく。
「あなたを、もらうわね」
なにを?…と開きかけた口が、ジャネットの唇で押さえ込まれる。知らないうちに、マーヤーは目を閉じていた。
体の一番柔らかいところに手が触れられ、足を絡ませてくる。無意識のうちに、それにあらがおうとするマーヤー。その一方で、ふわりとした眠気の中で、それを受け入れているマーヤーがいた。
「マーヤー。わたしのマーヤー」
首を抱かれ、、頬ずりされる。強く抱きしめられて、ジャネットの胸にマーヤーの顔が埋まる。
「好きよ、マーヤー」
どこか遠くで、誰かの声がする。聞き慣れた声。その声の主を思い出せない。耳に入ってくる声だけが、意識の中のすべて。何の思いもわいてこない。身体に感じる感覚だけがマーヤーの心に満ちている。
「愛しているわ…」
薄れかけていく意識の中で、されるがままになりながら、マーヤーはジャネットの声を聞いていた。
どれだけの時間が過ぎたのか。
それとも、数回息を吸って吐いただけの時間だったのか。
時という概念が意識から消え、ただ、身体の感覚だけが拡大されている。
全身が、自分の意思に反し、けいれんするようにピクピクと動く。
寒さではない。しかし、ゾクゾクする感覚。
知らないうちに、足の指が、まるで握りしめでもするように内側に曲がる。
体の感覚に身を任せたまま、意識が真っ白な闇に溶けていく。
深い眠りの中に、マーヤーの心はとろけていた。
気が付いたとき、あたりは真っ暗だった。
マーヤーの肩に手をかけて、ジャネットは静かな寝息を立てていた。
(一体何があったんだっけ…?)
次第に意識がはっきりしてくる。
呪術、という言葉が記憶の中によみがえってくる。
今思えば、とても妖艶な顔をしていたジャネット。獲物を捕まえた猫のような目のジャネット。ごちそうを前に、舌なめずりするジャネットの顔。暗闇の中ではっきり見えないジャネットの顔の代わりに、そんなイメージが浮かんでは消える。
肩に掛かっている手だけでなく、全身に触れたジャネットの手の感覚がよみがえってくる。それを好ましく感じた自分。そして、今も、ジャネットの手を払いのけようと思わない自分。
静かに呼吸を整える。
冷たい夜気のような、冷静な思考が戻ってくる。
感情を切り離し、冷静に状況を分析できるようになる。
ジャネットが掛けたのは、愛の――性愛の呪術だ。ジャネットが自身で言っていた言葉そのままだ。そして、その効果のほどは、マーヤーが身をもって知ったとおりだ。
ここまでされた以上、もう彼女と一緒にいることはできない。いつかは実行に移そうと思っていたこと。それを、もうためらっていはいられない。
でも、今は、まだ、だめ。
機会を待つのだ。そうマーヤーは自分に言い聞かせた。




