飢餓の里(3)
エリザの案内で、マーヤーたちは村に宿を取った。6人は入れる大部屋だが、無理を言って3人だけにしてもらう。他の客と同室になって、エリザの正体がばれないように、との配慮だ。宿の主人は、普通の5倍もの代金を要求し、ジャネットはぶつぶつ言いながらもそれを呑んだのだった。
「全く頭にくるわね、あの親爺ったら、人の足下見てさ」
「見られるような足をしてるのが問題だと思う」
悪かったわね、とジャネットはふくれてみせる。
「わたしの御御足は、とってもきれいなんだから。たっぷりと拝みなさい」
そういって、スカートをたくし上げてみせるジャネットを、はいはい、と軽くいなす。
「それよりジャネット、これからどうするつもり?」
「ん? …そうね、まずは何か食べに行きましょうか」
「そういう意味じゃなくって…」
わかってる、とうなずきながらジャネットが言う。
「わたしの勘じゃ、あの連中、またやってくるわね。だから、目についてあげなくちゃ」
え、とマーヤーが目を丸くする。
「当たり前じゃない。さっさと片付けなくちゃ、落ち着かなくてしょうがないわよ。宿にいるところを見つかって襲われたりしたら、動きが取れないし、他の人に迷惑掛かるし、で、いいとこなしじゃない。だから、広いところで相手しなくちゃでしょ」
「ああ、そういうこと…」
ジャネットの言わんとすることを理解して、マーヤーはうなずいた。
「今度来るなら、もっと人数そろえるか、でなきゃ、腕の立つ奴を連れてくるでしょうね。家屋敷手放して、まだ返しきれないような大金なのよ? 簡単に諦めてくれるわけないじゃない。放っておいたら、どんどん大事になっていくわよ」
「さっきと言ってること、違うよね?」
「あれから時間が過ぎたからね。事態はどんどん移り変わっていくものよ?」
「まあ、確かにね」
「エリザは、もういないから、奴らが狙ってくるなら、わたしたちよね。で、わたしたちがお金持ってるなんて、誰も思わないはずだから、せめて、お金を取り損ねた腹いせに、殺すなり、捕まえるなりしようと思うでしょ。どうせ、出張ってきてるのは金を貸した奴の使用人かなんかよ。おめおめと引き下がったりしたら、自分の身が危ないってわかってるから、絶対わたしたちを探してる」
確かにそうに違いない。ジャネットの言うことは間違っていない。
「わかったら、出かけるわよ。逃げも隠れもしないわよ」
意気込んで言うジャネットに、エリザがおずおずと尋ねる。
「あの、わたしはどうしたら…」
「一緒に来るのに決まってるじゃない。ご飯食べに行くんだから。…それとも、一食抜くつもり? …心配なんかいらない、って。あなたのことはマーヤーが守ってくれるから」
ジャネットとマーヤーを交互に見つめてエリザが口ごもる。
「それに、あなたがエリザだなんて、誰も思わないしね」
外へ出ると、既に日は西に傾きかけ、冬の風が冷たく吹き付けてくる。往来に人影はまばらで、誰の顔にも生気がない。出会う人は皆やつれた様子で、ただ目だけが奇妙な光を宿している。
周囲へ目をやれば、畑には緑がない。麦の種がまかれた様子がなく、野菜も植えられた様子がない。その様子を見てエリザが顔を曇らせる。
「凶作、って話だったわね。この分じゃ、秋まきの作物もだめみたいね」
ジャネットの言葉にエリザがうつむく。
「ほら、いちいち気にしてない。人に見られたら怪しまれちゃうでしょ」
「は、はい…」
蚊の鳴くような声で答えてエリザが顔を上げる。だが、その足取りは重い。
「凶作、っていってもこのあたりだけの話でしょ。お金さえ出せば、他のところから食料は買えるはずよね? だったら村が全滅、なんてことにはならないでしょ」
「それは、領主次第だよ?」
「ああ、そうか。じゃ、立派な御領主様の善政に期待しましょ。…って、村には金持ちもいるんでしょ?」
「そういう人は、きっと、この飢饉を利用して儲けることを考える、多分」
それが人間というものだ。他人のために私財を投げ打つ程の人徳者よりも、少しでも自分の利益を追うものの方が多い。是非を論じても仕方のないこと――単なる事実だ。
そうすることで競い合い、力のあるものが台頭して、国を支えてきたのだから。生き残る力のあるものだけが生き残って、人という種族を存続させてきたのだから。
生き残る力のないものを見捨てまいとすれば、それは重い荷になる。その重さに耐えられるものは少なく、進んで重さに耐えようとするものはさらに少ない。人という種族が、人の作る国が力のないものを支える力をつけない限り、力のないものは消えていくほかはない。
そうした業が、人を来世に導き、途切れぬ輪廻を繰り返す因となるのだ、とも知れば、それは、すべての有情をこの世に存続させる力でもあると悟らされる。
「暗いなあ、マーヤーは」
顰めた顔に、無理に笑いを浮かべてジャネットが言う。
「きっとわたしが明るくしてあげるから、ね?」
「何、それ…?」
ううん、とジャネットが笑う。
3人がエリザに聞いて入ったのは、村の中央広場の側にある酒場だった。夕食にはまだ早い時間だが、中には冒険者とおぼしき5人連れがいた。それと一緒に、あの、リアークも。
「…いるよ?」
「うん、いるわね」
開いた入り口に目を向けたリアークの表情が変わる。冒険者たちに、二言三言何か言うのが聞こえる。ゆっくりと冒険者たちが立ち上がるのが見えた。
「ああ、うん、やっぱりね。そうこなくちゃ!」
満足げに笑うジャネットに、エリザは不安を隠そうとしない。その一方で、ああ、また…、とマーヤーはあきれ顔で見つめるだけだ。
「わたしたちに用がありそうね? だったら、表で聞きましょうか」
そう言い放つと、ジャネットはさっさと酒場から外に出る。マーヤーとエリザもそれに続く。道筋に人が少ないとは言っても、ここが村の中央である以上、人目につかないわけはない。
広場の真ん中に出たところで、ジャネットは冒険者たちに相対した。剣士が3人、長弓の射手が1人、残る1人は聖職者だろうか。少し離れて、リアークがその後ろに立つ。
「つまり、あなたたちはその男に雇われた、ってことでいいのかしら?」
冒険者たちを1人1人、値踏みするように眺めながらジャネットが言う。そう言いながらジャネットはマーヤーとエリザから少しずつ距離を取る。
「そうとも、今度は今までみたいにはいかんぞ。こいつらは腕利きだ。お前の魔法なんか物の数ではないからな」
「…ふうん、そうなんだ」
肉食獣が舌なめずりするような表情を浮かべてジャネットが言う。
「マーヤー、手出ししないでよ?」
楽しそうに言うジャネットに、マーヤーはうんざりした気持ちを抑えられない。こうなってはマーヤーが何を言っても止まるジャネットではない。マントをはだけて背中にはねあげ、ジャネットは1歩進み出た。
同時に、冒険者たちもジャネットの前に広がって、戦闘隊形を組む。長剣を構えた戦士は前に、弓手と聖職者らしき男は後方に下がる。
「うん、なかなか出来そうじゃない。…うれしいわ」
そういった瞬間、ジャネットの姿が、ゆらり、と揺らめいたように見えた。が、それだけだ。特に何かが変わったようには見えない。
3人の戦士が一斉に斬りかかってくる。鋭い太刀筋をかわす暇はない。次々と剣士たちの剣がジャネットを正面から貫き、袈裟懸けに斬りつけ、首を水平に薙ぎ払う。
「あー、始まっちゃったよ…」
おびえるエリザを守りながら、マーヤーはそっとその場を離れる。
ジャネットの実力はわかっている。人間相手に本気を出したら幻術師は無敵、と言ってはばからないジャネットの魔法は、目の前の冒険者たちの到底及ぶところではない。
(しばらく見物…、じゃない、見学、しようかな)
先制したはずの戦士たちの剣は、いずれも空しく空を切っていた。必殺のはずの一撃をかわされた彼等の顔に驚愕が浮かぶ。ジャネットは彼等の剣撃をよけるどころか、その場から一歩も動いていないのだ。
にこり、とジャネットが微笑み、高々と右手を上げる。ゆっくりとその手が振り下ろされ、真ん中にいた戦士の胸を指さす。同時に、ジャネットの口から短い呪文が漏れ、指さされた戦士が、がっくりと膝を折ってその場に崩れた。
「まず、ひとり」
弾んだ声でジャネットが言った。それを合図にしたように、残りの2人が再び斬りつけてくるが、今度も彼等の剣は空しく空を切るばかりだった。
必死に剣を振るう戦士たちにはわからないことだが、マーヤーの目にははっきりと見えていた。戦士たちは、ジャネットを狙うつもりで、その脇の、何もない空間を狙って剣を振るい続けているのだ。ジャネットの魔法で、ジャネットのいる場所を間違って認識させられた彼等の攻撃は、決してジャネットには当たらない。誤った場所を狙う以上、腕が確かな程、その攻撃は無駄になるばかりだ。
同じように、後ろから弓手の射た矢も、ジャネットをそれて、あさっての方向に飛んでいく。次にジャネットが狙ったのは、その射手だった。聖職者の隣で、弓手の顔から表情が消え、ゆっくりとその場に倒れる。
「ふた~り」
楽しそうに言うジャネットは、まるでネズミをいたぶる猫のようだ。弓手の隣にいた聖職者が慌てて助け起こすが、弓手は目の焦点が合わず、ぶつぶつと何事かをつぶやくばかりで正気に戻る様子はない。聖職者が神に祈るのが見える。法術で、弓手の正気を取り戻させようとしているのだろうが、それが効果を生む前に、聖職者もその場に倒れる。
「あと、ふたり」
ジャネットが、2人の戦士に交互に視線を向ける。次の獲物を選んでいるのだ、と知って戦士たちが焦って斬りつけてくるが、それも無駄な抵抗だった。たちまちのうちに1人が倒れ、残りは1人だけとなる。
「あなたで、最後。…あんな奴に雇われたのが不運だったわね」
そうジャネットが言ったとき、最後の戦士の緊張は極限に達した。
「く、来るなぁ!」
目をつぶり、狙いもつけずに滅茶苦茶に剣を振り回す。かえってそれが功を奏した。剣の切っ先が偶然にジャネットの腕に触れたのだ。
「あ、痛っ…」
ジャネットの顔に苦痛の表情が浮かぶ。ほんの掠り傷だが、それがジャネットのプライドを深く傷つける。
僥倖に驚いたのは戦士も同じだった。今が好機と、目を見開き、猛然とジャネットに斬りかかってくる。しかし、狙って振るわれた剣は決してジャネットに触れることはない。
「よくもやったわね…」
ジャネットの顔から笑みが消えた。次の瞬間、一抱えもある巨大な火球が戦士の身体を包み込んでいた。幻影ではない、本物の炎だ。燃え上がり、断末魔の叫びを上げながら、数歩歩いてその場に倒れる。既にそれは黒焦げの死体だった。
「ジャネット!」
今までマーヤーが黙って見ていたのは、ジャネットが実際には誰の命も奪っていないのを知っていたからだ。あからさまな実力差のため、冒険者たちを殺す必要がなかったのだ。だが、今のジャネットは殺気の塊だった。
「殺しては、だめ!」
マーヤーの声は、しかし、ジャネットに届いていない。マーヤーが何かしようとするより早く、ジャネットの火球は、残る4人の冒険者たちの命を奪い去っていた。
「ジャネット…」
マーヤーを無視して、ジャネットの目がリアークに向けられる。腰が抜けたようにその場に倒れた彼は、歯の根も合わない様子で、只々ジャネットを見つめるばかりだ。彼の尻の下には湯気を上げる水たまりができている。
「あなたは殺さない」
冷たく言い放つジャネットの言葉に、しかし、リアークの表情に安堵はない。
「ご主人様に役目の失敗を報告しなきゃね? で、二度とわたしたちに手を出さないでくれるわね」
リアークは、がくがくとうなずくのがやっとだった。
「今度何かしたら、あなたの雇い主がどうなっても知らないからね?」
行きなさい、と言われ、文字通り這うようにして逃げ去ろうとするリアークに一瞥をくれると、ジャネットはマーヤーに目を向けた。
「ひとまず、これでいいかしら。…ちょっとイラッとしちゃった。やっぱり油断は大敵ね」
そう言って挙げた右手には、剣のかすめたところに血がにじんでいる。
「無我夢中の死に物狂い、って、本当に恐ろしいわ。肝に銘じておかなきゃね」
位置錯誤の魔法は、腕の未熟な相手にはかえって逆効果になることもある。相手の腕を買いかぶりすぎて失敗したのだ、とジャネットは言った。得々とそんな話をするジャネットは、相手の命を奪ったことなど毛ほども気にしていないのがわかる。意見をしても無駄だろう、とマーヤーは諦めた。価値観、死生観の違いは埋めようもないのだ。
そう思って、逃げ去るリアークの方を見やったマーヤーは、そこに、あの男の姿を見た。街道で出会って、村でいつの間にか姿をくらましていたあの男だ。
無我夢中で駈けだそうとしたリアークの前に、いきなり男は姿を現わしたのだ。
「おっと、リアークの旦那、わしのことも覚えておいてくれねえかナ」
リアークが顔を上げると、いつの間に現れたのか、そこにはでっぷりと太った男がいた。下唇の印象的な、下品なた男だ。
「わしも、あの姉ちゃんたちの仲間なんでなァ、下手に手ェ出すと、火傷する、ってことをサ」
壊れた人形のように何度もうなずくと、リアークは這々の体でその場を立ち去った。
その様子を見たマーヤーは、ジャネットに目配せする。
「何なの、あいつ。一体どこから出てきたのよ」
2人の視線を感じて、男が両手を広げ、ゆっくりと近寄ってくる。
「やあやあ、またお会いしましたなァ」
にたにたと笑いながら、甲高い声を響かせて言う。
「わたしたちに、一体、何の用があるのかしら? わたし、今日は機嫌のよくない日なの。よーく考えて返事をした方が身のためよ」
「おおっと、そんなにツンケンしなさんな、って。別に人に迷惑かけるような真似はしねェからよゥ」
そんな言葉を、ジャネットは鼻で一蹴する。
「おお、怖! そんなに凄まねえでくれよゥ。わしは、ウィーゼルオックス、って者だ。是非によろしくお願えしてえんだがナ」
「ウィーゼルオックス? 盗人のギルドネームかしら? ケチなこそ泥か、さもなきゃペテン師ってとこよね、きっと。あいつに何か言ってたとこ見ると、どうせあんたも借金背負った身なんでしょ」
「ああ、いやぁ、まあ、その、何だナ…」
「命のある内に、さっさと消えて? でないと、手加減しないわ。十数える間だけ待ってあげる」
「お、おい、いくら何でもお前…」
ウィーゼルオックスはまだぐずぐす言っていたが、
「…1、…2、3、4! 5! 6!」
ジャネットが数を数え始めたのを聞いて、慌てて背を向ける。数が増えるごとに、ジャネットのカウントのテンポが上がっていくのを知って、ウィーゼルオックスは雲を霞と逃げ出した。
「全くイライラするわね、ああいうのって」
これにはマーヤーも黙ってうなずくばかりだった。
「あの様子じゃ、ずっと見てたね、ジャネットの戦いを」
「でしょうね。で、後からやってきて、うまい汁だけ吸っていく、って、わたし、ああいう奴、大っ嫌い」
「わたしも」
ジャネットとマーヤーが、口々に吐き捨てるように言う。既にウィーゼルオックスの姿はないが、しかし、どこに身を潜めて様子をうかがっていないとも限らない。決して好意の持てる相手ではないものの、シーフの技倆は見くびることができないとわかっていた。




