飢餓の里(2)
「最悪ね…」
天を仰ぐようにしてジャネットが言う。
借金がある以上、どうしようもない。
殺したり傷つけたりするのでない限り、人の身を売ることよりも、金を返さないことの方が深い罪と見なされるのが普通だ。
自分のした約束も守れないのは、人として最低限の務めも果たせないものとして、どれほど軽蔑されても仕方がない、というのが広く認められた良識で、それを覆して許しを与えることは、神々にもできない。たとえ、神々が許そうとしてても、刻まれた業は別の形でいずれ顕現し、報いをもたらすのだから。
人間を売買することは、その地の領主にもよるが、必ずしも違法というわけではない。食うに困った者が、自ら奴隷に落ちることもさほど珍しいことでもないし、追い詰められた者が生きるために娼館で働くのもよくあることだ。
むしろ、奴隷にまで落ちない分、娼館の方が幾分ましですらある。娼館なら――契約にもよるが――自分の意思でいつでも抜けられるからだ。――もっとも、エリザの場合は、金貸しが頑張っていて、勝手に逃げ出すことはできないのだろうが。
「これじゃ悪いのはわたしたちじゃない。ああ、参ったな!」
「のこのこと村へ行ったら、捕まるのはわたしたちね」
そんな2人の言葉をエリザが不安げに聞いている。
「だからって、今さら見捨てたりなんかできないでしょ? そうよね、マーヤー?」
それに答えたのは、しかし、別の声だった。
「そうとも、お前は正しいぜ」
野太い、しかしどこか甲高い声。振り返ると、そこに1人の太った男が立っていた。
くすんだ緑のマント。まるで、ほこりにまみれているかのように見えるがそうではなく、地色だとわかる。はげ上がり、まばらに髪の生えた頭。とろんとした二重まぶたの目。受け口ではないが、よく目立つ分厚い下唇が印象に残る。
「何よ、あんた、一体何者?」
不機嫌そうにジャネットが言った。
うさんくさそうな男だ。そう思うその一方で、マーヤーは、男がいつの間に現れたのか、どうしてこんな近くに来るまで気付かなかったのか不審に思う。
「そっちのあんたとは初めてだナ。だが」そう言って男はマーヤーの方を向いた。
「お前さんとは、一度会ってる」
「わたしと…?」
「ああ、リスミスの街でな。あのときはお前さんのおかげで命拾いしたぜ。今さらだが、礼を言っとくぜィ」
リスミス? 記憶をたどったマーヤーは、それが、ルー・シャネラーを崇めていた街だったと思いいたる。裁判で有罪になり、あの日に処刑されることになっていたのは全部で5人。その内の3人はマーヤーの前に刑を執行されて命を落とし、4人目がマーヤーだった。残る1人の刑の執行がどうなったのか、マーヤーは気にもしていなかったが、そう言えば、目の前にいるこの男がその5人目だった気がする。
「何、マーヤーの知ってる人?」
「違うよ? ただの行きずりの…、犯罪者」
「おっと、言ってくれるじゃないか。一緒に処刑されるところだったくせによォ」
マーヤーの言葉尻を聞き咎めて男が言う。それに反応したのはジャネットだった。興味津々、といった様子で顔を近づけてくる。
「処刑、って、マーヤー、あなた、何をしでかしたの?」
「何もしてない。…身を守っただけ」
「ああ、なるほど、身を守ったのね」
うんうんとうなずくジャネットに、マーヤーは言い返す。
「あなたの思ってるようなことじゃないからね、ジャネット?」
「…って、どんなことなのかな?」
にっこりと笑って訊いてくるジャネットが小憎らしい。マーヤーはぶんぶんと首を振った。
「そんなことより、この悪者でしょ? …わたしたちに何の用なの」
「なァーに、ちっと話が聞こえてきたもんで、っとナ」
ひひひ、と目を細め、下卑た笑いを浮かべながら男が言うのを聞いて、マーヤーとジャネットが一歩後ろに下がる。
「おっと、そんな邪険にしなさんな、って。別に、悪いつもりじゃねえんだからさァ」
そういって近寄ろうとする男を無視し、エリザを促すとマーヤーとジャネットは足早に歩き始めた。
「やだねェ、何ともつれないんでやがる」
そういって肩をすくめながら、それでも男は付かず離れず、3人の後を着いてくる。
いつしか、マーヤーたちは村の入り口にたどり着いていた。
「ここが、エリザの村?」
ジャネットの問いに、エリザが小さく震えながらうなずく。
「怖がらなくていいわよ、わたしたちがついてる。心配することなんて、何もないからね?」
そんなジャネットの言葉を聞いて、よけい不安になるのはマーヤーの方だった。
「一体どうするつもり? 村に来たら、エリザを追ってきた奴らに出くわすよ?」
「そうね」
「そうね、って…ジャネット、変なこと考えてたりしないよね? 借金抱えてる以上、変なことしたら、悪いのはこっちになっちゃうから」
「何だって、借金?」
そういったのは、あの男だった。
「そんなもの、真面目に返す奴の気が知れないねェ。金は天下の回りものだぜィ」
両掌を90度ずらして握り合わせながら、胸の前で振る姿は、何とも浅ましげだ。
「いいかィ、借金なんてもんはだなァ、踏み倒すためにあるんだぜ、っとくらァ。わしに言わせりゃ、人に金なんて貸す方が馬鹿なのさ。でもって、そいつを返そうなんて思ってる奴の気こそ、知れないねェ」
「な、なんてこというのよ、こんな往来の真ん中で…!」
聞いているジャネットの方が慌てる程、男の言うことはとんでもなかった。そんな様子を意に介さず、男は続ける。
「そっちの嬢ちゃんかョ、借金背負ってる、てェのはサ」
目を向けられて、エリザが慌ててマーヤーの後ろに隠れる。
「かまうこったねェ、そんなものァ、知らん顔してりゃァいいんだ。さっさととんずらこきァ、はい、それまでってことサ」
真っ昼間、村の真ん中で堂々とこんなことを言う、こいつの神経がわからない。そう思いかけたマーヤーは、彼がリスミスで宗教裁判に掛けられていたのを思い出した。
(きっと、まともな奴じゃないよ、こいつ!)
さっさと追い払った方が良さそうだ。このまま一緒にいて、この男の仲間だと思われれば、後々厄介なことになる。そう思って、魔法をかけようとしたときだった。
どやどやと音がして、10人程の男たちがマーヤーたちの方へやってきた。その先頭にいるのは、ジャネットの魔法から生き延びて、命からがら逃げ出したあの男――リアークという名だとエリザは言っていた――だった。いたぞ、あの女だ。エリザもいるぞ。そんな声が聞こえてくる。それを見た途端、今まで威勢よく気炎を揚げていた男が、そそくさと逃げ出した。
(さては、あいつも借金…?)
そんなことを思う間もなく、マーヤーたちは周りを取り囲まれていた。
只事でない様子を感じ取り、いつの間にか、あたりには村の人々が集まってきている。
「さっきは、よくもやってくれた。だが、こんな村の真ん中じゃ、下手なこともできんだろう。大人しく、その娘を渡してもらおうか」
その言葉を、ジャネットは鼻で笑う。
「大きく出るじゃない。一体、この子がなにをした、っていうのよ。よってたかって、か弱い女の子を襲うなんて、あんたたち、一体何なのよ」
そういいながら、ジャネットはこっそりとマーヤーに目配せをする。
(あ、何か悪いこと考えてる…)
「わたしを怒らせたら怖いのは、十分わかっているはずよ?」
そういって、ジャネットは先頭に立った男をにらみつける。彼女の視線をもろに受け、思わずリアークがたじろぐのがわかる。
「や、やかましい、俺たちは、その娘に貸しがあるんだ。下手な手出しはためにならんぞ」
「貸し? なんなの、それ」
事情はエリザから聞いて知っているが、そんなことはおくびにも出さず、ジャネットがいけたかだかに言う。
「貸しは貸しだ。そいつの親に貸した金を返させないでは済まされん」
「金? …あんた、借金してるの」
そういってジャネットがエリザを睨む。ひぃ、と小さな声を上げてエリザが身をすくめる。
「そうだ、わかったら、邪魔をするのはやめてもらおう」
勢いづいてリアークが言うのに、ジャネットが声を張り上げる。
「そんなことのために、わたしを巻き込んだの! ふざけるんじゃないわよ!」
その剣幕にリアークがすくみ上がる。それを無視して、ジャネットの目がエリザに向けられる。
「お前がいるからわたしたちまで面倒に巻き込まれるんだわ!」
エリザがおびえてその場に立ち尽くす。
「…全部お前が悪いんだ」
真っ青になったエリザは、声を立てることすらできない。ジャネットの手が高々と挙がる。
「こうしてやるわ!」
次の瞬間、轟音と共に、巨大な火柱が立ち上がり、エリザをその中に包み込んだ。絶叫が上がり、エリザの姿が炎の中で消えていくのが見える。周りにいた男たちは、その光景を呆然と見守るばかりだった。
炎は、ゴッという唸りを立てて一瞬膨れ上がり、男たちを後ずさりさせたかと思うと、次の瞬間、まるで何もなかったように消え失せた。炎の消えた後には、エリザの姿はない。死体どころか、骨のかけらも残っていなかった。村人達の口から、恐怖と驚愕の入り交じった声我があがり、男たちが戦慄する。
「な、何だと…」
焦げ跡だけの残る、何もない地面を青くなって見つめる男たちに、ジャネットが向き直る。
「あんたたちも、こうなりたい?」
そういって1歩前に踏み出したジャネットを見て、男たちは一斉に踵を返して逃げ出した。ジャネットがぐるりと辺りを見回すと、そこに他村人達が、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。それをみて、ジャネットが、ふう、と息をつく。
「もういいわよ」
マーヤーがうなずくと、彼女の横にエリザの姿が現れる。目を閉じ、眠っているかのような様子だ。ぱちり、とマーヤーが指を鳴らすと、エリザの目が開く。
「驚ろかしてごめんね。でも、あのままじゃどうにもならなかったから」
ジャネットにそういわれても、エリザは、何が何だかわからない、といった様子だった。
「グッジョブ、マーヤー。ナイス・サポート!」
「どういたしまして、って、いきなり振るんだもんね…」
いきなり現れた火柱も、エリザの姿が消えたのも、全部マーヤーの幻術だった。ジャネットの言葉に脅かされ失神寸前だったエリザに眠りの術をかけ、あとは幻影を見せて男たちを煙に巻いたのだ。その間、ジャネットの方は、もし、男たちがひるまなかった場合に備えて、別の――もっと危険な魔法を準備していたのだった。
「でも、いつまでもここにはいられないよ?」
「ああ、そうね。エリザは顔が売れてるものね」
「それは、なんとかする」
そういって、マーヤーは手を伸ばし、エリザの顔の前で掌を回し、数回円を描く。マーヤーが手をどけると、エリザの顔は、全く別人のそれに変わっていた。顔だけではない。目の色も髪の色も変わっている。人間には、はっきりそれとわからないが、体臭までもが別のものになっている。それを見て、ジャネットが天を仰ぐ。
「…全く、突拍子もない真似するわね、マーヤーって。う、うん、わかっていたわよ、わかっていたけど」
「村へ来る前にやっておいた方がよかった?」
ううん、とジャネットが首を振る。
「それじゃ、だめ…かな。あいつらに、エリザの死ぬところを見せておかなきゃ、ね。こうしておけば、エリザを付け狙おうなんてしないでしょ」
「いいけど、これで、ジャネットも顔が売れたよ?」
うんうん、とジャネットがうなずく。
「いいのよ、それで。その方が、変な奴らに寄ってこられずに済むでしょ」
「…そうだといいけど」
結局、ジャネットは借金を踏み倒すつもりなのだろうか。ふと気になって、訊いてみる。
「まあ、何言ってるの? 踏み倒す、って、別にわたしが借りたお金じゃないんだし、エリザは殺されちゃったんだし」
ねえ、と、ジャネットはエリザにウィンクする。
「あれを見て、奴らが諦めるんなら、それはあの連中の勝手だわよ。わたしが指図したわけじゃないんだから」
はあ、とマーヤーは力が抜けるのを感じる。いつものことながら、ジャネットのマイペースには振り回されるばかりだ。
「そんなこと、今気にしてたって、仕方ないでしょ。なるようになるんだから」




